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ぼく その42

「この街はぼく「が」知らない街で、ぼく「しか」知らない街なんだと、コハクさんは言ってくれました。今だから、その意味もわかる。この街は、ぼくだけの街なんだと。そう思います。これは、ぼくの物語です。そして、ぼくが主人公なんです。プロットも立てず、伏線もないけれど。ぼくという人間が主人公なんです。コハクさんが言っていた言葉が、ぼくの背中を押してくれるようです。「自由を得るためには、それまでの自由を捨てなければいけない」……。コハクさん。ぼくは、そろそろ帰ろうと思います。この街に逃げ込んできたことを、ぼくは嬉しく思います。コハクさんに出会えて、ほんとうに嬉しくおもいます」

 深い霧がただよっていた。深い霧のなかから空を見あげてみると、そこからは夜の向こうがみえた。「それでいいの」、とコハクさんは優しく目を閉じてうなずいてくれた。「それでいいのよ。コウト君。行きなさい。コーヒーが冷めてしまう前に。コウト君、苦しむことは悪いことじゃないわ」

「それに――」、コハクさんは言葉をつづけた。そのとき、ぼくの脳裏にはハナミの姿がいた。

「苦しんでいる人は、あなただけじゃないわ」


 家に帰ったあと、ぼくはあのハサミで伸びた前髪を切っていった。気づけば、まなこの上をまたたくくらいまで伸びていた白いぼくの前髪は、君がのこしていったハサミによって、するりと切り離されていった。視界の外へゆっくりおちていく白い髪の毛は、余命がつきた蓮の花びらのようだった。つぎに自分の髪の毛が、ひどく濡れていることに気づいたのはそのときだった。濡れた髪の毛の先をぼくは指でつまみ、そこからしたたってきた水粒をみつめる。このまま眠ろう、ぼくは濡れた髪のままで眠ることにした。


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