表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/58

ぼく その26

 雨が帰ったことを鳥が知らせると、ぼくはコートをはおってようやく外にでた。雨がたちさった直後の街は、まだどこか匂いが曖昧な意思をのこしていた。ぼくはきょくりょくそれを嗅がないようにと注意して歩いた。どこへ行こう。おりていく階段のすみで、雨の屍がなずんでいる。のぞきこむと、白い髪をしたぼくの顔がうつる。さらに背景に晴れはじめた空をみせ、空は正午の敷居をまたいだことをつげる。鳥が鳴き、わらう。雲が割れ、きえる。どこへ行こう。ぼくは一人歩きする花々のかおりを思いだす。おびただしい芳香ははり巡らされたロープをたどっている。ぼくはピンク色のワンピースをきた女の子を思いうかべて、そこへ行こうときめた。ハナミがいるところへ。ぼくは足取りをすこしはやめ、あのながい階段へと足をかけた。しかいの先で列車がはしった。きしみ音は波紋し、階段をいささか震わした。靴底からつたわった振動は無視して、ぼくはハナミのいる花につつまれた赤い屋根の家をめざした。うしろからの視線はもちろんあった。離れることはない。けれど昨日の暴走から、なぜか妙に視線の主張がよわまっている気がした。以前よりも、すこし視線が遠ざかっている。ぼくは安堵すると共に、怪訝の感情もおぼえた。とりあえず、今は気にしないことにする。

 やがておびただしい花の群れがみえてくる。ぼくは歩幅をひろげ、そこへ向かう。そして花にかこまれながら、石畳の階段をのぼった。花が這いよる庭がみえ、しげる草陰からあかい屋根をした家がうかがえた。ぼくは草花に身をかくしつつ、覗いてハナミの姿をさがす。ハナミは庭にいなかった。庭にはまだ雨の余白が湿っており、花はさきほどの雨を名残惜しそうに空をみつめていた。昨日ハナミからおしえてもらった蓮華草の花も、雨を忘れられずに空をみていた。けれど空はすでに雨のことなど忘れていた。ぼくは草陰から身をのりだして、視界をひろげた。あかい屋根の家のドアがみえる。玄関のドアのまえには扇状の形をした石畳がしつらえられ、それ以外はどこも草や花、木々となっていた。ハナミの姿はみえない。どうやら室内にいるらしい。ぼくは息をはき、立ちあがって元きた道をもどることにした。振り返る。

「お前さんなにしてんや」

 老人がいた。すぐには喋れなかった。それからゆっくりとした流れで「へ」という声が洩れた。へ、口からこぼれ落ちたその声がなんどか脳内でつづいた。そしてようやく輪郭のある声を吐いた。「え!」

「お前さんなにしてんや」

「え!」

「お前さんなにしてんや」

「え!」

 これが幾度かくりかえされた。ぼくは右をみて、左をみた。「え!」なにも言えず、それしかこぼれなかった。誰だ。ぼくは辺りをなんども見渡し、視界をぐるぐると回した。高速でながれる視界には白髪頭の老人がかならず入りこみ、「お前さんなにしてんや」という声は老人がうつらなくても聴こえた。「まあ落ち着けや」「え!」「お前さんなにしてんや」「え!」「もうええわそれ」「え!」「なにしに来たんや」「え!」「ハナミの友達か?」「え!」「話にならんな」「え!」「……なにをしているの?」「……え?」

 振り向くとハナミがいた。「ハナミの知り合いか?」と老人がハナミにたずね、「そうよ」とハナミが答えた。ぼくは「え」のかたちで口を開いたまま、ハナミと老人を交互にみた。老人の頭髪はしろくて薄くなっていて、まるい縁をした眼鏡をかけていた。「なんや、ならそう言わんかい」老人はそうぼくに言って、家のなかへと帰っていった。ハナミはクスクスと笑い、ぼくに「待っていたわ」と言った。ぼくは赤くなり、「おじいちゃん?」とたずねた。「そうよ。おじいちゃん。わたしと二人で暮らしているの。この家に」「そうなんだ」こっちにきて、とハナミがぼくを手招きした。ハナミについていくと、家の外壁によりそったベンチがあり、そこにすわった。ぼくも隣にすわり、そこから一望できる花々をながめた。まっすぐ先に蓮がうかんだ池があり、さらに遠くにたちならぶ建物らがみえた。頬をひっぱられた太陽が浮かんでおり、ぼくらに光を配ってくる。まだこびりついている雨の残滓を、その光は浄化させる。

「両親は?」ぼくは訊ねた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ