僕 その3
誰かが僕にむかって大声をだしている気がした。すこしずつ、ほとばしっていた意識が歩み寄ってきた。瞼がおりていたから、開いてみると二人の男が僕のことをじっとみつめていた。僕の意識が帰還してきたことに気づくと、二人は「あ、やっと起きた」と声をそろえた。二人の男はくろい制服のような服をきていて、僕はどうやら深く椅子に腰かけているようだった。すこしばかり脳漿の箱の中をかいさぐると、記憶の残滓をみつけた。そして、ようやく二人の男が駅員だということに気がついた。
「帰ってきたんだ……」と僕はちいさく呟いた。
二人の駅員は「え?」と声をそろえて耳をかたむけてきた。僕はそんな二人に「なんでもないです、ありがとう」と言葉を置いて、ひらきっぱなしの扉をでた。そんな僕を、二人の駅員はぼうぜんとした様子でみていた。コートのポケットにハサミは入ってあることと、服にはシミが残っていることを確認してから、僕は「霧を抜かなければいけないんです」と二人に告げた。それから電車をおりてホームを去っていこうとした。
「そうだね」と声がしたのはそのときだった。「君は霧を抜けなければいけない。夜の向こうへ行かなければいけない」振りかえるとさっきの駅員たちがそう言っていた。僕は「はい」とうなずいて、また歩きだした。
駅をでると見慣れた街があった。電線にとまる鳥もそのままで、なにも変わらない僕の街があった。アスファルトがあり、電線がめぐっており、いろいろな人々が行き交っていた。横断歩道の信号が点滅し、青になる。足を踏みだすと、その街がゆっくり色づいていくような気がした。まるで別れのあとで花びらが開いたみたいに、モノクロームだった街に色彩がうかびあがってきたのだ。断片的だった物語を、僕がこの手でつなぎあわせる。そうやって僕らは大人になってゆく。見上げた月にもう悲しみなんてものは無い。僕らはまだ地獄で苦しんでいて、お釈迦さまが空から蜘蛛の糸をたれおろしてくれるのを待っているのだ。ピンク色のワンピーススカートを揺らしたさよならの風がしずかに流れる。家では母さんが待っている。僕は考える。僕は答える。ハナミと同じ、解答を。蜘蛛の糸が僕らにとって喩えているもの、それは。 END
言葉は一つのことだけを話し、沈黙は多くを語ります。僕にとって、この小説は沈黙なのです。きっと、「わからない」と言う方もいるでしょう。けれど、僕は語らないのです。この小説は、この形で区切らせるのが一番いいのです。
書こうと思ったのは去年の十二月、書き出したのは今年の一月でした。そのとき、確かに僕は戦っていました。そして、これからも。この小説は、今なにかと戦う人たちに捧げたい。この小説を読む人がいなくなったとき、ようやく僕はこの小説を書き終えるのでしょう。
僕なりの思いを、僕なりの愛を、感じてくれたのなら嬉しいです。読んでくださり、ありがとうございました。




