122.接客業あるある 2
「メアリー。貴女を口説いたのは、まさか貴族?」
「いいえ。でも大店の跡取りだと名乗っておりました」
「大店?」
「はい。宝石商だそうです」
宝石商ねぇ。競合他社の敵情視察か何かと思ったけど、普通にメアリーに一目惚れしただけか。
「因みに、メアリーはその宝石商の跡取りのこと――ああ、うん、いいわ。今のは忘れてちょうだい」
もしメアリーがその男性客に惹かれたのなら、と思ったのだが、途端ローズグレイの瞳からハイライトが消えた。好みじゃない上に、生理的に受け付けない類いの拒絶反応だった。こんな死んだ魚のような濁った目をするくらいには、相当しつこかったんだな。
「お嬢様。私がメアリーさんの立場だったとしても、あの人だけはないです」
「右に同じ! 女をアクセサリーか何かだと思っているのが見え見えな態度なんですよ!」
「口説いてやってるんだぜって言わんばかりの、あの気持ち悪いほどの自信どこから来るんですかね!?」
クレア、ホリー、デイジーの順に思い出し怒りを爆発させた。
ああ、なるほど。何があったか察した。
「その手の類いはね、逆に自信がないから見目麗しい女性を侍らせて、自身を飾り立てようとするの。高価な物で装飾して、武装するようなものよ。たぶん自分が一番よくわかっているんじゃないかしら。大店の息子という肩書きがあってこその威光だということを」
「ええ~!? あれだけ自意識過剰だったのに、実は自信なかったとかあります?」
「たぶん本人も気づいていないのよ。大店の息子だと訊かれてもいないのに名乗っているし、本当に自信があるのなら、高圧的な態度で従わせようとはしないものよ」
真実モテる男は、ご立派な肩書きや優れた容姿を持たずとも、女性が放ってはおかない。確かに前述した条件を好む人もいるが、大半の女性が最終的に選ぶのは尊い内面だ。
頭も顔立ちも凡庸な男がなぜああもモテるのかと、前世で大学時代友人だったやつがぼやいていた事があったが、その心は決して凡庸などではなかった。浩介が逆立ちしたって敵わないような包容力を持ち、冷静沈着で、いつだって物事を俯瞰的に捉えられる男だった。いざという時パニックを起こしたり、癇癪を起こしたり、いの一番に逃げ出したりしない。どっしりと構えていて揺るがない、とことん頼りになる男。張り子の虎よろしく上辺だけ立派に取り繕ったって、本物に勝てるわけがないのだ。
「粗暴者を例に挙げても同じでしょう? 狙うのは弱者で、己の力より劣る相手。居丈高に振る舞えば簡単に怯える相手しか選ばない。逆に返り討ちしそうな屈強な男性には絡まないじゃない」
「ああ、確かにそうですね」
「その点は貴族も一緒ね。地位や身分、資産額で媚び諂う相手かどうか見極める者も少なくないわ。嘆かわしいことに、平民を軽侮する者も多いわね」
国の七割ほどは平民だ。彼らが納める税金があってはじめて国が成り立つというのに、自分達は選ばれし者だと思い込んでいる。権威的性格をした貴族ばかりではないけれど、決して少なくはないということも事実だ。高い身分の貴族には、それに付随した社会的責任と義務がある。民のために働く者が貴族なのであって、身分に胡座をかいて平民を侮蔑するためのものじゃない。
だからといって身分を蔑ろにするのは違う。序列にはきちんとした意味があり、身分の垣根を無くす振る舞いは必ずしも正しい訳じゃない。
貴族でありながら身分を軽視してはならない。道徳観を説くノブレス・オブリージュ、「貴族たる者、身分に相応しい振る舞いをしなければならない」とあるように、何事にも減り張りは大事だ。しかしこのノブレス・オブリージュを、社会的責任や義務を担うための身分ではなく、都合よく支配するためのものだと曲解している者たちも一定数存在している。
我がグレンヴィル公爵家のように封爵された封地貴族は、領民から様々な税を一般財源として徴収し、彼らの暮らしを保障している。もちろんそれだけで賄えるものではないので、領民を困窮させないための様々な工夫も必要だ。医療、雇用、労災、福祉を保障する社会保障だけでなく、魔物の討伐、防衛、災害対策、街や道路の整備を行う公共事業など、お父様はお爺様やエイベルたちの補助を受けながら領主と官職を両立させている。
二年前からお兄様も領地経営を一部任されるようになり、明日から領地へ向かうのも視察が目的だったりする。学業との両立ご苦労様です。
そんな訳で、身分が高位であればあるほど重責が課されているものなのだが、それを正しく理解しているならば、平民を軽侮したり、高圧的に振る舞ったりするはずがないのだ。
商会も同じく、消費者あっての商売なのだから居丈高になる意味がない。つまりは虚勢を張って、メアリーの気を引こうとしていた可能性が高い。もしくは甘やかされて育った結果、望めば手に入らないものはないと思い込んでいるのか。
「何か対策を考えておきましょう。それまでは我が家に仕える身だからと、グレンヴィル公爵のご許可を頂いてから今一度出直してくださるよう釘を刺すといいわ」
「それで当座はしのげるだろうけど、ただのはったりだと怯まない輩は必ずいる。抑止力としては弱いかもしれないね」
それまで沈黙していたお兄様がそんなことを仰る。
「現に我がグレンヴィル公爵家直営店だと知っていて、営業妨害並みのことを仕出かしているじゃないか」
「そうですわよね……」
確かにそのとおりだ。
「リリー。オキュルシュスの従業員は女性限定なのかい?」
「え? いいえ、そのように限局してはおりません。けれど、女性の自立支援に繋がればと雇用して参りましたから、自然とその傾向にあったことは確かですわね」
「なるほど。じゃあ僕から提案だ。男の従業員を三名増員するといい。もちろんフロア担当要員だ」
「男性従業員の増員、ですか?」
「そう」
現在接客を担当しているのは、元パーラーメイドのメアリーとジェマの姉妹、そして愛嬌があると評判のデイジーの三名だ。そこに男性従業員を配置すればバランスは良くなる、か?
思案していると、お兄様がベサニーに視線を向けた。
「君。男女の客層の比率は?」
「は、はい! お持ち帰りのお客様は女性が多いです!」
「カフェは男客が多いんだね」
「はい! あ、でも、じ、時間帯によっては、女性のお客様の方が」
「増える、ということか。それは開店前半の時間帯じゃないか?」
「お、仰るとおり、です!」
「つまりは明るい時間帯だな。男客で賑わうのは後半の十七時から二十一時だろう?」
「ごっ、ご明察です!」
ああ、ガチガチに緊張するあまり、ベサニーの受け答えがイエスマンみたいになってしまっている。余っ程お兄様がトラウマなんだろうなぁ……可哀想に……。
「リリー。夕刻から夜の閉店までは男の従業員を必ずフロアに入れた方がいい」
「不埒を働くようであれば、接客を男性従業員にチェンジさせるということですのね?」
「さすが僕の妹だ。理解が早くて嬉しいよ」
「お褒めいただき光栄ですわ」
ふふ、とついつい笑い合っていれば、お兄様のだだ漏れな色気に当てられたのか、従業員たちがうっとりと熱を帯びた吐息をついた。
「それともう一つ、男の従業員を増やすことでメリットがある。リリー、分かる?」
「女性の客層が増えますわね」
「ご名答。男に給仕されるなんて、平民の女性にはまず経験がない」
つまりは執事喫茶か。お兄様、この世界ではかなり前衛的なお考えをお持ちのようで。さすがです。
「であれば、女性が見惚れてしまうような容姿の優れた者が適任でしょう。――ですが」
「そうだね。奇抜な案だと僕も思う。媚びるようで屈辱的だと思う者もいるだろうから、なかなか応募者は揃わないかもしれない」
「はい」
「まあ僕からすれば、給仕もこなすエイベルやマイルズが身近にいるからね。違和感も不快感も拒否感もまったくないけど。でも一般的にはね」
「ええ、仰るとおりかと。忌避される方々は多いと思われます」
「そうだね。でもね、リリー。言葉って不思議で、同じ意味でも言い方ひとつで印象はかなり違ってしまうものなんだよ」
わかります。リフレーミングですね。
ネガティブをポジティブに変換するリフレーミングで、相手の忌避感を緩和する作戦ですか。十三歳で思考操作を思い付く辺り、さすがです、お兄様。腹黒さに惚れ惚れします。
「君ならあっさりやれそうじゃない? なんたって生粋の人たらしだからね、リリーは」
違った。俺をディスってきただけだった。
「人聞きの悪い。わたくしがいつ人をたらし込んだのですか」
「え? 数えきれないよ。身近で挙げるなら双子かな? あとオキュルシュスの店長や従業員全員?」
おい。オキュルシュスの面々。俺と目が合わないように一斉にそっぽを向くな。肯定してんじゃないよ。お前たちをたらし込んだ覚えはないぞ。
そういえば、イクスやお爺様にも似たようなことを言われた気がするな。これ名誉毀損で訴えてもいいんじゃないか。
「取り敢えずグレンヴィル家から何人か護衛を派遣しよう」
誤魔化された気がしないでもないが、有難い提案なのでこくりと首肯する。
「物々しいと客足が遠退いてしまうかもしれないから、間に合わせの給仕としてそれとわからないように置いていく。雇用できるまではそれで大丈夫だろう」
「ありがとうございます、お兄様。領地から戻り次第、募集することに致します」
「え? お嬢様、王都を離れられるのですか?」
ぎょっとした様子でベサニーが発問した。
「ええ、明日から一週間ほど領地へね。それがどうかしたの?」
「あ、あの、実は、若様とお嬢様がおいでになる少し前に六公爵家の使いの方が来られまして、明日の祝い用にとホールケーキを予約注文されていったんです。それで、注文したケーキを明日お嬢様に届けてほしいと」
「は? 公爵令嬢であるリリーに配達しろと言ったのか?」
「お兄様」
珍しくお兄様がこめかみに青筋立てて苛立っていらっしゃる。確かに不躾な要求だが、お兄様、落ち着いてください。ベサニーが悪い訳じゃありません。真っ青になってるじゃないですか。
「六公爵家と言ったわね? どちらの公爵家の使いだったのかしら」
「は、はい。アッシュベリー公爵家の、使いだと仰っておりました」
「アッシュベリー公爵家……」
イクスなら、こんな回りくどいやり方はまずしない。あいつなら間違いなく俺に直接頼んでくる。そもそもイクスが家の祝い事など参加するはずがない。
ならば夫人方の誰かか。いや、その線も弱いな。オキュルシュスに使いをやって祝いの品として注文するまでは普通にあることだが、配達に俺を名指しする理由がない。仮にもイクスの形ばかりの婚約者であるから、それを理由に呼びつけたのかもしれないけれど、それにしたって面識ない夫人方が俺をわざわざ指名するだろうか。
となると、心当たりは一人に絞られるわけだが、正直関わりたくない相手だ。
「お兄様……」
「ああ、十中八九アッシュベリー公爵本人からの招待状ということだろうね。何の祝いか知らないが、随分と舐めた真似をしてくれる。我が家に直接接触してくるのではなく、オキュルシュスを介する辺りが底意地の悪さを体現しているな」
やっぱりか。そうだろうと思った。
「リリーは気にしなくていい。公爵が相手ならば父上に動いていただこう。それに」
途中で言葉を切ったお兄様は、無詠唱で風魔法を発動させ店外へと放った。飛び去っていったのは、長く美しい尾羽を持った、火の鳥のモデルにもなったケツァールに酷似した翡翠の鳥だった。
初めて見る風魔法だ。伝達魔法か何かだろうか。あれも王の耳の能力のひとつ? 俺も出来るかな。
「都合の良いことに、君は明日から領地へ赴くことが決まっているからね。配達ならば、表向きフロア担当として置いていく護衛に行かせればいい。同じ手を二度と使わせないためにも、君が一旦領地へ引っ込むのは渡りに船だったね。実にいいタイミングで仕掛けてくれたものだよ」
領地には僕とお爺様、こちらには父上が残るのだから、結果的にはとても好都合だ――そう言ってうっそりと笑ったお兄様は、間違いなくお父様とお爺様の血を受け継いだグレンヴィル公爵家の正嫡だった。