100.恋蛍 -こいぼたる- 1
100話に到達しました。
いつもより少し短めですが、どうぞ!
最敬礼のカーテシーで出迎えたご婦人方や令嬢方が、予想外の人物を発見したとばかりにはっと瞠目して、息を飲んだ。これだけの大人数だと、一人一人の僅かな驚きでも細波のように広がるものだ。
酢を飲んだような面持ちを眺めながら、俺は内心で心底同意を示した。なぜこの場に俺がいるのか。俺こそが聞きたい。
婚約者と言えど、何故いち公爵令嬢でしかない小娘が王族方と共に現れ、第一王子にエスコートされながら登場するのかと、如実に物語る不快な表情を貼りつけている。
「皆様。本日はわたくし主催のお茶会へようこそお越しくださいました。薔薇園の花のように、色とりどりで美しく可憐なご令嬢方にお会いできて嬉しく思います」
慈愛に満ちた聖母のような微笑みを湛えて、王妃様が会場を見渡す。
「皆様もご存知のとおり、本日のお茶会は第三王子と第四王子の婚約者を選定する場でもあります。第二王子は先日まで臥せっておりましたので、当分は見送りとなりますわ」
思わず反応しそうになった。つい出てしまいそうになった溜め息を飲み込む。
敢えてイルを候補から外す意味を、ご婦人方は察したようだ。獲物を逃がすものかと言わんばかりのぎらりとした眼光がこちらに向けられた。
正妃候補の選定はないと言外に匂わせてはいるが、側妃候補の選定はしないと言われていない。ならばとばかりに食らいつくスッポンよろしくイルを変わらずターゲットに固定しているのだろう。順当にいけば王太子、後々国王になる男だ。まあ分からなくもない。
問題は、正妃は俺で決まっていると、王妃様が匂わせてしまったことだ。隣ではイルが上機嫌で微笑んでいる。もしかしなくても、俺はすでに包囲網という名の囲いを築かれてしまっているんじゃないのか?
悪寒のようなものを感じてぶるりと震えた。
最終的な決定権は俺にあっても、状況がそれを許さないなんて事態になったり……しない、よな?
ちらりとイルを見れば、目が潰れるほど目映い笑みを返された。
(嫌な予感しかしない……っっ)
陛下に与えられている権利そのものが、頼りない不確かなものに成り下がってしまったような錯覚を覚えた。
め、眩暈がする……!
人数の多さから席を廃し、五歳のお披露目の時のように立食形式にしたお茶会は、俺に多大な不安を放り投げて始まった。
王妃様のご指示通り、俺はイルと、合流したイクスを交えてご婦人やご令嬢方の挨拶を受けていた。
かなりの数のご令嬢に睨まれたが、すべて甘受すべく凪いだ心持ちで目礼を返した。何度か去り際に「あなたなんかより、わたくしの方が何倍も殿下に相応しいのよ!」と小声で威嚇されたが、お嬢さん、地獄耳のイルにしっかり聴かれているよ。おぞましい笑みを貼りつけたまま、ぐりんと振り返ったイルの脇腹をこっそり肘で小突いて、ご令嬢へにこやかな笑みを返したのは一度や二度じゃない。
張り合うなんて概念がそもそも俺の中には存在していないが、ご令嬢の意識は俺に向けておくに限る。イルが全面的に不機嫌丸出しで対応するのは絶対に駄目だ。
寵を競い合うなど、可愛いらしい話ではないか。基本女性贔屓な浩介の影響をひしひしと感じながら、微笑ましい気持ちで睨むご令嬢方を眺めていた。
まあ、俺のそんな態度に余裕綽々だと感じ取ったのか、更に憤らせてしまう結果になったのは頂けない。
いや、馬鹿にしてないぞ? 可愛らしいと思っただけだ。どう宥めたものかね……。
「お前が女で、殿下の婚約者である限りは無理だな」
俺の様子を観察していたイクスが、そんなドンピシャなことを言う。何も言っていないだろうが。観察するな。
「お前が男だったら、この場の関心も視線も一人占めだったろう。お前のそれは一種の害毒だ」
「まあ……そこまで仰いますか」
「手当たり次第人心を乱す行為は害毒だろう」
「人を何だとお思いですか」
「人たらしだろ?」
「………」
何度も言わせるなとばかりに器用に片眉を上げる。
よぉし。その喧嘩買ってやろうじゃねえか!
「駄目だよ、リリー。君が見つめるのは僕だけにして。僕以外の関心なんて集めちゃダメ」
「いや、それ無理でしょう」
「ふふっ。兄上はレインリリー嬢にぞっこんなんですね。こんなに熱烈なのに、レインリリー嬢はあっさりしてて面白い」
楽し気に笑っているのは、第二王子のトラヴィス殿下だ。今回は免除ということで、彼は王妃様から妃選びをする必要なしと宣言されたイルと行動を共にしていた。
「ラビ」
「ふふ、ごめん」
じとりとした目で愛称呼びされたトラヴィス殿下は、謝罪を口にしつつも口角が上がっている。
「両殿下、アレックス様。わたくしたちともお話ししてくださいませ」
花笑みを浮かべた少女が二人、華やかなドレスの裾をひらりと翻らせ、可愛らしくカーテシーを行った。
ええと、彼女たちは確か――。
「先程ご挨拶申し上げました、六公爵家のひとつ、リックウッド家のタバサと申します。以後お見知り置きくださいませ」
「同じくリックウッド家リリアンです。今一度お目にかかれて光栄ですわ」
そうそう、リックウッド家のご令嬢方だった。
いや――うん、君たちの狙いがイルだということはわかった。もう視線がロックオン!て感じだからね。チラチラとイクスやトラヴィス殿下にも秋波を送っているあたり、面食いだということも理解した。でもな、お嬢さん方。この際俺をガン無視したのは構わないが、王妃様から見合い免除を言い渡されている両殿下に、『以後お見知り置きを』はまずい。イルやトラヴィス殿下に目礼するのは礼儀だが、王族に許しもなく話しかけたこともまずい。
六公爵家と言えど臣下。それにイクスは、同格の公爵家でも嫡子だ。令嬢から話しかけてはならないとしっかり淑女教育を受けているはずだろうに、何故この場で醜態を晒す? リックウッド家の評価を下げる行為だぞ。ああほら、向こうで母君が青い顔して固まっているじゃないか。どうすんだ、これ。
仕方ない。同列の俺が憎まれ役を買って出るか。
「タバサ様、リリアン様。レインリリー・グレンヴィルと申します。お二人にお会いするのは五歳のお披露目以来で失礼かとは存じますが、お三方に少々無礼が過ぎますので、口出しをさせて頂きますわね」
「はあ?」
「無礼ですって!?」
「出自が六公爵家であろうと、いち令嬢が殿下方や公爵家継嗣へ許しもなくお声がけすることは不敬であるとされております。殿方からお声がけ頂けるまでお待ちするのが礼儀。わたくしが気づいただけでも他に四つご指摘できますが、ご説明は必要ですか?」
「何よ! 偉そうに! あなたが殿下の婚約者に選ばれたのは、百年娘が生まれなかっただけって話じゃない!」
「そうよ! あなたが特別なわけじゃないわ! アレックス様とも婚約してるような尻軽女のくせに!」
背後でイルとイクスの殺気が半端ない。落ち着けよ、お前ら。
ああでもそうか、当然そういう見解もあるんだよな。確かに傍から見たら尻軽女か。俺が尻軽女。やばい、笑うな俺。ここで吹き出したら火に油だぞ。でも尻軽女って。ここまでしっくりこない別称もあったもんじゃない。俺たち男同士の大親友なんだぜ!と言っても余計怒らせるだけだな。
「そのような口さがない物言いをなさらないで。せっかく愛らしい唇をしておいでなのに、勿体ないですわ」
「なっ、なによっ」
「愛らしい唇、ですって……!?」
僅かに動揺した二人に、ええ、とにっこり微笑む。
「花笑むお二人はとても可憐で愛らしく、わたくし思わず見惚れてしまいましたのよ? まるで花の妖精が舞い降りたようで、手折られてしまわれぬようお守りしなくてはと強くそう思いましたの」
「は、花の妖精」
「た、たお、手折られ」
「ですから、このような場で一時の過ちからお二人が過小評価されてしまうのは心苦しいのです。本来のあなた方は、きっと立派な淑女であるはずなのですから。そうでしょう?」
タバサ嬢とリリアン嬢が、面映げにぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「え、ええ! そのとおりですわ」
「ええそうですっ。わ、わたくし達、少し気ばかりが急いて、マナーを弁えておりませんでしたわ」
「大丈夫ですわ。少し間違いをされてしまいましたが、殿下方はお心も広く寛大な方々です。ただ一度の失敗でお二人の人為を判断したりはなさらないでしょう。少なくともわたくしは、愛らしいお二人のことをもっと教えて頂きたいと思いましたわ」
「ま、まあ! わたくしたちのことを、そのように……?」
「ええ、勿論。タバサ様やリリアン様のような花も恥じらう女性を、わたしくは他に存じ上げません。鈴を転がすようなそのお声も囀ずる小鳥のようで耳に心地好く、いつまでもお喋りに興じたいと、不躾ながらそう思ってしまいます」
「まあ……恥ずかしいわ。でも嬉しい」
「あの、ごめんなさい。本当に失礼な物言いを致しました」
「構いませんわ。わたくしの言い方がお二人を傷つけてしまったのだと思います。配慮が足らず、こちらこそ申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げると、タバサ嬢とリリアン嬢が慌てて顔をお上げになって!と言ってくれた。
「ではお互い様ということで、これ以上の謝罪はなし、ですね」
ふふ、と笑えば、二人もたおやかに笑った。
うん、やっぱり女の子は笑顔が一番愛らしいね。あんな刺々しい言葉や表情は似合わない。
「また誑かしやがった」
「リリーは僕にいろいろ言うけど、リリーこそ自重すべきじゃないかなぁ」
「すごい……」
外野が喧しい。
女の子はやっぱりいいなぁ。可愛いし繊細だしいい匂いがするし。お母様、あと一人産んでくださらないだろうか。双子の弟はもちろん天使でこの上なく愛くるしい存在だが、妹はまた格別なのだ。ああ、妹が恋しい。骨の髄まで構い倒したい!
そんなことをつらつらと考えていたからだろうか。
タバサ嬢の下唇を無遠慮に親指の腹で撫でてしまった。
「魅惑の赤より、芳しい桃色が似合うのにな……」
たった八歳で赤いルージュを引くよりは、淡く艶やかな桃色がいい。瑞々しい果実のようで好ましく、きっと極上の甘さだろう。
目を見開き、真っ赤に頬を染めたタバサ嬢がへなへなと座り込んだ。
「本っっっ当にお前は」
「だだ漏れだねぇ……」
「うわぁ……」
――ああ、うん。周囲の反応からして、俺はまたやらかしたってことらしい。
活動報告でもご報告致しましたが、諸事情によりしばらく執筆活動を自粛致します。
ここまで読んでくださった皆様、応援して頂きありがとうございました。
今回の100話を最後に、一月から数ヶ月は更新を見送らせてください(;>_<;)
必ず戻って参りますので、それまでお待ちくださると嬉しいです。
都市部を中心にコロナ感染者が爆発的に増えているので、皆様もどうかお気をつけて!
ではまた、お会いできる日までご健勝であられますように!