127.憂心
短いです。
心臓が、早鐘を打ったようにざわついている。
鼓膜が痛い。
待って。
待ってくれ。
俺の前世?
俺の、浩介の。
誰が。いったい誰が――だめだ。そんなの、駄目に決まっている。
ひゅっと、不自然に呼気が乱れた。
顳を冷や汗が伝う。
血の気が引いていく感覚。指先が、氷水に浸したようにひんやりと冷えていく。きっと顔色も蒼白になっているだろう。
「リリー。落ち着いて。あくまで可能性の話だよ」
「で、でも」
「君が何を危惧したのかはわかる。前世の家族かもしれないと思ったんだね?」
そうだ。そう思った。だって、こちらへ渡ったということは、転生なら確実な死を、転移ならば死を目前にしたということじゃないか。
転生は、ないと思う。ないと思いたい。敵対することになる相手が、前世の家族であるなどただの悪夢だ。
じゃあドローンを所持していた転移者か? いいや、それも違う。浩介の家族は、誰もドローンに興味を抱いていなかった。伯父一家や祖父母もそうだ。
じっちゃんを除けば転移者はあと一人。それが、浩介に関わる誰かだって言うのか。
もう一人の転生者や、ドローン所有者の転移者も知っている可能性があるってことだよな。だからいち早く見つけろと預言されたんじゃないのか? 俺にとっての希望になるかどうかは俺次第だとも言っていたし、前世の家族とは限らないということか?
ああ、くそっ! 嫌な感覚に囚われて、思考がショートしそうだ!
「リリー。冷静になって。君の前世の家族だとは限らない。でも――ただ、もう一つの可能性も見えてきた」
「何です、それは!?」
「声を落として。双子が起きてしまう」
はっと息を飲み、努めてゆっくりと深呼吸した。
大丈夫。双子は俺の膝で心地良さそうに寝息を立てている。
そうだ、まだ可能性の話であって、推測の域を出ない仮説でしかない。お兄様の仰るとおり、冷静になれ。動揺したままじゃまともな思考力など戻って来ないぞ。
もう一度緩やかに息を吐き出すと、続きを促すべくお兄様を真っ直ぐに見つめた。
「――申し訳ございません、取り乱しました」
「もう平気だね?」
「はい。先をお話しください」
俺に冷静さが戻っていると確信を得た様子で、お兄様が「うん」と首肯された。
「君も察したと前提して話すよ。君の前世に関わる人物が探し人だった場合だけど、第三者の手に渡る可能性があるなら、それは転生者やヴァルツァトラウムに関与した転移者にも見覚えのある人物かもしれない、ということだよね」
「はい」
「もう一つの可能性は、その転生者と転移者も、君の前世と関わりを持つのかもしれない、ということだ」
「まさか……」
そんな偶然あるか?
浩介が死んだのは突発的な行動からだ。刃物を持った発狂女に襲われ、硬直してしまった女生徒を庇った結果だ。あの日あの場に居合わせたのも、同僚が弔事で休んだため代わりに出勤したからだ。
あの日、浩介と同じように何らかの理由で死亡したか、もしくは危険な目に遭った顔見知りの誰かがいたというのか?
じゃあじっちゃんも? 少なからず浩介と面識があった?
予定調和――以前も過ったそんな言葉が、ちらりと脳裏を掠める。
転生者も転移者も、偶発的に発生したことで選ばれたわけじゃなく、神様の選定によるものである可能性。
狭間で邂逅した、この世界の唯一神であるかの方によるものなのか、地球の某かの神によるものなのか……。
神々の深謀遠慮など、徒人である俺が深読みしたって意味はない。後々結果として転がっているものを見て、ああ、あれはこういう意味だったのかと知るだけだ。
――そう思うのに、嫌な感覚ばかりが淀み、沈む澱のように際限なく降り積もっていく。
「……………」
いや、今の俺は視野も思考も狭くなっている。
公平な視点で状況整理をしてくださっているお兄様の言葉に、今はしっかりと耳を傾けているべきだ。
今回神様は、預言として忠告してくれている。
お兄様の推測通り、俺がいち早く見つけるべきものが浩介と関わりある者であるならば、事前に知らされている現状は決して悪くはない。
そうだ。悪い状況ではない。動揺する必要も、焦る必要もないはずだ。
いま最も警戒しなきゃならないのは、その探し人じゃない。探し人を見知っていて、且つ浩介とも少なからず関わりがあったかもしれない転生者と、ドローンを所持していた転移者だ。
そして、王都へ戻ったら最優先で確認すべきだろう。
じっちゃんが、小鳥遊 浩介を知っているのかどうかを。
「君の前世との関わりについては、可能性として念頭に置いておく必要はあるだろうけど、こればかりは現時点で答えを得られるとは思えない。僕の提示したものは、この場では仮説にしかならないからね」
「同意致します。本郷殿にまず確認を取るべきかと」
「そうだね。それがまず第一歩目だ。〝かもしれない〟から確率を引き上げる証言になる」
「はい」
「あとは、『普段と違う状況を選ぶ』という点だね」
それだ。
曖昧すぎて、いまいち要領を得ない。
「普段と違う状況を選ぶ……どういうことかしら」
「それこそどうとでも解釈できる内容だから、絞るにしても糸口とすべき候補は其処ら中に溢れている」
「そうですわよね……」
「でも君にとっての〝普段と違う状況〟という認識で合っているはずだから、手掛かりとするならやっぱりリリー基準で見るべきだと思うよ」
「わたくしを基準に?」
「リリーの視点で、とも言えるね」
俺の視点……。
駄目だ、さっぱり分からん!
「まあ、そこも追々ね。考察は大切だけど、袋小路に入っては意味がないから。思考の道筋はつけても、行き詰まるまで進む必要はない。迷うようならまだその時じゃないということだよ」
「組み立てられるほどの情報が手元に揃っていないから、ですか?」
「その通り。さっきも言ったけど、王都の本郷殿に確かめるまでは動かせない案件だと思う。つまり――」
不自然に言葉を切ると、お兄様は徐に俺の鼻先を摘まんだ。
「!?」
「今は旅を楽しめってことさ」
覚えずぽかんとしてしまったが、確かに、その通りだ。
これは楽しい家族旅行なんだ。埒もないことを延々と考えていたって時間の無駄だ。お兄様の仰るように、じっちゃんに話を訊くまでは動かしようがない。
だったらもっと建設的に、純粋に旅を楽しんでもいいはずだよな。
「ありがとうございます、お兄様」
「どういたしまして」
ふふ、と笑い合った直後、馬車が緩やかに停まった。
どうやら次の街に到着したようだ。