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132.戦の庭

 



 ◇◇◇


 俺は今、大自然の中にいる。


 いきなり何を言っているんだと思うだろ?

 本当なんだ。

 俺は大自然に囲まれている。

 見渡す限りの緑。鬱蒼と生い茂る草木。太陽を遮る樹冠。水気を含む澄んだ空気。マイナスイオン。つまりは森林浴!


(気にはなってたんだけどさ。スタンピードあったし、なかなか許可下りなかったんだよな)


 過保護な祖父母、両親、お兄様に加えて、使用人たちや騎士団からも猛烈な反対を受けて、ずっと探索できずにいたのだ。


 そう。ここは北区ヴァルツァトラウム。三年前にスタンピードが起こった、あの森だ。

 あの混乱から森の入り口に規制線が張られ、内部の安全が確認されたのはその二ヶ月後だった。現在は通常通り砂金ハンターが仕事に励み、定期的に騎士団が魔物を間引いている。

 禁足令を出され王都から出られなかった俺の代わりに、森をよく知る砂金ハンターやヴァルツァトラウム騎士団に調査を依頼していたのだが、異常はどこにも見当たらなかった。魔素の目を借りても同様だったが、一箇所だけ、砂金ハンターや騎士団の報告とは違う反応を見せた。


 森の最奥、三年前に神招きを行った、西から数えて三つ目のアストラ鉱山の、その奥へと続く坑道。三年前は近づくことさえ出来なかった、唯一不可視である場所。

 砂金ハンターも騎士団も、問題の坑道に入っている。というか、入れているのだ。

 彼らの報告では、魔物はいるものの別段これといった異常は見られないという。より強力な魔物は滅多に最奥から出てこないから、やはり通常の範囲内であると。

 だが、どうしても腑に落ちない。

 あの時は確かに俺の索敵を弾き、魔素が嫌がったのだ。鉱山内部に魔法陣が仕掛けてあるのではと危惧したが、騎士団によるとその形跡もないらしい。

 最奥までは調査させていないから、鉱山に魔法陣が絶対ないとは断言できないのだけれど。さすがに強力な魔物がうようよいる最奥へ、騎士団を送り込むのは危険過ぎる。


 砂金ハンターの道案内で騎士団が潜れた坑道は、いくつかある通路のそれぞれ三分の一ほどの範囲らしい。その何れにも、不審な点は見つけられなかったそうだ。同じく魔素の視点も、それより先は見透せなかった。

 やはりそれ以上の立ち入りを、魔素は拒絶した。拒絶反応を見せるということは、擬似魔法が仕掛けられていると見るべきなのだろうか。ならば尚のこと騎士団を向かわせなくて正解だった。


 俺の索敵を弾くもの。

 薄く伸ばした魔力とはいえ、恐らくこの世界で一番の総魔力量を持つ俺の索敵を完全に弾くなど、相当強力な何かだとしか思えない。

 では神眼はどうだろうかと、ふと思ったのだ。

 それを試すために、現在ここに立っている。

 俺はすでにアストラ鉱山の入り口前に立っていた。

 ここだけ平地で、天高く枝葉を伸ばす樹冠の切れ目。光差す円状の空間は、あたかも物語の舞台のようだ。

 三年前、俺はここで神招きを奉納した。そして神の一部を身に降ろし、俺を媒体に神様は神属性浄化魔法を行使した。


 ――そうだ。森全域が浄化されたはずなのだ。

 アストラ鉱山内部だけ浄化を逃れた? いやでも神属性だぞ? そもそも坑道奥の何かは浄化できるようなものじゃない、とか? ニクバエのような呪いの類いではない? いったい何の魔法陣なんだ。いや、魔法陣だとは限らないのか。でも魔素が拒絶するのなら、やっぱり擬似魔法? それか〝弾く〟なら、結界や阻害の類いか?


「リリー? 何してるの。置いてくよ?」


 むむむと唸っていた俺は、お兄様の呼び掛けにハッと我に返った。


 本当は、転移魔法でこっそりナーガと三人の専属護衛騎士だけを連れて来る予定だった。影にはウルとリオンもいるし、今回は森全域に魔素もいる。このメンバーでも十分過ぎる戦力で、寧ろ戦力過多だと思っていたのだが、なぜか早々に計画はあっさりお兄様に看破され、お兄様と、さらにお爺様までついて来てしまった。

 次期領主と領主代行が同行するとなれば、エスカペイドとヴァルツァトラウムの両騎士団をごっそり動かす必要があり、大所帯での大掛かりな移動・探索となってしまう。それでは時間と軍事費の無駄遣いだ。

 そう献言したら、「お前がこそこそと企んでいたやり方で自分達だけを連れていけ」と……。

 いやいやいやいやいや。正嫡と先代が護衛もつけないで森探索とか何考えてるの。ご自身の立場というものを見つめ直していただきたい。

 まあ、そっくりそのまま返されたよね。ぐうの音も出ないよね。


 ということで、言い負かされた俺はお兄様とお爺様、そして一応渋々ながらもそれぞれが連れて来た護衛数人を加えた総勢十名余りで、森の最奥アストラ鉱山までショートカットしたというのが現在の状況だ。

 いや、渋々って。常に専属護衛をつけておくべき身分でありながら、渋々って。

 お爺様が戦闘狂なのは三年前から知っていたけど、まさかお兄様まで脳筋発言をなさるとは。そこまでお爺様に似なくても。

 だって、戦いづらいでしょ? 爽やかな笑みを刷いてそう仰ったお兄様のその台詞に、「だって、邪魔でしょ?」と本音が被って聴こえたのはきっと俺の勘違いだ。そうに違いない。そうに決まってる。

 まあ正直お兄様の模擬戦ではない本気の戦闘能力を拝見したいと思っていたので、良い機会ではあるのだけれど。

 諸々の矛盾や面倒事にはこの際目をつぶって、今回は見学させてもらおうかな。

 浩介の姿になって久々に刀の出番かなと思っていたけど、支援や補助だけで良さそうだ。俺は索敵と解析と調査に専念しよう。


「いま参ります!」


 さて。

 坑道奥に何が待ち構えているのやら。






 ◆◆◆


「皆様。本日は、当家のお茶会へようこそお越しくださいました」

「お招きありがとう存じます」


 エイマーズ公爵家の門閥貴族である、ユートス侯爵家主催のお茶会へと招待された貴婦人方が、それぞれ微笑みの仮面の下に思惑を隠して挨拶を交わす。

 お茶会では、まず手始めに持参品の品評会が行われる。持ち寄るのは珍しい東方の茶葉であったり、深海の稀少な血赤(ちあか)珊瑚であったり、貴重な薫香料(インセンス)であったりと、目利きやセンスが問われる最初の関門だ。

 言い方は野蛮だが、すでにこの時点で殴り合いが始まっている。

 夫人方は家門を背負ってこの場に挑む。幅広い知識と教養、人脈の質と領域、流行の分析と情報力、品格と資産など、言葉にしない部分で殴り合うのだ。

 一見華やかで優雅に映るお茶会は、そんな底企(そこだくみ)が飛び交う悍ましい集まりだった。


「まあ! これは乳香(オリバナム)では!?」

「これが噂の乳香(にゅうこう)ですの? 遠い砂の地で滲出される貴重なお品だと記憶しておりますけれど」

「ええ、そのとおりですわ。一度だけ実物を拝見したことがあるのですが、かの国と唯一交易している西国でしか入手できない樹脂香だったはず。先々月アリングハムの使節団が参りましたけれど、……まさか、その時の交易品ですの!?」


 このお茶会の主催者であるユートス侯爵夫人に問われたアラベラ・グレンヴィル公爵夫人は、扇子で口元を僅かに覆い隠しながら、ただ悠然と微笑んだ。


「……乳香は、透明感と硬度が高いほど良質とされています。まだ流通さえしていないその稀少な乳香を、先駆けて入手されているなんて信じられませんわ……。だって、これだけの品質ですのよ。交易品ならばまずは両陛下へ献上されるべき一品ですわ」

「ええ。仰る通りかと。もちろん最高品質の乳香は、すでに両陛下へ献上されておりますわ。両陛下へ献呈された乳香は、本日持参しましたこちらより更に青みがかった乳白色をしていて、それは大層美しく、ほのかにフルーティーな甘い芳香がしていたそうですの。これは、アリングハムの外交官の方が個人的にお持ちだったものを、特別にお譲りいただけた内の一部です。より香り立ちの良い高級品である、リュクスティカ・エーデルという品種だそうですわ」

「まあ……そんな貴重な乳香をご持参されるなんて、流石グレンヴィル公爵夫人ですわ」


 初手をあっさり払われたユートス侯爵夫人は、隠しきれず僅かに唇を戦慄かせた。

 悔しさの滲む双眸を今一度乳香に落とした露の間。今更ながらに気づいてしまったとばかりにはっと目を見開いた。


「まさか……こ、これは……」

「まあ。お気づきとは、さすがはご夫君が貿易商をされているだけはありますわ。素晴らしい審美眼をお持ちでいらっしゃる」

「……敬服致しましたわ……」


 早くも戦意喪失とばかりにユートス侯爵夫人は嘆息した。


「よもや西国の菓子器に乳香を収納なさるなんて、わたくしには逆立ちしたってそのようなセンスは絞り出せません」

「あの……恥ずかしながら、ユートス侯爵夫人が驚かれている理由に思い至れないのですが……この容器はそれ程までのお品なのですか? 確かに華美ではありますけれど」


 同じエイマーズ公爵家の門閥であるエスリド伯爵夫人が、恥を忍んで困惑気味に質問する。

 問われたユートス侯爵夫人は、諦念に至ったような面持ちで首肯した。


「ご夫君も交易品を扱うお仕事をされているのですから、エスリド伯爵夫人も覚えておくとよろしいですよ。こちらの菓子器、この虹色の輝きは、西国アリングハムで作られているという、大変貴重な螺鈿細工の漆器です。これほど繊細で見事な細工であれば、著名な螺鈿師の作品に違いありませんわ。これだけでもグレンヴィル公爵夫人の審美眼がいかに優れていらっしゃるかが窺えるというもの。大変素晴らしい目利きです」


 それ程までの品だとは思わなかったのか、エスリド伯爵夫人は絶句した。


「お褒めいただき光栄ですわ。やはり交易品に明るくていらっしゃる。敵いませんわね」

「わたくしこそ敵いません。交易品であれば、貿易港を所領するエイマーズ公爵家門閥貴族の陣地。その筆頭を自負するわたくしを唸らせたグレンヴィル公爵夫人こそ、大層博識でいらっしゃいますわ」

「あの。恥の上塗り覚悟で更にお尋ね致します。その『らでん』なるものとはどのようなものなのでしょうか。ユートス侯爵夫人のお言葉から察するに、キラキラと光を反射している細かな美しい模様が『らでん』なのですか?」


 無知を認めた上で教えを乞う恥より、知ったかぶりの顔をして学ばない恥を避けたエスリド伯爵夫人は、しかし堂々と知識欲に頬を紅潮させ質問を重ねた。

 何もこの場で、と呆れているのはユートス侯爵夫人で、アラベラは潔いエスリド伯爵夫人に寧ろ好感を抱いた。


 培った知識を披露し競い合うのが、この世界のお茶会の真髄だ。所謂マウントの取り合いだが、何もギスギスしたものばかりではない。こうして誼を結ぶべき人材の発掘にも繋がるので、なかなかに侮れない集まりでもある。


 螺鈿とは――とユートス侯爵夫人が説明を始めた辺りで、アラベラはおっとりと微笑んだまま、視界の端で感情を隠しきれていない数名のご夫人方を確認する。

 戦場と言って差し支えのないお茶会の場で、取り繕うことも忘れ考えが透けて見えるなど未熟もいいところ。

 あれはチェノウェス一門だったわね、と閥族相関図を脳内に展開させつつ観察した。

 チェノウェス一派は、昔からグレーゾーン思想だと言われてきた。どの家門とて王室と縁付き、一族の血統から次代の王をと夢見るものだ。チェノウェス公爵家は、代々その願望が人一倍強い傾向にあった。そして百三十年ほどは、ただの一度もチェノウェスから王は誕生していない。

 しかし今回、王位継承権の証である光属性に適性を持つ第六王子殿下がお生まれになったことで、悲願がより現実味を帯ぴ始めた。


 チェノウェス公爵家門閥貴族の悪意ある視線は、王位継承の最大の障害となるシリル第一王子殿下の婚約者がグレンヴィルの娘だからか。

 グレンヴィル公爵家が外戚となることも、後見人となることも邪魔でしかないのだろう。

 流石に六公爵家の一角である矜持からか、チェノウェス公爵夫人方はアラベラを気にした素振りは見せない。感情が隠せていないのは、その取り巻きたる閥族だ。

 あちらの当主がレインリリーにご執心なのよね、本当に厄介だわ、とアラベラは仮面の下で思う。

 まだ政敵だと敵視された方がやりやすい。シリル第一王子殿下の婚約者で在るかぎり、表立った不穏な手出しはしてこないだろうけれど――確実に裏で動いているだろうことに、アラベラはこっそり嘆息した。


(裏のことは、リズ、頼みましたわよ)


 最大の守護者である最愛の夫を思い浮かべて、そっと頬を緩めた。

 表の牽制と、分裂、尖鋭化する形勢の分析と傾向把握がわたくしの仕事。殿方が如何に巧妙であっても、その伴侶が襤褸を出せば意味がない。さて、チェノウェスの夫人方は邪智深いかしら。それとも智謀浅短か。

 軽く瀬踏みをしておきましょうか。そう思った時、アラベラに無遠慮に声掛けする人物がいた。


「グレンヴィル公爵夫人。オキュルシュスでは美しく斬新なデザートが次々と販売されておりますけれど、もしやこの乳香もご息女様の着想ですの?」


 一切の駆け引きなしに探りを入れてきたのは、アッシュベリー公爵家門閥のミンスター子爵夫人だ。

 仮にも高位貴族に対して、下級貴族である子爵夫人が不躾に声をかけてよいわけではない。これでは寄親のアッシュベリー公爵家が、閥族の教育と制御がなっていないと軽視される理由になると理解していないのだろうか。

 すると、アラベラが答えるより先に、寄親のアッシュベリー公爵家第二夫人がミンスター子爵夫人を窘めた。


「あなた無礼よ。お相手は六公爵家のご正室。子爵夫人風情が無遠慮に話し掛けて良い方ではないわ。あなた、我が門閥でありながら、アッシュベリー公爵家に恥をかかせたいのかしら」

「め、滅相もない! 申し訳ございませんでした!」

「分かればよろしいですわ。グレンヴィル公爵夫人、我が閥族が失礼致しました」

「謝罪をお受け致します。お気遣いに感謝申し上げますわ」

「当然の対処ですので、礼には及びません」


 ふふふ、と第二夫人が可愛らしく笑った。

 けれどこの方は――。


「失礼ついでにわたくしからもよろしくて?」

「……ええ、何でございましょう?」

「ずっと気になっておりましたの。レインリリー嬢は確かに才知に富むご令嬢だけれど、うちのアレックスと同じ八歳だわ。まだまだ情緒的な感性は成熟していらっしゃらないと思ったのだけれど、オキュルシュスのレシピやバニラビーンズ、カカオといった珍しいものは、本当にレインリリー嬢が考案なさったの?」


 参加する貴婦人全員の視線が、アラベラに集中した。


(なるほど。これを聞きたくて態と子爵夫人を差し向けたのね)


 すっと口角を上げ、アラベラは誰もが見惚れる完璧な微笑を刷いた。

 アラベラの背後には、グレンヴィル公爵家門閥貴族が付き従っている。全幅の信頼を寄せているとわかる余裕綽々な立ち姿は、アラベラへの最大の助力だった。




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