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102.思えば思わるる

ブクマ登録・評価・感想ありがとうございます。

 



 王妃様主催のお茶会から数日が経った。

 俺はまた、王宮にいる。

 いや、正確には初めて訪れる場所だ。

 目の前のソファには国王陛下。側に控える宰相閣下。そして、俺の隣に座るお父様。

 ここは外廷にある国王陛下の執務室だ。

 広い執務室は、飴色のマホガニー材で出来たプレジデントデスクと、同じマホガニーの書棚とキャビネット、ウォルナット材のコーヒーテーブル、本革のソファが数脚あるだけの、一切の無駄を省いたシンプルな部屋だった。

 陛下が腰掛けておられるのは、セミアリニンのフルハイドレザーの一人掛けソファで、ミディアムカラーのチェスターフィールドウィングバックだ。成牛革の背もたれには革釦、肘掛けには真鍮鋲が打たれた、シックでありながらゴージャスという、深みのある艶がとても美しい安楽椅子は、前世の浩介なら桁がひとつ少なくても絶対買わないだろうお値段に違いない。

 俺とお父様が座っているソファも同じもので、こちらは三人掛け仕様だ。恐ろしく座り心地が良い。総本革だぜ!? と浩介が叫びそうだな。しかしグレンヴィル公爵邸の応接間にも、同じハイグレードモデルのソファが鎮座しているので、我が家の資産はかなり潤沢なのだろう。領地にある本邸も同様なのだから然もありなん。

 本邸の敷地面積と棟数は王都邸館の数倍なので、あちらの方が使用人の数も格段に多い。正直未だに全員の顔を覚えられていない。

 だって、屋敷だけで八棟あるのだ。使用人も三百人を超えているのに、顔と名前すべてを把握するなんて無理無理無理無理。特に下級使用人(ロワー・サーヴァント)の女性は領地の平民を雇用しているので、若い女性だと嫁ぐ前の行儀見習いが多く、入れ替わりは結構頻繁に行われている。

 本邸の執事であるエリアルは、ランドリーやスカラリー担当のメイドにまで目が行き届いていると言うのだから、彼の衰え知らずな記憶力には脱帽である。凄まじい管理能力だ。なんて恐ろしい。


「午前中に突然呼び出してしまって申し訳なかったね、レインリリー嬢。予定があったのではないか?」


 つらつらと脈略のない思考を繰り広げていた俺は、陛下のお声掛けにはっと我に返った。


「いいえ、陛下。問題ございません」

「そうか、ならばよかった。本日来てもらったのは、トラヴィスの件についてだ」


 第二王子トラヴィス殿下の件ということは、寝台裏に仕掛けてあった魔法陣のことか。

 すっと目を眇めた俺に陛下が首肯する。


「そなたが救ってくれたトラヴィスの奇跡に関してだが、目撃したシリルやアレックス、そしてシリル専属の近衛騎士、トラヴィス専属の侍女や、先日解雇したメイドに箝口令を敷いた。本来ならば叙勲・褒章を授けるべきではあるのだが、それをしてしまうと創造魔法と聖属性魔法のことまで明かさねばならなくなる。だがそれは出来ない。故に、申し訳ないが大々的に祝うことは出来ぬ」

「承知しております。元より秘匿すべきものでお助けしたのです。ご配慮くださりありがとうございます」

「うむ。だがしかし、このままというわけにもいかん。まずは、国王として、父として感謝させてほしい。トラヴィスを救ってくれて、本当にありがとう」


 軽く頭を下げた陛下に狼狽した。一国の王が小娘に頭を下げるとか! 心臓に悪いから本気で止めて!

 おろおろとお父様と宰相を見れば、同じように首を横に振られた。甘んじて受けろということらしい。マジか!


「へ、陛下。臣下として当然のことをやったまで。わたくしに出来ることがあって良かったです」


 もうやだ~! いい加減頭上げてくれよぉぉぉ!


「レインリリー嬢のおかげで、私は息子を喪わずに済んだ。感謝してもしきれない。その想いを形として授けることが叶わないのは口惜しいが、そなたを守るためには公にするわけにもいかぬ」


 王妃様からも、先駆けてお礼の言葉を頂いている。抱きしめられた時はかなり動揺した。


「幸いトラヴィスの容態を知る者は限られていたゆえ、劇的な変化に違和感を覚える者はほとんどいなかったそうだ。トラヴィスへの面会を規制していた甲斐があったな」

「多少なりとも違和感を感じたのはトラヴィス殿下専属の近衛騎士でしたので、そちらも光属性魔法による治癒の効果だと納得させております。アミーリア元妃とソーク元侯爵家の件に関わることでもありますので、不用意な発言はせぬようにと、こちらも箝口令を敷いてあります」


 ロマンスグレーの宰相が追加情報を口にした。

 彼はボールドウィン・アドラム侯爵で、先代の国王時代から宰相を務めていると聞いた。


 トラヴィス殿下の護衛とは、あの日扉を警護していた二人の近衛騎士のことだろう。


「レインリリー嬢。何か欲しいものはないか?」

「欲しいもの、ですか?」

「うむ。褒章という形には出来ぬが、私個人から贈り物をしたい」

「ええと……」


 どうしよう。まったく思い浮かばない。だって欲しいものはすべてお父様が与えてくださっているのだ。今まで十分過ぎるほど好き勝手させてもらっているのに、これ以上何を望めと。

 でもここで何も要らないと言うのはなしだろうな、きっと。それじゃ陛下の気が済むはずがない。


 うー。

 あー。

 ほら、何かないか。

 出てこいっ。


 ………あ! 一つだけあった!


「あの、陛下。物ではないのですが、出過ぎた真似を御許し頂けるなら、発問の許可を頂戴したいのですけれど……」

「うん? 私に訊きたいこととな?」

「はい」

「ふむ。それは構わぬが」

「リリー?」


 お父様が怪訝な視線を送ってくる。叱責を受ける覚悟でこくりと頷いた。


「ありがとう存じます。では、僭越ながら申し上げます。第三王子、トバイアス殿下を先日のお茶会へご臨席させたのは、どのような意図があってのことなのでしょうか」

「! リリー!」

「ユリシーズ、よい」

「しかしっ」

「構わぬと言ったのは私だ」


 お父様の諌める視線が突き刺さる。

 分かっております、お父様。これは踏み込んではいけない領域だということは重々承知しております。でも、訊かずにはおれないのです。お茶会での、トバイアス殿下の感情が極限まで削げ落ちたような、あの生気の抜けた横顔が忘れられない。たった七歳の子供が浮かべていい表情ではなかったのだ。


「質問に答える前に、私からも質問を返させてほしい。姫は何故それを気にする?」

「トバイアス殿下は最愛の母君を亡くされました。経緯はどうであれ、トバイアス殿下にとってはそれが全てでしょう」

「……」

「実は、トラヴィス殿下をお救いする直前に、トバイアス殿下とお話しさせて頂く機会がございました。僅かな時間でしたが、その一時だけでも殿下が如何に母君をお慕いしておられたかが窺えました。その時のご表情と、お茶会にご臨席された際のご表情とがあまりにも違いすぎて、とても……危ういと感じました」

「なるほど。それで先の質問か」

「身の程を弁えない質問だと分かっております。ですが、どうしてもお茶会でのトバイアス殿下のお顔が気になってしまうのです。闇に沈むトバイアス殿下のお心を掬い上げてくださる方はいらっしゃるのでしょうか。あのような、深淵を覗いたようなお顔をされたままだなんて、あまりにもつら過ぎます。この世で一人きりなのだと絶望することは、より深い深淵を招き、取り返しのつかない闇を深めることになります。まだたった七歳であられますのに!」


 母親の愛情と温もりに包まれているべき年齢だ。彼の方が罪を重ねたのだとしても、トバイアス殿下にとってはそんなこと関係ない。アミーリア元妃は最愛の母親だった。彼にとって大事なのはその一点だ。

 お願いだから、潰れる前に誰か彼を救ってくれ……!


「ほんの一時言葉を交わしただけの王子に、そなたはそれほどまでに心を砕いてくれるのか。――いや、それゆえの神の使徒なのやもしれぬな」

「左様ですな。神に通ずる聖属性に相応しいご気性であられる」

「買い被りが過ぎます……」


 そんな崇高なものじゃない。ただ俺がつらいから、その元凶を取り除きたいだけだ。こんな利己的な感情など、慈悲や慈愛ですらない。


「――姫の質問に答えよう。トバイアスに列席を命じたのは、あやつの後ろ楯を得るためだ」

「後ろ楯……」


 それは、外戚だったソーク元侯爵家に代わる家ということか。


「第二位の継承権を返上しているトラヴィス同様、いずれトバイアスも臣下に下る道が決まっている。外戚は失ったが、王族の権利は残した。他の王子に比べれば忌避される身ではあろうが、姻戚を望む貴族も皆無ではない。あやつの心情を慮ってやる時間より、身の安全を優先した。これも親心あってのことだ」


 確かに、援助や補佐をしてくれる姻戚を早々に手にすることは、今のトバイアス殿下にとって急務なのだろう。守ってくれる後ろ楯がない王族におもねる者はほぼいない。無防備なまま過ごすのは大変危険だ。そう――理屈はわかる。


「……では、お心は、どなたがお救いくださるのでしょう」


 母親の代わりなど誰にもできない。偉大な愛に代われる者など存在しない。

 対になる存在であるなら、実父である国王陛下ご自身だろう。救えるとすれば、陛下しかいない。例え最愛の母親を奪った相手であっても、やはり血の繋がった肉親なのだ。怒りも憎しみも慟哭も、すべてを受け止めてあげられるのは陛下だけ。異母兄弟にも、赤の他人にも出来ない役目じゃないのか。


 不敬にもじっと陛下を見つめていると、思いの外優しい視線が返された。


「そなたは本当に、どこまでも心根の清らかな姫だな。なあ、ユリシーズ?」

「当然ですね」


 仏頂面で応えたお父様が、ふわりと頭を撫でてくれる。叱られるとばかり思っていた俺は驚きの表情そのままに隣のお父様を見上げた。


「本来は、お前に関わりのないことだ。それは分かるな?」

「はい……」

「それでも心を寄せるか」

「……」

「リリー。何を考えている? トバイアス殿下のお心を慮ってそう口にしただけではないだろう? 私にも言えないか?」


 きゅっと唇を噛んだ。真実彼のことだけを考えて言った言葉じゃない。それをお父様に見抜かれている。伊達に八年俺の父親をやってないってことかな。


「リリー。唇を噛むのは止めなさい。お前は昔から耐え難いことをそうして堪える癖がある。傷をつくってしまうのは駄目だ。堪えるくらいなら吐露してほしい」


 お父様が噛んだ俺の唇に指を這わせる。条件反射で食い込んだ歯を離せば、お父様が明らかにほっとした顔をなさった。噛んでいた下唇に傷がないことに安堵したのだろう。

 お父様。俺はあなたに深い愛情を向けてもらえるような娘じゃない。俺は清らかでも優しくもないのだ。もっと打算的で、身勝手極まりない、エゴの塊だ。

 きっと俺は――――。


「リリー?」


 促すようにお父様が頬を撫でる。


 俺は、――懺悔したいだけなんだ。


「わたくしが……トバイアス殿下のお心に、癒えない大きな傷を残してしまいました」

「姫。それは違うぞ」

「いいえ。……いいえ、陛下。結果的に止めを刺したのはわたくしです。トバイアス殿下に関してだけは、そうなのです。わたくしが、あの方のお心を死なせてしまった」


 目を逸らしたかった。おちゃらけて見ないようにしていた。でも日数を重ねれば重ねただけ、現実感を伴って俺を責め立てた。

 それが堪らなくつらいのだ。自分のせいだと、その結果を目の当たりにした、あの無感情に何も映さない瞳を見たとき、確かに俺は思い知ったんだ。ああ、俺は幼い少年の心を殺してしまったのだと。

 トラヴィス殿下の救ったお命と引き換えに、トバイアス殿下のお心を殺してしまった。褒章? そんなものを貰う資格なんて初めからないだろう? 一人の少年を生け贄にしておいて、褒美も何もない! 褒められるようなことなど何一つしていないのに!


「そうか……最近お前の様子が少しおかしいと思っていたが、原因はそれか」


 そう呟いて、お父様がぎゅっと抱き寄せた。温かく力強い腕に包まれ、俺の涙腺は壊れた蛇口のようにポロポロと止めどなく涙を溢れさせる。

 泣くな。泣く権利なんてないだろう。これは自己憐憫の涙だ。彼にはこうして包み込んでくれる腕もなく、愛情も、支えも、何もかも失ったと言うのに。奪った俺がお父様に甘えて泣くのか。慰めてもらうのか。そうじゃないだろう。


「――姫。レインリリー嬢。トバイアスの心を潰してしまったのはそなたではない。国王であり、父である私だ。結果を知っていて放置した私にこそ責任はある。その肩代わりまで姫が背負おうとはしないでほしい」


 お父様の慣れ親しんだ香りに包まれたまま、陛下のお言葉を聴く。髪や背を撫でる温かな手が心地よく、そんな自分に嫌悪感を抱きながらも、お父様の胸に縋ってしまう。


「姫。そなたがせずともいずれ私が手を下していた。遅かれ早かれ、アミーリアもソーク家も私が断頭台へ送っていただろう。それは決定事項だった。そなたにトバイアスの件で責任を感じさせてしまうのは不本意だ。どうかその責めを私に渡してくれないか。その痛みは姫のものではない。私が背負うべきものだ」

「陛、下……」

「ユリシーズの言ったように、本来ならばこの件に姫は関わりない。何の咎めもない。トバイアスのことも、姫に責任などないのだ。負うべきは私であり、母であったアミーリアだ。親の咎まで何故姫が背負おうとする?」

「でも、わたくしが」

「いいや、姫。姫に咎があると言うなら、父である私はトバイアスにどう詫びればいい? トバイアスからアミーリアを奪ったのは、そう決断した私だ。すでに証拠は揃っていた。あとは私が断罪するだけだった。王として私が背負うべき責任だ。そこに姫は関わりない」


 ああ、そうだ。俺が自己憐憫を吐露することで、結果的に陛下を責めてしまうのか。陛下の仰るとおり、王家のお家騒動に無関係の俺が、一国の王の決断を無自覚にも責め立てた。なんて……なんて浅はかで、自分勝手なことを口にしたのか、俺は……っ。


「気にせずとも良い」


 俺の苦い表情から察したのか、陛下が柔らかく目を細めてそう仰った。


「正しく理解してくれたのであれば、それで十分だ。もう、姫のせいだなどと責めはしないな?」

「も、申し訳、ありません」

「よいよい。こうして会うたびに姫の内面を知ることが出来て、私は嬉しい。王妃の我が儘に付き合ったがために、姫が傷ついてしまったことが気掛かりだったが、私の言葉を理解してくれたのだろう?」

「はい……」

「であれば問題ない。さて、褒章に代わるものがこれだけではいかんな。三年前のスタンピードと花瓶の件も加えて、何か欲しいものを考えておきなさい。公にできないことばかりで残念ではあるがな」


 ここは素直にこくりと首肯した。失態を犯したばかりだ。俺の浅薄さが無自覚にどう炸裂するか分からない今、褒美はいりませんなどと口が裂けても言えない。


「トバイアスは私も気をつけて見ているが、あやつのことは王妃に一任するつもりだ。側妃が産んだ王子も、国母たる王妃の子として管理してもらわねばならん。よいか、姫。今後トバイアスがどのように成長しようと、それは姫に関わりない。親である私と、育てる王妃の責任だ。くれぐれも自分のせいだなどと思ってくれるな」

「はい」


 なんと思い上がった分不相応なことを口にしたのだろう。図々しい。厚顔無恥にも程がある。本当に、ただの自己憐憫だった。お母様に叱られたばかりだと言うのに、まったく理解していなかったなんて。恥さらしもいいところだ。

 こうして情報を伝えてもらえるだけでも破格の待遇だ。こんなにも心を砕いて下さっているのに、俺は何てことを!


 御前を拝辞し、お父様に抱き上げられて執務室を後にした。

 羞恥に震えた俺は、お父様の首に抱きついて、顔を埋めていることしか出来なかった。




ありがとうございました。

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