120.「ありがとう 」と「ごめんなさい」が言える子は、とても良い子なのです。
「「あねうえぇぇぇ、ごめんなさいぃぃぃ」」
まるで二重唱よろしく同じ泣き声を発するのは、正座させた三歳児の双子、アンブローズとフェイビアンだ。
日本式反省の姿勢の図だが、正座は骨格や筋肉の付き方の違いで欧米人には難しいと前世で聞いた気がする。こちらの人も西洋系だが、同じく正座はつらいものなのだろうか。
そういえばこちらに生を受けて八年、一度も正座したことがない。というか、床に膝をつこうものなら屋敷中に大騒動が起こる。間違いなくカリスタは金切り声を上げるな。
「もうしないからぁぁぁ」
「怒っちゃやだぁぁぁ」
うええんと泣き喚く双子に俺はよろけそうになった。良心の呵責に苛まれそう……。
反省しているようだし、これ以上幼い子を泣かせるのは良くない。もうこの辺りで止めていいよな? だってこんなにぽろぽろと涙を溢して泣いているんだ。まだ三歳なのに、可哀想じゃないか。
「どうしてわたくしが怒っているのか、きちんと理解していますか?」
「お、王子に、バチッて、やった、から」
「あと、アッシュベリーの、ひと」
「そうね。ではどうしてやってはいけないのかしら?」
「ま、まほう、人にむ、向けちゃ、だめ」
「アビー、たちより、えらい、ひと」
えぐえぐと嗚咽混じりに必死に答える双子が可愛すぎて、俺は緩みそうになる表情筋を根性で引き締めた。
「その通りです。お相手は我が国の第一王子殿下と、六公爵家の一角アッシュベリー公爵家のご正嫡。お父様やお兄様のご迷惑にもなりますし、何より人に向けて魔法を放つなどあってはならないわ。自分がされて嫌なことや、痛いと思うことを人にやっては駄目。二度とやらないと誓うなら、もう怒ったりなんかしないわ」
「しないぃぃぃぃ」
「もうやらないぃぃぃぃ」
「人を傷つけて平気な子は、お姉様嫌いよ」
「「やーだぁぁぁ!!」」
ギャーっと怪鳥よろしく泣き叫ぶ。さすがにやりすぎたか。
「殿下とアレックス様にお会いした時に、きちんと謝罪できるかしら?」
「あやまるぅぅぅ」
「ごめんなさい、するぅぅぅ」
「ならばよし。いい子ね。さあ、おいで」
屈んで両腕を広げると、双子は慌てて何度か転びながらも俺の胸に飛び込んできた。
うん、これはあれだな。正座で足が痺れてるんだな。ぷるぷる震える子犬みたいで何とも可愛らしい。うちの子たち天使か。天使だったな。幼児最高!
「あねうえ、も、もう怒って、ない?」
「アビーたち、きらいじゃ、ない?」
「怒ってないし、二人とも大好きよ」
「ローズも、すきー!」
「アビーも、すきー!」
天使か。天使だった。何度再確認すれば気が済むのか。弟たちが天使なのは当然じゃないか。
「さあ、顔を洗ってらっしゃい。おやつの時間にしましょう」
「「はぁい!」」
それぞれの専属侍女に連れられ退出していく双子を見送っていると、入れ替わるようにお兄様が忍び笑いしながらサロンへやって来た。
「あれで許しちゃう辺り、リリーは双子に甘いね」
「お兄様!」
まだ十四時を過ぎたばかりだ。いつもなら十七時頃にご帰宅されるのに、今日はずいぶんと早い。
「お戻りとは気づかず、お出迎えせず申し訳ありません」
「いいよ。代わりに君の愛くるしい姿を覗き見出来たからね」
「もう、お兄様ったら。良いご趣味だとは言えませんわよ。――お帰りなさいませ」
「ただいま。さて。お邪魔虫の双子がいない隙に、僕の麗しい妹を堪能させてもらおうかな?」
おいで、と爽やかな笑顔を振り撒いて、お兄様が両腕を広げて待っている。これは抱擁の催促だな。
すっかり日本より過剰なスキンシップにも慣れた俺は、躊躇うことなくお兄様の腕の中に収まった。
「ああ、ようやくリリーに触れられた。君は日に日に抱き心地が良くなるね」
それはセクハラという。
ゾワゾワするので、髪の中に指を忍ばせて耳の輪郭を撫でるの止めてもらえませんか。触り方がいちいちエロい。
「最近は双子に取られてばかりでつまらないよ」
「ふふ。朝もお会いしたばかりではないですか。学園はいかがでしたか?」
「恙無く。剣の模擬戦で一位になった」
「まあ! おめでとうございます」
白い制服に少し襟足の伸びた明灰白色の髪が映える出で立ちが、誂えたようにとてもよく似合っている。十三歳になったお兄様の身体は幼さを脱し始めており、順調に伸びている身長も相まって少年期特有の色気が増していた。声も変声期を迎えたらしく、ちょうど目の高さに来る喉仏の出っ張りが、お兄様が言葉を発するたびに動いている。
少し低く掠れるように紡がれる声音は艶っぽくて、さすが色気の暴力たるお父様そっくりなお兄様。すでにこれほどの色を放つのだ。四、五年経ったら更に色気が増して、外面の良いお兄様は、無愛想なお父様よりご令嬢方を誘蛾灯よろしく引き寄せまくるに違いない。とても不安だ。
女性の場合、十三歳で入学する男性とは違い、十五歳になる年の初春に開かれるデビュタントを終えてからの入学になる。なので、現在通っている学園校舎に同学年の女生徒はいない。来年までは大丈夫。でも再来年、十五歳になる年が不安でならない。
そしてお兄様。会話の合間に引き寄せた腰を撫でないでください。手つきが怪しい!
「明日から学園は中休みだから、お爺様にも許可をいただいているし、久々に領地へ行かないかい? とは言っても、リリーは転移魔法で三日と空けず本邸を訪れているようだけど」
こっそり日帰りで通っていたのにバレている! 密偵か!? 王の耳か!? 俺監視されてる!? チクったのアレンか!? ブレンダか!? 雇い主のお父様や跡取りのお兄様に報告義務があるのは当然だから別にいいけど! いいけども! 釈然としないのは何でかな!
「監視じゃなくて、警護ね」
答えが正確すぎる!
顔に出やすいのはもう直らない気がする……。
「ダーヒル・リエンは何日間なのですか?」
「一週間だよ。君や双子を構い倒すには十分な期間だ」
「ふふ、嬉しい。お兄様とお出掛けするのは久しぶりですわね。楽しみです」
「僕も楽しみだ。君の転移魔法ならすぐだけど、立ち寄る街に金銭を落としていくのも貴族の務めだからね。時間と手間はかかるけど、のんびり旅を楽しもう」
「はい。お父様とお母様はどうされるのかしら?」
「今回は僕たち兄弟だけだよ。父上はお勤めがあるし、母上はお茶会があるそうだ」
お茶会は夫人にとって重要なお仕事だ。情報収集の場であり、駆け引きの場でもあり、選定の場でもある。ただ世間話をしながら「ほほほ」と笑って飲み食いする場ではない。世間話とて立派な情報源。お父様とグレンヴィル家にとって有益な情報を拾い、相互関係の人脈を築いている。夫人同士の繋がりをきっかけに当主が協定を結んだり、共同事業や参画など行ったりする場合も少なくはない。
たかがお茶会と侮るなかれ。なかなかにシビアな世界で、人を見る目と取捨選択の目利きが要求される、謂わば女の戦場である。
俺も三年前からお母様に作法という名のスパルタ教育を受けている。微笑みは仮面であり武器。いかに貴婦人方の腹を探り、己の腹を探らせないか。話術だけでなく姿勢、目線、指先ひとつまでもが駆け引きの道具になる。沈黙も相手を揺さぶる手法のひとつだ。毎度作法の時間はお母様の恐ろしさを痛感する場となっている。公爵夫人、コワイ。
「伝えるのが前日になってごめんね。ということで、お前たち。荷造りに不備がないようしっかり頼むよ」
「「「「畏まりました。若様」」」」
そう言って俺専属の侍女四名に命じたお兄様は、そこでようやく腰に絡めていた腕を解き、ソファへとエスコートしてくださる。
「双子におやつの時間だと言っていたけれど、今日の予定はもうないのかい?」
「いいえ。オキュルシュスに寄って、それから新店舗の様子を見に行こうかと思っております」
「ああ、もうすぐ着工予定のあれか。リリーが拾った、元第二王子殿下付きのメイド母娘をそこで雇うんだってね? 相変わらず君はお人好しだ」
「新店舗の予定はありましたし、従業員の募集も近々やるつもりでしたから、たまたま縁が重なっただけですわ」
「そういうことにしといてあげるよ」
お見通しと言わんばかりにクスッと笑ったお兄様は、魅力的な笑みを唇に乗せたまま、従僕がいれた紅茶に口をつけた。
「新店舗の名前は決めてあるの?」
「はい。あちらの世界の言語の一つで、ラテン語で『幸運』のことを『フォルトゥーナ』と言うので、そちらにしようかと思っております」
「ラテン語? 確かオキュルシュスもそのラテン語というやつじゃなかった?」
「ええ。ラテン語で『出会い』を意味します」
「リリーはラテン語が好きなのかな」
「そうですね、響きが美しいと思います。フォルトゥーナはイタリアという国の言葉でもあるんですよ。やはり同じく幸運を意味します」
「幸運。うん、いい名前だ。正しく君が拾い上げた元メイド母娘にとって、君との邂逅は幸運だったことだろう。フォルトゥーナ。確かに美しい響きだ。まるで君を表す福音のようだ」
「まあ、お兄様ったら。お上手ですこと」
恥ずかしいからやめて。本気でやめて。何その褒め殺しスキル。
美辞麗句のように上辺だけの飾り立てた言葉ではなく、大真面目に褒めちぎっているあたりが厄介極まりない。全力で実妹を口説いてどうする。
「僕も一緒に行っていいかな?」
「オキュルシュスと着工前のフォルトゥーナにですか?」
「そう。何だかんだで君のお店に一度も訪れたことがないからね。まあ経営が軌道に乗っているオキュルシュスはともかく、フォルトゥーナの方はちょっとね」
うん? どういう意味だ?
小首を傾げる俺に、お兄様はにこりと微笑むだけで教えてはくれなかった。