ボク その5
雨はふりつづけていた。雨が止むことはなかった。雨はときに唸り声をあげ、空を砕くことを予告した。そのあと、遠くで雷がつよく弾けた。窓の端側でそれが閃く。雨の生気はよりつよみを増し、この街にしろい衣を覆わせた。母さんはキッチンで料理をしていた。包丁がまな板をつく音がずっと雨の音とともに踊っていた。ボクはいつまでも窓のまえに座って、叩きつけてくる雨をみつめていた。雨の隙間から、ボクは君のことを思った。借用している君の身体――君はいま、迷っているのだろう。君はさまよっている。自分について、環境について、季節について、すべてに君は深い霧のなかにいる。傘をさし、肩すらも濡れないようにと脅えている。膝を折り、夜の真下でしゃがみこんで震えている。その夜がはだけて、ほのかな暁の薫りがこわばった街をほぐしてくれることを望んでいる。暗がりに俯いていた森がふたたび息をしはじめ、寝息もたてずに眠っていた海がまた潮をゆらすことを祈っている。月が空の裏側へと隠蔽され、花がもういちど開花することを。終りが終ることを君に知らしてくれる光を、始りが始ることを君に告げてくれる季節を、君はただ屈みこんだまま待っている。隣にいたはずの少女も忘れてしまってかまわないから、と。それまでの過去を殺してしまってもかまわないから、と。傘からしたたる雨粒にすら触れずにじっと。
それは無理なことだ、とボクは言った。君は動かなければならない。爪を噛むことを止めなければならない。涙をながすことをやめなければならない。逃げるだけの夜から、逃げなければならない。それは君も理解しているはずだ。だから、その理解が行動にかわる糸口をその街でみつけるんだ。それまで君は、いつまでも「今日」のままだ。どれだけ時間がたとうと、「今日」ということに変わりはない。いまの君はまだ「明日」を知らない。君も、ボクも、「今日」のままなんだ。
雨はさらに強みを増す。それはまるでクラシック音楽の終盤にさしかかる佳境のパートのようだ。ピアノが掻き鳴らされ、チェロが鳴りしびれ、指揮者がはげしく踊る。幾多と音が混ざりあい、心を無邪気に高揚させる。強くなる。強くなる。強くなる。アスファルトが殴られる。強くなる。強くなる。強くなる。強くなって、強くなる。街は雨にたべられる。強くなる。強くなる。強くなる。奮いたつ感情がいままでの音を壊す。砕く。殺す。強くなる。強くなる。叩きつけ、鳥の声もテレビの音もキッチンの音も届かなくなったところでその雨はとつぜん止まる。




