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ぼく その39

 ぼくはバス停留所のベンチに座っていた。ちいさな屋根がおとした陰は、空とおなじ色をしていた。あげていた顔をまた自分のひざへと戻すと、みえていた空が真っ白になった。その真っ白は、ぼくの前髪だということはすぐにわかった。前髪がまなこの頭をくすぐるくらい伸びたというのは、ぼくがこの街にきてそれだけの時間が経ったということを知らせていた。「……わかってるよ」ぼくはバス停留所の外をみつめて、つぶやいた。ぼくは別にバスを待っているわけではないのだ。屋根をたたく軽いそれは、雨だった。ぼくは、雨宿りをしているのだ。シャープペンシルの芯で引いたような線が、不規則にいくつも降りおちてきているようにみえる。ぼくは前髪のさきをまぶたに寝かせ、視界をせばめた。目をほそめてみると、雨をはさんだ向こうに君がみえるからだ。君に言葉はないけれど、ぼくは君がなにを言おうとしているかは理解できた。君はじっとぼくを見つめ、その瞳はぼくを手招きしている。ややかたむいた雨が、雨やどりの屋根をさえぎり、ぼくの足元のほうへと侵入してきていた。

 その雨をぼくは怖いと思い、おもわず足をベンチの下へとくぐらせる。君はそんなぼくを見て、さらに雨を降らす。雨は強くなる。いくたと街をうちこみ、白い衣をおおわせる。屋根のうえで獰猛にわらいながら跳ねおどる。その音はぼくをはげしく混乱させた。雨は強くなる。君はぐっしょりと濡れて、束ねられた前髪からしたたった雨粒が頬につたっている。雨が強くなる。強くなる。「……わかってる」ぼくは足をバタつかせて、耳を手でふさぐ。ぼくだけが知るこの街を壊していくようなその雨の音が、ぼくには怖い。雨はふりしきる。強くなっていく。わかってる。わかっているんだ。ぼくは耳をふさいで、目をつむる。それでも聴こえてくる雨の音を、自分の叫び声でごまかそうとする。君は濡れている。雨が強くなる。強くなる。強くなる。風が吹き荒れはじめる。街をかけ、豪雨をくぐりぬけていく。雨に削られた空気が、霧を繕いはじめていく。雨が、強くなる。強くなる。強くなる。君がふらしたこの雨が、ぼくを無理やりにでも連れだそうとしている。わかっている。わかっている。君の話を、ぼくはもう知っているのだ。強くなる。強くなる。あともうすこし、もうすこし。ぼくは髪を掻きみだし、そむけている雨を見つめようとする。気づいている。気づいている。わかっている。わかっている。街がそがれていく過程のなかで、足音がきこえはじめる。その足音が誰か、ぼくはもう知っている。君だった。君が、ぼくの方へと向かってきている。「……わかってる、わかってる。わかってる。わかってる、わかってる、わかってる」なんども呟いた。拳でひざを叩きつける。乱れたままの真っ白な髪が、目にかかった。そのとき、足音がとまった。まるでなにかを思い出したように。君が、止まった。シャツには、血のシミが滲んでいた。雨も消えた。ぼくは耳から手を離した。それはつまり、ぼくが弱さを捨てようとしているのだと思った。一粒だけ、涙がおちた音がした。目をあけると、君の代わりにハサミがそこには置かれていた。ぼくが、ぼくじゃなくなる。


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