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121.接客業あるある 1

 



 クランベリータルトの販売に向けてオキュルシュスに詰めていた時期に、新たにフロア担当の従業員を二名増やした。一人はグレンヴィル本邸で、以前パーラーメイドをしていたメアリーだ。給仕と来客の取り次ぎを担当していた彼女は、平民出だが貴族の接客には慣れている。パーラーメイドは容姿の優れた者が選ばれやすい傾向にあり、メアリーも例に漏れず美人である。

 俺の作る菓子に感銘を受けたとかで、お婆様に懇願して本邸を辞職し、その勢いそのままに王都邸を訪ねてきたアクティブすぎる美女だ。カフェを併設しているため、確かに接客の手が足りていなかったのは事実なので、貴族の方々もよく来店するオキュルシュスの接客に、元パーラーメイドのメアリーが入ってくれるのは正直ありがたい。

 もう一人は、同じく本邸でスカラリーメイドをしていたジェマで、メアリーの実妹らしい。駆け出しの下級メイドだったが、姉のメアリーに巻き込まれる形で辞職を受理され、うちへやって来た。接客のせの字も知らない十三歳の少女は、姉にしごかれ接客技術を半泣きで叩き込まれている最中だ。

 メアリー。妹に意思確認して連れて来たのか?


 オキュルシュスは貴族専用を目的としていない。

 あくまで敷居は低く、平民が気軽に立ち寄れる店を目指している。だから、採用する従業員は必ず平民出身の者と決めており、来客が貴族だからといって個室に案内したり、割り込みを許したり、買い占めを許容しないよう指導している。

 権力に物を言わせて強要や脅迫をするような貴族は相手にしなくていい。オーナーより厳命されておりますので、苦情はグレンヴィル公爵家に直接お願い致します、と我が家にすべての責任を押し付けるようにとマニュアル化してある。

 侯爵家以下はそれで大人しくなるし、同列の六公爵家も無理を通せない。それでも引き下がらない場合は、後々グレンヴィル家から厳重注意がなされることになる。今後一切の購入はお断りさせていただくし、グレンヴィル家からの援助もなくなる。我が領地でしか栽培されていないカカオやバニラビーンズなど、特産品の流通を止められたら困る貴族も多い。二番煎じで始めた事業を抱える貴族は、さぞ顔を青くすることだろう。せっかく我が家から許可をもぎ取った事業が暗礁に乗り上げてしまうのだから。

 オキュルシュスの帳簿は必ず俺が定期的に目を通しているので、仮に無理を通せたとしても、不正は一発でわかる。貴族はお金を持ち歩かないから、小切手を切って買い物をする。大きな金額でなければ従者が支払いを済ませるけれど、大抵の貴族は「店の端から端までの商品を全部」といった買い方をするのだ。だから、オキュルシュスの商品を爆買いしていった場合、小切手を残していくからどこの誰がやったことなのか一目瞭然なのである。


 去年、店長であるベサニーを護衛を使って脅し、無理やり商品全てを持っていった子爵がいたが、残された小切手から身元が丸わかりだったため、お父様が出動なさった。出入禁止を申し渡し、未払いだった貸付金の強制徴収、融資打ちきりなど、とことん叩きのめしたらしい。没落したと風の噂で聞いたが、それ以来オキュルシュスで無作法を働く貴族は極端に減った。

 グレンヴィル家は領地の資産が潤沢なので、前世でいう金融機関のようなこともしている。所得に合わせた利率なので、貴族だけでなく平民にも貸付、融資できている。借入金額の大きい貴族には、その分の高い利息を払ってもらっているので、平民の利息を最小限に抑えられている。仕組みが地球とはちょっと違うな。

 かく言う俺もグレンヴィル公爵家の融資を受けている身で、毎月コツコツと借入金を返納している。返済するたびにお父様は「これは融資ではなく出資なのだが」と渋い顔をされるのだけど、こっそり教えてくれたエイベルの話では、返済に当てた全額はすべて俺専用資産として保管されているそうだ。

 お父様……愛されていて嬉しいけど、それじゃ示しがつきません。増資は確かに返済義務はないけど、出資は実績ある企業とかにするものじゃないの? 当時五歳の小娘に出資するメリットあった? まあ融資も同じく実績なしの小娘にしてもらえる待遇では本来なかったけども。

 新店舗の借入金も追加で増えたのに、まさかこっちも出資したのだと言って、回収拒否をしたりなんてしないよね? また俺専用の資産に上乗せとか、駄目ですからね、お父様?


「お嬢様、わっ、若様っ、ようこそおいでくださいました!」


 お兄様のエスコートで馬車を降りると、オキュルシュスの店内から従業員一同が出迎えてくれた。

 初見のお兄様にぽ~っと見惚れているのは、クレア、デイジー、ホリーの旧従業員三名と、新人従業員のジェマだ。貴族を見慣れているメアリーは、さすがと言うか、まったく動じることなく素晴らしい一礼でもって迎えている。さすが元パーラーメイド。

 四年前、図らずもお兄様の不興を買ってしまった過去を持つベサニーは、緊張しています!と丸わかりの上擦った声で出迎えの挨拶をした。お兄様はにこりと人当たりの良い笑みを返しただけで、俺をエスコートしたまま店内へと入っていく。

 お兄様。もうちょっとベサニーに優しくしてくれませんか。俺にとって彼女は大切な部下の一人なのです。お兄様の微笑みの、その裏に隠された腹黒さを感じ取れる者はたまにいるんですよ? 一度経験したベサニーはまず嗅ぎ取りますからね?


「ベサニー。問題は起きていない?」

「はい、お嬢様。我々で対処できる程度のものはありますが、お嬢様やグレンヴィル公爵家に御出座しいただくようなことは起きておりません」

「そう。ならよかったわ。こざこざした問題とは具体的にどのようなこと?」

「そうですね……飲食店ではよくあることなのですが、注文の間違いとか、お客様同士の並び順の小競り合いとか、虫が入っていたとか」

「「虫」」


 俺とお兄様の引き攣った声が重なった。

 それは本当に入っていたという由々しき事態か、それとも自作自演クレーマーのはた迷惑な行為の結果か。


 オキュルシュスは午前十時から十四時まで開店し、昼休憩に三時間、夕方十七時まで一旦閉店する。再び開店後、交代で休憩を挟みながら、夜二十一時に閉店の八時間労働だ。

 現時刻はちょうど十五時を過ぎた辺りなので、昼休憩のあと明日の仕込みを始める時間帯だ。邪魔にならないうちに用件を済ませてしまわなければ。


 頬を赤く染めてちらちらとお兄様を盗み見していたデイジーが、「あ。そういえば」と声を上げた。


「つい先日のことなんですけど、二組の困ったお客様がいました」

「困ったお客?」

「はい。お一人は御手洗いに長時間籠って出てこないんです。それも何度も」

「ご気分が優れなかったのではなくて?」

「違うみたいでした。きちんと注文して支払いも済ませてくださるんですけど、とにかく御手洗いの時間が異常に長くて。具合がお悪いようなら、お医者様をお呼びしましょうかと扉越しにお声掛けしても大丈夫の一点張りで、感染症とかお持ちだったら大変だと気が気じゃなかったです」

「結局なんだったの?」

「分からないまま帰られたので、首を捻っていたところでしたが、閉店後の点検で窃盗に遭っていたことが判明したんです」

「まあ……」


 え、トイレで窃盗? 何を盗むの?


「私達も御手洗いで何を盗むのかと思っていましたが、お嬢様の下で働かせていただくようになって三年も経つと、感覚が麻痺してしまうのか、本当に失念していました」

「え……。な、なに?」

「お嬢様。オキュルシュスの御手洗い、めちゃくちゃ快適なんです」

「……うん?」

「若様の御前でこんな話は恥ずかしくて仕方ありませんが、その、拭き取り紙の質がめちゃくちゃいいんです」


 つまりはトイレットペーパー。


「あんなに柔らかくて肌触り良くて、真っ白い拭き取り紙なんてオキュルシュス以外で見たことがありません」


 まあ、創造魔法で量産したやつを邸とオキュルシュスに卸しているからな。


「え。じゃあ盗まれたのって」

「その使い心地最高な拭き取り紙です! しかもご丁寧にストック用に常備してあった三個とも、全部持って行かれました!」


 悔しい!と憤慨するデイジーに同調して、クレアとホリーも大きく頷いている。


「そ、そう。そんなことがあったのね。じゃあ補充しておきましょう」

「やった!」

「ですがお嬢様。今後も同じことが起こらないとは限りません。前回盗んでいった方の顔は覚えていますから、次は現行犯で取り押さえてみせますが、何か対策を立てなければいたちごっこになりませんか?」

「そのとおりね。では、拭き取り紙を御手洗いから持ち出したら警報がなるように仕掛けておきましょうか」

「えっ? そんなことが出来るのですか?」

「簡単よ。任せてちょうだい」


 従業員全員がホッと安堵の表情を浮かべた。

 たかがトイレットペーパー。されどトイレットペーパー。俺も前世での快適さを知る身として、こちらの拭き取り紙の粗悪品ぶりに泣いた一人だ。サンドペーパーで拭き取っているのかと思った。

 懐かしさと恋しさから作り出したトイレットペーパーは、我が家でも大人気だ。使用人たちにも大好評で、もっと言えば弟達は日本のトイレットペーパーしか知らない。完全に俺が仕出かした箱入り息子たちだ。

 こちらの拭き取り紙は二種類あり、ひとつは水に溶かして乾かした古紙を使う。洗浄も消毒もしないし、使われたインクもそのままなので衛生的に問題がある。

 もうひとつは藁やパガスパルプを使う。麦やサトウキビの繊維を細断したものだが、収穫期にだけ供給される材料なので、こちらは貴族専用で販売されている。我が領地でもワラパルプやパガスパルプの拭き取り紙は貴族用に生産され、古紙から作られる拭き取り紙は民間に卸されている。

 日本で当たり前に使っていたトイレットペーパーを生産するには材料も技術も足りない。卑怯だが、創造魔法で身内の分だけ量産していくしかない。

 盗まれたトイレットペーパーを自宅で使いきってくれるならいいが、転売されたら非常に困る事態になるぞ。


「拭き取り紙の件はわかったわ。あとのひとつは?」

「それが、そのもう一人のお客様、認知症の方だったらしくて、注文された商品を悉く頼んだものと違うと仰るんです」

「ああ、認知症……」


 それは大変だっただろう。クレーマーというわけじゃなく、ご本人は真剣に違うと訴えておられるのだから。


「次第に癇癪を起こされてしまって、いくつか食器を割られてしまいました」

「それは仕方ないわ。什器備品として帳簿に記しておいて。足りない分の補充は任せるけど、経費はわたくしに請求するようにね」

「畏まりました」

「それで、その方はご家族がお迎えに来られたの?」

「はい。ご来店くださっていたお客様の中に運良くお知り合いの方がおられまして、ご自宅まで連れ帰ってくださるとお引き受けくださいました」

「そう、それは良かったわ。次その親切なお客様がご来店なされたときは、謝礼としてケーキセットをお出しして」

「承知致しました」


 前世でも、認知症罹患者を抱える家族は本当に大変だった。家族の間でも財布を取ったとか、罵りの言葉を毎日吐かれたりだとか、徘徊癖があったりだとか、四六時中目が離せない、多大なる気苦労が絶えない生活を余儀なくされると聞いている。症状が進むともっと大変で、いずれ家族の顔も名前も忘れてしまう。

 親に「お前は誰だ」と、「子供なんていない」と言われてしまった人もいた。話しかけても外ばかり眺めていて、反応してもらえない人もいた。

 それが如何程につらく悲しいことか、経験のない俺には想像することしかできないが、親孝行は親が元気なうちにしっかりやらなきゃいけないなと、当時の浩介は心に誓ったものだった。俺もきちんと親孝行、祖父母孝行しなくちゃな!


「あ、あと一つありましたよね」


 密かに決意していた俺をよそに、クレアがそういえばという体で声を発した。


「あと一つ?」

「はい。三日前だったと思いますけど、カフェのお客様でメアリーさんにしつこいくらいナンパしてくる男性客がいらっしゃったんです」


 な・ん・だ・と。




挿絵(By みてみん)




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