悪役令嬢、バッテリーを見る
どんな衝撃的な事実があろうと、かわらず朝日は昇るものらしい。
――――それはこの異世界でも同じことで、転生者である私もまた例外ではないようだった。
カーテン越しにさしこんできた光が、頬に当たるのを感じる。
聞こえてくるのは、窓の向こうで囀る鳥たちの声と、かすかな衣擦れの音。
豪奢な天蓋付きの寝台に横たわる私のもとに、一人のメイドが歩み寄ってくる気配を感じた。
「おはようございます、お嬢様。お加減はよろしいでしょうか?」
「…………ええ、大丈夫よ。ありがとう」
枕の上に上体を起こし、答える。
ほんとうはもう少し寝ていたかったが仕方がない。
――――10日前、森で拾ったスマホのせいで私は取り乱し、大泣きし、部屋にひきこもった。
数日にわたる引きこもりの理由を他人に説明するわけにもいかず、
メイドや家族にはお腹が痛かったせいだと話していたため、
これ以上心配をかけさせるわけにもいかなかった。
「それはよろしゅうございました。では、こちらをどうぞ。本日の茶葉はアシジリンのものとなっております」
メイドが差し出してきた紅茶を受け取り、にっこりとほほ笑む。
香り立つ紅茶の表面をのぞきこむと、そこには黒い髪の美少女が映っていた。
…………自分で言うのもなんだが、今の私はかなりの美少女である。
柔らかく瑞々しい陶器のような肌に、潤んだように光る青い瞳、
くせのある黒髪は艶やかで、緩やかなカーブを描いて小さな顔を縁取っている。
その顔貌は非の打ちどころのない完璧な造形で、妖艶ささえ香る美少女っぷりだ。
……まだ10才でありながらこの美少女っぷりなのだから、
将来一体どれ程の美女になるのか、我ながらおそろしかった。
「お嬢様、本日はお兄様が食卓でお待ちです」
「そう、それはお待たせしては悪いわね」
げ、お兄様もくるんだ。
私あの人苦手なんだよね…………
「紅茶ありがとう、今日もおいしかったわ」
「それはようございました」
兄への悪感情などみじんも表面に見せず、小さく笑って紅茶のカップを返す。
日本で生きていた前世からは考えられないほどの演技力だが、
前世の記憶持ちだということがばれないよう、必死に子供らしく振舞おうと努力したたまものだ。
「本日のお召し物はこちらです。どうぞこちらへ」
メイドたちの手を借り、フリルやレースで飾られたドレスに袖を通していく。
たっぷりと飾り付けられたドレスは、前世では考えられないほど豪奢で動きにくく、派手だった。
――――今の私は貴族の娘。
食卓を共にするのが血がつながった家族でも、きちんと服装を整える必要があるのだ。
「よくお似合いです、リリアナさま」
「ありがとう。すぐに食堂に向かうから、少し部屋の前で待っていてもらえるかしら?」
「わかりました。あまり遅くならないようお願いします」
「大丈夫、すぐ行くわ}
着付けが終わり、メイドを部屋から下がらせると、私は書き物机の引き出しの中からハンカチを取り出した。
繊細な刺繍が縫い付けられた絹のハンカチをゆっくりと広げると、中から黒い板状の物体が現れる。
「よかった。やっぱり夢じゃなかったのね」
そう呟いて黒い物体――――スマートフォンを手に取った。
そのままスマホを手に視線をあげると、鏡に映った私の姿が目に入る。
豪奢なドレスを着た西洋風の美少女と、その手の中におさまったスマートフォン。
違和感しかない奇妙な光景だが、夢ではない証に、手の中のスマホはひんやりと少し冷たかった。
――――あの日、スマホを森の中で拾った私は電源が切れてしまったことに絶望し、泣き喚いた。
しかしせっかく手にした懐かしい物体を捨てる勇気もなく、
幾重にも絹にくるんで引き出しの中にしまい込んでおいた。
そのまま何日か部屋に引きこもり、ようやく気分が落ち着いてきたのでスマホを取り出してみたところ、
私は再び驚愕に襲われることとなった。
「やっぱり電池が少し回復してるみたいね……」
電源ボタンをおすと振動と共にスタート画面が立ち上がり、電池の残量が表示される。
バッテリー残量は10%ほどと心もとないが、昨日の夜に見た時よりも確かに少しだけ回復していた。
「これ、なんで電池回復してるんだろ……。
電気なんかあるわけないし、やっぱ輝素か何かが影響してるのかな?」
私の生まれ変わったこの世界には、いわゆる魔法というものが存在していた。
誰でも使えるものではなく、限られた素養のある人間にしか使えないが、その効果は強力だ。
その魔法の源は輝素と呼ばれる魔力なようなもので、世界中の大気にあまねく漂っているものらしい。
電源も充電器もないのにスマホの電池が回復するなどありえないが、
ファンタジーなこの世界の謎の力のおかげで、可能となったのかもしれなかった。
電池が回復しているのに気付いたのは昨日の晩。
未練がましく電源ボタンをいじっていたとこと、まさかの起動音がなった。
信じられない現象だったが、私はさっそく電話番号をうちこみ、貴裕へと電話をかけた。
再びの通話に幼馴染は驚いていたが、それ以上に貴裕のもたらした情報が、私を混乱へと追いやった。
「……悪役令嬢、か」
無言のまま鏡を見、そこにいる黒髪の美少女――――私に向けてつぶやいた。
リリアナ・ハーデスフェルト。
公爵家の令嬢で、黒いうわさの付きまとう妖艶な絶世の美女。
王太子の婚約者という立場を持ち、その権力でもって目障りな相手を容赦なく葬る希代の悪女。
その果てに囁かれる二つ名は「血染めの薔薇」という恐ろしさ。
「……どこからどう見ても、完璧なる悪人、悪役令嬢よね……」
――――どうやら私の転生した人間は、このままいくととある乙女ゲームの悪役令嬢として、バッドエンドへ直行らしい。