ボク その9
ボクはうなずいた。
いや、と顔がわからない誰かは言葉をおとした。「もしかすると、あちらの「君」もそろそろ気づいているのかもしれないな。いや、少なくともなにか心の隙間に挟まっているはずだ。――いや、最初からあちらの「君」も気づいているのかもしれない。あちらの「君」にはまだ勇気がないだけだ。だから、開き直りをおぼえた。そうだろう?」
ボクはまたうなずいた。
「……雨は、まだ降らないのか」顔のわからない誰かは窓のほうをながめて、言った。
「わからない」わからない、難しい。それらの言葉をボクは嫌いだ。けれど、ボクは「わからない」という言葉を選んでいった。
「もうじき降るさ」と誰かはこぼれおちた夕日ののこり滓を指でつまんだ。「もうじき降る。それは時間がそうしてくれるのかもしれない。――いや、時間がすべてじゃない。時間が解決してくれるものがこの世には殆どだが、それは時間が解決しているんじゃない。わかるかい? 時間に急かされた「自分」が解決するのさ。人は、感情が豊かだから物事を――季節を――なかなか即決できないのだ。だからなにも思わない、なにも言わない、なにも考えない無情の時間に頼るのさ。そういうものだよ」あちらの「君」には、まだそれが足りないだけだ。彼はそう述べた。
ボクは黙っていた。
「なあに、もうすこしさ。あと、もうすこし。あちらの「君」も自分なりになにか考えているはずさ。――いや、もうそれはなにかしらの形となって有るかもしれない。もうすこし、待とう。雨は降る。時間が雨を降らしてくれる」いや、とまた彼は言った。「時間に急かされた「自分」が、雨をふらすだろう」
「けれど、彼は傘を差してしまうかもしれない」
「傘を差すかもしれない。そのとおりだ。なにせあちらの「君」は弱い。君とは違ってね。傘をさしてしまうか、雨宿りをしてしまうかもしれない。それならそれでいいじゃないか。大丈夫さ、心配することはない。弱いとは言っても、強いところだってあるはずさ。あちらの「君」も、所詮は君と一緒なんだ。ならば、強い人間だよ」
ボクと一緒で、違う。ボクが強いのなら、君は弱い。顔のわからない誰かはそうボクに言ってくれた。雨は降る、とも言ってくれた。ボクは窓をみた。夜にそまりかける紫の空には、安もののウール布みたいなうすい雲がその色に肌をそめながら異形のままおよいでいた。




