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ぼく その2

 列車の窓に映っているぼくの顔はつよくうらぶれた色を寓意的にかもしていた。真夜中の街灯がてらした影のように重みのある黒髪は、小規模なクセをもっている。二重なのに瞼がおりかけの瞳や湿りがとぼしい唇、生気のない肌がならんだ顔が、その窓からみえた。列車が駆けぬけていくトンネルのなかは空気がきしむような鈍い音が鳴ってたなびいていた。重苦しい音はいつまでもトンネルの壁から発されていて、ぼくの鼓膜もその音に嫌悪感を齧りながらも馴染まされていった。

 空気のもつれた音が空間に滲みだし、それが定着しつつあるというところで、ぼくはようやく不思議におもった。その電車内に、すこし猜疑心を抱いたのだ。まるでこの列車とぼくが、外の街から欺瞞されているような感覚をいだいたのだ。つまり、トンネルを駆ける時間が妙にながいのだ。いや、かく電車がとおるトンネルの長さをぼくがすべて把握しているわけでは無いのだけれど、絶対にこのトンネルは長すぎると断言できた。いつまでも窓を叩きつける風の音はよどんでいて、重々しくそこに未練がましくのこっていた。さすがに長すぎる。ぼくは不思議がり、窓に頬をよせてトンネルのさきから光が差しこんでいるのか確認する。窮屈にはしる空気のよどみに埋もれた列車の頭からは、光がみえなかった。どういうことだ、とぼくは車内にいる他の乗客の姿をみわたした。そしてぼくは乾いてしまっていた目を見張った。

 そこにいたはずの数名の乗客は、ぼくだけを残して消えていたのだ。くたびれたスーツをきていた中年の男も、ヘッドフォンで音楽をきいていた女学生も、全員がぼくだけを置き去りにして消失していた。おもわず声を洩らしてしまうぼくが目をやった窓には、まだトンネルの冷ややかな影がおおった壁だけがみえていた。車輪から甲高い声がして線路をけずった。ぼくは図らずも腰をうかせてしまっていた自分の体制を崩してしまう。座席の背もたれに腰をぶつけ、尻をつよく打った。

 なんだ、ここ。ぼくは体制をもどして互いの指をからめ、自分の目元にあてながら考えてみた。しかしそこに思いあたる勘案はみあたらなかった。見当の一つもつかなかった。どういうことだ、とそれだけの疑問がぼくの脳をつよく占めていた。まるでナイフを首元にあてて「大人しくしていろ」とでも言われているように、ぼくの訝りはいつまでも脳の中核にたたずんでいた。もういちどぼくは車両のなかを見わたした。もしかするとさっきのは幻覚かもしれない、そう見えただけなのかもしれない、そう思いたくてもういちど確認した。けれど乗客はいなかった。そこには自分のみが存在していた。窓がガタガタと音をたてた。そんな物音に敏感になってしまっていたぼくはつい驚いてそちらに目をやった。そこには風をはらいのけ疾走していくトンネルの壁と、とてつもない不安感におそわれたぼくの妙な顔がうつっていた。ぼくの頬はいささか青褪めており、それでいてまだいまの状況を理解しきれていない眼をしていた。

そんなぼくの思考もかまわずに列車は闇のむこうへと抜けていく。まだ混乱状態にあるぼくの思想は、まるでハサミでばらばらに切り刻まれてやみくもに放り捨てられたようだった。ぼくは散らばった理性に針をなげ、リールで巻いてそれをたぐり寄せようとした。しかし落ち着くことはできなかった。ぼくは今、はげしく困惑しているのだった。なにも判断できなくて、煩雑する感情におぼれかけていた。

そんなぼくを拳でつよく握りしめていたトンネルは、ようやくぼくを手放して外へはきださせた。一瞬にして列車に生気が踵をかえしていくのがわかった。トンネルを抜けた。あのとてつもなく長く、ぼく以外の乗客を消去してしまったトンネルはようやく抜けたのだ。そのことにぼくはちいさく安堵し、息をはいた。

なんだったのだ、今の。もしかすると、ぼくは夢を見ていたのかもしれない。白昼夢というものだろう。ぼくが白昼夢をみていた可能性は十分にある。そうとでも想定しなければ、いまぼくがみた光景の説明がつかない。いままでは夢で、いまは現実だ。ぼくはそう自身に言い聞かせた。街を取りもどした列車の窓へと目をやる。そしてふたたび流れはじめた街並みをみて、もういちど、これが夢であってほしいと祈った。

 トンネルを抜けると、そこはぼくのまったく知らない夜の街になっていたのだ。


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