「私」の為の未来計画 ~異世界に生まれ変わって友人を救いに行く~
十年前。世界に突然、魔物が現れた。
魔物は人々を食らい、傷つけた。人々は怯え、それでも立ち向かおうとしていた。
そんな人々を、女神ファシュファーカ様は憐れみ、コーファルカの王に一つの杖を授けた。
今日。その杖によってひとりの聖女が召喚された。
人々は喜び、聖女を歓迎した。
今宵、聖女は王宮にて夜を明かす。
月明かりが照らす中、ふかふかの天蓋付きのベッドの上で聖女は丸くなっていた。
真っ黒な長い髪は彼女の周りに取り巻き、アーモンドの形をした同じ黒い瞳の目は開かれていた。
寝ようにも寝れなくて、聖女は何度目かのため息を吐いた。
その時。
コンコン、と控えめにドアが叩かれた。
ぴくり、と聖女の体が震える。
「失礼します。入ってもよろしいですか?」
聞き覚えのある鈴のような声に、ほっと聖女は胸をなでおろす。
「……大丈夫だ」
がちゃり、とドアを開けて入ってきたのは、一人の侍女だった。
後ろでまとめられた濃い藍色の髪に、すこしつりあがった銀色の瞳の目。
顔立ちは、聖女によく似ている。
昼に聖女付きの侍女として紹介されたうちの一人だ。
他の誰よりも印象に強く残っていた。
確か、名前をティルメリアといったか。
「美樹様」
誰よりも正しい発音で、その侍女は聖女の名前を呼ぶ。
「元の世界に、お帰りになってください」
桃色の唇が、結んだ。
#
私、代下絵里にとって、上郊美樹は未来の全てだった。
真っ黒で、癖のない長い髪。少し釣り目で、ちょっとキツメの印象。
学年でずば抜けて頭がよく、いつも分厚い本を読んでいる。
あまり喋らないから、孤島の天才だなんて呼ばれて敬遠されがちだけど。
目を細めて笑った姿は無邪気で、幼い子供のようだということを私は知っている。
「絵里、ちょっと寄り道でもしないか? 簗谷駅に新しくカフェが出来たんだ」
話し方はガサツで、男っぽい。
「へー! 行く行く!」
嗚呼。貴方との日々はまだまだ続くと思っていたのに。
「美樹。パンケーキはあると思う?」
「ははは、あったらいいね。生クリームがたっぷりだと更に嬉しい」
いつもと変わらない日常。
美紀の笑顔につられて、へら、と私も笑う。
「甘いもの大好きだものね、美樹は」
アスファルトで舗装された道を、二人で歩く。私達は、同じ制服を着て同じカバンを肩にかけているのに、全く違った。これが生まれ持った性質の差なのだ。私はそう思いながら、美樹の横顔から下へ視線を落として。
「美、樹……?」
美樹の足元で、何かが光っていた。美紀の歩くペースに合わせて、その何かもゆっくりと移動している。じわじわとそれのサイズは、光は大きくなる。
「絵里?」
美樹がその場で動けないでいる私を見て、訝しげに立ち止まって。
瞬間。
それは今までとは桁違いのペースで、広がって。輝いて。
「な、んだこれは!」
その何かは、アニメとかで見る魔法陣によく似ていて。
それから出る光の粒が、美樹の体にまとわりついて。
嗚呼。これは連れていく気なんだ。
「絵里っ」
私に向かって必死に伸ばされた美樹の手を、腕ごと抱え込む。
連れて行っては駄目。美樹を連れて行っては。
「絵里! 絵」
温かくて柔らかい感覚が消える。胸と腕の間から、光の粒となって消える。
「美、樹?」
嗚呼。連れて行っては。
「ぁ、あ、ああ」
ある日、美樹は一冊のノートを持ってきた。
タイトルは、「未来計画」。
あの時から、貴方は私の未来の全てだった。
貴方のいない未来なんて。
私の中には、ない。
「……ぉぃ」
アパートの狭い一室。その隅にある小さくて古びたベッドで、私は丸くなっていた。
両足の裏にはたくさんの豆が出来、つぶれ、血が出ている。
髪の毛はぼさぼさで、制服には土と汗の染み。
あれから、1か月がたった。
何度も何度も探し歩いたけど、美樹は見つからなかった。
美樹はきっと、この世界の何処にもいない。
でも。
「おいっ」
聞き覚えのない男の声に私ははっとなり、身を起こして辺りを見回す。
そこには、何もなかった。
本当に何もなかった。私を除いて。
そこはいつの間にか、只の真っ白な空間になっていた。
「気が付いたか」
私の後ろからもう一度、男の声がして、振り向く。
ヴィンという変な音とともに、ホログラムのように男が現れた。
男は、銀色の髪に灰色の目をしていた。顔はイギリス風で美醜はよく分からないけれど、彼から感じる気配は、この男は美しいのだと確信させた。
「まずは、一言いう。すまない」
男は、表情を一切変えず呟いた。
「俺の名前は、ティンズベル。この世界の管理者だ。いわば、神ともいう」
いきなり、宗教戦争でも起きそうなことを男は言う。
私は、ただただぼんやりと男を見ていた。
「管理者は決して世界に干渉してはいけない。規則でそう決められているのに、自分の世界を憐れんだ女神はそれを破った」
男は淡々と喋り続ける。
「その世界では、魔物が発生し始めていた。そこに女神は介入し、杖をその世界のとある王に渡した」
どう考えたって私には関係のない話なのに、嫌な予感がする。
私の鼓膜が、彼の言葉を聞き流さない。
「杖の名前は、『呼鐘』。異世界から人を呼び寄せるものだ」
ねぇ、私には関係ないって言ってよ。
この話は、美紀には、関係ないってさ。
「上は事態を重く見て、すぐに女神を追放した。世界から杖を回収しようとしたが、間に合わなかった」
「待って。あの子は、美樹は」
「ああ。それによって、呼び出されたのがお前の親友、上郊美樹」
嗚呼。
「彼女の損失は、この世界の発展を止め、このまま衰退させることになる」
美樹。貴方はやっぱり。私と違って。
「お前には、彼女をこの世界に取り戻して来てほしい」
男はじっとこちらを見ていた。彼の瞳に、私が歪んで映っている。
私は震える声で、歌うように呟く。
「美樹は、その世界で幸せなの?」
「幸せじゃない」
男はまた淡々と言う。
「上郊美樹は呼び出された後、界渡りとしての強大な力でもって、魔物の討伐を手伝う。そうすれば、元の世界に戻すと言われたからだ」
知りたくない事実を。
「だが、魔物からの危機が去った後、王は隣の国との戦争を手伝えと彼女にいった。約束が違うと抵抗する彼女に、魔法をかけた。服従の魔法だ」
「……」
「彼女は国の兵器として、人々を数えきれない位、殺した。戦っていくうちに、彼女は強くなり、やがて魔法も解けた」
通りすがりに見つけた、カブトムシの死骸。
美樹は悲しそうに笑って、お墓を作った。野花の綺麗な場所だ。
「自分の手についた血の染みに、罪に彼女は絶望した。そして彼女は、魔王としてその世界と自分を滅ぼす。彼女を呼ばなくても、利用しなくても、人々は自らの力によって、魔物の危機は乗り越えられたのに」
なんて、残酷なんだ。その、他人にやらせようとする傲慢さは。
そして、この男も、残酷。
「お前には、彼女をこの世界に取り戻して来てほしい」
断れないと分かって、他人にやらせようとしているから。
#
私はあの男の手によって、16年前、ティルメリアとしてこの世界に生を受けた。
それからずっと、美樹の為に生きてきた。
16年後、ちゃんと美樹の傍に行けるように、王宮付きの侍女になろうと計画した。
美樹を救うために、私は美樹を演じる。
頭が良くて、無邪気で、ガサツなしゃべり方。
救世主は、彼女の姿をしているから。
幸い容姿は、彼女そっくりだった。
「美樹様」
私は言葉を紡ぐ。
「元の世界に、お帰りになってください」
右手を前に伸ばす。
イメージしろ。
業は炎に。
魔力は水に。
魂は風に。
肉体は土に。
魔導方程式を解いていく。
魔導要素を、自らの魔力によってつなげていく。
光よ導け。
全ては、闇に還る。
貴方も帰って。元の世界に。
「魔導方程式、完成。『帰還魔法』、発動ッ」
貴方がいなくなってから、小母さんと小父さんは目の下に隈が出来、やせてしまった。
貴方がいなくなってから、馬鹿みたいに明るくてうるさくて、楽しかった教室からは、笑い声が聞こえなくなった。
貴方は、私と違って、必要な人間なのだから。
私は、へら、と笑う。
「さよならね、美樹」
「あぁっ。まさか。絵里、絵里なのか」
美樹の体をあの時と同じ、白い光が包んでいく。
美樹の伸ばした手は、指の先から、光の粒になって消えた。
私の未来計画も、終わった。
#
「どこで、帰還魔法なんて知ったんだ」
「……」
あの男に、あらかじめ教えて貰ったからです。
「どこで、そんな魔力を手に入れたんだ」
「……」
あの男に、あらかじめ貰っていたからです。
「どうして、聖女を元の世界に返したんだ」
「……」
……彼女は、あの世界に、必要だから。
殴る蹴るの拷問を受けながら、私は質問に答えずひたすら耐えていた。
こんなのは、もう慣れてる。
だって、代下絵里はずっと、実の親に殴られてきたのだから。
親に散々暴力を振るわれた後、外に放り出される。それがかつての私の日常だった。
そのあと、私はいつも公園でぼうっとしていた。
そこにやってくるのが、上郊美樹。彼女だった。
ある日、彼女は一冊のノートを持ってきた。
タイトルは「未来計画」。
「なに、それ?」
「未来にね、叶えたいことを書いていくのさ。将来、わたしが叶えるんだ。例えばほら」
そう言って彼女はノートのとあるページを示した。
カラフルな絵と、シャーペンの文字が踊ってる。
「自動翻訳機?」
「そう、これがあれば海外の人とも交流が出来るだろう?」
「……つまらない」
私は彼女からノートを奪い取ると、挟まれていたシャーペンでもって、空いているスペースに殴り書いた。
「海外だけなんて、つまらない」
「……異世界に移動できる車? ふふっ」
からからと、無邪気に彼女は笑った。
「あはははは。面白いじゃないか。良かったら、一緒にやるかい。未来計画」
私もつられて、へらと笑った。
「……うん」
「ふふ。よろしく、わたしのアイディアウーマン」
その頃の私にとって、「今」しかなかった。
「未来」なんて泥まみれで、私のなかには存在しなかった。
「よろしく」
そんな私に、彼女は確かに「未来」を見せてくれた。
私のいない、遠い遠い未来計画。でも、それのおかげで私は前を向いて歩ける。
あの時から、彼女は私の未来の全てだった。
彼女のいない未来なんて。
彼女のいない未来なんて、存在しないから。
岩の床はひんやりとしてて、傷にしみて気持ちがいい。
兵士らが慌てたように去った後、私は地下牢にてただただ横たわっていた。
遠くで騒ぎが聞こえる。でも、もう私には関係ない。
どの位時間が経ったのだろう?
ぴちゃ、と、水の滴る音がする。
地下牢には窓がなく、暗くてじめじめしていた。
自分は、このまま暗闇に溶けていくように感じた。
ほら、全身の感覚がなくなって。
ほら、意識が遠くなって。
「ティル」
真っ黒だった視界に、オレンジ色の光が映る。
「ティル」
聞き覚えのある声が、私を愛称で呼ぶ。
そいつは、一番端の牢屋で眠る私を見つけると、ドタバタと足音を響かせながら、慌てたようにこっちに来た。
懐からかちゃかちゃと、音を鳴らし、そいつは銀色のカギを取り出す。
「……かぎ、どこ、で?」
「いいから」
がちゃと、格子の扉を開けると私の前に跪いた。
茶髪に、紅い目の幼馴染の男。
フォッカは私のむきだしの腕に触れると、悲しそうに呻いた。
「嗚呼。こんなにあざが出来て……」
「なんで、こ、こに、来た?……捕まる、よ」
「捕まらない」
フォッカは淡々と言う。
「今までの王の暴政に、ついに革命が起きたんだ。僕は革命軍のメンバーとして、ここに皆と共に乗り込んできた。隣国の協力のもと、王の首はもうとった。だから」
足首の枷から牢獄の床に繋がる鎖を、フォッカは自身の魔法でもって熔かし切る。
そして私の体の下に手を差し込むと、そのまま抱え上げて歩き出す。
出口の、光差す方へと。
「フォッカ、いい。もう、私はいい」
「よくないから」
フォッカは私の言葉を遮った。そのまま、言葉を紡いでいく。
「君が無理をして、男のようなしゃべり方をしているのも知ってる。夜遅くまで勉強して、その癖やらずとも出来るという顔して、学校で主席をとったのも知ってる」
私はこちらをじっと見るフォッカの目から、顔を背けた。
「自分を必要のない人間だって思っていることも」
フォッカの声が、歪む。震える。
「小母さんと小父さんはいつも、ちゃんとご飯を食べてるかって、君の心配をしてる。僕の妹は君からの手紙をいつだって楽しみにしている。ねぇ」
パン屋を営む今の私の両親。ちょっとふくやかで、笑顔を絶やさず、怒るときもあるけれどいつも私に優しかった。
フォッカの妹。私を姉のように慕い、いつも私のあとをついてきてはお話をせびった。
嗚呼。
「ティル。どうして、そう思うの?」
嗚呼!
「……あ、あのねっ。私、私はあの子を、美樹を救うために、生まれてきたのっ。前世は、彼女の友達で、ずっとずっとっ」
私の声も歪んで、震える。涙で滲む。
「知ってる」
フォッカは言った。
「君の部屋から、ノートを見つけた。タイトルは、『彼女の為の未来計画』。今までのこと、先のことまで君の字で綴ってあったよ。でも、中身はここ、彼女を救ったあとから書かれてなかった」
それは、ペンが握れるようになって、すぐに書き始めたものだ。
目的をきちんと叶える為に。美樹を救うために。
それを、見られていたのか。
「ティル、僕にも君が必要だ。君が好きだ。僕と結婚してくれ。二人で、子供を育てて。二人で、年をとって。二人で、幸せになろう」
嗚呼!
「幸せになるために、計画を建てよう。『未来計画』の続きを書こう」
「二人で。僕と君の為の『未来計画』を」
「……うん」
「ふふ。よろしく、僕の奥さん」
美樹。私にとって貴方は未来の全てでした。
貴方の為に、私は生きてきました。
でも、これからは。
「よろしくっ」
私の為に、生きていこうと思います。
フォッカと目を合わせて。
私は、へら、と笑った。
『未来計画』は、まだまだ続く。この先も。ずっと。
初短編。
ありがとうございました。