ボク その13
ボクはコーヒーの水面をながめた。コーヒーの水面はゆれずに、琥珀色にそめたボクの顔をうつしていた。「わからない」と、ボクは言葉をはいた。「そんなの、わからないよ。でもね、母さん。「甘え」というのは連鎖していくんだ。放置していれば、するだけ増加していく。まるで髪の毛みたいに」そう言って真っ黒なボクの髪をみた。前髪が、目にかかる。
「あなたのその話を聞いて、私は「難しい」、とは言わないわ。「わからない」という言葉もつかわない。でも、言いたいことが一つだけあるの」
ボクは音をペンチで潰したような極端な沈黙をつくりあげた。けれど母さんはその沈黙をボクの返事だとでも解釈するように、いまの言葉の続きをつなげた。
「コウトという少年は、決して弱くないわ。話を聞いていて思ったのは、あなたは強い人間だということ。あなたはもう半分の方がかかえている弱さなども認めているようにみえる。でもね、「弱い」という言葉だけでまとめるのはおかしいと思うわ。あなたが「難しい」や「わからない」という言葉でまとめるのは良くないと言っているのと同じよ。あちらの方にも、それなりの強さはある。すべてが「弱い」で片づけられるような子じゃない。「分裂」して、半分ずつになったけれど、片方ずつに弱さもあれば強さもあるはずなの。コウトという少年が――、弱い人間ではない、と私は言える。断言できる。……母親として、母親としてよ」
顔のわからない誰かがした話を、ボクは思い出していた。舌打ちはもれなかった。「……そろそろ行くよ」ボクは椅子から立ちあがって、コーヒーを飲みほす。真夜中の街灯がてらした影みたいに真っ黒な髪をすこしだけ掻く。テーブルに置きっぱなしだったハサミを手にとり、ボクは玄関へと向かう。スニーカーを履く。ドアに手をかけ、ゆっくりと前へ押した。
漂いだした雲が、グレーだということに気づいたのはすぐだった。ボクは歩いていた。霧を抜けようとしていた。夜の向こうを見ようとしてもがいていた。誰かが垂らしてきた蜘蛛の糸に、ボクはしがみついていた。ボクは歩いていた。ボクだけではこの霧は抜けられない。ボクだけじゃ夜の向こうは見ることはできない。ボクだけじゃ蜘蛛の糸は切れてしまう。ハサミはコートのポケットにある。空のグレーが強まっていく。ボクは向かった。君のところへ。ボクは向かった。駅のほうへと。雨が降りだした。




