99.アミーリア妃
【前回までのあらすじ】
六公爵家の一角、グレンヴィル公爵家に百年ぶりに誕生したレインリリーは、四年前から昏睡状態にある第二王子のトラヴィス殿下を救い、陰謀を暴いた。
王妃様主催のお茶会を目前に控えた大捕物。最悪の結果は回避できたが……。
お茶会を四日後に控えた晴天の日に、ソーク侯爵家とアミーリア妃は処刑された。
ソーク侯爵家は斬首、アミーリア妃は王子の生母という立場から、ソーク家でただひとり、名誉ある賜死を受けることを赦された。所謂薬殺刑だが、高貴な身分の者には身体を傷つけない名誉な死であるとされている。陛下より賜った毒薬を煽り、六時間吐血を繰り返し、のたうち回りながら何度も何度も喉を引っ掻き、継続的な苦しみから解放してほしいと、殺してくれと懇願しながら息絶えた、らしい。
これが本当に名誉ある死なのか。一瞬の痛みで絶命できる斬首の方が、ずっと安らかに逝けたのではないのか。
賜死より重刑にあたる斬首は一瞬で終わるのに、名誉あるとされる賜死の方がよほど残酷ではないか。
アミーリア妃のやったことを考えれば当然の結果なのかもしれない。でも、あまりにも悲惨な最期に同情の念を抱かずにはいられない。何より、実母がそんな壮絶な死を迎えたと知ったトバイアス殿下の悲しみは、どれほどに深く、そして暗く根付いてしまっていることだろうか。
このままでは彼が将来どのような心根で育つかわからない。抉られた傷が癒えることなく膿んで腐り、いつか復讐者として王家に、跡継ぎであるイルにその鋭く研がれた刃が向けられるのかもしれない。
その危険性を、陛下はどう対処するつもりなのだろう。
トバイアス殿下の心の傷を、誰が寄り添い癒してやれるのだろう。
どうか、逆恨みという形で歪められた心のまま大人にならないでほしい。それは酷くつらくて、悲しい道でしかない。誰も救われず、トバイアス殿下ご自身も救われない。そんな未来は辛すぎる。
加担した者たちの刑も順次執行されていると聞く。当然メイド長も。母親を人質に強要されていたメイドのコゼットだが、彼女の罪は情状酌量の余地があるというお目こぼしで、職を失うだけで済んだ。
直後にコゼット母娘を拾い上げたのが俺なのだが、その経緯はまたいずれ語ろうと思う。
一つだけ残っている謎がある。ソーク侯爵家の命令でアミーリア妃が動いていたとはっきり記された、あの書状だ。
何故証拠となる指示書を後生大事に取っておいたのか。読んですぐに焼却していれば、知らぬ存ぜぬで言い逃れは出来ただろう。危険を犯してまで、まるで宝物でもしまうかのように大切に保管されていた。それは何故か。
それを知る者は一人もいない。アミーリア妃もついぞ語ることなく亡くなった。
恐らく、真相を知ってしまったのは俺一人だろう。
疑問に思った瞬間、魔素が過去に見聞きしたことを教えてくれたのだ。
いや、あれは見せられた、と言うべきだろう。かつて行われたこと、交わされた言葉を、映画やドラマを観ているが如く映像として覗き見してしまったのだ。
アミーリア妃は、実兄である嫡男、ライナス・ソークと幼少期より恋仲だった、らしい。バンフィールド王国では、特例を除いて兄妹婚は認められていない。子供たちの関係を知った侯爵は、これ以上の過ちを回避するため直ぐ様アミーリア妃を分家へ預けた。
王家に嫁いでいる以上、乙女のままか否かを調べる身体検査はパスしているということになる。愛し合ってはいたが、さすがに一線は越えていなかったようだ。
侯爵の野望から望まぬ側妃となったアミーリア妃は、定期的に届けられる最愛の兄、ライナスからの手紙を心の拠り所としていた。ライナスにも婚約者がいたが、何かと理由をつけて婚姻を引き延ばしてきた。不幸中の幸いと言っていいものか迷うが、その婚約者と家は婚姻を結んでいないこともあり、まったく無関係であると証明されて今回の粛正から逃れている。
侯爵は欲深い人物で、アミーリア妃が王子を産んだことで更に欲をかいた。孫である第三王子のトバイアス殿下を次代の王に据えるべく、まず王位継承権第二位の第二王子・トラヴィス殿下を亡き者とし、次いで一番邪魔なイルを始末するつもりだったそうだ。
トバイアス殿下が王となれば王家から籍を抜き、愛しいライナスと結婚していいと侯爵に言われ、アミーリア妃はそれを信じた。ライナスはさすがに侯爵の思惑に気づいていたが、兄妹婚を認可するのは国王だと知ってもいた。だからなのか、甥が王になればもしかすると、と淡い夢を抱いてしまった。
そのような経緯で、アミーリア妃とライナスは蜘蛛の糸より細く不確かで、不鮮明な賭けに加担してしまったのだった。
ある意味純愛を貫いた兄妹だったが、弑逆を企てて、もしくは加担して、その先に得られる幸せがあると本当に信じていたのだろうか。
ただ互いを愛しただけなのに。法律と常識と偏見に裂かれた兄妹は、上位貴族という枷も手伝ってその歯車を狂わせることとなった。
愛を貫くべきだったのか、諦めるべきだったのかは分からない。それはきっと、二人にも分からなかったことだろう。王家に輿入れする前に手を取り合って逃亡した方が、よほど建設的で幸せになれたのではないかと思ったが、当たり前に使用人に世話をされていた二人が、平民としてひっそりと生きていけたとはどうしても思えない。まず無理だろう。
貴族が純愛を貫くことは困難だ。ましてや血の繋がった実の兄妹であれば尚の事。
残る証拠として危険を犯してまで処分しなかった文の謎は、こうして俺だけが心に仕舞っておこうと思う。彼等の想いと一緒に、誰に知られることなく、永遠に。
アミーリア妃が大切にしていた書状は、恋文とはとても言えない、簡素な文章ばかりだった。愛を告げる言葉などどこにもない。記されていた情が窺える部分も、兄として妹を気遣う、そんな当たり障りのないものだった。それでも、愛する者が自分に宛てた文だ。愛する者の見慣れた筆跡だ。アミーリア妃にとって、宝物にしない理由など微塵もなかった。
トラヴィス殿下にしたことは赦されるべきことじゃない。それでも、ただ愛し合っただけの兄妹の末路があまりにも哀しくて、憐憫の念を禁じ得ない。
俺は心に重く伸し掛かった遣る瀬なさを噛み締め、お母様と二人、王宮に用意された控えの間でただ静かにその時を待っていた。
本日は王妃様主催のお茶会当日だ。開始予定よりずいぶん早い時間を指定され、こうしてお呼びがかかるのを待っている。たぶん、以前お話しされたイルとイクスの側を離れるなという忠告の、最終確認か何かだとは思うのだが、控えの間に通されてかれこれ四十分は経過している。何かトラブルでも発生したか? そんなことをちらと考えていたところ、扉をノックする軽い音が響いた。
控えていた王宮の侍女が対応し、シリル殿下がお越しになりましたと告げに来る。
「大変長らくお待たせしてしまい申し訳ない、グレンヴィル公爵夫人」
「お心遣い、ありがとうございます。娘と二人きり、母娘水入らずで過ごせましたので、楽しい一時でしたわ」
「そう言って頂けると肩の荷が下ります。リリーもごめんね」
「構いません。何かございましたか」
「いや、ちょっと準備に手間取っただけで、何も問題はないよ」
「準備?」
「僕の準備じゃなくて、あいつのね。紹介したい者がいるんだ。リリーには改めて、って形になるけど」
それだけで合点がいった。そうか、元気になったんだな!
イルに促されて入室したのは、予想通り死の淵に片足どころか両足突っ込んでいた第二王子のトラヴィス殿下だった。
ゆるく波打つプラチナブロンドにスフェーンの瞳をした、イルにそっくりな少年。背丈も同じで、一卵性双生児だと言われても違和感ないほどにはそっくりな見た目をしていた。
異母兄弟でここまで瓜二つなのも珍しい。唯一の違いを挙げるならば、背中に流した、一つに括られた長髪だろうか。
長髪……。えっ。あれだよね、急激に成長した影響で伸びたやつだよね? え、何で切ってないの? まさか切る時間がなかった、とか? 起きられるようになったのついさっきとかないよな!?
トラヴィス殿下は一度お母様に目礼してから、俺に向き合ってにこりと微笑んだ。
「初めまして。第二王子のトラヴィス・バンフィールドです。貴女がぼくを救ってくれた、レインリリー・グレンヴィル公爵令嬢だね?」
驚いた。声までそっくりかよ。将来はイルの影武者やれるんじゃないの。
ああいや、呆けている場合じゃなかった。お母様の目もあるので、俺は完璧だと思えるカーテシーで挨拶に応じた。
「御目文字叶って光栄に存じます。レインリリー・グレンヴィルと申します。お体の変化に戸惑われたとお察し致しますが、お元気になられたご様子で安堵致しました」
「うん。まさか四年も眠っていたなんて思わなくて、自分が八歳になったと言われて戸惑ったよ。鏡に映る自分の姿に未だに慣れなくて」
苦笑いを浮かべるも、でも、と言葉を続けた。
「貴女のおかげで命拾いしたのだと兄上に聞いた。最初は上手く動かせなかった手足を使って、元気な姿で貴女に会いに行きたかったんだ。ありがとう、レインリリー嬢。貴女が繋いでくれたこの命を、これからも大切にしていくよ」
「勿体無きお言葉」
それから他愛もない話を交えながら、色んなことを話した。俺の知らない四歳までのイルの話や、トラヴィス殿下から奪われた四年という歳月に起こった様々なことを話し、弾んだ会話のおかげであっという間にお茶会の開始時刻となった。
そして、お母様と共に会場へ向かうはずの俺は、何故か王妃様や側妃方、イル、トラヴィス殿下、トバイアス殿下、第四王子殿下と共に薔薇園へと繋がる大扉の前にいる。そう、王族がお出座しになる際使用される大扉の内側だ。
王族ではない俺が、何故か、イルのエスコートを受けながら、さも当たり前の如く王族と共に会場入りすることになったのだ。
(意味がわからん……っっ!)
「リリー。遅くなったけど、そのドレスとても似合ってる。今日も美しいよ」
「あ、ありがとうございます……」
今日のためにお母様がムッシュ……もといマダムとデザインして仕上げたドレスは、ベビーブルーのジョーゼット・クレープで何層にも重ねてある。右手首には、三年前の魂振祭でイルから贈られた、二連のピンクゴールドのブレスレットをつけている。小さな青い石が三つと、極小の淡い緑色の石が九つ数珠繋ぎになっているブレスレットだ。
ネックレスとイヤリングもそれぞれ去年、一昨年と同じく魂振祭にイルから贈られたものをつけている。三年連続でお兄様がお怒りになったのは何故なのか。
ブレスレットの明るいリーフグリーンと同じ宝石で、イルの瞳の色にとてもよく似ていた。お母様と侍女たちのセレクトなので、アクセサリーにはまったく興味のない俺としては、これじゃなきゃいけない理由も、逆にこれじゃ駄目な理由もない。
俺の装いを見た王妃様がやけにご機嫌に微笑んでいたが、似合っているということで解釈は間違っていないのかどうなのか不明だ。
いやそれよりも。
「殿下。何故わたくしはこの場にいるのでしょうか。分不相応過ぎて逃げ出したいのですけれど」
「君は僕の唯一の婚約者だからね。それをはっきりと対外的に示すいい機会なんだよ。だから逃げちゃダメ」
「仮のはずですが」
あくまで〝仮〟のはずだ。こんなことをしたら、正式な婚約者だと明言するようなものじゃないか!
「今はね」
「これからもでしょう?」
「僕はそんなつもりはないよ?」
言ったよね、と重ねた手に口づけを落とす。
「僕はリリーを諦めないって。手加減や遠慮なんて一切しないから、覚悟してねって言ったよ?」
チリッとした鈍い痛みが手の甲に走った。覚えのある感触にちらりと視線を落とせば、案の定イルが口づけた場所がうっすら赤くなっている。
(こいつ………)
浩介もさんざ咲かせた紅い花だ。何のつもりだと問う必要もない。まったく、これでまだ八歳だというのだから末恐ろしい。
先程まではなかった剥き出しの独占欲の痕を見て、お母様がどんな反応をなさることやら。実母や異母弟たちの前で、臆面もなくイルもよくやったな。親兄弟の前で女性を口説くなんて真似、浩介には出来そうにない。日本男子ならばほぼ出来ないだろう。奥ゆかしい民族性ってやつか。
これはいよいよ貞操の危機か? そんな馬鹿な。何度も言うが、八歳だぞ? ないないないない。
抗議を込めてペチッとイルの額をはたいた。くすくすと鈴を転がすような王妃様の笑声が聴こえて、途端に恥ずかしくなる。まったく、場を弁えないイルのせいだからな!
視界の端に第三王子のトバイアス殿下を認めて、急速に熱は引いていった。
母親と外戚を処刑されたばかりの彼も、陛下のご命令で見合いの場となるお茶会に出席するらしい。生気のない表情で立つトバイアス殿下の胸中は、表情だけでは推し量れない。
たった七歳で肉親を失った息子に、陛下はどんな思惑を持ってお茶会に参加させたのだろう。
このままにしていてはいけないと、無表情のまま視線すら動かさないトバイアス殿下に焦燥感にも似た強烈な痛みを感じた。
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