139.玉響の間 2
お兄様一行をルイドール近隣エリアへ送り出し、三時間後に再びお迎えした俺は、午前中これでもかと小さな怪獣たちと遊び倒した。三歳児の底なし体力、恐るべし……!
遊び疲れてお昼寝タイムに突入した双子をお婆様と侍女に任せて、疲労困憊な自分自身に回復魔法をかけてようやくやって参りました、エスカペイド騎士団本部!
いろいろとやらかすなら、俺の能力や立場を知るエスカペイド騎士団でやった方が都合がいい。訓練場なら敷地も広いし、石壁も高いから領民の目を気にする必要もない。ついでに音も遮断してしまえば、中で何をやっても問題ない。地属性の魔素に頼めば陥没した地面も修復可能だし。
そんなことを企みながら、山形県の文翔館に似た重厚な石造建築を見上げていると、建物内から慌てた様子で二人の騎士がこちらへ駆けて来た。
「若様! 天姫様!」
厳つい顔立ちで声高に呼ぶのは、エスカペイド騎士団を束ねるプリッドモア団長だ。三年前共闘して以来だな。
というか、天姫呼びは健在なのか。ぐぬぬ。
「お出迎えが遅くなりまして誠に申し訳ございません!」
「ああ、先触れで伝えた予定より早く到着したからね。気にしなくていい。それより、〝天姫〟だって?」
興味津々とばかりにお兄様が面白そうな視線を俺に寄越す。そこを俺に訊きますか。
「お披露目パレードのお美しいお姿に始まり、戦乙女も斯くやと、我らと共に死闘を潜り抜けてくださったお姿から、天が遣わした姫君であられると我ら騎士団一同が誠に勝手ながらそうお呼び致しておりまして」
「なるほど。天が遣わした姫で天姫、ね。言い得て妙だなぁ。正にそのとおりだよね」
「お兄様まで悪乗りはお止めください」
「君は自己認識を改めるべきかな。人にどう見えているか、正しく理解しないと弊害が起きるよ」
「そんな大袈裟な」
「大袈裟だと片付けてしまうなら、リリーもまだまだ未熟者ってことさ」
仰々しく態とらしい仕草で肩を竦めて見せるお兄様に、俺はぐぬぬぬぬぬぬと歯噛みした。
旗色が悪い話題はさっさと変更だ。
「御無沙汰しておりました、プリッドモア団長。今日は急なお願いを聞き入れてくださってありがとうございます」
「天姫様のご下命とあらば、我らエスカペイド騎士団はいつ如何なる時でも直ちに馳せ参じましょうぞ。三年前の誓いは、今も変わらず我が胸に」
そう言って騎士礼を執るプリッドモア団長の右手首には、プラチナにススキを透かし彫りにした、中央に一カラットのダイヤモンドを埋め込んだバングルがキラリとその存在を主張していた。三年前俺が、エスカペイド騎士団とヴァルツァトラウム騎士団に贈与した魔道具だ。
彼の言う誓いとは、国と王家に楯突いてでも俺を護ると言ってくれた、あの誓いのことか。
有り難い話だが、そうならないよう俺が上手く立ち回るべきなんだよな。彼らやその家族を守る為にも。広い視野と思慮深さを併せ持つお兄様を見習いたい。
それを考えたら、グレンヴィル公爵領って安泰だよなぁ。優秀な跡取りが育ってこその未来だ。さすがです、お兄様!
「ご挨拶申し上げます、若様。姫様。エスカペイド騎士団副団長を拝命しております、ケアリー・アンヴィルと申します」
そう言って恭しく一礼したアンヴィル副団長は、厳ついプリッドモア団長と対比するような優男だった。光り輝くブロンドヘアに、切れ長の青い瞳。騎士服に身を包んでいなければ、どこぞの貴公子かと見紛うほどだ。
……うん? アンヴィル?
「彼はアンヴィル侯爵家の正嫡だよ、リリー」
ああ! 北区ヴァルツァトラウム代行管理者の! 森の異変を報せてくれた侯爵の息子さんか!
言われてみれば、容姿は似ていないが髪と目の色は確かに侯爵と同じだ。
お兄様の補足説明でスッキリした俺は、スカートの裾を摘んで簡易的なカーテシーで応えた。
「レインリリー・グレンヴィルです。三年前、お父君のご助力もあって北区を死守出来ました。心から感謝していると、アンヴィル侯爵にお伝え下さい」
「職務を全うしたに過ぎない父に、勿体なきお言葉にございます。北区を死守出来たのは、偏に姫様のお力添え故だと、騎士団の者ならば皆が口を揃えて申します」
アンヴィル副団長はそこで一旦言葉を切ると、整った眉尻を下げて残念そうに言った。
「そう、皆が揃って言うのです。姫様が如何に神々しかったか、姫様の武勇伝を我が事のように、自慢気に語るのです。私も自身の目で拝見し、見ていない者に刮目せよ!と自慢したかった。なんて羨ましい」
じとりとした視線をそのままプリッドモア団長へ滑らせる。さっと明後日の方向を向いた団長の様子から、彼が語っている筆頭なのだと察せられた。
ちょっと。俺の本意じゃない噂話は止めて頂けませんか。なんだ武勇伝て。
「さて、時間も有限だし、そろそろ君のやりたい事をやりに行こうか」
「はい!」
待ってましたとばかりに威勢の良い返事を返した俺に、お兄様を筆頭にロイも護衛たちも団長も副団長も、その場にいる全員が可笑しそうに口許を緩めた。
子供っぽくて恥ずかしい。
「―――――えっ!?」
「て、天姫様!?」
「うっそ、マジで!? マジで天姫様!?」
「天姫様ぁ!! お久しぶりです!!」
プリッドモア団長とアンヴィル副団長の案内で訓練場へやって来た俺たち一行を見つけて、訓練中だった騎士たちが一斉に騒ぎ始めた。
あっ、デカくなったとか言うな! 手つき! 胸のこと言ってるって一発で分かるからな! 俺相手にセクハラやめろ! お、お兄、お兄様が悪魔の微笑みを向けているから今すぐ止めて逃げろー!!
「天姫様! ようこそいらっしゃいました! またお会いできて嬉しいです!」
躊躇いなく物理的に首を刎ねかねない不穏な微笑みを浮かべるお兄様に慄いていると、忠犬よろしく爽やかな笑みと共にこちらへ駆けてきた若い騎士に声を掛けられた。
三年前、魔素の閉め出された森へ同行してくれた騎士の一人で、確か一番隊隊長のルシアン・エインズワースだったか。イクスの闇魔法・麻痺に同僚がかかってしまった時に、俺に解除を求めた人物でもある。
護衛騎士のノエルや侍女のファニーと同じレディシュの髪は一際目立つため、彼は特に記憶に残っていた。スカイブルーの鮮やかな瞳も印象的で、屋外では更に宝石のような煌めきを宿している。
これは随分と蠱惑的な男だなぁなどと思いながら、お父様やお兄様、エイベルも似たようなものだったと思い直した。
うん。浩介相手じゃ月とスッポンだな。
浩介がどストライクだと言っていたケイシーが変わり種だったということだろう。実際ノエルの方がずっと色男だぞ。
「まあ、貴方は! エインズワース一番隊隊長、でしたわね」
「覚えていてくださったのですね! とても光栄です」
「当然ですわ。ヴァルツァトラウムの森では本当に助けられましたから。あなた方の助力なしでは踏破など出来なかったでしょう。魔素のいない特殊な状況下で共闘してくださって、本当にありがとうございました」
「恐縮至極でございます。俺も貴女様の背後をお護り出来ましたこと、生涯の誇りです。――あ。いや、私、です!」
ああ、普段の一人称は〝俺〟かな?
「構いませんわ。どうぞ気兼ねなく、普段通りの言葉遣いでお話しくださいな」
「ええっと……では、お言葉に甘えます」
「ええ」
エインズワース一番隊隊長が、ほんのり頬を赤く染めつつはにかんだ。
これは中々に色のある男だ。エスカペイドの女性達が、推しのアイドル宛らに黄色い声援を送っている様が目に浮かぶようだ。
アンヴィル副団長や、他にも女性人気の高い騎士がたくさん居そうだな。生写真売り出したら飛ぶように売れそうだ。まあ写真はないから、こちら風で言えば肖像画だけど。売り上げは是非とも騎士団運営に回したい――などと、ついつい頭の中で算盤を弾いてしまう。広報室でも作ろうか。
三年前のスタンピード以降、領民からの防衛費増大要望の声は多い。更に遡れば、十数年前の侵略戦争後から国内での国防費増大は必須要件だと言われてきた。国防の一角を担うお父様から聞いた話では、バンフィールド王国の軍事費は日本の公表防衛費の約二.五倍の予算額だった。
軍事費は、各領地だけでも莫大な額になる。騎士団の人件費や、武器などの開発・調達・維持、装備の拡張にかかる工廠の育成費、隊舎や訓練場の修繕・維持費用、軍事演習や討伐派遣などの遠征費、災害や魔物被害による支援物資の備蓄費用、被服・携帯食料・衛生材料・事務用品・生活用具を含む軍需品の備蓄と配給の経費、食堂の料理人や清掃員の人件費、食材の調達・配達費、軍馬の育成や飼育費用など、騎士団に関する諸々が軍事費扱いとなり、組織の維持にとてつもない額の税金が投入されている。
エスカペイド騎士団は領都騎士団でもあるため、他の区よりかけられる軍事費は多い。次に多いのが、派遣されたエスカペイド騎士団と共に定期的に魔物討伐を行っている北区ヴァルツァトラウム騎士団だ。他にも治安部隊や沿岸警備隊といった準軍事組織もあるが、これらは各区の騎士団管轄下となっているので、所管経費は各区騎士団と合算となる。
因みに、隣国と陸続きではないので国境警備隊はない。
「さて、リリー。そろそろ君のやりたいことを始めようか」
お兄様の声にはっと我に返った俺は、こくりと首肯した。
そうだ、時間は有限。あまり帰宅時間が遅くなると双子が起きてしまう。ニ時間ほどしか猶予はないだろう。なかなかに厳しいな。
「ではまず、防音と認識阻害の結界を張ります」
「音と視覚の遮断か。何をやるつもりなのか楽しみだよ」
悪戯小僧を相手にしているような生暖かい目を向けないでもらえますか。
苦虫を噛み潰したような何とも言えない顔をしていると、護衛たちもお兄様と似た達観した笑みを口許に浮かべていることに気付いた。
何だよ。止めろその顔!
音と視覚の認識阻害は必要だぞ! 爆発したり未知の何かが起こったりしたら、街がパニックに陥るじゃないか! その予防措置を講じようって段階で、何ですでにやらかす前提で悟りを開いたような顔をするんだよ! 分かってますからみたいな態度やめろ! 失礼だな!
むむむと頬を膨らませれば、生暖かい視線のまま目尻がさらに下がっていく。ムカツク!
ふんすと鼻息荒く認識阻害の結界を張った。張ってやりましたよ。ははーん、だ。
すると、突如現れた構造色の結界壁に一部の騎士たちがどよめいた。
ああ、彼らはもしかしてあれかな? スタンピードの後に新規雇用された新人騎士かな。俺の能力は初めて見るだろうし、このまま続けても大丈夫だろうか? 騎士は守秘義務契約がなされているから、騎士団で見聞きした内容を口外はしないだろうけど……。
ちらりとアンヴィル副団長に視線を向けると、事も無げに頷いた。
「指導しておきます」
指導とは……いや、俺は何も聞いていない。心の中で新人騎士たちに黙祷そして合掌! 若人よ、逞しく生きろ!
収納魔法で保管していた魔法陣付きの魔石を床石に顕現させると、昨日やった解析を施す。
途端、青と金の蓮の中から顕れた人型の粘稠塊に騎士団がざわめいた。
「天姫様。これは」
「北区鉱山の坑道奥で遭遇した、未確認の魔物が身に宿していた魔石です。人の手が加えられている痕跡があるの」
「み、未確認?」
「まさか、人工物の魔石など」
団長と副団長が、俄には信じ難いと言いたげな渋面を粘稠に向けている。そんな中で、初見であるはずの未知の存在に慌てる様子もなく、じっと観察しているのはエインズワース一番隊隊長だ。彼は共に呪いの森を踏破した経験があるからか、認知外の出来事に耐性がついている気がする。下地が出来ているというか、確実に俺のせいですよね、申し訳ない。
「近づかないよう気をつけてください。一応あれにも遮断結界を張っていますが、もし甘い香りを感じたら、直ちにわたくしに報せてください。お兄様のお話では、甘い芳香は神経毒らしいので」
「神経毒!?」
「そのとおり。僕のように毒耐性をつけていない者は、不必要な近接は避けるべきだよ」
お兄様の注意喚起に皆が一様に頷いた。
やはりお兄様も配下の安全を願っておられるのだ。人材は宝だからな。さすが将来を有望視されているだけはある。
「無闇に近寄って毒に侵されて、僕の大切な妹に解毒させるような負担を強いる愚か者は、僕が直々に粛清してあげよう。簡単な二択だ、難しい話じゃない。神経毒で死ぬか、僕に首を刎ねられるかの些細な違いだよ」
違った、どこまでもシスコン一直線なご意見だった。
首を刎ねるとは、騎士団をクビにするということなのか、物理的に斬り落とすということなのか、真意を確認するのめちゃくちゃ恐いな。前者であると信じていますからね、お兄様!?
一同が青褪めて、コクコクと了承の頷きを返している。神経毒を忌避してくれるなら有難いが、恐怖政治は駄目ですよ、お兄様。怖いからその笑顔やめてください。
「――天姫様。このような時に発言する無礼をお許しください」
ふと、真剣な面持ちでエインズワース一番隊隊長がそう口にした。
俺が見落としている何かに気付いたのだろうか。それは有難い。是非とも拝聴させてくれ。
「構いません。忌憚なく開陳なさって」
「ありがとうございます。では、失礼して。――ヴァルツァトラウムの森で神招きを行った際の未来の御姿には、もうなられないのですか?」
「……………。はい?」
唐突に何を言い出すんだ、この男。
「未来の御姿であれば負荷は少ないと聖霊様も仰っておられました。魔法を行使されるなら、あの時の艶めかしい……あ、えっと、魅惑的な……でもなくて、あー、ヤバい、本音ダダ漏れになる……」
本当に何を言っているんだ、ルシアン・エインズワース。いま艶めかしいって言ったな?
「と、とにかく! あの御姿をもう一度拝見したいんです、俺!」
開き直りか。潔いが、本音ダダ漏れどころか願望しか言ってないぞ、ルシアン・エインズワース。
「え! 言っていいの!? じゃあオレも! またお会いしたいです、未来のエロい天姫様!」
「うん、あれはエロかった。おれももう一度見たい」
「あの御姿での神招きの舞いは本当にエロい――じゃなかった、お美しかった。オレもまた拝見したい」
神秘的って言えないのか、お前たち。
エロいって何だ。確かにまろい尻とふくよかな双丘はお爺様曰く扇情的だったそうだが、結局俺は一度もその姿を確認出来ていないのだ。エロいエロい言うな!
「成熟した君を看病した父上から話はお聞きしているけど、僕は一度も見ていないからなぁ。どんなに美しいのか、僕も見てみたい」
期待の眼差しで見下される。
え。お兄様もですか。そんなことより検証しましょうよ。
「ね、リリー?」
小首を傾げるあざといお兄様。貴方の方が何倍もエロいと思うのですが。
「わたくしはその姿を知りませんので、ナーガにお願いすることになりますが」
『別にいいよ?』
ナーガがあっさり快諾する。少しくらい渋れよ。俺の気持ちを慮ってくれよ。
『検証を進めるなら、ここからはリリーの魔力のみの行使になる。何せあの魔法は、リリーが創り出したリリーだけの属性魔法だから。そこの何某の騎士の言うとおり、負荷を避けるなら身体の成熟はしておいた方がいい。吐血はもうしたくないでしょ? というか、この場で吐血したらリリーのお兄さんがどう出るかな』
いや、うん。正論で返されると非常に困るんですけど。
吐血したことは絶対お兄様に知られるわけにはいかない。ええ、断じて! これからの俺の進退に関わる地雷だぞ、それ!
「……………わかりました。検証の負担を考えてナーガも推奨しているので、彼に頼って姿を変えます」
「「「「「ぃやった―――――っっ!!」」」」」
騎士共!! 喧しい!! アンヴィル副団長、諌める側の上官であるあんたが一緒に拳突き上げてどうする!!
「実は父上やお爺様が羨ましかったんだよね。先駆けて未来の君に会えるのか、嬉しいなぁ」
ああもう、ナーガ、ちゃちゃっとやっちゃってくれ。
「―――――ああ、僕の妹は、こんなに魅力的な女性へと成長するのか」
極彩色の光の洪水によって久々変身した俺の耳に、お兄様の甘い呟きが触れた。
そっと閉じていた目を開けたその先に、同じ高さの目線になったお兄様の、蕩けるような極上の笑みがあった。