117.王の耳
気づかなかった……今の今まで気づかなかった!
え。忍びすぎじゃない? 特にブレンダ忍びまくってない!? 天然ぽやぽや娘のファニーだと嘘つけ!とツッコミ入れるところだが、ブレンダは納得してしまう。あの身のこなしは、何というか、思い返してみればというレベルなのだけど、玄人っぽさがチラリズムよろしく見え隠れしていたような、していなかったような。
子爵家二女が諜報員って。ええと、どっちが先? くノ一よろしく特技が忍べます的な感じで俺の専属に起用されたの? それとも俺専属になったから忍ばされてんの!? 前者だとエーメリー子爵家の子育て方針に物申したいけど、後者なら後者でエーメリー子爵家に申し訳ない!
前者なら「娘になに教育してんの!?」、後者なら「預かった大事な他所様のお嬢さんになに教育してんの!?」になるけど! どっち!?
一人悶々と葛藤していると、お父様が更に気になるワードを口にした。
「面識ある者であと一人いるが、お前には一度も見せていないから気づかないかもしれんな」
え、誰だろう。めちゃくちゃ気になる!
適性は何ですかと尋ねることは、スリーサイズを尋ねるくらい失礼なことだ。すでに公になっているなど例外もあるが、大抵は訊ねてはならないことになっている。トラヴィス殿下に適性をお聞きしたのは、本来ならぱ褒められるような言動ではない。陛下とトラヴィス殿下がお許しくださっていたからこそ出来た質問だ。
俺は屋敷の者たちの能力をほとんど知らない。知っているのは自己申告してくれている俺専属の者達だけだ。
誰だろう。――まさか庭師のトーマス!? 庭師だけに、御庭番的な!? それとも料理長のクリフか!? 駄目だ、全員が怪しく見えてくる!
「その者は密偵を統括している」
「統括? そんな面倒な役職に甘んじて就いているなんて、相当なワーカーホリックなんじゃ……。……うん? ワーカーホリック?」
お父様と仕事が大好きな、あの彼ならあり得る、か? いやでも二足のわらじだろう、それ。兼業出来るものか? いや無理無理。死んじゃう。過労死しちゃう。
「エイベル、なんてことは」
「ほう、よく分かったな」
やっぱりか! エイベル何やってんの! お前はいつ寝てるんだ! 睡眠負債は怖いんだぞ!? お前もう三十一だろ! あと十年もすれば無理きかなくなるからな!?
「因みに前任はエリアルで、更に言えば、我が家の分家筋であるウェイレット伯爵家は風属性持ちが生まれやすい。総じて諜報に向き、揃って実直であることから大変重宝している。グレンヴィル公爵家の財産とも言える一族だ」
ウェイレット家、ほぼ全員諜報員だった問題。
「エイベルの跡を継ぐ予定になっているロイだが、現在エリアルの指導を受けている。年内には執事兼内偵としてユーイン付きに調整完了となるそうだ。お前もその心積もりでいるように」
「承知しました」
エリアルの次男の長子であるロイとは、何度か領地で顔合わせしている。お兄様のひとつ下で、十二歳の少年だ。サラサラのダークブロンドの髪をした、エイベルそっくりな少年。エメラルドグリーンの瞳の色だけ違うけど、他は驚くほどそっくりだ。エイベルの隠し子だったと言われても、俺はきっと合点がいく。寧ろしっくりくる程度には瓜二つだ。
そんなエイベルお子様バージョンたるロイも、年内には王都邸へやってくるのか。執事としてもだが、内偵の英才教育を受けてやってくる。十二歳なのに。
「エイベル・ウェイレット伯爵だけでも厄介なのに、その血族が更に増えるとか……ヤバい。焦るな、僕」
イルが何やら真剣な面持ちで呟いているが、どうしたんだ?
「古くから、情報を集め精査し、王に報告する任を賜ってきたのが我がグレンヴィル家なのだ。故に知る者達から王の耳と呼ばれている」
何気に二つ名が格好いい。ちょっと少年心が擽られるじゃないか。いや乙女心か? 中身おっさんの俺が乙女心と言って差し支えないのか?
「ユーイン殿が次代の王の耳……指顧できる気がまったくしない……」
遠い目をして本当にどうした、イル。悩みなら聞くぞ。
「いやちょっと待って。次代の表の守りの盾はエリオット・チェノウェス? 矢庭にリリーを訪ねて来た、あの男が次代? いろいろと前途多難じゃないの、僕。ライバル多くない?」
陛下が慰めるようにイルの肩を叩いた。なんか分からんが、イルがんばっ!
「一通り検証を終えたということで、姫。そなたにひとつ確認を取りたい」
「何でございましょう?」
「以前一度だけ見せてもらった精獣、幼竜とラスロールに今一度会わせてもらいたいのだ。すでに成獣であったラスロールに変わりはないだろうが、ドラゴンは違う。三年経ったが、どれほどの大きさに成長しているのか確かめさせてほしい」
つまりは如何程の脅威に育っているか、ということか。
確かにドラゴンの認識は、まだまだ人を襲う魔物という印象だろう。三年ぽっちでそうそうイメージが変わるものではないと分かりきっていたことなので、こればかりは仕方がない。
人と関わり合わない精獣と近づき過ぎないためにはそのままの認識であるべきだが、俺と契約しているリオンだけは違う。人間より遥かに長命であるドラゴンを、所詮は一介の人でしかない俺の影の中にずっと隠したままでいられる訳じゃない。いずれは俺の寿命も尽きる。そうなれば、いつかはリオンを外界へ放つことになる。突然街中に巨大なドラゴンが現れれば、大パニックに陥るだろう。
長期戦は覚悟の上だが、グレンヴィル公爵家の娘は、悪意のない者に決して害を為さないドラゴンを従えていると、前向きな認識が広がってくれたら御の字だ。一般的なドラゴンとリオンは別物だと意識改革に繋がったらいい。ドラゴンへの畏怖はそのままに、俺が従えるリオンは守り神のような存在だと理解してもらえるかもしれない。まあ希望的観測すぎて現実味のない話だけれど。
ドラゴンの襲撃は完全に人災なのだが、襲われる側にとってはドラゴンこそ悪の象徴だ。適切な距離感を保つ意味ではそれでいいが、リオンも同じカテゴリーに入れられてしまうのはいけない。儘ならないものだなぁ。
「ご命令とあらば。ですが、演習場ではちょっと……」
「……………たった三年で、そんなにか?」
そんなにです、陛下。演習場には収まりきらないので、ここでは出せません。
「外に出ましょう。少々育ちすぎてしまったので、騒ぎにならないよう人避けと認識阻害の結界を張りますね」
「そんなにか」
二度目ですが、そんなにです、陛下。
『リリーの魔力はドーピングに近いからね』
酷い言われようだ。劇薬扱いは止めてくれませんか。
うちの子は食べ盛りなんです。断じて俺の魔力が原因じゃないやい。
不安を滲ませた面々を連れて演習場を後にすると、外で待機していた近衛騎士団が陛下に敬礼した。
「陛下、殿下」
「これより姫に使役している精獣を召喚してもらう。一体はドラゴンだが、騒ぎ立てぬよう注意せよ」
「ド、ドラゴン、ですか!?」
「そうだ。姫に帰伏しているとはいえ、相手はドラゴン。下手に刺激するような真似は避けよ」
「ぎょ、御意」
陛下とイル、トラヴィス殿下専属の近衛騎士たちが、青ざめた顔で俺を見た。本当に大丈夫なのかと如実に物語る眼光だ。
まあ分からなくもないけど、うちの子はちゃんと言うこときくお利口さんなんだぞ。分別だって下手な人間よりよほどあるんだから。俺、頑張ってちゃんと躾けました!
念話だけど会話も成り立つから、犬の躾以上に完璧だと思う。めちゃくちゃ苦労したけどね。
「では姫。始めてくれ」
「畏まりました。まずは先ほど申し上げました通り、人避けと認識阻害の結界を張らせていただきます」
魔法師団演習場は外廷からも内廷からも離れているので、頻繁に人の出入りがある王城からは見えない位置に建っている。それでも人の通行は皆無ではないし、まだまだ成長期のリオンの巨体は奥まった場所とか関係なく目視出来てしまう。普通に影から解き放ったら、王城だけでなく王都全域が阿鼻叫喚に陥ってしまうかもしれない。
無意味な集団パニックを引き起こさないためにも、リオンの安全のためにもここはしっかりと強力な認識阻害をかけておかなくては。
「エスクルジュ アルカーティオ ロブ・グノーシス」
たくさんの紫と銀の魔素が応え、人避けと認識阻害の巨大な結界が生成された。紫色に構造色が混ざり、迷彩を施したような複雑な色合いの四角い結界に仕上がっている。下準備はこれでよし。
「――ウル。リオン。出ていらっしゃい」
声をかけた刹那。金色の毛並みをした神々しい雄鹿と、陽光に輝く漆黒の鱗を持つドラゴンが、俺の影から勢いよく飛び出した。
バサリと広げた飛膜で着地の衝撃を抑えたリオンは、立派な鉤爪でしっかりと大地を踏みしめた。うんうん。随分と着地が上手くなった。
去年までは着地するたびに地響きと凄まじい衝撃音がしていたのに、素晴らしい不断の努力の成果じゃないか。羽ばたきによる飛膜の風圧も軽減されているという驚きの成長ぶり。あ、ダメ。俺泣いちゃいそう。
『呼んだ、ママ!?』
頭に直接響く念話の声は、すっかり大きくなった巨体に相応しい、とっても魅力的なバリトンボイスだった。
家紋 武範様より頂けました『千社札』です♪
名刺代わりに使用させていただきました♪
素敵な千社札、本当にありがとうございました(〃艸〃)