12.創造は想像を超えていた
「……………ユーイン? どうしたのだ?」
執務室に俺を連れ込むなりソファーに突っ伏した兄を見て、父が困惑した様子で問い掛ける。
執事のエイベルはさっと無駄なく動き、水差しの水を兄に差し出した。俺には果実水を手渡してくれるあたり、抜け目がない。本当によく出来た男である。
お兄様は受け取った水を一息に飲み干すと、気だるげにソファーに座り直した。
「……………ガゼボから、リリーを抱いてここまで来ました」
「ああ………」
それだけで全てを察したようだ。納得顔で苦笑いを浮かべている。エイベルも同様だ。
「お前も男だということか」
お父様もエイベルも、俺を使用人に任せずお兄様自らが抱えてここまで踏破した理由に、同じ男として思い至ることがあったらしい。
ごめん、お兄様。俺も男だった時間がお父様より長かったから、思い至っちゃった。
俺はエイベルにお兄様の横に座らせてもらい、大人しく果実水を飲む。
お兄様に突っ込んで聞いたりなどしない。
聞かずとも、前世の俺にも覚えのあるものだからだ。
妹に頼れるところを見せたい。その一心で無茶をやることもある。先程のお兄様がまさにそれだ。
前世の浩介は、一回りも年の離れた妹が可愛くて仕方なかった。たくさん世話をして、たくさん構った。頼れる兄貴で居たかった。
浩介には三つ上の兄がいる。十代の三歳差というのはかなり大きい。妹が産まれた当時、浩介は十二歳で、兄貴は十五歳だった。
妹が三歳の頃、父の同僚に不幸があって両親は雨の中葬儀に参列した。その日の雨はとにかく激しくて、窓を打ち付ける音に妹はずっと不安そうにしていた。そんなとき近くに落雷があって、ほんの数分間だけ停電したのだが、暗闇に妹が怖がり大泣きしてしまった。抱き締めてあやしてあげなくちゃと思った時、妹は浩介の脇をすり抜けて、兄貴に泣きついたのだ。
浩介の、男としての、兄としての自尊心はそんな些細なことで亀裂が入った。
何でいつも面倒見てる俺じゃなくて、たまにしか構わない兄貴なんだって、激しい苛立ちを抱えたことをまざまざと思い出した。
そうは言っても浩介の記憶を覗き見しているようなものなので、思い出したからと言って同じ亀裂を感じることはないのだが。
それでも感覚は残る。だから、分かってしまったのだ。
庭園のあの距離を抱えて戻れるとは思えないと俺が顔にそうはっきり出したものだから、浩介が感じた苛立ちと同じものをお兄様は抱いてしまったのだろう。本人も言っていたし、『父上には敵わないけど』って。
つまりは、そういうことだ。妹の件で浩介が三つ上の兄に嫉妬したように、お兄様も俺のことでお父様に嫉妬したのだ。
僕にもちゃんと出来るんだよ、と。ただはっきりさせたいがためだけに無茶をした。
無言を貫く。妹の俺がそこをつついちゃいけない。
浩介が妹に指摘されたくなかったことと似たような状況だ。大丈夫、俺は察してない。俺は貝になります。
ふう、とお兄様が細いため息をつく。不意に頭を撫でられたことで、俺が察してしまったことを知られているのだと悟った。
うう、知らんぷりが下手でごめん、お兄様。
「父上、突然押し掛けておいて今更な質問ですが、お時間の方は大丈夫ですか?」
「うん? 少しならば問題ない。エイベル、休憩にしよう」
「畏まりました」
書類で散らかった机からソファーへと移動したお父様の前に紅茶が用意された。エイベル、本当に優秀だな。紅茶なんて時間のかかるもの、いつ準備していた?
「さて。話があるならば聞こう」
「僕がと言うより、話があるのはリリーなのですが」
「リリーが? それは前世の知識絡みか?」
「また小難しいことを考えているんですよ」
「今日はなんだ?」
「砂糖と塩が高級品とされている理由について、だそうですよ。困ったことに流通の改善策を考えているようです」
「リリー………」
呆れたような視線が三者から注がれた。何故だ。
「一応聞こう。思いついたきっかけは何だ?」
「高いから。みんなで楽しめない」
「高級品だからそこはどうしようもないが、リリーには改善策があるということだな?」
「たぶん、できる」
「ふむ。具体案は?」
俺は先程お兄様に聞かせた内容を繰り返した。
サトウキビの栽培法と加工の見直し、甜菜の栽培、サトウカエデの樹液加工。しかし、まずはこの世界にも甜菜とサトウカエデが存在しているかの確認からしなくてはならない。
エイベルの淹れた紅茶を口に含みながらしばし黙考していたお父様だったが、ため息と共にカップをソーサーに戻した。
「テンサイとサトウカエデ、だな。私は記憶にないが……エイベル、どうだ?」
「はい。わたくしも存じ上げません」
「そうだな。現存するものかどうか調べておこう。だがな、リリー」
首を傾げる俺に、お父様は少し厳しい目を向けてきた。
「知識は小出しにするようにとは言ったが、いきなり既存の流通改善案など出すんじゃない。順序というものがあるだろう。私が言った小出しとは、革命的なものではないぞ」
「むむう………」
「微々たるものから改善せねば悪目立ちする。お前もそれは嫌だろう?」
それは嫌だ。慎ましやかに目立たず注目されず、穏やかに家族と暮らしたい。革命を起こしたい願望など元から持ってはいないのだ。冗談じゃない。
「それでいい。悪目立ちして良いことなど一つもないからな。お前を守る盾は多ければ多いほどいい。その一つが膨大な知識だが、それを所有していると知られるのは得策ではない」
「はい……ごめんなちゃい」
どうやらまたやらかそうとしていたようだ。どうも赤ん坊になってから抑制が利きづらいと言うか、欲望に忠実と言うか。浩介だった頃よりずいぶんと猪突猛進になってしまっている。
一歳半なので然もありなんと思えるが、それで納得してしまうのも違う気がする。
「だがこうして相談してくれたことは嬉しいぞ。一人で抱え込まず、独断せずに私やユーインを頼ってくれた。お前は思い立つと突っ走る癖があるが、事前に相談してくれれば手助けすることも諌めることもできる。偉かったな、リリー」
おいでと呼ばれ、お兄様にソファーから降ろして貰うとよちよちと対面のお父様へ近寄った。
お父様の膝に抱っこされ、俺は反省しきりだった。なかなかに小出しとやらの加減が難しい。以前セメントの製造法について説明した時も、技術力の底上げどころかこの世界にはない技術なので、発明に分類されると諌められたばかりだ。
価値観や感覚の違いは、この世界を基準に考えられない今の俺には難しい問題だった。両親や兄の助言がなければ突飛な発言を平気でしてしまう。そこにまずいという危機感が働かないのは致命的だ。微妙な匙加減とこの世界の常識をしっかり学んで身に付けることが先決だな。
「では話はここまでだ。さて、リリー。このまま今日の分の魔法について考察しよう」
俺はぱっと顔を上げた。それも重要課題だ。
「はい!」
良い返事だ、とお父様が微笑む。
「リリーの扱う創造魔法とは、お前の願いが形を持ったもの、で解釈は合っているな?」
「端的に言うと、しょうです」
「具体的には?」
「万ぶちゅ………」
上手く喋れないのがもどかしい。じっと訴えるようにお父様を見上げれば、察してくれたようで頷いた。
『万物を造り出す力。森羅万象に触れる力。それが天より与えられた魔法です』
ああ、念話の快適なことよ。流暢万歳!
「森羅万象とは畏れ多いことだな…………しかし、万物の創造、か。有りとあらゆるものを創造できると考えると、確かにとんでもない魔法だ」
「父上、僕にはそれがどれほどのものなのか理解できていないと思うのですが、リリー自身が気にしているように、本当に危険な魔法なのですか? 念話などはずいぶん便利ですけど」
「リリーの懸念は正しい。願いを具現化できる、森羅万象に通じ万物を創造できる魔法などあらゆる意味で危険だ。この世の生産も、戦争も、すべてリリー一人で賄えてしまうのだから」
「そんなに……?」
いまいち掴みきれない様子でお兄様の眉間にしわが寄る。
「童話の金の卵を産む鶏の話は知っているか?」
「はい。貧しい男が飼っていた鶏がある日金色の卵を産み、それを売り続けた男が裕福になる話ですよね?」
「ああ。それで、その男はどうなった?」
「ええと、確かもっとたくさん産ませようとして上手くいかなくて、鶏のお腹の中に金塊があるのではないかと思った男が、鶏を殺してそのお腹の中を確認したけど見つからなかった、というお話だったと思います。殺してしまったために金の卵が手に入らなくなって、男はまた貧乏になったんでしたよね?」
「その通りだ。他人から見れば、リリーがまさに金の卵を産む鶏なんだよ」
兄の目が見開かれた。知れた場合どういう状況に陥るか、ようやく思い至ったらしい。
「リリーの創造魔法は、恐らく金や宝石も造り出せるだろう。豪華な食糧や衣類、貴重な薬品、望めば望んだ分だけ生み出せる。武器や兵器、毒物も造り出すことは可能だろうな。リリーの知識の宝庫からは、私では想像もつかない物まで生み出せるのかもしれない」
お父様の予測は概ね間違ってはいないだろう。俺の中にも確信めいたものがある。
たぶん、造れる。結果をイメージ出来れば際限なく生み出せる。試したことはないが、俺が思う以上に簡単にできるはずだ。
「今はまだいい。我が家の外へ出ることはないからな、ここで守ってやれる。だがお披露目からは違う。人の意識に残るということは、それだけ衆目が増えるということだ。リリーの能力の一端でも知れれば、人はリリーを欲するだろう。幼ければ拐かし、そのように躾ることもできる。成長すれば、その危険性は更に増すだろう」
そう、それこそ山のように縁談が舞い込む。
下心前提の縁談ならまだいい方だろう。厄介なのは拐かされて手込めにされてしまうことだ。一晩行方が知れないだけで貴族令嬢としては致命的だ。一晩中邸に戻らなかった、その事実があるだけで問題になる。世間では真相などどちらでも構わないのだから。
俺はお父様を見上げて、その沈鬱な表情に何を思ったか理解した。
そうだ。俺の肉体は現在女体、つまり女性だ。浩介の時のような感覚では危ない。男相手に腕力で敵わず、体力で敵わず、逃げ足で敵わないだろう。そういう目的の相手に捕まれば、非力な俺では逃げることも出来ないだろう。相手が一人だとも限らない。複数で囲まれれば一縷の望みすら繋がらない。
子供を拐かす以上に危険な状況になるだろう。捕まれば対抗手段はない。護身術を習えば一人二人は何とかできるかもしれないが、それでも危険な賭けだ。囲まれる前に、捕まる前に逃げてしまうのが一番いい。
どこまで世間に隠し通せるか分からない。無理かもしれない。突発的事象に、俺が創造魔法を使わない保証がない。そうなれば隠すことはもう無理だ。国に使われるのか、賊に拐われ売られるのか、悲惨な先しか見えない。
創造魔法を一生使わなければそれが一番いい。お父様の懸念もなくなる。でも………。
でも、俺はその便利さから使ってしまうのだ。先程念話を使ったように、目が見えるようにしたように。俺は誘惑に弱い。
俺の不安を感じ取ったのか、お父様が抱き寄せてくれた。
「ああ、すまない。まだ幼いお前にする話ではなかった。不安にならずともよい。お父様が必ずお前を守る。心配いらない」
俺はお父様の胸のシャツをぎゅっと握った。
創造魔法を使わないのではなく、使い慣れておくべきなのかもしれない。
お父様が俺を守ると誓ってくれるように、俺もお父様を、家族を守れる力を身に付けたい。
◇◇◇
「今日は一つだけ創造魔法を確認しよう」
お父様に促され、両手のひらを器の形に持ち上げる。
「一つだけだ。リリー、簡単なものでいい。そうだな、お母様の好きな黄色い薔薇を一輪生み出してみよう」
「バラを、いちりん」
「そう、黄色い薔薇だ。お母様のお部屋にいつも飾ってあるだろう?」
こくりと頷くと、目を閉じた。
思い描くのは、初めて目が見えるようになった時にも見た、白い花瓶に生けられていた黄色い薔薇。
お母様が好んでいて、庭師のトーマスに朝摘みのものを生けてもらっている。
半剣弁咲きの黄色い花びらが上品で、いつも明るいお母様によく似合っていて好ましい。
黄色と一口に言っても色の濃淡は様々で、花束で花瓶に生けられている時はそのグラデーションが素晴らしい。花弁の形も色々あって面白い。剣のように尖端が尖っていたり、ドレスのようにふわりと裾を広げていたり。
それぞれに表情が違っていて、そこが面白いのかとトーマスに尋ねたことがある。問われたトーマスは驚いていたが、笑顔で答えてくれた。
違う表情もそうだが、愛情を注いだ分だけ応えてくれる健気さも好ましいのだとか。贈り物として摘み取った花を喜んでくれる人がいる、その瞬間が一番嬉しいのだとトーマスは言った。だから毎朝黄色い薔薇を喜んでくれるお母様に心から感謝しているのだと。まるで娘を嫁に出すような心境なんだとトーマスは言っていたが、そこまでの愛情を注がれているから、トーマスの育てる花はどれも生き生きとして美しく咲き誇っているのだろう。
「リ……リリー……リリー! もういい! 止めなさい!」
はっと目を開けた。
お父様の焦る顔が見えた。お兄様と、エイベルの困惑した顔も見える。
「とう、しゃま……?」
「リリー、何を思ってイメージした?」
「え……………?」
何を、とは?
露の間、部屋の異常さに気づいた。
お父様の執務室が、大量の黄色い薔薇に埋もれていた。