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138.玉響の間

 



「瘴気溜まりを見た者は未曾(いまだかつ)て存在しない。鉱山に慣れた砂金ハンターでさえ、人体を害する瘴気に耐性がないからだ。もしお前が本当に視認できていたならば、人類史上初めて瘴気溜まりの正体に触れたことになる。ついに長年謎に包まれていた魔物発生の仕組みを解明できるやもしれんぞ!」


 ライフラインと脅威を天秤にかけ、どちらも切り捨てられないと頭を悩ませていると、興奮しきりとお爺様が夢や希望に満ち溢れた少年のような目で語り始めた。期待と、かかる圧が半端ない。


 考えなきゃいけない事とやらなきゃいけない事が山積みで、軽くパニックになりそうだ。

 まずは順序立てて一つずつ処理していくしかないのだけれど、その一つ一つが謎だらけ厄介事だらけで頭を掻き毟りたくなる。

 例の転生者は愉快犯か何かなのか!?


 ――いや、落ち着こう。無駄に精神力をガリガリ削られている場合じゃない。


 さて、どう説明したものか。

 硫黄酸化物の話をしたところで伝わらないだろう。石炭や石油といった化石燃料さえ存在しないのだ。

 上下水道の浄化もキッチン家電にあたる魔導コンロの類いも、人の生活を支えているライフラインはすべて魔石が使われている。化石燃料を大量に燃焼させることで発生する大気汚染など無縁の世界だ。

 辛うじてエアロゾルは伝わるかもしれない。大気汚染のことをエアロゾルというのではなく、火山の噴煙、雲や霧、靄、中国大陸内陸部からの黄砂など、簡単に言えば大気中を漂う微粒子のことを指してエアロゾルという。

 他国だが、こちらにも内陸部が砂漠化している地域がある。西風に乗って黄砂が降り積もる時季があるので理解しやすいと思う。

 陸の栄養分を多量に含んだ黄砂は、不足している海へ恵みをもたらす。そこは地球と同じなんだなぁと、感慨深く思ったものだ。海の微生物がその恩恵を受け、巡り巡って人類に還元される。一つ一つにきちんと意味があるのだから、自然界って凄いよな。


「どうご説明申し上げればよいのか……。まず、最奥へ赴くことは叶いません。岩盤の温度が高温になっていて、呼吸も儘ならないでしょうから」

「高温に? 地底がか?」


 お爺様の疑問は尤もだ。

 鍾乳洞など、洞窟内は天然のクーラーと呼ばれるほど涼しく、年間通して気温差に変化はない。地球では洞窟酒造という、平均気温が十七度以下と一定である洞窟で、酒を長期熟成させる貯蔵方法もある。そんな寒いほどの洞窟最奥が、灼熱地獄になっていると言われてもピンとこないだろう。

 地下の掘削は温度との戦いで、深く掘るほど高温になりやすい。地球には、坑底温度が二百度を超える場所もあった。簡単に言えば、深度採掘と温度は比例するということだ。活火山の多い日本では、深度六千メートル前後で二百度に達するらしい。

 ヴァルツァトラウムの鉱山アストラの地底はそう深くない。それでも六十度と高温なのだから、お爺様が訝しく思うのも当然だ。石炭の話をせずに説明しているのだから尚更だろう。


 ここでもうひとつ疑問だけれど、ワニは変温動物だから地底の高温には耐えられないはずだが、うようよ居るよな……。ワニ型とはいっても魔物だから、そもそもの作りが違うのか、転生者による状態操作で知覚が鈍くなっているのか――ああ、いや、違うな。変質させられる前から高ランク魔物は地底から出てこないのだった。そこから根本的に動物とは区別されるべき生命体だということだろう。

 瘴気の正体が硫黄酸化物であるならば、それを糧に生きている魔物は間違いなく俺の知らない未知の存在だ。いちいち地球の常識と比べても意味がない。だってここは異世界で、地球ではないのだから。

 その辺から、俺は認識を改めるべきだった。馴染んだあちらの〝当たり前〟がこちらではそうじゃないことに、未だに不慣れでいることこそ問題なんだけどな。

 浩介の人格に助けられている部分も多いが、逆に弊害も多い。

 恩恵と障りは表裏一体なのかもしれない。


「領主館へ戻りましょう。そこで可能な限りご説明致します」

「ううむ……未踏の最奥を肉眼で確認できぬのは口惜しいが、それ程までに高温であるならば、確かに人の身では一刻と持つまい」


 未練タラタラに渋るお爺様だが、ここは納得していただくしかない。

 聖属性魔法と創造魔法を併用して高温と魔物から身を守る方法はあるかもしれないけれど、視線の先でフリーズしたままの粘稠体を見ていると、同じような思わぬ罠が張ってあるかもしれないと疑ってしまう。そんな場所に皆を連れ込みたくはない。

 どうしても早急に調査と解析が必要なら、夜中にでもこっそりと俺とナーガだけで訪れるべきだろう。俺とナーガだけならば色んな面でどうとでもなる。極端な話、護らなくていい分やりたいようにやれる。

 ワニ型をこのまま放置も不安なので、変異した魔物はこっそり戻った時にでも殲滅してしまえばいい。それこそ万物流転を乱発して、仕掛けてあるかもしれない罠ごと消滅させてやる。


「リリー。ワニ型の魔物を殲滅せず戻るのかい?」


 今まさに考えていたことをお兄様に言われてしまい、思わずぎくりと肩を揺らした。刹那、見逃さなかったお兄様とお爺様の、揃いのよく似たおどろおどろしい微笑みに馬鹿正直に視線を逸らしてしまう。


「リリー? どうして目を逸らすのかな? まさかとは思うけど、後でこっそり地底へ転移しようなんて考えていないよね?」

「ほほう? レインリリー、それは愉快な企みだなぁ? 実行したらどうなるか、私はお前にどのような罰を与えるべきだろうか?」

「僕たちに内緒で、自分だけ最奥へなんて行かないよね?」

「行くはずなかろうなぁ、レインリリー」

「無茶はしないって約束したもんね?」

「約束の反故はいかんなぁ。ならばお爺様から禁足令という素晴らしい贈り物をやろうか」


 二人がかりで畳み掛けてくる圧力が半端ない……!

 俺はこくこくと、何度ももげそうなくらい首肯してみせた。頷く以外の選択肢など俺には用意されていない!


「い、行きません! 決して単独行動はしないと誓います!」


 そう! ()()()()()()行きません!


「本当だね? 信じるよ?」

「本当です!」

「護衛を連れていようが、ナーガ様を伴っていようが、僕やお爺様に声掛けしない時点で単独行動と見なすからね?」

「うっ」


 読まれてる……! さすがお兄様!

 にっこりと微笑んでいるのに、背後に般若や阿修羅が降臨していらっしゃる……! これはガチでお怒りだ……!


「も、勿論ですわ! 仮に参ります時は、お兄様とお爺様にきちんと告げて、許可を頂いてからにします!」

「そうだね。その時は僕も同行しよう」

「私も行こう。いやぁ、楽しみだ」


 これは、今ここで引き返す意味がまったくないと言われているようなものじゃないか?

 でも対策をちゃんと練ってからにしたいし、いろいろと下調べもしたい。試したいこともあるし。お爺様やお兄様方も同伴なさるなら、彼等をどう守護するかも考えなきゃいけないし。どちらにしろ〝今〟じゃないんだよな。



「わ、わかりました。では日を改めて、ここに居る全員でまた赴きましょう」

「よしきた!」

「うんうん。理解が早くて良い子だね、リリー」


 全然嬉しくない。

 そんなぐだぐだな感じで調査を終えた俺たちは、一度帰館することにしたのだった。






 ◇◇◇


 鉱山から戻った俺たちを待ち受けていたのは、自分たちだけ置いて行かれ仲間外れにされたと拗ねた双子だった。なかなか直らないご機嫌を、あの手この手で何とか浮上させた俺の午後は、まるっとすべて双子に費やされて終わった。

 エスカペイド騎士団へ赴く予定が潰れてしまったが、まあ仕方ない。昨日は半日放ったらかし状態だったからな。ずっとべったりくっついて離れない弟達と共寝したけれど、今朝もひっつき虫よろしく離れてくれない。どうしよう、可愛いが過ぎる!

 脂下がった顔で腰にしがみつく双子をそのままにサロンへ向かうと、すでに身支度を終えているお兄様が書類片手に同じ年頃の少年と言葉を交わしていた。


 ……うん? おや、あの少年は。


「やあ、おはよう。よく眠れたかい?」


 直様俺たちに気づいたお兄様が、早朝から爽やかな笑みで迎えてくださる。王子様然とした笑顔が朝から眩しい。

 チカチカする輝きを瞬きで追い払いつつ、軽くお辞儀をする。スカートの裾を摘んできちんとご挨拶したいけど、両脇に双子がくっついているので無理だ。行儀悪く見栄えしないが、お兄様ならきっと仕方ないと笑ってくださる。両手に花ならぬ両手に天使なのだから、多少不格好でも俺は本望だ。


「おはようございます、お兄様」

「おはよ、ごじゃーます……」

「……ます」


 寝惚けてそんな挨拶をする双子が愛し過ぎる問題。

 特にアビーは、ゆらゆらと揺れる頭で条件反射的な朝のご挨拶。挨拶――出来たということにしておこう。お兄様は苦笑いしていらっしゃるけど、可愛いからお姉様が許します!


 長年の、矯正という名の刷り込み教育で、思考までも淑女然としてきたことに気づかないままでいたい俺は、美しい所作で一礼した()()()()()()()()に視線を向けた。


「お嬢様、若子(わこ)様方、久しく御無沙汰しておりました。御挨拶申し上げます」

「ロイ、お久しぶりですわね。元気そうでよかったわ」

「はい。お嬢様方もお変わりなく、お健やかにお過ごしのご様子、何よりのことと存じます」

「ありがとう」


 堅い。相変わらず堅いぞ、ロイ。そのカッチカチの言葉遣い、もう少し何とかならないか。お前本当に十二才か?


「リリー、今日の予定は?」

「昨日に引き続き、午前中はこの子たちの気が済むまで付き合うつもりでいます。可能ならば、午後からはエスカペイド騎士団を訪ねようかと――」


 ふと、お兄様とロイの装いに目が行った。そういえば、今朝のお兄様はいつもと違う御召し物だ。


「……お兄様、どこかへお出掛けですか?」


 お兄様の服装は、黒のタイトなジャケットに白シャツタイ、同じく白のブリーチに黒の革長靴(ちょうか)を履いている。スタイルの良さが一目瞭然の、見目麗しい乗馬服だ。佩剣している出で立ちが、もうそれだけで文句なしに格好良い。写真に残せないのが非常に勿体無い!


「南区のルイドールへ視察にね」

「まあ。それで早朝からそのようなお衣裳でしたのね」


 ルイドールはカカオとバニラビーンズの栽培地だ。なるほど、それで乗馬服を。馬車は使わず騎乗されて行く予定か。


「君発案の産地だからね。予定がなければリリーも一緒にどうかと思ったけど、……その様子じゃ暫くは無理か」


 ひっつき虫と化しているお眠な双子に、お兄様が再び苦笑する。


「騎馬での早駆けの予定だから、夕刻までには戻れると思う。騎士団で何か試すつもりなら、僕も立ち合うからね?」


 す、鋭い。夕刻まで大人しく待てということですね。

 そわ、と視線を泳がせた俺に、お兄様がにやりと企みを乗せた悪い笑みを向けた。


「君が軍馬ごと転移魔法で送ってくれたら、正午前には帰れるけど?」

「念話でお知らせくだされば、お戻りの際も転移魔法でお迎えしますわ!」


 おっと。はしたない。思わず被り気味に食いついてしまった。

 くく、とお兄様が喉の奥で堪えた笑い方をしていらっしゃる。構いませんので、堂々と笑ってくださって結構ですよ。

 思わず遠い目をしてしまった俺の目に、お兄様の左耳で揺れるグリニッシュブルーのサファイアが映る。ペンデュラム型の宝石に金細工を施したピアスで、聖属性付与の効果で大変きらきらしい。

 お兄様。それ以上色気を増してどうなさるおつもりですか。お兄様の貞操が心配で仕方ありません。


 家族に追加で贈ったピアス型の魔道具には、特にお父様とお兄様の強い要望もあって念話機能を付与してある。三年前お二人からは一切安否確認が取れなかったことで、俺には首輪――いや迷子札? が必要だと判断なさったらしい。GPSのように、俺の位置情報まで把握できるようになっている。いや、正確には家族みんなの位置情報だけれど。

 お二人は、双子より俺の現在位置確認を主にしているらしいのだが、何故。三歳児より危険視されているのか、俺の行動って。


 因みに双子の耳にも、お兄様と同じグリニッシュブルーのサファイアがつけられている。双子の場合は引っ掛けて怪我しないように、邪魔にならないスタッドピアスにした。右耳につけているのがローズで、左耳につけているのがアビー。デザインと石は同じなのに、つける位置まで同じなのは嫌という、ちょっとした個性を発揮する双子が可愛くて死ぬ。

 お兄様と弟達がグリニッシュブルーのサファイアを選んだ理由が俺の目の色に近いからだと知った時は、俺も三人の瞳の色に近いタンザナイトで速攻ピアスを作った。マーキーズブリリアントカットされた大粒のタンザナイトを銀細工が抱き込むような、ちょっとファンタジーな作りだ。

 これは断じて俺の趣味じゃない。お兄様デザインだ。


 お父様とお母様は同じデザインチェーンのパールピアスをしている。同じく左耳だけに揃いのピアスだが、お父様は青や緑の光沢を持った黒蝶真珠をお選びになり、お母様は銀白色(シルバーリップ)の白蝶真珠を選ばれた。互いの髪の色を意識していらっしゃるあたり、相変わらずの相思相愛っぷりだ。

 この様子だと、王妃様が仰られたようにまだまだ弟妹が増えそうな予感……。

 これ以上俺を幼児パラダイスにどっぷり浸からせてどうするつもりですか。喜んでお世話しますけどね! 次は妹を希望します!


 お爺様とお婆様も互いの色を望まれるのかと思ったら、宝石なしの実にシンプルな純金キューブのスタッドピアスを選ばれていた。お揃いであるのは偶然の一致で、お爺様は戦闘の邪魔にならないシンプルさを求めた結果で、お婆様は他の装飾品と重ね付けしても問題ないシンプルさを求めた結果だった。

 意外な形で息ぴったりな相性の良さを垣間見れた気がする。


「じゃあ頼もうかな。ルイドールの一キロ手前に森があるから、そこへ送って。いきなり複数人の騎馬隊が転移してきたら領民を混乱させるからね。帰りも同じ森からお願いするよ」

「お任せください!」

「ふふっ。良い返事だ。よほど何かの検証を早くやりたいみたいだね。まあ大体の予想はつくけど。件の魔石を徹底的に弄りたいんでしょ?」


 よくお分かりで。そのとおり過ぎて、張り切った自分が恥ずかしい! 遠足前夜にワクワク興奮し過ぎて眠れない小学生か、俺は。


「それじゃあ、リリーの尽きない好奇心を早々に満たす為にも、さっさと仕事を終わらせてくるか」


 己の欲望に忠実な妹で、何か本当に申し訳ありません。


「若様。出立の準備はすべて整ってございます」

「そうか。早いな」

「些末な雑事で主の手を煩わせないことが私の役目でございますから」

「これからは雑務に追われることもなくなるのか。それは有り難いな。お前が前倒しで仕上げてくれて助かるよ」

「身に余る光栄、恐悦至極に存じます。益々精進致し、若様に尽くす所存です」

「ああ。頼りにしているよ」


 美しきかな、主従関係。お兄様のお仕事の効率化が大幅に改善されることは大変喜ばしい。めちゃくちゃ堅いのが気になるけども。

 ようやく主に仕えるという念願叶って感無量なのだろう。無表情だけど、この上なく歓んでいるのはわかる。


 ロイ、お兄様をよろしく頼むぞ!




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