110.魔法師団演習場 3
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「一面真っ赤です、師団長……」
「ああ……これは炎の色じゃねえ。火属性の魔素の色だ」
轟々と燃え盛る炎の渦に、茫然と見入る師団長とディックだったが、お父様が一瞬で鎮火させたことでぱちくりと瞬き、夢から覚めたような陶然としただらしない顔をこちらに向けた。
「ユリシーズ! 次だ! 風属性の上級やれ!」
「言わずもがなではあるが、喧しい。指図するな」
先程まで新しい玩具を手に入れた少年のような、好奇心に満ちた顔をしていたのに、師団長から野次られた途端、再びすんと真顔になった。
「暴風よ、すべてを呑み込め。シルフ」
地響きを轟かせ、今の今まで炎が渦巻いていた場所に、突如として巨大竜巻が発生した。
まだまだ軽い体重ゆえか、吹き荒ぶ突風に煽られるも、しっかりと抱き止めてくれているお父様のおかげで転倒は避けられている。お父様にしがみつきながら、緑一色に染まる竜巻を見つめた。
ゴォ!と耳鳴りを覚えるほどの強風だ。全てを抉り、絡め取り、呑み込んでいく大気の渦。同じ位置から動かないのは、お父様がきちんとコントロールされているからに他ならない。
「風属性は緑か! いいぞ、次だ次!」
まるで師団長の指示に従って魔法行使しているようで心底面白くないと、お父様の深く刻まれた眉間の皺が静かな苛立ちを見せている。
師団長、そろそろ黙った方がいいと思うぞ。あとは地属性と雷属性が残っているからな。お父様十八番の雷撃が落とされるんじゃないか。
「―――――痴れ者共よ、地に平伏せ。ノーム」
「のわあああああああ!」
「なんで僕まで――っ!」
黄と橙の魔素が師団長とディックの足下へ集った瞬間、局地的な地震が引き起こされた。マグニチュード5辺りの、体感的には震度5強ほどの揺れだろうか。ぐらつく地面に立っていられなくなった師団長とディックが、それは見事に素っ転んだ。
地属性初級魔法の一つだが、直接当てない辺り、お父様の底意地の悪さが滲み出ている。
しこたま打った頭を抱え、転んだまま悶絶している師団長にニヤリとほくそ笑むお父様。素敵です。だから言わんこっちゃない。同じく後頭部をしこたま打ったらしいディックが、声にならない痛みを堪え蹲っている。
……うん。完全にとばっちりだな。南~無~。
「ほう。地属性は一色じゃないのだな。黄色に橙だったか?」
陛下。もう少し臣下を気に掛けてやってください。あなたの目の前で約二名がのた打ち回ってますけど。
「そのようですな。こうして識別できるようになると、普段使用する魔法の神秘と奥深さを再認識できて、大変興味深いです。少年だった頃の純粋な感動と好奇心が甦るようで、年甲斐もなく心踊らせております」
何かいい感じに語ってますけど、宰相閣下、あなたもですか。高度なスルースキルをお持ちのようで……。
あれ大丈夫かな。回復魔法かけるべき?
「さあ、リリー。次で最後だ」
「はい。お父様」
ディックはとばっちりだけど、師団長は自業自得ということで。さあ検証検証!
「雷光よ、敵を足止めせよ。ヴォルト」
初級雷撃がこちらに影響ない位置に落ちた。
閃光と雷鳴が響き、落雷のあと何事もなかったかのように白と青の魔素がふわりと離れて行った。
「雷属性は白と青か。地属性と雷属性だけ二色の魔素が応えるのか? 色に意味があるなら、なぜ地属性と雷属性のみ単色じゃない?」
興味津々に陛下が尋ねてくる。
う~ん。俺に答えられるかな、それ。ナーガが教えてくれるといいけど。俺も答え合わせしたいし、俺の見解は間違っているかもしれないしな。
恐らくだけど、これ、たぶん解釈によってはお父様もお母様も適性増やせると思うぞ。当たっていたら、それこそ大発見だな。上手く行けば、お父様は六属性、お母様は三属性に増えるはずだから、どちらにしろ前代未聞で唯一無二の適性数になる。
魔法師界の適性者が、軒並みグレードアップするかもしれない大事件に発展しそうだ。
「いや、まずは全属性の確認が先か。あと残すは水と光と闇、それから無属性だな。では私が光属性魔法を――」
「お待ち下さい、父上。僕に任せて頂けませんか」
「お前が?」
はい、とイルがキリッとした凛々しい表情で首肯した。
「公爵の四属性には劣りますが、僕も光と水、風の三属性持ちです。光と水を担当させてください。まだまだ足下にも及びませんが、僕だって公爵には負けていられません」
「はは! 最後のが本音か。お前も男ということだな。いいぞ。許可する」
「ありがとうございます」
イルが俺の隣へやって来て、見ててと耳に囁き手を繋いできた。
何だろう……浩介だった頃に身に覚えのある感覚というか……こう、むず痒い気持ちになる。背伸びしたくなるお年頃で、負けん気だけは一人前という、顔を覆ってしゃがみ込んでしまいたい衝動に駆られる。前世の恥ずかしい過去を見ているようで落ち着かない。
浩介が、三つ年上の兄にライバル心を燃やしていた感情が膨れ上がってきて、イルがお父様をすごく意識していることが手に取るようにわかってしまう。
たぶんお兄様もその対象になっているはず。どちらにしろ年齢差があるのだから、現在のイルがお父様やお兄様より劣ってしまうのは仕方のないことだ。いずれは追いつく。だから、急ぎ足で大人になろうとしなくていいのにな。
「不浄なるもの全てに光の滅びを。ウィル・オー・ウィスプ」
イルの詠唱に応えた大量の白い魔素が集い、天を衝く勢いで円筒状の暖色の光が顕現した。
「これって……!」
以前お母様が見せてくださった広域魔法じゃないか! しかも癒しに特化しているはずの光属性の、数少ない攻撃魔法のひとつで、もっとも難易度が高いとされる上級魔法! それをたった八つでマスターしたなんて、とんでもない才能じゃねえか!
「次。巨大な渦動となり敵を押し流せ。ウンディーネ」
厖大な青い魔素が集結し、唸るような地響きと共に巨大な水の竜巻が地面を抉った。
俺はもう、言葉もなかった。これもお母様が実演してくださった、水属性の上級魔法だ。お兄様でさえ風属性の上級魔法を取得できたのは九歳の頃で、お父様に至っては十二歳でマスターしたと仰っていた。それを上回る成長速度。本当に、イルは天才なのかもしれない。
お二人に劣っている? 馬鹿なことを!
俺があんぐりと呆ける横で、お父様が片眉を跳ね上げた。
「ほう……? なかなかにやりますね、殿下。では更に難易度を上げましょうか。あれを凍結させてください。水属性の変質です。詠唱はご存知ですね?」
「知っている」
「結構。水属性は、液体から固体へ変化する唯一の性質を持ちます。故に扱いが最も難しく、最も難解であるとされてきました。上級魔法までは何とか取得できる者も、変質までには至れない。それが七属性いち難しいと言われる所以です」
うん……? それって、水の三態のことだよな? 氷・水・水蒸気、つまり固体・液体・気体と姿を変える水の性質のことだ。物質三態は水だけで、水に関する謎は未だに解明しきれていない。
水を知るには、まず水分子の構造を知っていなければならない。液体になるにはこの水分子が大量に連なっている必要があり、簡単に言えば、プラスマイナスの磁石のように酸素と水素が正負で引き合い、水素結合されることによって水分子の集合体が作られ、これがたくさん連なって水になる。
沸騰させて発生する水蒸気、つまり気体は、熱を加えることで水分子が激しく動き回り、結合していた分子がバラバラになった状態を言う。水蒸気は目に見えないので、沸いたやかんから出る白い湯気は水蒸気ではない……と言うと、塾生や前世の妹なんかは「えっ?」ときょとんとしていたものだ。あれは水蒸気が外気で冷やされて液体に戻った状態であって、決して水蒸気そのものではない。
さて。水の三態の最後のひとつである固体・氷だが、液体や気体とは大きく異なり、極端に低い熱運動エネルギーから水分子は動かなくなり、互いに曲がった形で結合する。これが隙間を作る原因で、氷になると体積が増える理由だ。風化した岩石が割れる原因も、僅かな亀裂に染み込んだ水が凍結を繰り返すためだったりする。凍って体積を増やすことで、永い年月をかけて頑強な岩をも砕くのだ。
たかが水。されど水。小さな力でじわじわと壊し、集まれば大きな脅威となり、圧を加わえれば鉄や大理石だって切断できる。
水魔法を氷魔法に変質させるためには、この水の三態を理解しておく必要がある。……はずだ。
しまったな。お母様にどうイメージしているのか聞いておくべきだった。俺の場合はまず水の三態ありきのイメージだから、水属性持ちが氷魔法に至れない原因の究明にはならない。
オキュルシュスの店長、ベサニーに教えるのも苦労したんだよな。水分子の構造がどうのと説明したところで、余計ベサニーを混乱させるだけだった。元塾講師として、プライドをボッキボキにへし折られた瞬間だった。
「―――――永久の棺を。ウンディーネ」
イルの詠唱に、渦巻く青い魔素たちは何の反応も示さない。凍ることなく水の竜巻は渦を巻き続けている。
う~ん。これはどうイメージを伝えたものか……。
「ご安心を、シリル殿下! 水属性持ちの俺がレクチャーして差し上げましょう!」
復活!とばかりに師団長が不敵に笑った。
あっ、そうか! 師団長はお母様の魔法のお師匠だった!
「殿下。小難しく考える必要ないんですよ。ユリシーズがやいのやいの言うからなおさら難しく捉えがちですが、イメージは簡単です。水は動きますが、氷は動かない。これに尽きます」
いい笑顔でサムズアップする師団長に、お父様もイルも半眼を向けている。
「あ、信じていませんね? 俺はそれで使えますし、何より姫さんのお母上であるアラベラは、俺の教えで氷に変質させられるようになったんですよ?」
「人の妻を、貴様のような単細胞と一緒にするな」
「お前みたいに理詰めに説明したってわかるもんか」
「論理的であることは必要なことだ」
「固い! 頭が固いぞユリシーズ! 融通効かせろ!」
「貴様のように根無し草よろしく無責任な真似はしない。名ばかりの師団長が何を偉そうに」
「イメージ! 俺はイメージの話をしてるんですけど!? 何で今ディスった!?」
ああ、また始まった……。性格正反対だもんなぁ。不満を言い出したら止まらない止まらない。
「お母様は、静と動で発動イメージを固定しているのですね?」
無益な舌戦はここでぶった斬ろう。神眼付与の残り時間が勿体ない。
「そう! さっすが姫さん! 柔軟なところもアラベラに似てるんだな。ユリシーズに似なくて良かった良かった」
「貴様……」
もう~~~! いい加減にしてくれ! 師団長、余計なことは言わない! お父様もいちいち挑発に乗らない!
ギトリと睨めば、お父様と師団長がさっと視線を逸らした。見世物よろしく見物している陛下はニヤニヤと笑い、宰相閣下も肩を震わせ顔を背けた。おいコラ大人共! 真面目にやれ!
「ふぅ……。殿下。師団長が」
「リウ小父様!」
「ふふ。無駄口を挟む癖を矯正するには、氷魔法で口を凍らせればいいかしら。それとも水魔法に高火力魔法を合わせて水蒸気爆発を起こせば黙るかしら。あらでも、そうなると口どころか頭も吹き飛んでしまいますわね。無駄口がなくなっていいかもしれませんわ。さて――どちらがよろしいですか? 師団長」
さっと青ざめて口を覆い隠したのは師団長だけではなかった。この場にいる全員が同じ行動をしている。ははは。ちょっとしたジョークじゃないか。
「怒り方がえげつない……アラベラがここに居るようでコワイ……」
「お前を怒らせたらいけないと理解した……怒った時のベラにそっくりじゃないか……双子、終わったな……」
「学園に通っていた頃のアラベラを思い出すなぁ……ユリシーズが意図せず引き起こしたあの騒動以来の威圧感だ」
え。陛下、それちょっと詳しく! めちゃくちゃ気になるんですが!
以前お母様が仰っていた修羅場ってやつですか!?
「ええと、リリー? 今後君を怒らせないと誓うから、とりあえず緩めてもらえるかな?」
「はい?」
何のことだとイルを見ると、繋いだままだったイルの指をへし折らんかぎりの力で締め上げていたことに遅れて気づいた。慌てて緩め、ごめんと小声で謝った。
「ちょっと痛かったけど、大丈夫だよ。それより君の繊細な指が無事か心配だ。痛くない?」
「わたくしは平気です。本当にごめんなさい」
「いいよ。君が怪我してないならそれでいいんだ。それで、さっきは何を言いかけたの?」
あ、そうだった。師団長のせいで話の腰を折られたんだった。
「師団長が仰っていた静と動に関することです」
そう。言いたかったのはこれだ。
この世界に物質の三態変化の概念はない。そもそも化学が存在していないのだ。詠唱とイメージで元素を作り出せる世界に、物質の状態変化を化学的に証明する必要はない。化学の基礎である固体から液体へ変化する現象を〝融解〟、液体から固体へ変化する現象を〝凝固〟、液体から気体へ変化する現象を〝蒸発〟、気体から液体へ変化する現象を〝凝縮〟、固体から気体へ変化、もしくは気体から固体へ相転移する現象を〝昇華〟・〝凝華〟と呼ぶことも、この世界では不要な知識だ。前述したとおり、詠唱とイメージで成り立ってしまう世界に、概念を説いたって意味がないからだ。
しかし、師団長がお母様に伝授した静と動のイメージは、まさしく化学の考え方だった。
熱運動は化学から切っても切れない密接な関係にある。水分子の熱運動エネルギーで、水の三態は説明出来てしまうからだ。
水は動くもの。氷は動かないもの。徹底的に省いた説明をするなら、確かにこれで合っている。
師団長……侮れないな。
「化学の視点で言えば、水を動、氷を静と捉えるのは合っています。水はどんな形にもなり、留める器がなければ常に動くエネルギーを持っています。逆に氷は、そのエネルギーがかなり低い状態を指します。固まった氷は、器などなくともその場に留まりますよね? つまり〝静〟です。溶ければ流れてしまいますが、それは水に戻った状態なので、氷の〝静〟ではなく、水の〝動〟になります」
ベサニーに説いた時は、物質三態を詳細に語った。たぶんそれが駄目だったんだろうなぁ……イメージ優先の魔法に論理立ててどうする。
そもそも魔法は化学と真逆に位置する存在だろう。化学は手順さえ守れば誰にでも使用できるという利点があるが、魔法はまず魔力ありきで、才能に左右される。そういった意味では、魔力さえあれば誰でも使える疑似魔法は化学の性質に近いのだろう。
そしてこの魔力というものが、地球には存在しない架空の代物なのだ。論理立てて説いたって遠回りさせるだけじゃないか。
イメージしやすいよう少々手を加えたが、果たしてこれは余計なことだったか、足しになったか――。
「……なるほど。留められないのが水で、留められるのが氷か……。うん、何となく掴めたかもしれない。やってみる」
去年君が食べさせてくれたかき氷、ふわふわなのに小高い山を作っていたよね――そう言って微笑んだイルが、再び渦巻く水魔法へ向けて詠唱を口にした。