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124.再び

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 あの騒動の後、お父様からの抗議文で事のあらましを知ったキャンベル伯爵と嫡男が、真っ青な顔色で邸を訪ねてきた。対応したのはお父様とお兄様で、俺は面会する必要なしと応接間への立ち入りを禁じられた。

 事態を重く見たキャンベル伯爵は、不敬を働いた二男を伯爵家の籍から抜き、母親の生家である子爵家へ預けることにしたそうだ。二男は激しく抗議し、罰せられる理由に納得しなかったらしい。

 諜報部隊の報告では、我が家とお兄様への恨み言を叫びながら伯爵家を後にしたそうだが、一抹の不安が残る幕引きだった。

 逆恨みほど厄介で恐ろしいものはない。今後お兄様に降りかかる火の粉などなければいいけれど……。


「リリー? どうしたの?」


 領地までの道中、馬車に揺られながらつらつらと考え事をしていると、向かいに座るお兄様が馬車に酔ったのかと心配そうに見つめていた。


「いえ、何でもありません」

「何でもないって顔じゃないよ? 気になることがあるなら話してほしいかな。君の憂い顔も愛らしいけれど、悩んでいるなら助けになりたい」

「お兄様……ありがとうございます」


 はしゃぎ疲れて膝の上で眠ってしまった双子の明灰白色の柔らかな髪を撫でながら、俺は過る不安を正直に語ることにした。


「キャンベル伯爵家のご子息のことなのです」

「ああ、子爵家預かりになった彼だね。それがどうかしたの?」

「恨み言を叫ばれていたそうではないですか。逆上してお兄様に何かなさる気じゃないかと心配で……」

「ふふ。僕の心配をして、そんな憂いた表情をしていたの?」


 何故か嬉しそうにしていらっしゃる。笑い事ではないのですが。


「大丈夫だよ。自衛の術は徹底して仕込まれているからね。六公爵家、特に王の耳である我がグレンヴィル家嫡子は総じて狙われやすいんだ」

「えっ……!?」

「リリーは知らされていない、対人用暗部のやり方があるんだよ。例えるなら、君がグレンヴィルの品性高潔であるなら、僕は正しく佞悪醜穢(ねいあくしゅうわい)そのものだろうね」

「そんな……!」

「ああ、卑下して言ってるんじゃないよ? それくらい汚いやり方も叩き込まれているということ。父上もお爺様も通ってきた道だし、必ず必要になるスキルでもある。あと五年もすれば、双子も学ばなきゃならない。僕ほどではなくとも、グレンヴィル家の男子ならば習得しておくべきだからね」

「アビーとローズも……」


 思わず膝ですやすやと気持ち良さそうに眠っている弟たちを見下ろした。

 それはきっと、俺が想像するよりずっと大変でずっと厳しい世界なんだと思う。清廉潔白では生き残れない、そんな綱渡りを強要される世界。王の耳(レイ・アフティ)の役目はそれだけ危険を伴うのだろう。諜報、即ちスパイだ。お花畑よろしく、生温い世界のはずがない。

 ちょっと考えればわかるようなものなのに、俺は家族の、お兄様方のお見せになる面だけを見て安心していた。いや、覚らせないだけの配慮があったに違いない。偏に俺の観察力と察知能力の欠如の問題だ。そんなおどろおどろしい世界に、いずれ双子も飛び込むことになる。

 俺だけが、女の身である俺だけが、安全圏で守られたまま自由を許されている。それが堪らなく恥ずかしくて、心苦しい。俺にも少しは分けてほしいのに。


「リリー」

「お兄様……わたくしは……」

「馬鹿だなぁ。なんて顔をしているんだい。僕がグレンヴィル公爵家の跡取りであることと、君がその責を負う必要のない令嬢であることは、何の因果もないただの事実だろう? どうして君がそんな傷ついた顔をするの」

「だって」

「別に僕が特別なんじゃないよ? 身分が高位であればあるだけ、そこに籍を置く跡取りは多くの責任と義務が課される。それだけのことだ。リリーは難しく考え過ぎなんだよ」


 そう言われてしまったら、もう何も言えない。その通りだからだ。俺がモヤモヤしているのは、ただの自己憐憫に過ぎない。自分がつらいから食い下がっているようなものだ。お兄様は達観して受け入れておられるのに、ただただ俺が嫌だからとごねている。俺がすべきことも言うべきこともそんなことじゃないのに。


「リリー? まだ不安?」

「……………心配です。でも、わたくしが下手に首を突っ込む方がお兄様やお父様の足を引っ張ることになるのだということだけははっきりしていますので、勝手に相談なく動いたりは致しませんわ」

「うん。わかってくれて嬉しいよ」


 よしよし、と柔和に微笑んで頭を撫でられた。

 モヤモヤは解消されていないけれど、取り敢えず対人用スキル教育が生半可なものではないことだけは理解した。そしてそれは、本来娘である俺には知らされないもので、俺には必要ないものだということ。

 キャンベル伯爵の二男が何かを企んでいたとしても、お兄様と諜報部隊には筒抜けなのだろう。お父様もお兄様も、狙われていることを常に把握しているに違いない。俺に出来ることは、やるべきことは、お二人のお心を癒すことじゃないのか。

 そして、俺自身が無事でいることじゃないのか。


 そんなことを思いつつ、馬車は一つ目の街に到着した。






 グレンヴィル領都エスカペイドまでの道程には、五つの街が散在している。王家の直轄地にあたるこの街は、以前お母様が懐妊していた時に素通りした街だ。

 彫刻と製鉄、ガラス工芸、金細工の加工に秀でた職人が多く住む職人街で、張り出し看板や王侯貴族専用馬車のエンブレム、勲章メダルや装飾品、ガラス細工など、多種多様な細工物を扱っている。

 所狭しと建ち並ぶ店舗のガラス張りの飾り棚では、陽光を反射して煌めくアクセサリーや雑貨が観光客を誘い込む誘蛾灯よろしく目を楽しませてくれている。それから芳ばしい焼き立てのパンの匂いと、蕩けそうな甘い香りを漂わせる洋菓子店、軽食から正餐まで幅広く提供している食事処など、喫食できる店も充実しているようだ。

 王都の華やかさとはまた趣の違った雰囲気の店構えで、主に観光客をターゲットにしていることは明白だ。斯く言う俺もおのぼりさん丸出しであちらこちらに目移りしてしまう。


 そんな中でも一際目立つのが、街の中央に鎮座する大聖堂だろう。


 チェコ・プラハの聖ヴィート大聖堂のようなゴシック様式建築で、正門の中央に戴く巨大な放射状の装飾窓、バラ窓が見事だ。壁を極力取り払った架構式構造はスラストに耐えられないので、それを防ぐためのフライング・バットレスという飛び梁で、横に広がって崩壊する水平力を相殺している。側面にはたくさんの装飾トレーサリーが列をなし、バラ窓の下部にはずらりと細長く並んだランセット窓が見える。

 いやはや圧巻だな。異世界で、世界遺産も斯くやというゴシック建築に相まみえることになろうとは。


 あまりにも厳かで豪華絢爛な大聖堂を見上げて、俺はその圧倒的な佇まいにただただ唖然と呆けていた。


「気になる?」

「は、はい。こちらの世界にも神殿があることは存じておりましたが、ここまでの規模だとは露程も思わず……」


 馬車を降りた俺たちは、寝ぼけ眼を擦りながらついてくる双子の手をそれぞれ引いて大聖堂の前に立っていた。


「入ってみるかい?」

「いえ、まずは買い物を先に済ませましょう。フォルトゥーナの看板も注文したいですし」

「それは後からでも出来るよ。今は君が一番見たいものを見よう。おいで」


 まだ微睡みから覚めていない双子を侍女に任せ、お兄様が俺の手を取り大聖堂の正門を潜った。


「わあ……」


 東西に身廊、南北に翼廊が交差して十字の形になる内部構造は地球の大聖堂と同じようだ。入ってすぐに拝廊があり、身廊の左右に側廊、内陣、半円後陣(アプス)と続く。

 高い天井の尖頭アーチと交差リブ・ヴォールトに伸びるような帳壁(カーテン・ウォール)には、紫と青を基調とした鮮やかな巨大ステンドグラスがはめ込まれ、取り込んだ光で色とりどりに内陣を照らしていた。奥のアプスのランセット窓にも同じステンドグラスが使われ、祭壇の荘厳な様子を更に強調して演出している。

 地球の大聖堂では旧約聖書や聖者がステンドグラスに描かれていたが、こちらでは唯一神であるかの御仁と聖霊の神話が描かれているようだ。

 識字率が低かった時代、字の読めない民でも物語を知ることができるようにとステンドグラスに描かれたらしいが、つまりは信者を増やすための広告塔のような役割を持っていたのだと思う。こちらでも恐らく、信仰を集めるための装置のひとつなのではないだろうか。

 神と聖霊の神話は、幼い頃に読んだ絵本で、本格的には家庭教師から教わっている。

 天地開闢から始まり、国土創造に繋がるあたりは日本書紀と多少似通っているかもしれない。ただ古事記や日本書紀とは違ってこちらでは唯一神なので、神代七代(かみのよななよ)のように七組十二柱の神々が誕生するような話にはなっていない。神ではないが、たくさんの聖霊が誕生した話はあるから、神代七代に当て嵌めるならその点だろうか。


「リリーは初めて訪れたのだったね」

「はい。お兄様はいらしたことがおありですの?」

「君が生まれる前に何度か」


 お兄様に手を引かれ、アプスまでやってきた。

 祭壇には装丁の素晴らしい、聖書らしき書物が置いてあって、灯されたたくさんの蝋燭の火がゆらゆらと幻想的な空間を醸し出していた。

 両膝をつくお兄様に倣って、俺もお祈り用に床に置かれているクッションの上へ両膝をついた。


 毎週日曜日にミサへ行くような敬虔な信者という概念はこちらにはない。礼拝は個人の自由なので、もちろん毎週、もしくは毎日祈りに訪れる人もいる。俺のように一度も礼拝に訪れていない人間は珍しいそうだが。


「祈り方はわかる?」

「はい」


 うん、と頷いて、お兄様が右手を胸に当て目を瞑り、軽く頭を下げた。これが正式な祈り方だ。

 ついうっかり合掌しそうになったのは内緒だ。どうか前世の影響だということにしてほしい。


 俺もお兄様に続き、右手を胸に添えてそっと頭を下げ、目を閉じた。須臾の間。



「―――――やあ。また会えたね」



 再び目を開けた先は、いつか見た一面真っ白な世界。

 前方で絹糸の長い銀髪を揺らすとんでもない美貌をした狩衣の青年が、金色の眸を柔らかく細めて微笑んでいた。




挿絵(By みてみん)




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