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僕 その2

 列車のなかは、ほとんどの座席が空いていた。ぼくは空いている場所を無作為にえらび、腰をおろした。窓側へよりかかると、駅の高層建物から夜ににじみでた明りがみえた。まだあそこに父さんはいるのかな、とぼくは想像してみた。するとまたしてもハナミやコハクさんの顔が脳裏をよぎっていくので、この街でのことをなるべく思い返さないようにと注意した。窓の外で、列車がたかい声で鳴いた。終わりの風がはしる音もした。「……さよなら」、ぼくは静かに、つぶやいた。はげしく警戒する猫のしのび足みたいな速度で列車はうごきだした。プラットホームと、そのうしろでみえる建物の明りが緩慢にながれていった。誰もいないプラットホームは、すぐに最後方となった。線路がきしみ、速度があがっていく。駅の建物が窓枠からきえる。プラットホームが途切れたのは、そのときだった――「えっ」、ぼくの声がこぼれたのも。

 真っ白な髪をした、黒いチェスターコートをはおった少年がプラットホームの端っこでみえた気がした。ぼくは思わず窓へ顔をつきよせて、途切れたプラットホームのほうへと目をやった。けれどもう彼はみえなかった。彼の髪が白くなっていたことに、ぼくは疑念をいだいた。ゆるいカーブの鉄橋を、列車はかけていった。ぼくが知っているあの街が、離れていく。鉄橋が直線になり、とうとう街は川面をはさんだ向こうにみえるシルエットの景色となってしまった。あのトンネルが近づいてくるのがわかった。窓にすこしばかり翳りができて、ぼくの顔が反射される。その顔に自分ははっとした。ぼくの髪は以前のような黒髪へともどっていたのだ。先ほどみた彼の髪が白かったのは、つまりそういうことなのだろうとぼくは納得した。列車内に、にぶい音がにじみだした。トンネルが近づいてきていた証だった。ぼくは背もたれに頭部すらもあずけて、ゆっくり息をした。音が鋭いものへと変わっていき、音が絶頂に達する寸前でハサミに切られたみたいに途切れた。

「やあ」

 トンネルに、はいった。それまでの夜空や、街の光たちは暗闇にぬりつぶされ、コンクリートの壁だけをうつされることとなった。わずかながらにいた乗客も消え、その車内にはぼくと、――君の二人だけとなった。「余計なことをしてすまなかった」、と君はぼくの向かいの座席にすわって言った。君はぼくの目をじっと見つめつづけていた。君の瞳にはぼくが描かれていた。真夜中の街灯がてらした影のような黒髪をした、ぼくの顔がそこには映っていた。ぼくはなにも言わず、君が言葉をつづけるのを待った。

「ボクも……」と君はいちど言葉を詰まらせた。いちど踵をかえし、言おうとしている言葉をいくぶん削って、余ったものだけを並べた。「ボクも、焦っていたんだ。本当に、ごめん」

「ううん」とぼくは彼の言葉にかぶりを振った。それは違う。「君があやまる意味なんてないよ。ぼくがウジウジしていたのが悪かったんだ。むしろぼくは君に感謝しなきゃいけない。君がいたから、ぼくも決心できたんだ。君があのとき雨を降らしてくれたから。正直いって、最後の最後までぼくは迷っていたんだ。逡巡していた。いや、前を向かなければいけないことは最初からわかっていた。なのに、向けなかった。逃げていちゃだめだって、ずっと思っていたのに。やっぱり、ぼくは迷っていた。季節と向き合うことに、妥協できなかった。父さんやコハクさんやハナミがしてくれた話は、どれも正しかった。そんな正しさがぼくを強く揺らしてきた。そんなぼくの心をぴたりと固定してくれたのは、君なんだよ」

「君がそう言ってくれるのは、とても嬉しい。けれどね、ボクはあまり好まれないことをしてしまった。きっとあの時も、君の心がうしろ向きなのだったら、もう戻れなくなっていただろうと思う。君の心が揺れていたから。だから、結果的には君が自身の力で、揺れをおさめることができたんだよ。君は弱い人間だと、いつからかボクは思ってしまっていた。そのことに、あやまりたい。そして、ボクだけじゃ足りないということにも気づいたんだ。やっぱり、ボクには君がいてこその存在なんだよ」

 列車はまだトンネルのなかを駆けぬけていた。おもむろな振動と窓外のにぶい鳴りは真夜中を磨耗していった。トンネルを進むにつれて、ぼくのおぼつかない心が乖離されていくのがわかった。「コーヒー、」とぼくは呟いた。君はぼくの呟きに「ん?」と声をかえした。「コーヒー、美味しかったよ」とぼくは言った。コハクさんが淹れてくれたコーヒーは、母さんの口から仄かにした匂いとおなじだった。ははは、と君はかるい笑い声をもらし、「それはよかったな」と言ってくれた。「きっとそれと同じ味のするコーヒーを淹れてくれる人が待っているよ」

「そうだね」母さんの背中があった。母さんの背中はしだいに大きく見えるようになってきた。それはぼくが母さんの方へと歩いているからだというのが理解できた。ぼくの足音は、母さんの耳にまで届いているのかなと思った。母さんはずっと前を見つめていた。新しい季節、ぼくはその言葉をこぼした。列車がはしるさきに、白い光がみえた。そろそろトンネルが抜けることを光はぼくと君に教えてくれた。「さて、」と君はひざに手をつけて、立ちあがる素振りをした。「そろそろだ」

「帰ろう」とぼくは言った。

「うん、帰ろう」と君も言った。そしてうなずいた。

 ぼくらはすこし笑い合った。

「さっきみたとき、空、雨が降りだしそうだったよ」ぼくは思いだして言った。「傘持ってないや」別にいらないだろう? と君はやわらかい微笑みのままの顔でぼくに言った。「いまの君に傘なんて必要ない」そうだね、とぼくは肯いた。もう、傘なんていらないよ。白い光が近づき、列車をつつんだ。ぼくと君は笑った。トンネルを抜けるとぼくは、僕になった。


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