ぼく その12
「とりあえず、腹減ったろ」
腹が減っていそうな顔をしてるぞ、と父さんはぼくを家にあげてから言った。うん、とぼくはその問いに正直な感情をそえたうなずきで答えた。父さんは「はは」といちど笑い、柱にかけてある時計をみた。白いあごの髭を右手でさわりながら眺めていた。ぼくはそのあいだ、室内の天井の模様や木板の壁などをなんどもみわたしていた。家のなかは床も壁も木製だった。随分と時間が経過しているらしく、木板の色は変色しつつあった。敷かれたカーペットのうえに置かれた座布団にぼくは腰をおろしてまっていた。
「よし」と父さんがいった。ぼくは父さんのほうへ目をやった。「ラーメンでも食べにいくか。まだやってるだろ」
そう決めてからの父さんの動作ははやかった。茶色いダウンジャケットに袖をとおし、黒いニット帽をかぶった。そして玄関の鍵をポケットに挿入した。ぼくも脱いでいたコートを手にとり、そのまま父さんの後についていった。ぼくの空腹は底まで達していた。蓄えていた財産はすべて尽き、空白の面積がひろくなっていくにともなって足への疲弊が克明とした形をもっていった。
玄関から外へでると、また見慣れてしまった夜の空が視界の頭でよこたわっていた。風にながされていた薄生地の雲がたち去り、そこから唯物的な星が眼下のぼくを眺めていた。退屈そうな星がぼくを覗いていて、ぼくは退屈そうな星をみていた。けれどすぐにそらした。深い意味もなくならべられた星たちが、ぼくには腐った夜のささくれのように見えたのだ。こんなにも様々な内容が凝縮されたような今日なのに、明日は空っぽのままだった。
明日は、空っぽのままなのだ。ぼくは、そう思う。なんどでも。明日はまだ空っぽだ。




