悪役令嬢、花をめでる
二年ほど前、私の護衛を決めるために開かれた模擬試合大会。
リーウェンはその大会において無敗を誇り、圧倒的な実力でもって優勝を果たした。
見た目は黒髪の細身の青年にしか見えなかったが、その剣才はずば抜けており、
並み居る強豪たちを一刀の元に切り捨てた実力は本物だ。
――――そうして私の護衛に収まったリーウェンは、気さくで話しやすい青年だった。
しかしその後起こったとある襲撃事件のおかげで、私は彼の本性を知ることとなった。
…………その時の出来事はなかなかに強烈で、なかなかに忘れられそうにはない。
今でも、リーウェンを完全に信用しきっているわけではない。
だが公爵家の令嬢という立場上、私は多くの人間に狙われているので、強力な護衛が必要だった。
そしてリーウェンも自らの剣椀を振るう場を求めていて、私の傍にいるのが都合がいいのだ。
気の許せる相手ではないが、身分を気にせず接せられる分やりやすく、
この二年間ほどは外出する際はリーウェンを伴ってのことが多かった。
「それにしても兄君、あいかわらず尾行が下手だな。
あれで隠れてるつもりになっている人間が公爵家の跡取りだってあたり、
おまえんちも相当やばいんじゃねぇの?」
「……確かに、今の姿を政敵にでも見られたら、その場で貴族生命が終わりますわね」
あいかわらずぞんざいな口調のリーウェンに、投げやりでいい加減な口調で返す。
さすがに人目があるとこではリーウェンもちゃんと敬語を使っていたが、
二人きりになると砕けた言葉遣いで話しかけてくることが多かった。
まぁ、無駄に丁寧な口調で喋られても不自然だったし、私もその方がやりやすかったので、
特にその口調をとがめることもなく、私たちは会話を続けていた。
「まぁ、でもここは我が家の敷地内の森ですし、
人に見られる心配はありませんから、大丈夫でしょう」
「いや、妹であるおまえにばっちり見られてるんだから、駄目じゃね?
俺だったらあんな不審人物が兄だなんて、絶対みとめたくねーよ」
「そ、そこは、ほら、お兄様にも何かお考えがあってのことでしょうから…………」
「一体どんな考えだよ」
「………………」
リーウェンの問いかけに答えられず、目をそらす。
目をそらした先に、今回の森の散策のお目当ての花を見つけたため、ついでに話題もそらすことにする。
「わぁ、見てください、リーウェン、セルイエの花が咲いてます」
はしゃいだ声をあげ、ななめ前方の木の枝を指さす。
枝の先には、薄青の花弁を持った可憐な花が風に揺れている。
セルイエの花は、前世で言う桜のような形と咲き方をしているが、その花弁は青い。
花の見ごろは初夏である6月の初めごろ……
…………ふと思い出し、考える。
この世界のひと月が30日、一年が12か月で巡っているということは知っていたが、
それはなにより、この世界が乙女ゲームを元にしたものだ、という証拠なのかもしれない。
この世界には太陽が二つある。
今生きているのが地球ではないのは確かだろう。
別の惑星である以上、本来一日の長さや一年の周期が地球とは似ても似つかないものであってもおかしくないのだ。
……にもかかわらず、この世界は地球と極めて近似した時間の巡り方をしている。
その他にも、私の生まれたこの国は昔のヨーロッパのような文化でなりたっているし、
口にする食材や身の回りの植物も地球に存在するものか、似たような姿かたちのものが多い。
つまりそれは、この世界の大本が、乙女ゲーのユーザーである地球人が混乱せずに入り込めるよう、
地球と似た自然や文化を与えられたゲーム世界だから、ということなのかもしれない。
「おいお嬢ちゃん、大丈夫か? そんなにその花が好きなのか?」
思わずぼーっと思考を飛ばしすぎていたようだ。
目の前にリーウェンの顔がある。
リーウェンは瞳を歪めると、くく、っと小さく喉を鳴らして笑った。
「それとも、またいつもの『考え事』、ってやつか?
この俺がこんだけ近くで見つめてても気づかないんだもんな」
「……違いますわ。悪いですけど、顔をどけてくれません? それでは花が見えませんわ」
ひやりとしながら、でも表面には動揺をあらわさないよう、横柄な口調で答える。
リーウェンは武術の達人だけあって、勘がとても鋭い。
私が前世のことなどについて考えていると目ざとく嗅ぎ付け、からかってくる。
本気で問い詰めてくる気はないようだし、腕がたつのは確かなため護衛役としているが、気を付けないといけなかった。
「そんなに花が見たいのか? 俺の顔がこんだけ近くにあるんだから、そっちにときめけよ」
「どんなに顔が良くても、中身がどす黒いんじゃときめけませんわ」
「お、顔がいいことは認めてくれるんだな」
「ええ。お兄様の次くらいには、顔はいいと思います」
「……………………」
顔について素直に褒めてやれば、リーウェンは不機嫌そうに黙り込んだ。
「どうかしました?」
「…………そうだおまえ、花が見たかったんだよな?」
「? そうですけど?」
「ならもっと近くで見してやる、こい」
「それはそうです、って、きゃぁ!?」
リーウェンの手が伸び、強引に抱きかかえられてしまう。
リーウェンはそのまま私を肩の上に横抱きにすると、セルイエの木の近くへと歩み寄った。
「わ、わわっ!?」
「どうだ、高い分近くで見えるだろ?」
言われた通り、高くなった視界にはくっきりとセルイエの花が見えた。
「きれい…………」
「そうか。こんな近くで見たのは初めてか?」
セルイエの花は大人の背丈ほどの枝に咲いている。
今まで絵本で見たり、遠目で眺めたことはあったが、これほど間近で見るのは初めてだった。
目と鼻の先にる花弁は軽やかで、光に透ける様さえ見えて美しい。
「はい。すごく綺麗です。どうもありがとうございます」
心のままに感謝の言葉を伝えると、リーウェンが意地悪そうに笑った。
「どういたしまして」
おどけたように笑う声に、がさがさがさ!! と背後で盛大に物音がした。
「…………?」
音の発生源は、木の後ろに隠れている兄だ。
動揺のためか体が震え、手にした木の枝ががさごそと音を立て、不審者度が10割増しで上がっていた。
さっきリーウェンが私を抱き上げたころから妙にうるさかったが、何かあったのだろうか?
「お兄様、どうしたのでしょう?」
「さぁな」
リーウェンはどこか満足そうに笑った。
その笑みの意味はわからないけど、さきほどからのリーウェンの行動に私への害意はない。リーウェンがしたのは私を抱きかかえ、花を見してくれただけだ。
それは隠れているつもりの兄にもわかっているだろうから、なぜあれ程慌てるのかわからなかった。
「お兄様は一体何に慌てているのでしょうか?」
「くくっ、それは―――――!?」
リーウェンが言葉を切り、周囲を見渡す。
その表情から先ほどのふざけた雰囲気は消し飛んでいて、瞳には鋭い光が点っている。
「…………!?」
その変貌に驚いて周囲を見渡せば、さきほどまで兄が出していた物音も収まり、静寂。
木の後ろの兄も静かに瞳を光らせ、腰の剣へと手を掛けているのが見える。
「これは…………?」
「嬢ちゃん、ちょっと黙ってそこの木の根元で待ってな」
私を地面へとおろすと、リーウェンは静かに剣を引き抜いた。
彼がここまで警戒するということは、相当に危ないということだ。
でも、ここは安全な敷地の森のはずだ。
侵入者などいるはずがない――――――
――――――――そんな私の願いは、横から飛び出してきた黒い影によって、あっさりと覆されてしまった。
リーウェンとリリアナの出会い話は思った以上に長くシリアス風味になってしまったので、いったん飛ばしました。
その内番外編か何かで書くかもしれません