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11.一歳半になりました

 




「リリー、こっちだよ。おいで」

「待って、にいたま」


 公爵家の広大な庭園の一角を、よちよちと必死に歩く俺は、一歳半になりました。

 言葉も一歳児にしては結構流暢に喋れるようになりましたよ。やっぱり意味を理解しているという利点が成長に勝ったね。

 でも『お』の発音が難しかったり、『さ行』の発音が上手くいかなかったりと、課題はまだまだ多い。こう、舌がね、自分が思うほど動いてくれないと言いますか。舌足らずな喋り方を家族や邸の者たちは好ましい目で見てくるのだが、俺としては不本意だ。

 俺は可愛さなど求めていない。もっと洗練された、春風のように爽やかで気品に満ちたいかした男―――じゃなかった、女を目指しているのだが、どうも不発に終わっている。嘆かわしいことだ。


 しかしよちよちではあるが、行動範囲が広がったことは満足している。

 自力で移動できるようになって色々と発見できたことは大きい。瞬きで会話していた頃に比べると雲泥の差だな。

 そして発見できたことの中で一番の収穫は、なんと言っても水に関する事柄だ。

 以前から気にしていたトイレ事情だが、なんと、この世界には下水道が整備されていたのだ! さすがに日本のハイテク水洗トイレではないが、これには感動した。トイレットペーパーのような上質なものはなくとも粗い紙質でもきちんと拭き取り用の紙もある。下水道があるということは伝染病も少ないということになる。これは大きい。

 そしてお風呂! ありましたよこの世界にも、湯船に浸かる習慣が!

 水道設備もされていて、蛇口から水が出る! 大事なことなのでもう一度言おう。蛇口から水が出る!

 これも大きなことですよ! 水道が完備されていなければ水源を探して井戸を掘らなきゃいけない。浴槽に湯を張るために井戸から汲み上げた水を何往復しなければならないか。それをすべて人の手でやる。やらなきゃいけないのが女性であれば尚更大変な作業だ。

 炊事洗濯もそうだろう。井戸から汲んで、使用して、また汲んで。それが毎日続くのだ。筋肉と腰が大変なことになってるよ!

 水道って素晴らしい。もうそれだけでこの世界の未来は明るいよ。

 日本人なら外せぬお風呂とトイレ! 知った時の俺が滂沱の涙を流したのは記憶に新しい。

 両親とお兄様がおろおろしていたが、俺が感動しているだけだと知った途端肩を震わせそっぽを向いた。

 いいよ。我慢せず笑いなさいよ。


 日本人ならではの外せないもの、そう、もうお分かりだろう。食事事情!

 残念ながら米はなかった。他の大陸を探せばあるかもしれないが、現時点ではない。調味料も日本食に使えるものは全滅だった。味噌も醤油もない。これは本気で落ち込んだ。

 しかし胡椒はある。お高いが、あるにはある。塩と砂糖と蜂蜜も高級品だがちゃんとある。ハーブも存在していた。

 主食は小麦粉を使ったものだが、とうもろこしを粉にしたものやオートミールなどの穀物もよく食べる。木の実や種もよく食べるな。それから野菜や果物も地球と変わらなかった。果物はドライフルーツにしたものも好まれている。

 あとは肉と魚。冷凍魔法があるそうで、生の肉や魚は普通に手に入る。便利だな。

 そのうちかの有名な飯テロを我が家で引き起こす計画中だ。

 何故まだやっていないのか、それは俺がまだ包丁を握らせてもらえないからだ。そりゃそうだ。俺でも一歳半の赤ん坊に包丁なんぞ持たせるか。

 ここはひたすらに我慢、我慢だ、俺。






「はい、到着~! ずいぶん歩けるようになってきたね、リリー」


 左右対称の平面幾何学式庭園の一角に、八角形の形をしたガゼボがある。その白い四阿(あずまや)の前でお兄様が待ってくれていた。

 無駄に広い公爵家の庭園をよちよち歩きの赤ん坊に踏破させるとは、柔和な物腰のくせに案外鬼である。


「また難しい顔してるねぇ。今度は何を考えているんだい?」

『砂糖と塩が高級品とされている理由を考えてた』

「またそんな僕にも分からないような難しいことを。君は一歳半になったばかりなんだよ? そういうことは父上に任せておきなさい。あと念話は禁止。お口で喋らないと練習にならないよ」


 むむむ、と俺は唸った。

 さ行がた行になってしまう不可思議現象を避けたくて念話に切り替えたが、兄の言うことにも一理ある。喉は使わなければ劣化するものだ。


「それで? リリーはどうして砂糖と塩の流通について考えていたの?」

『俺が―――』

「念話と俺は禁止。わたくし」

「わ、わたくち」

「ふふっ」


 ほら笑うしーっっ!


「ごめんごめん、ふふ、わ、笑わないから、機嫌直して」

「笑ってるち!」

「ははは!」


 本格的に腹を捩らせ笑い出した。くそう!

 ひいひいと踞ってひとしきり笑っていた兄が復活した頃には、俺の気分は底に這いつくばるほど落ちていた。


「もう、僕の妹は本当に可愛らしいなぁ」

「はいはい」

「ほら、機嫌直してよ、リリー。マリアが焼き菓子を準備してくれてるから。おいで」


 不機嫌を顔に全面に出したままの俺を抱き上げ、ガゼボの中に設置してあるたくさんのクッションが乗せられたソファーへと座らせた。

 焼き菓子と紅茶が用意されたテーブルに俺は届かない。だからいつも兄が手伝ってくれるのだが、今日は反抗してやりたい気分だ。


「たくさん歩いて喉が渇いたでしょ。果実水もあるから、そっちにする?」


 つーんとそっぽを向いていると、お兄様が俺の口に少しずつフィナンシェを侵入させてきた。赤ん坊の体は甘味を好むのか、俺の意思に反してかじりついてしまう。

 咀嚼しながらしまったと視線を向ければ、兄の優しい笑顔があった。


「さあ、喉が渇くだろう? 果実水をお飲み」


 宛がわれたコップから甘い果物のジュースを嚥下していく。

 自覚出来ていなかったのか、思いの外喉が渇いていたらしい。ごくごくとコップの半分を一気に飲んでしまった。


「ほらね? やっぱり喉が渇いてた」

「にいたまは、意地悪だ」

「そうかな? 僕は優しいだろう?」

「たまに意地悪」

「ふふ。それはリリーが可愛いから」

「理由になってない。あと可愛いって言われてもうれちくない」


 くそう、どうしても勝手にさ行がた行になってしまう!


「嬉しくないの? それは困るなぁ。僕も父上も母上も、毎日でも言い足りないのに」


 どんだけ言う気だ!?

 俺はまだレインリリーとして生を受けて一年と半年なんだ。男だった記憶が二十七年分もあるのに、いきなり女の子として振る舞えと言われても困るのだ。

 今着せられている桃色のベビードレスや伸び始めた黒髪のツインテールなんかも拷問にしか感じられないのに、この上「可愛い、可愛い」と言われてしまったら、俺の男としての色んなものが削られて瀕死状態だよ!

 そう訴えたら、兄にあっさり否定された。


「削るも何も、リリーは女の子なんだから男の色んなものはいらないよね」


 せ・い・ろ・ん!

 正論だけど、俺の気持ちも慮って!


「それで話を戻すけど、リリーが砂糖や塩の流通を考えた理由は何なの?」


 兄がマイペース過ぎる……!

 まあいいや。確かに話が進まない。

 俺がそれを考えた理由はひとつ。高額だからだ。


 栽培法の見直しも必要だろう。サトウキビは意外にも寒さに強い。あとは代用品として甜菜がある。これは地球では寒い地方で栽培されていたな。それからメープルシュガー。お馴染みサトウカエデの樹液であるメープルシロップを固体状に濃縮した甘味料だ。サトウカエデがこの世界にあるのかは分からないが、探してみる価値はあるだろう。

 あとは運搬方法か。加工の過程も見直す必要ありそうだよな。


「ちょっと待って、リリー。いよいよ僕にはさっぱり分からなくなってきたよ。それは前世の知識なの?」

「うん」

「なるほど。リリーの頭の中にある知識は宝物みたいだね。父上に相談してみよう。今までのように、きっと色々調べて下さるよ」


 確かに、お父様なら真面目に耳を傾けて采配してくれるだろう。


「じゃあ父上のところへ行こう」


 頷こうとして、途端げんなりした。

 やっと辿り着いたガゼボまでの道程を、また同じ距離だけ歩いて戻るのか………。

 察したお兄様が、困ったように微笑んだ。


「さすがに来た道を歩いて戻れなんて言わないよ、リリー。おいで。僕が抱っこしてあげる」


 七歳になろうとしている兄だが、一歳児を抱いて広大な庭園を歩けるものなのか?

 不安が顔に出ていたのだろう。お兄様がふんすと鼻の穴を膨らませると、俺の可否を聞かずに抱き上げた。


「父上にはまだまだ敵わないけど、僕だってリリーを抱いて戻れるさ」


 おろおろと心配そうに後からついてくる使用人たちに見守られながら、兄は庭園を歩き出した。


 無事踏破したお兄様は、お父様の執務室に到達すると同時にソファーに倒れ込んだのだった。





お兄様だって頼られたい。父親は永遠のライバル。

そんなユーインお兄様は大変賢いお子様。

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