ぼく その16
夢をみた。それは古ぼけた情景だった。色彩がはげしく欠陥し、おぼつかない映像のフィルムは延々とぼくのとなりで回っていた。薄汚い光がおよいだその場に、ぼくは何故かたっていた。そこには置きざりにされたような遊具があり、みすえた夕日に照らされている。夕日はぼくの影も引き摺ってながくのばしている。誰かの声がした気がして、ぼくは振りかえる。そこには少年と少女がいた。木のベンチに腰をおろしている。少年の黒い髪は、背にある呂律の回らなくなった夕焼けに染められている。となりにいる少女の長い髪も、そこから引っ張られた朱色に身をさずけている。二人がすわるその隙間から、うらぶれた夕日が差していた。その光にぼくの肌も染まり、霞んだままの街で二人をながめていた。少女は歿していく空のいきりを気にせず笑っている。少年も笑っている。二人はなにかを話している。夕焼けは足をとめず、夕焼けは振り返ることもせず、夕焼けは日々になごりおしさを感じることもなく、二人の底へともぐっていく。空が青紫になっていく。カラスがながれ、高い声で鳴く。空の色彩がきえていく。夜がながれ、しずかな音を軋ませる。
少女は消えた。ベンチには少年だけがいた。二人は二人じゃなくなった。二人は一人になった。夕焼けがあわてふためきだす。少年は一人で、夕方から夜へとまたぐ。少女はいない。笑っていた少女はいない。喪失感が雲になって、それをなげく声が鳥となった。あたりは夜となる。
「帰ろう」とぼくは少年に言った。少年はなにも言わなかった。無口のまま、うなずくこともせず、その黒い前髪で目をかくしていた。ぼくは、泣いていた。夜に雲がひとりでに増えだし、孤独を鳥が鳴いた。「帰ろう」、とぼくはもういちど少年に言った。ぼくは足元から欠けていった。ガラスが粉砕していくみたいに。ぼくの身体は半分になっていく。少年がぼくを見た。帰ろう、ぼくは言う。
「雨が降りだす前に」
そこでぼくは目を醒ました。ベッドから起きあがり、カーテンから外をのぞいた。空は灰色なのか、青色なのかよくわからない微妙な位にあった。ベッドから身を離し、部屋をでる。廊下をはさむと、すぐにリビングへと繋がっている。すでにリビングでは白いあかりがともっている。キッチンで父さんがなにかを焼いている音がする。そして、そこからあまい匂いが空間に線をひいていた。
「おはよう、父さん」とぼくが言うと、キッチンから「おう、起きたか」と父さんの声が返ってきた。ぼくはソファに腰をおろし、窓の空をみていた。しばらくその景色をみていると、「よしできた」という父さんの声がして、ぼくはそちらへ向いた。父さんはダイニングテーブルにその料理していたものを載せた皿をおき、マグカップに注いだ紅茶をそえた。「さ、食べるぞ。朝飯だ」父さんは椅子にすわり、フォークをつかんだ。ぼくもすわり、フォークをもった。あまい香りのするそれは、フレンチトーストだった。
「フレンチトーストなんて久々に食べるよ」とぼくは喜んだ。
「そうなのか。甘いものは好きか?」
「うん、大好きだよ」ぼくは答えた。ぼくは甘いものを好んでいる。
ならよかった、と父さんは安心したような口調でいった。ぼくはフォークでフレンチトーストを一口のサイズにカットし、それを口にはこんだ。コーティングされていたあまい卵は、ほのかな熱をまだ佩びていて、ぼくの舌にふれた途端にゆっくりとした手順でとろけていった。のそのそと沈殿していく濃密とした甘みが、ぼくの喉を染めていく。何かをかいさぐるように、流れていく。それは注がれていくようだ。それは束ねられていくようだ。ぼくは紅茶を口にふくみ、そのあまい残滓をかどわかして部屋へと招きいれる。まだすこしかたい朝の空に、活発な街の声は飾られないでいる。ぼくはフレンチトーストを食べおえ、皿を台所のシンクへとはこんだ。「なあコウト」と父さんが新聞紙をひらきながらぼくに訊ねてきた。なに、とぼくは返事する。
「今日、じつは仕事があるんだ。コウトはこの家でまっていてくれないか?」
わかったよ、とぼくは答えた。それから昨日ぼくを助けてくれた、あの彼女を探しにいこうと予定をあたまで計画した。ぼくはシンクに食器をおいたあと、しばらくそこに歪に反射する自分の顔をみていた。ぼくの顔はステンレスの表面につよくゆがんで映っていて、まるで色を重ね塗られた油絵のようだった。それなのに頭髪の色は白く、なにも変わらないでいる。ぼくの知らない街の、ぼくの知らない夜が去り、ぼくの知らない朝がまだこわばったままの肌を晒している。ぼくの髪は白くなり、朝も白いままで、心だけが。空っぽだと嘆いていた明日さえも、降り積もってみえなくなった底にあった。
「それじゃあ行ってくるよ」と父さんが家をでたあと、ぼくはまず歯をみがいた。それから顔を洗い、服を着替えた。服は「コウトのものを使え」と父さんから言われているので、ぼくはその通りにした。コウト(ぼくではない)の持っている服はどれもピッタリなサイズだった。ぼくは彼のタンスからネイビーのニット服と、白い細線のはいったストライプ柄の黒いコットンパンツを借りた。そしてクローゼットにかかっていた自分のチェスターコートを羽織った。下駄箱のうえにおかれた鍵をポケットにいれる。ぼくは靴を履きき、外にでた。




