142.変質の代償
いつも気長にお待ちくださっている心優しい皆様にご挨拶申し上げます。淡雪です。
先月大切な存在を亡くしたばかりで、まだまだ喪失の苦しみから抜け出せません。毎日何度も強烈な寂しさと恋しさに襲われ、後悔ばかりが過り、ひたすらに亡くした痛みに耐える日々です。
それでも日常を取り戻すべく自身を欺いて、納得したように見せかけて生活しています。執筆もその手段のひとつですが、下手なものをお見せすべきではないと葛藤してもいます。
きちんと書けているかわかりませんが、これからも執筆活動を続けていけたらなと思います。
大変長らくお待たせ致しました。
「五つの罪業を手放さず……?」
手放さないで能力の糧とするって、どういうことだろう。それって、まるで自分自身を呪っているみたいじゃないか。
『……………』
答えない、か。
ちらりとナーガを見るも、俺の思考を読んでいるはずのナーガはそれに触れようとはしなかった。
たまにヒントはくれるけど、ぼかして曖昧にすることも多い。答えないということは、俺自身で見極める必要があるってことだろうな。理解は難しいだろうけど、転生者について知る必要がある、ということなのか。
まあ、それは今はいい。わかっているのは仕掛けてきた非人道的な攻撃だけで、その他を俺は知らないのだから。現時点では人間性を疑っているから、どう転んでも酷評にしかならない。両方聞いて下知をなせとは言うが、俺だって当事者だ。感情もあるんだから、たとえ転生者に事情があるのだとしても到底許せるものではない。
埒が明かないことは思考放棄することにして、今は目の前の問題をどうするかだ。
ずっと待っていてくれたお兄様たちに先程の会話に補足して説明すると、やはりというべきか、がっつり当事者であるお兄様も護衛たちも騎士団面々も、渋面のまま沈黙してしまった。
そりゃそうだろう。転生者は心神耗弱者だから、その行動に罪はない、なんて絶対言えない。大勢が死にかけ、砂金ハンターは休職を余儀なくされた。仕掛けられたものの影響は、三年経った現在もすべて払拭できたわけじゃない。心神耗弱だからと納得するなんて無理だ。
「――いろいろ思うところはあるけど、もう一人の転生者の実態が把握できていない現時点で、何を基準に何をどう判断し対処するか、決断してしまうには時期尚早だろう。感情だけで動くのは為政者に非ず」
「はい」
「判断材料が足りないな。まったく、情報不足だなんて、グレンヴィルの名折れだよ」
我が国一番の諜報部隊を持つ、王の耳ですものね。
「取り敢えずこの件は先送りだね。父上とお爺様にも動いていただくけど、僕も調べておくよ」
「ではわたくしも――」
「リリーは駄目。転生者に身バレしている君が動けばそれだけ目立つからね」
ご尤もですが、転生者相手に何も対策せずお兄様方に丸投げというのは如何なものか。
「適材適所だよ、リリー。諜報と精査はグレンヴィル家当主と正嫡の務めだ。君は君にしか出来ないことに集中して」
正確過ぎる返答に思わず苦笑した。考えが透けて見えてしまうのは、どうやらちっとも改善されていないらしい。
これはもう、どうやっても直らないと開き直るべきか? いや貴族令嬢としてそれは致命的過ぎるよな。でも閥族夫人方と定期的に行われるお茶会では、一応腹芸は出来ているとお母様のお墨付きを頂けているから、気の置けない相手だと気の緩みから漏れっぱなしになっちゃうのかな。それはそれで問題あるのかどうなのか。
むむむと眉間にしわを寄せていると、お兄様が苦笑しながらそっと指先でしわを伸ばすように撫でた。
「ほら、気もそぞろだよ、リリー。今やるべきことは?」
「……………検証です」
「そうだね。ちょっと脱線気味だけど、当初の予定通り検証を続けようか」
「はい」
おっしゃる通りです、お兄様。本題からすぐ脱線するのは悪い癖だ。
とにかく解決しない問題は後回し。後で考えればいいことも後回し。俺は本当に無駄が多い。
さて、検証するにあたってのリスクの問題だが。
「ナーガ。あの魔石を発動させることで、転生者と同じリスクをわたくしも負うことになるかしら」
『それはない。リリーが使用するのは創造魔法であって、無属性の状態操作ではないからね』
「ああ、やっぱり」
そうだと思っていた。無属性の水色や桃色の魔素は、一度も俺に応えていなかったから。
ということは、俺が今まで発動出来ていた無属性と思しき魔法は、すべて創造魔法で無属性っぽいものを模したものだった可能性が高い。無属性も使える、ではなく、カテゴリとしてはあくまで創造魔法の範疇で、俺は一度も無属性魔法を使用していない、ということになる。その証左が、まったく反応を示さない水色と桃色の魔素たちだ。
俺に無属性は使えない。模したもの、もしくは近い別のものを創り出していたからだ。だから俺には無属性のリスクは通用されず、課されるのは変わらず創造魔法の対価だけ。心神耗弱のリスクを回避できないもう一人の転生者からすれば、俺のノーリスクはふざけんなの一言だろうな。俺がその立場なら絶対そう思う。
「支払う対価が創造魔法のそれならば、躊躇う理由はないわね」
だってすでに支払うべきものは決められている。
「お兄様。転生者と同じリスクはわたくしには適用されないそうなので、検証に問題はないようです」
「そう。それは重畳。と言いたいところだけど、変わらず君に課される対価が気になるよね」
「そこは仕方ないと割り切っております。人の身には過ぎた力ですもの」
「……………」
お兄様がそっと労うように俺の髪を撫でた。その表情は心配で仕方ないと如実に物語っている。
「平気です。この力のおかげで大切な方々を守れるのですから、寧ろ恩恵に感謝しておりますわ」
「君って子は、まったく……いや、それでこその使徒なのかな」
同じ結末ならば、与えられた能力を極限まで使い潰すつもりでやってやりますよ。それで守れるならば恐れるものなどない。
「では、始めます」
「用心して」
「はい」
ワイバーンに拘束効果のある結界を張ってから、リオンに離れているよう促す。変化する過程で何が起こるかわからないし、魔石が感染の効力を持つ以上、踏みつけているリオンさえ取り込むような強制力が働かないとも限らない。極力危険性を排除したいから、リオンがワイバーンに触れたままでいるのは避けたかった。
リオンがバサリと飛膜をはためかせ舞い上がると、その巨体は黄金色の光に包まれて見る見るうちに小さくなった。出会った頃の幼龍姿に变化して、ウルの立派な枝角に止まる。
「……………リオン、あなた、小さくなれるの?」
『なれるよ?』
え。初耳なんですけど。
俺、教えてないよね? いつの間に出来る様になってたの? 何で報告しないの?
『? 外では小さくなれた方が、ママの傍に居やすいでしょ? ママもそのほうが都合がいいってウルが言ってた』
「え、ええ……そのとおりだけれど……」
確かに都合がいい。いいがしかし。
いや、うん。リオンも立派に成長している証拠だと思って深く考えないでおこう。
外界では小さい方がいい。間違ってはいない。狼や虎は怖いが、子狼や子虎はかわいい。うん。オーケーその理屈で。あとは知らん。
リオンが離れたことで再び暴れようとしていたワイバーンだったが、蛇体のように絡み付く結界に阻まれてほとんど動けていない。翼も脚も締め上げているのだから、ほぼ簀巻き状態で動けないのは当然といえば当然だった。
グルルルと唸り声を上げながら、眼球だけは忙しなく動かしているワイバーンの心臓へ、魔法陣が刻まれた血赤色の魔石を転移させた。刹那。
カッ!と見開かれた眼がぐりんと白目を剥き、内側から外側へ、あたかもひっくり返るようにすべてが反転した。
それは異様な光景だった。
おぞましい光景だった。
全身の骨という骨を砕き、再構成させていく異常性。あれほどの巨躯が何度も何度も折れ曲がり、次第に体積と質量を小さくしていく。悲鳴もなく砕き、裂け、咀嚼されていくワイバーンだったものは、最早ただの肉塊と化し、原形を留めていない。
誰もが声すら出せなかった。微動だにしなかった。呼吸すら止まっていたかもしれない。
時折細骨の折れる小さな音がする以外は、ぐじゅりと血肉の潰れる音だけが静寂のなかで響いている。決して大きな音ではないのに、俺たちの耳は正確にそれを拾っていた。
これは、無理だ。
元の形へ戻すなんて無理だ。
いや、たぶんやろうと思えば可能だろう。再びの無理を強いれば出来なくはない。しかし、これはそんな次元の話じゃない。
これは、こんなものは、命に対する冒涜だ。
そうか――これが呪物か。
慈悲など欠片もなく、物理法則をまる無視した強制力。無理やり姿形を作り変え、偽りの命を与える。
心神耗弱のリスクを負ってまで、こんなものを作り出す意図が理解できない。いや、心神耗弱だからこそこんな真似ができるのか。
真っ当な人間なら良心の呵責に耐えられないだろう。検証のためにやったことだが、非道徳的過ぎて、嫌悪感から吐きそうだ。
程なくして破壊の止まった肉塊は、砂鉄が磁力に引き寄せられ波立つように、赤黒い鱗を生やしながらワニの形を模っていく。坑道奥で何度も遭遇した、あのイリエワニに酷似した姿だ。
ぐりんと下りてきた真っ赤な眼球がギョロリと動く。左右一対の両眼が、カメレオンよろしく異なる動きをしていて不気味だ。
そう慄いた、須臾の間。
初めからそこにいると知っていたと言わんばかりに、真っ赤な両眼が俺を捉えた。
弾丸のように飛び出した様を、俺は緩んだ蛇体結界で再び締め上げることも忘れて、ただ呆然と棒立ちに見つめていた。大きく開かれた顎門が迫る様は酷くゆっくりで、鋭い歯の一本一本さえ綺麗に見えていた。駆け寄るお兄様や護衛たちより先に、俺はあの牙に引き裂かれるだろう。防護魔法も間に合わない。
ヤバイ、これは、詰んだ――頭が真っ白になった、その瞬間。
眼前まで迫っていたはずのワニ型魔物の頭が、一瞬のうちに地面でかち割られていた。
フン!と鼻息荒く魔物の頭を踏み潰しているのはウルだった。
『躾のなっていない蜥蜴め』
「……ウル……………」
『ご安心を、主。万が一など我らが許しません』
「ええ……助かったわ。本当に、ありがとう」
「リリー!!」
一歩遅れてお兄様が俺を掻き抱いた。
震えているのがわかる。俺も今更ながらに死に直面した恐怖から体が震え始めた。
「間に合わないと思った……!! 無事で、本当によかった……!!」
「お兄様……」
ギュウギュウときつく締め上げる勢いで抱き込む腕に縋りながら、一撃で絶命した魔物を見下ろす。
明確な殺意を持って、俺を認識して襲ってきた。明らかにワイバーンであった時とは違う。
呪物である魔石がそうさせたのか。それとも暴いたことへの報復? もしくは模倣したことへの脅威から? どちらにしろ、転生者は俺を殺すつもりだったということ。
それは時限式に仕掛けられていたのかもしれないが、転生者本人に暴いた者の情報がすでに伝わっている可能性も考慮しておくべきかもしれない。
詰めが甘かった。予め防護魔法を張っておくべきだった。
考えが足りない。全然足りていない。策を練ったつもりでも、いつも必ず穴があるのだ。それも今回のように致命的な見落としなんて笑えない。ウルがいなかったら、俺の首は今頃胴体と繋がってはいなかっただろう。
明示的な殺意はこれからも向けられることだろう。俺はもう一人の転生者にとって、決して野放しには出来ない厄介者であるはずだから。
もっと慎重にならなければ。俺の素性がバレているならば、家族が標的にされる可能性だってあるはずだ。常に警戒心を持ち、アンテナを張っておく必要が――。
「……………」
無理、だよなぁ……。
そんな四六時中気を張ってたら、それこそ心神耗弱者まっしぐらだ。精神が摩耗して、鬱症状に苦しむことになる。そうなれば正常な判断など不可能だし、家族や家人たちへの負担になる。それでは本末転倒だ。
これは俺だけで結論を出すべき案件じゃない。お兄様も仰っていた『ほうれんそう案件』だ。うん、家族会議が必要だな。
「……お兄様」
未だ抱きしめたまま離さないお兄様の背中をポンポンと叩いて、意識をこちらへ向ける。いつもならば見上げているはずの身長差が同じ程になっていて慣れないけれど。
俺の意図を汲み取ったご様子で、お兄様は少しだけ腕を緩めて問う視線を寄越した。
「まずは謝罪を致します。わたくしの思慮が浅いため、お兄様に心配をお掛けしてしまいました。万全を期すべきところを、手落ちと片付けるにはあまりにも愚かな顛末でした。わたくしには、自覚している以上に死角があるのだと思います。きっと視野も思考も狭い。何度も同じ失敗を繰り返しているのに、改めることがなかなかに難しいのです」
不足は理解している。改善したいと思っている。気概は十分あるのに、どうしても直らない。自分の学習能力の乏しさが恨めしい。
「なのでお兄様。わたくしに欠落しているものを共に補っていただきたいのです」
大真面目に告げると、不意にお兄様が顔を背けて肩を震わせた。泣いているのかと一瞬焦ったが、ふふっ、と漏れた笑声でそれは勘違いだったと理解した。
「まったく、君ってば……ふ、っく……い、潔いと言うか、バカ正直と言うか、……くくっ」
ええ、その点は自覚ありますけど。
泣きそうなお顔をされるよりはよっぽどマシなので、どうぞ気が済むまで笑ってください。ははは。
すんと真顔になった俺に気づいたお兄様は、笑いの余韻を引きずりながらもわかったと首肯された。
「君が望むままに」
隠さず頼ってくれて嬉しい、ありがとう――続いた言葉に瞠目した。こんな情けない懇願でさえ、お兄様はお礼を言ってくださるのか。
「――ありがとうございます、お兄様」
「うん」
柔和に微笑むお兄様を見つめて、些細なことだと勝手に判断せず、今後もきちんと相談しようと心に誓った。そもそも、気もそぞろで注意散漫な俺の判断力に如何ほどの信憑性があるのかって話だ。
ない。断言できる。悲しいことに。
成長しない己に心底嫌気が差しながらも、まだ中途半端になっているやるべきことに意識を向けた。
絶命した、ワイバーンだった魔物の件だ。
変質した存在を、たとえ生きていたとしても元の姿へは戻せなかった。魔物にも魂の概念があるのかはわからないけれど、呪物と化した魂魄を新たに作り変えてしまうのは人の領域外だ。それはきっと、ナーガの言う摂理に触れる。
俺に出来るのは、やはり変質させてしまう魔法陣そのものへの干渉だけだろう。
以前ナーガは俺に出来ないことはないと言ったが、摂理に触れていいとは言っていない。出来ないことなどないのなら、自戒自制の意味も込めてより明確な線引きが必要だと思う。セルフディシプリンも必要だ。制限しないと宣誓しておいて自己規律や抑制を考えるのは矛盾しているように思えるが、理性的であるか否かの違いだ。感情に任せて暴走しては意味がない。
そう、この場で俺がやらなきゃいけないのは変質した魔物の浄化でも回帰でもなく、変質させる大元を正すことだ。
魔法陣に干渉できることは寝台の件で実証済み。魔石の隠蔽工作も暴けた。まあ一部報復は受けてしまったけれど。更に特定の者へ個人攻撃まで仕込めるとは思いもよらなかった。本当に諸々が足りていないし、自覚もまだまだ不十分だった。
スタンピードで直面した死の恐怖より、先程の急襲により恐ろしさを感じた。
直接向けられた〝人〟からの殺意。それはまるで首筋に刃物を押し当てられるようなひりつきだ。
浩介の最期の瞬間がぶり返しそうになって、覚えず身震いした。
過ぎった恐怖が俺の感情なのか、浩介の思念なのかはわからない。それでもざらりと撫でていったものは、確実に俺の柔い部分を容赦なく抉った。
五つの罪業――そのひとつは、【死】であることは間違いない。