ボク その3
窓に点をつけ、それを繋ぎあわせるみたいに線を結んだ。それは雨だった。透明な窓が、まばらに半透明になっていった。雨はのそのそと蓄えていた財産を消費していった。雨は途切れとぎれに、窓の景色をけずっていった。雨は君の街を、無遠慮に濡らしていった。濡れた鳥が鳴き、濡れた光がぼやけ、濡れたアスファルトがくらく染まった。ボクはずっと雨をみつめていた。雨には優しさもなければ悲しさもない。雨には感情もない。街の一部をにぎり、街の一部始終を知ってさっていくだけだ。雨は独自の音を、街を楽器にして奏でる。雨は独自の温度を、街を器にして醸す。雨は人見知りをする。陽の存在から忌憚し、目をそむける。指をさしていた窓からの光が、雨のまだらな影にかわる。そんな影を敷いた床は、まるで水面のようだ。ボクは、雨をみつめる。
「急に降ってきたわね」母さんが言った。母さんも窓にしがみつく雨の様子を傍観していた。ボクは「そうだね」と言った。ボクを閉じこめていた雨粒が、あたらしく落ちてきた雨粒に触れて、そのまま垂れた。その雨粒は窓の底へと落下していった。しかしウッドデッキには沁みこまず、窓枠のところで動きをとめた。その雨粒は、ウッドデッキに求められていなかったのだ。今のところ。
「コウトは今、どこにいるの?」と母さんはたずねた。家のなかには、外の雨の音だけがしていた。「あなたじゃなく、本来の私の子供のコウトは」
「母さんの知らないところにいるよ。その知らないところからボクはきたんだ」ボクは抽象的な解答をする。
母さんは釈然としない様子の声をもらしながら、ダイニングテーブルに手をついて椅子から腰を浮かせた。そしてスリッパの底を摩らすような歩きかたでキッチンまで向かった。食器がふれる音がした。「コーヒー」、と母さんは言った。「コーヒーは呑むかしら?」いただくよ、とボクはうなずいた。母さんは白いマグカップをふたつ取りだして、そこにコーヒーメーカに溜まっていたコーヒーを注いだ。マグカップの縁から丸い湯気がのぞき、ボクのまえに置かれた。「どうもありがとう」とボクは礼をいって、ひとくち飲んだ。おもったよりもコーヒーは熱く、すこし苦かった。
「砂糖はいるかしら? ミルクも」
「いらないよ。どうもありがとう」
ことん、と置いたコーヒーの水面が揺れた。マグカップの持ち手をもったまま、ボクはまた雨の生活を観覧していた。雨は話しあい、遊びあい、染みこんだ。「話を聞かせて」と母さんはコーヒーを口に小さくふくみ、喉にながしてから言った。構わない、とボクは言った。
「あなたの居たところは、どんなところ?」
「建物が溢れているよ、そしてとても機械的で木造的だ。こことは大分、様子も違う」
ふぅん、と母さんは声をこぼしながらまたマグカップの縁をくわえた。ほのかな湯気が、彼女の瞳とかさなって曖昧なものにした。彼女の瞳には、不安におもう心情がコーヒーによどんだ白い光みたいに浮かんでいた。きっと君の心配をしているのだろう、とボクは思い、そのことを雨につたえた。雨はうなずくように庭の草々を突いては濡らしていった。花もない殺風景な庭の合間をのんでいく雨は、触れた瞬間にからだを粉砕させ、おぼろげな水の霧をこしらえた。
「それじゃあ、あなたは何なの?」
「ボク?」
「そうよ」と母さんはうなずいた。「あなたは何者なの? 知らない街からきた、と言ったり、名前をきけば「コウトだよ」と答えるし。私にはあなたが何なのかさっぱり分からないわ。たしかに顔はコウトの顔をしているけれど、口調や態度もまったく違う」それに、と母さんは言葉をつづけた。「コウトは、コーヒーが嫌いなの」
ボクはその質問への答えをかんがえた。窓をながれる雨をみて、草々とたわむれる雨をみて、室内ににじむ雨の音をきいて。街が濡れる、その様を目でおって。結局、ボクはなにも答えなかった。ただ黙り、その沈黙を雨にたくした。母さんのコーヒーをすする音がした。




