131.ユーインの傍白 2
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先代の国王陛下は、今から十五年前にハインテプラ帝国の侵攻から始まった大規模戦争で負傷され、長患いの末、回復することなく殂落されたと聞いている。
今上陛下や父上たちはまだ学生だったため、勅令で徴兵は免除されていた。
当時グレンヴィル公爵家当主だったお爺様は、領都の守護にエスカペイド騎士団の一部隊だけを残し、千人近い数の騎士を率いて参戦した。
とても激しい大混戦だったらしい。
魔術による大打撃を受けたバンフィールド王国軍は、主に前線が集中砲火を浴び、第一線部隊とその予備隊が一気に総崩れした。
防御の要であるチェノウェス一族によって押し返すことは出来たが、ハインテプラが敗退する頃にはこちらの死傷者も三桁を超えていた。
同じく戦場に立ち戦っていた先代国王も、魔術の爆発に巻き込まれて両足と左腕を失った。
光属性に適性を持つご自身で止血はしたが、失われた手足を復元することは不可能だった。寝たきりになった先代国王は次第に衰弱していき、今上陛下を立太子させた二年後に崩御された。
「先代陛下に、いつか必ず我がグレンヴィル公爵家から、王家へ娘を嫁がせるとお約束したのだ」
「当時リリーはまだ生まれてもいません。百年も女児を授からなかったのに、何故そのような不確定な約束をされたのです」
「先代陛下はチェノウェスを警戒されていた。同じ盾のお役目に奉職する我がグレンヴィルを、その抑止力にとお考えだった」
「同じ盾だから、ですか。チェノウェスを警戒されていたのはどうしてです?」
まあだいたいの想像はつく。
あの一族は強欲な者が多いからな。
そう思っていると、お爺様から予想通りの答えが示された。
「盾は王家を守護する者。その立場にある臣下が、守るべき主君に自身の一族を据えては意味がない。チェノウェスは、その領分を逸脱しかねない諸刃の剣であった。実際、現当主のごり押しで輿入れした側妃の存在が、王家に波紋を起こしている」
ああなるほどと、僕は得心した。確かに最近とある問題が提起されていると聞いている。
今上陛下は、学園に通いながら先代国王の政務を引き継ぎ摂政となった経歴から、第一王子の立太子や即位にもほとんど反発は起きなかったとされる。
表の盾であるチェノウェス公爵家と、裏の盾である我がグレンヴィル公爵家が即位を支持したことも大きいだろう。
当時後見人のような役回りでチェノウェスが動いたことで、現在王太子の選定に少々問題が生じているようだった。
三年前、チェノウェス公爵の末の妹が側妃として召し上げられ、第六王子をご出産された。
その王子殿下が光属性に適性を持っていたと最近判明したものだから、チェノウェス一族とその派閥は色めき立った。早々に一族から次代の王が誕生したのだと。
今までは、王妃腹の第一王子が唯一の光属性持ちだったため、シリル殿下に不都合が起こらない限り、彼の立太子は約束されているようなものだった。それが、唯一ではなくなったことで、シリル殿下の立太子にチェノウェス一派が難色を示し始めたのだ。
側妃といえど、出自は王妃と同格である六公爵家の出。先の戦争で武功を立てたチェノウェスの娘という点も大きい。
さらに、王位継承権に有利な光属性持ちの王子を出産したとなれば、陛下もシリル殿下の立太子を公然には出来なくなった。
現在、アッシュベリーとチェノウェスの間で王位争奪戦が勃発している。
そこで重要視されているのが、腹立たしいことにリリーの存在だというのだ。
リリーは、王の耳を冠した、同じく武功を挙げたグレンヴィルのただ一人の娘だ。百年王家に入っていない血筋であり、唯一無二の神の能力を持つ。そんなリリーを婚約者に据えているシリル第一王子殿下が、現在一歩リードしている、といった状況だ。
王位争奪戦を制するため、そしてリリーの防護魔法を一族に取り込むため、チェノウェスは三年前から未だにリリーを諦めていない。忌々しいことだ。
アッシュベリーもチェノウェスと大して変わらない腹黒一族だが、総じて六公爵家は腹に一物抱えている。もっと言えば貴族も豪族も欺瞞的だ。清廉潔白な者などまずいない。僕自身もそうだし、グレンヴィルも例に漏れず権謀術数をめぐらせている。
故に、早い話がどの外戚を持った王子であろうと似たり寄ったりだということだ。そんな中で敢えて消去法で挙げるなら、シリル殿下が立太子すべきだと僕は思っている。父上もそうだろう。五十歩百歩だとしても、傲慢なチェノウェスの血筋などよりずっといい。
お爺様は言わずもがな。初めからシリル殿下一択だった。
先代陛下との約束もあって、だからリリーをシリル殿下の正妃にと画策してきたのだろうが、それはお爺様だけの約束であって、リリーには関係ない。
王位継承者にはシリル殿下を支持するけど、リリーはやらない。外戚のアッシュベリーが頑張ればいいと思う。政権争いにリリーを巻き込むなんて許さない。
「チェノウェスの血筋から王は出さない。これが先王陛下のご遺言だ。今上陛下もそのご遺志を継いでいるが、即位の際に口実を与えてしまった。側妃として召し上げたからには据え膳に手をつけないなど通らない。子を孕むまでが側妃を迎えた王の義務だ」
今上陛下には五人の側妃がおり、第二王子のご生母であった第一側妃は産後すぐに薨去され、第三王子のご生母・第二側妃は毒を賜り死歿。現在、第四王子のご生母である第三側妃と、第五王子のご生母・第四側妃、そして件の第六王子をお産みになった第五側妃が後宮におられる。
孕むまでが義務だというなら、側妃すべてが初産で王子を授かっている時点で当たりがいい。それだけなら王家としては吉祥だが、陛下個人としては手放しで喜べないところだろう。チェノウェス公爵のごり押しで入内した公妹が、あろうことか光属性持ちの王子を産んでしまったのだから。
「お爺様と王家の事情は理解しました。でも、だからといってそこにリリーを関与させるのは反対です」
「まだわからんか」
「いいえ。理解した上で反対申し上げております。先王陛下とお爺様の交わした約束と、王室の王位争奪戦はあくまでそちら側の事情。何故そこにリリーが関与させられ、生け贄よろしく縁付かねばならないのですか」
「それが功臣の務めというもの。六公爵家の娘に生まれたからには、レインリリーにも課される責務だ」
「リリーはグレンヴィルの系譜に嫁がせます。シリル第一王子殿下を擁立されるお爺様に否やはありませんが、リリーがお爺様の交わした約束の犠牲になる必要はないと思っています」
「ユーイン」
「グレンヴィル正嫡として、次期当主としてリリーの婚姻に断固反対致します。お爺様」
「ユーイン!」
これだけは絶対に譲れない。
あの子は王室に輿入れなど望んでいない。いち臣下としてはお爺様の言い分が正しいのはわかっている。上位貴族に生まれた以上、政略結婚など当たり前だ。リリーだけその枠から外れ、姻家を自由に選べるわけでもない。父上が決めた相手と婚姻するのが上位貴族令嬢の務めだ。それでも。
それでも、僕はリリーの心に寄り添いたい。
神の使徒という重責をすでに背負ってしまっている彼女の、束の間の幸せを謳歌させてやりたい。
その障害となる者がたとえお爺様であったとしても、僕は全力で以て対抗するつもりだ。リリーの想いを守る。それが僕の役目だから。
互いに一歩も引かず睨み合う僕らを諌めたのは、それまで一言も口を挟まなかったお婆様だった。
「そこまでです。二人とも頭を冷やしなさい」
ピシャリと苦言を呈し、眇めた視線を僕らに向ける。
「あなたもユーインも、どちらにもレインリリーの婚姻に口出しは出来ないはずですよ」
「何だと?」
「当たり前ではありませんか。現当主はユリシーズであって、あなたではありません。あの子がどこへ嫁ぐことになるのか、それを決められるのは当主であり実父であるユリシーズだけです。当主を差し置いて、何を勝手に仰っておられるのですか」
「むう……しかしだな、ディアドラ」
「しかしも案山子もありません。孫娘のことと言えど、踏み込み過ぎですわ。あなたの気持ちも分からないわけではありませんが、ユーインの言うように、あなたの都合で決めて良いお話ではないでしょう」
さすがお婆様。もっと畳み掛けてください。
「ユーインも、今少し冷静におなりなさい。妹を思いやる心根は大変素晴らしいことですが、お爺様に申し上げたように、あなたにもレインリリーの将来を決める権限はないのですよ」
おっと。矛先がこちらにも向いたか。
「ええ。重々承知しております。ただ、僕の考えだけを述べたわけではなく、父上と意見交換した末の結論だとご留意頂きたく。リリーは王家に嫁がせない――これが父上と僕の総意です」
「まだそんなことを言っておるのか、あの馬鹿息子は!」
「父上は、リリーの父親であることを選んだのですよ。そんな父上を、僕は心から尊敬しています」
「なに? 父親? 臣下の義務より父親であることを選んだと言うのか?」
馬鹿め!と、お爺様が悪態をつく。
まあ確かに、上位貴族としては落第点だろう。そういう意味ではお爺様こそ貴族らしい。
「お爺様。シリル殿下を擁立なさるなら、まず盾となるべきは外戚であるアッシュベリー公爵家でしょう。対抗馬よろしく、我がグレンヴィル家が差し出るのは不適切では?」
「いずれ姻家となる婚約を交わしているのだ。我が家が差し出口を挟んだとて何の不都合もない」
「確定事項の如く仰るのは止めてください。婚約はあくまで〝仮〟で、リリーには解消できる権利が確約されています」
「それがどうした。お前は次代の王に、チェノウェスの者を推戴するつもりか」
「極論ですね。僕もシリル殿下を奉戴すべきだと思いますが、リリーとは別件です。姻家でなくとも支持はできます」
「生温いことを言うではないか、ユーイン。外戚でも姻家でもない者に、どれほどの支援が可能だと思っている」
まあ、比べるまでもなく微々たるものだろうな。
でもそれこそ底力を発揮して殿下を盛り立てていくべきは、外戚のアッシュベリーじゃないか。我が家はそれに加勢する程度の繋がりでいいと思う。寧ろどっぷり浸かってしまえば、仮に王位争奪戦に負けてしまった場合、婚約者であるリリーにも累が及ぶことになる。父上と僕にとって一番避けたい事態だ。
「リリーの話では、殿下の魔力量は桁外れだそうですよ。継承権に関わる光属性を含めた三属性に適性を持っておられますし、小耳に挟んだ話では、かの第六王子殿下には適性が光属性だけしかないとか」
「ふん。何が〝小耳に挟んだ〟だ。内廷に忍ばせている者が寄越した報告書から得た確実な情報であろうに」
「ええ、勿論。確証のない情報など口にはしませんよ」
「随分と狡猾になったものだ」
「まだまだ老獪なお爺様の足元にも及びませんよ」
「ふん! 減らず口を」
「お褒めに与り恐悦至極」
わざとらしく、恭しく一礼した僕を祖父母が呆れた様子で一瞥している。
道化で在ることは僕の一部だ。邪知暴虐な顔を覆い隠す仮面は、いくつあっても邪魔にはならない。異性受けの良い顔も、柔和な物腰も、すべては装飾品のひとつに過ぎない。それでいいと思っているし、それが僕だ。
「第一王子殿下の立太子は揺るがないと思いますよ。王妃腹で稀少な三属性持ちであり、王位継承の証となる光属性持ち、桁外れの魔力量。文武両道であるとも聞いています。たかだか光属性ひとつを持って生まれたところで、所詮は第一王子殿下の二番煎じ。チェノウェス一派が騒いだ程度で揺らぐものでもないでしょう」
「……………。ふん。ユリシーズよりは幾分かマシか」
「父上も奮闘しておられますので、そのような物言いはお控えください」
認めたくはないけど、僕はお爺様に似ているのだと思う。使えるものは何でも使うし、利用することも、また切り捨てることにも躊躇いはない。
それが双子の弟達であっても、両親であっても、多少の良心の呵責はあっても使わない選択はしない。そういう部分が、僕はお爺様によく似ている。認めたくはないけど!
父上は僕よりずっと甘い。
切り捨てればいいものを、と幾度となく父上のやり方に嘆息した。
非情になりきれないお人好し。だから僕がこっそり後始末をしている。恐らく父上も気づいておられるだろうけれど、消すべき人間を野放しにしておけるほど僕はおめでたい思考は持ち合わせていない。
父上が出来ないなら僕がやるまで。
ロイにはその補佐もしっかりやってもらわなきゃね。
リリーには、一生明かせない暗部だけれど。
あの子には清らかなままでいてほしい。脅威は僕が取り除くから。
だから君だけは、ずっと僕のオアシスでいてほしい。