悪役令嬢、兄に笑う
しばらくは更新早目になる予定です
今私たちがいるのは邸宅の裏に広がる森の中だ。
生い茂った木々は庭師らによって手入れがされているし、
危険な獣や悪意を持った人間が入り込むことはできないはずだ。
だが――――
「しっ‼」
鋭く呼気を吐き出す音と共に、リーウェンが刃を振るう。
その軌道は飛び出してきた黒い影に過たず吸い込まれ、
濁った悲鳴と赤い血を飛び散らせた。
「これは……アッシュウルフ?」
リーウェンに切り捨てられ、地に転がっているのは灰色の毛並みを持った獣だ。
絵本でしか見たことがなかったが、人の子供ほどの大きさとくすんだ灰色の毛並みは、
アッシュウルフと呼ばれる魔物に間違いない。
アッシュウルフは特殊な魔術こそ使えないが非常に知能が高く、
群れで襲われれば熟練の冒険者でも手を焼くと聞いている。
「どうしてアッシュウルフがこんなところに……!?」
「さあな、っとお嬢ちゃん、そこを動くなよ!!」
リーウェンは答える間にも刃を振るい続け、
左右から飛びかかってくるアッシュウルフを切り捨てていく。
気づけば四方からうなり声が聞こえ、木の陰には爛々とした獣の目が光っている。
木のふりをやめた兄も長剣を構えており、油断なく周囲をけん制しつつもこちらに話しかけてきた。
「リリアナ、無事か!?」
「大丈夫です、お兄様!!お兄様もおきをつけ……」
兄を心配する言葉は、小さく口の中に消える。
兄は、強かった。
長剣を構えた姿には一分の隙もなく、舞うような足取りで次々と敵を仕留めていく。
対するアッシュウルフも牙や爪で兄を傷つけようと反撃するが、
そのことごとくは躱され、いなされ、斬り捨てられてしまっている。
兄が武芸において突出した才能を持っていることは聞いていたが、
その天才という呼び声に偽りはないのだと知る。
……先ほどまで間抜けな木のふりをしていた人物と同じだとはとても思えないが、
とにかくこの場は助かったので良しとしておくことにする。
リーウェンが鋭く切り込む雷のような剣だとしたら、
兄上の剣は空を舞う風のように自由で速い。
二人とも素人の私から見てもとんでもない力量で、
襲い掛かってきたアッシュウルフはたちまちに駆逐され、数を減らしていく。
私はそのまま最後の一匹がリーウェンの手で切り捨てられたのを確認すると、
こわごわと隠れていた木の後ろから出ていった。
「よっと、これで最後っと」
「ありがとうございます、リーウェン。ケガはありませんか……って、愚問でしたわね」
「あぁ、お前の方こそ大丈夫か? ちょっと汚れてるじゃないか」
「……隠れる際、木の幹にこすってしまったみたいです」
ドレスの裾の汚れを見つけ、どんよりとしてしまった。
今の私の着る服は公爵家の令嬢らしく、とても上質な生地が使われている。
うっかり破いてしまえばかなりの損害だ。
なんというか前世の庶民っぷりからすると、毎日が恐れ多くて大変だった。
「なんだ、それくらいならぬぐっときゃわかんねーよ。ほら、貸してみろ。俺が拭いてや――――」
「やめろ、妹に触るな」
ドレスへと伸ばされたリーウェンの手が、兄の手で叩き落とされる。
私のすぐ横に立った兄は息を乱すこともなく、傷を負っているようにも見えなかった。
わが兄ながら、すさまじい剣の腕の化け物だ。
「リリアナ、怪我はないな?」
「はい、お兄様たちのおかげで助かりました」
「…………そうか」
そう言って兄は私の頭を撫でようとした。
「お、お兄様?」
初めての兄からの接触に驚いて声をあげたら、素早く手が引っ込められてしまった。
兄を見ると、無表情ながらどこか気まずそうな雰囲気を発している。
その様を見ていたリーウェンはどこか人の悪い笑みを浮かべると、
ぽんぽんと私の頭へと手をやった。
「ま、お嬢ちゃんも悲鳴ひとつあげなかったんだから上出来だ。誉めてやろう。」
「髪の毛が乱れるのでやめてくれません?」
私の頭をわしゃわしゃとするリーウェンの手からのがれようとしていると、
背後で茂みの揺れる音がする。
また新手の襲撃か!? と思って振り返ると、そこには、
「……お兄様、何をなさっているのですか?」
木の後ろ隠れてこちらを窺う長身の影、兄の姿があった。
その手にはどこから取り出したのか木の枝が握られており、
どうやら先ほどまでの木のふりを続けているつもりのようだった。
…………あれ程堂々と剣を振るっておいて、
今更尾行も何も意味がないような気がするが、兄は真剣だ。
先ほどまでの勇姿が嘘のような見事なまでの不審者っぷりは健在だ。
相変わらずわからない兄の考えに頭を悩ませていると、
どこからか小さな声がしてきた。
耳を澄ませて出所を探ると、アッシュウルフの死体の下からのようだ。
真紅にまみれた毛皮の下で、何かごそごそと動くものがある。
じっと見つめていると、小さな耳が見え、つぶらな瞳と目が合った。
「アッシュウルフの……子供?」
死体の下からはい出してきたのは、子犬ほどの大きさのアッシュウルフだ。
全体的に丸っこい体の中、両手足の先が縄で縛られているのが見える。
「これは……明らかに、人の仕業ですわよね」
アッシュウルフの子供は四肢を戒められ、まともに動くこともできないようだった。
親に守られていたおかげか刀傷は見えないが、ひどく衰弱しているのがわかる。
「…………ひょっとして、この子を利用して群れを引き込んだのかしら?」
アッシュウルフは鋭い牙と爪を持ち高い機動力を誇るが、
その知能の高さと警戒心の高さゆえに、人に牙をむくことはめったにない。
しかし子狼が襲われた場合、群れ意識の強い彼らは集団となって襲い掛かってくると聞いたことがあった。
目の前の子狼は明らかに人の手で自由を奪われているし、
手足に巻かれた縄には何か模様の書かれた布きれのようなものがくっついているのが見える。
何か今回の犯人に繋がるようなことが書かれていないだろうか?
そう思って子狼へと手を伸ばすと、指先に鋭い痛みが走った。
「いたっ!!」
指先に小さな血の玉が膨れ上がり、ぷくりと弾けて流れ落ちる。
私の指に驚いた子狼が、小さく口を開いてかみついたらしい。
幸い衰弱しているようで噛む力も弱く、たいして傷も深くないようだ。
これなら跡が残ることもない――――
「きゃうん!?」
牙をむいて威嚇していた子狼が、子犬のような悲鳴をあげる。
私も背後に発生した唐突な威圧感――殺気――に驚き、びくりと背をすくませた。
「おまえ、リリアナを傷つけたな…………」
背後にあったのは、強烈な殺気を放つ兄の姿だ。
瞳は突き刺さるような光を放ち、全身から極大の殺気が立ち上っているのが見える。
怖い。マジ怖い。
兄の右手は今にも剣を引き抜こうと殺気満々で腰へと伸びているが、あいかわらず顔が無表情なのが怖かった。
「きゅ、きゅぅーん」
目の前の子狼もよほど怖かったのか、尻尾を丸めてがたがたと小さくなって震えている。
兄はそんな子狼の姿にも眉ひとつ動かさず、無言で剣を引き抜くと歩み寄ってきた。
「お兄様、私は何ともないですから、剣をお納めください」
「どけ、リリアナ。そいつは俺がきる」
「この子狼は今回の襲撃の犯人につながるかもしれません。斬るにしても調査が終わってからにしてください。」
私が子狼の前に立ちふさがるようにして兄の腕をとると、兄は小さくびくりと震えた。
「だが、こいつはリリアナを傷つけたんだ。こいつを斬らなきゃ、俺はまた――――」
「俺はまた、なんですの?」
聞き返すと、兄がしまったというように顔をそむける。
…………怪しい。怪しすぎる。
いい加減兄の不審行動のわけも知りたかったし、一気に畳みかけることにする。
「またお兄様は私から目をそらすんですね。そんなに私のことが嫌いなんですか?」
「違う!! 俺はただ――――」
「ただ、なんですの? そろそろ私にもそのお考えを教えてくれませんか?」
「ぐ、だが…………」
「ほら、ここは森の中で、誰も聞いている人はいませんよ?」
「おーい、俺のこと忘れてないか、お嬢ちゃん?」
「リーウェンは屋敷から人を呼んできてください。ついでに魔導士の手配もお願いします」
リーウェンに事後処理を押し付けて追い払うと、私は兄へと向き直った。
「さて、お兄様。ゆっくお話しましょうか。私たち兄弟なんですもの、ね?」
にっこりと笑って兄の手を強く握る。
護衛であるリーウェンが私の傍を離れれば、
兄も私から逃げることが出来ないだろうと計算してからのダメ押しだ。
――――この時の私は、とても性格の悪い、悪役令嬢のような笑みを浮かべていたのかもしれなかった。
次回、兄の話です