ぼくらの町ミステリーロードーチョコ少女の亡霊 後篇
11 脱出作戦
パソコンに向かっていられる状況ではなくなってきた。ノブがまわり、ドアがわずか開き出した。デスクが少しづつ室内のほうへおしやられてくる。ぼくはこうすけと力をあわせてデスクをおしもどそうとした。向こうがわの力も強い。まるですもうを取っているみたいだ。
こうすけは何を考えたのか、すみの段ボールばこにかけよった。はこにはカン入りの炭酸ドリンクがつまっているみたいだ。こうすけははこをこじあけ、ドリンクのカンをつぎつぎ取りだすと、一本一本はげしくゆさぶりはじめた。
「太一もてつだって」
「な、なにしてるの?」
こうすけの顔はしんけんだ。
「これを武器にする。ここから脱出するんだ。早く」
わけもわからないまま、ぼくもカンを手にしてゆさぶった。
ついで、こうすけはパソコンの電源をきり、部屋の明かりも消した。はこをひっくり返し、ドリンクのカンをゆかいちめんにころがす。こうすけはたっぷりゆさぶったカンをかかえられるだけかかえると、ぼくにも同じことをするよう言った。
「もし、みんなが押し入ってきたら、カンの飲み口を相手の顔へ向けてタブを引くんだ。できれば、目をねらって」
「って、どういうこと?」
「炭酸で目つぶしをくらわせる。もうすぐドアが開くよ、足もとに気をつけて」
ゆかには何十本ものカンがころがっている。デスクはじりじりっと室内へおしもどされてくる。
ぼくらはかべぎわに身をよせ、じっと待っていた。胸が高鳴っている。うまく敵をやっつけられるだろうか。ここからぶじぬけ出せるだろうか。
のどがからからだ。できればこのドリンクを一本がぶ飲しみたいくらい。
とうとうドアとかべとのあいだに子どもひとりくぐれるくらいのすきまができてしまった。さしこむ光の中に子どものすがたが黒いシルエットとなって現れた。
「いまだ!」
ぼくらは暗がりから飛び出すと、だめおしにひとふりしたカンの口を相手に向け、タブを引いた。なかみのドリンクがシュッといきおいよくふき出し、敵の目を直撃した。相手は男の子だ。ぎゃっとひと声あげると、両目をこすっている。そのひょうしにゆかのカンをふんでしまい、足をすべらせた。
「行こう!」
ぼくらはゆかのカンを外へ向かってけり飛ばした。かかってこようとしたほかの子どもたちがころがるカンに足を取られてよろけた。ぼくらは目の前にせまる相手目がけてつぎつぎ炭酸ピストルを発射した。
おでこから両目にあわだつ液体をかけられた子どもたちはみんな顔をおさえてうずくまったり、ゆかのカンによろけてころんだりした。
こうすけとぼくはそのすきに店の出口めざしてつき進んだ。と、ひとりの女の子が立ちふさがった。
相手がだれだかわかって、思わず足が止まってしまう。
うそだろ、この子って……スガオの妹、すみれちゃんじゃないか!
すみれちゃんは血ばしった目をして、ほえかかる犬のように凶暴な顔つきをしている。
「すみれちゃん! 目をさませ! なんでこんなとこにいるんだよ」
すみれちゃんは歯をむき出し、うなるような声を上げた。
「あたし、いい子でいることにあきちゃったの」
すみれちゃんは手に持つビニールがさをふり上げた。この店にあったものだろう。これでぼくをたたくつもりなのか。ぼくがこのとき感じたのは悲しいってことだった。
いい子でいることにあきちゃったって?
すみれちゃんはちがう何かに変わってしまったわけじゃなく、もともとすみれちゃんの心にあったものがゆみちゃんの魔力でときはなたれたってことなのか。スガオもほかの子たちもみんなそうなのか?
すみれちゃんがかさをふりまわし、ぼくにかかってきた。横からこうすけが炭酸ドリンクをすみれちゃんにあびせかけた。すみれちゃんはかさを取り落とすと二、三歩よろめきうしろの商品だなにぶつかった。
「太一、行こう!」
ぼくらはコンビニを飛び出した。のこる敵がぱらぱらと追ってくる。ぼくらは自転車をかっとばし、にげきった。
「駅へ行こう。電車でとなり町へ行けば……助けをもとめられるかもしれない」
ぼくらはひたすら自転車を走らせた。
おとなたちを眠らせ、子どもをあやつる。ゆみちゃんの魔力はもう言の葉町ぜんぶにおよんでいるのかもしれない。どうかよその町はぶじでありますように……。
言の葉駅を目ざし、しずまりかえった夜の町をつっぱしった。町の明りはいつもと変わりない。だけど、その明りの下でおとなたちはたおれ、子どもがあばれまわっている。さかさ池が告げた異変ってこのことだったのか?
道には人も車もまったく見えない。行く先にまっくろでところどころ町の明りを反射してきらきら光る巨大なベルトのようなものが見えてきた。
明日見川だ。あの川をこえればもうすぐ駅だ。川にかかる橋の上にパカパカッと赤く回転する光が見えた。
「見て、こうすけ。パトカーだ」
やった! ぼくがかけた110番で来てくれたパトカーだ、きっと。ぼくがペダルをふみこもうとしたそのとき。
「ちょっと待って」
こうすけに引きとめられた。
「おかしくないか。なんで橋の上なんかに止まっているんだろ。ふつうならすぐ現場へ向かうはずじゃないのか」
「まさか、おまわりさんまで?」
ぼくらはスピードを落として橋へ近づいていった。パトカーは橋の中ほどで、コンクリのらんかんにボディをこすりつけるように止まっている。エンジンはかかったままだ。しかも運転席のドアは開きっぱなし。
ようすがおかしい。ぼくらは自転車を降り、あたりに注意をはらいながらパトカーに近よっていった。いやな予感がしている。開いたままのドアからこわごわ中をのぞきこむ。運転席ではおまわりさんがひとりハンドルによりかかるようにぐったりしていた。
声をかけてみようと思ったそのとき、うしろの席で動くものがいた。
「パン! バキューン」
おまわりさんの帽子を顔半分くらいまでかぶった小さな男の子だ。男の子は両手でにぎるものをぼくへ向かいつきだしてきた。運転席のおまわりさんの肩とひもでつながったそれはピストルだった。おまわりさんの持ち物ってことは、それはおもちゃではない、ほんもののピストルだ!
「パ―ン。バキュンッ」
男の子の口からむじゃきな声がもれる。おまわりさんごっこのつもりなんだろうか。
「やめろ。それはほんものだぞ。あぶないんだぞ」
男の子の口が帽子の下でにやり笑うのがわかった。
「パ―ン。バッキュン。おにいちゃん、うたれたんだよ」
ぼくはそろそろとあとずさり、こうすけのほうへ向かった。こうすけはパトカーの外でこおりついたように立ちつくしている。橋の上にもひとりおまわりさんがたおれていた。その近くにはべつな男の子が。その手に短い棒のようなものがにぎられている。おまわりさんが持ち歩く警棒だ。
「いったい、だれに何を命令されているんだ。ぜんぶゆみちゃんのさしずなのか」
こうすけが問いつめると、やんちゃな顔つきの男の子はいきなりらんかんの手すりによじのぼった。あぶない、ってぼくは思ったけど、男の子はこわがるそぶりも見せず、手すりの上に立ち上がると、警棒をくるくるまわしてみせた。
「もう・おれたちに・さからえる・おとな・なんか・いない。おもいきり・あばれて・やるんだ。おっもしれえ」
そう言うなり男の子はジャンプしてこうすけにおそいかかろうとした。コンビニではこうすけのおかげで助かった。こんどはぼくがこうすけを助ける番だ。ぼくは男の子に飛びかかっていた。
「はなせ!」
男の子はあばれまくる。ふりまわそうとしていきおいがあまったのか、警棒がカランと音を立て、橋の上にころがった。こすけが長い脚をのばして、警棒をらんかんのすきまから川へけり落としてしまった。
「目をさませ、おい!」
ぼくは両肩をつかんでゆさぶると、男の子はとつぜん顔をくしゃくしゃにゆがめて泣き出した。
「時間がない。行こう」
この男の子たちをほっぽらかしていくのは気になるけど、しかたない。
こうすけとぼくはふたたび自転車にまたがり、駅めざして走り出した。
12 トンネルの中
ぼくの背中はあせをかいてびしょぬれだ。駅の明りが見えてきた。コンクリのはこみたいなそまつな建物があるだけの小さな駅だけど、朝と夕がたには会社や学校へ行く人たちでにぎわう。いまは人っこひとり見えない。駅前には何軒かのお店や食堂もあってまだ電気がついている。でも、人の動くけはいはまったくない。
ぼくらは駅へかけこんだ。古びた木のベンチがならぶ待合コ―ナ―。
ここにも人かげはない。こうすけが窓口から事務室をのぞきこんだ。
「ああ、ここもだめだ」
ぼくもすぐこうすけの言った意味がわかった。制服を着た駅員の人がたおれている。コンビニやパトカーの中と同じだ。
こうすけはかべの時刻表パネルを見上げた。
「もうすぐ上りの電車が来る時間だ」
ぼくらは改札口をすりぬけた。ここは自動改札にはなっていない。きっぷは持ってないけどいまは緊急事態なんだ、かまうもんか。夜のプラットホームはしずまりかえり、こわいほどさびしい。なまあたたかい夜だけど、星の光はやけにつめたそうに見える。
「電車、ちゃんと来てくれればいいんだけど」
ぼくらは上り電車が来る方角をじっと見つめていた。どうか電車がぶじに来ますように。ぼくらをとなりの町まで運んでくれますように。やがて暗やみの向こうからギラギラまぶしい光が近づいてきた。
「やった、来たぞ!」
あの電車はよその町から来ている。ゆみちゃんの魔力が乗っている人たちにとどいていませんように。ぼくはそういのっていた。電車のライトはかなりのスピードでこっちへ向かってくる。
こうすけがひどく緊張した声でつぶやいた。
「おかしいな。信号が赤に変わっちゃったぞ」
言われて見ると、駅の手前にある信号がさっきまで青ランプがともっていたのに赤に切りかわっている。これじゃあ、電車が駅へ着く前に止まっちゃうじゃないか。電車がけたたましい音を立ててスピードを落とすのがわかった。
「なんでだ、なんでだ」と、こうすけが呪文のようにつぶやいている。
どうして、電車はこっちまで来ないんだろう。
「もしかして|ATS(エ―ティーエス)?」
「なに、それ?」
こうすけは駅の手前で止まってしまった三両編成の電車をにらみながら答えた。
「列車の自動制御装置。スピードを出しすぎると、自動的にブレーキがかかるシステムになっているんだ。それが働いて止まったのかも」
「それはわかるけど、なんで電車はスピードを落とさなかったんだろ」
こうすけの顔はなんだかくるしそうにも見えた。もちろんこうすけの答えを待たなくても、ぼくにだってわかる。電車の運転士さんが運転できない状態にあるってことだ。この町にさしかかったとたん、ゆみちゃんの魔力にかかってしまったってことなのかもしれない。
ぼくはこうすけと顔を見あわせた。
「この町にいるかぎり、もう、おとなはだれもあてにできないんだ」
「どうしよう」
「ぼくらが自分の足で、いや、自転車でこの町から脱出するしかない」
こうすけとぼくはいそいで駅を出ると、ふたたび自転車に飛び乗った。いまのぼくらにはただひとつたよりになる乗り物。
こうすけがぼくをふり返り、強い口調で言った。
「もう、とちゅうで何を見てもぜったい止まっちゃだめだ。となり町を目ざして、いっきにぶっ飛ばすんだ」
「オッケー」
そうきめるとぎゃくに勇気がわいてきた。こうすけは道を知っているらしい。ぼくは先を行くあいつの自転車をひたすら追いかけた。おくれないよう、ガンガン、ペダルをふむ。のどはかわききってひりひりするほどだ。自動販売機の前を通りすぎるときは何か飲みたい思いにかられた。でも、そんなひまはない。
ふと、かあさんの顔が頭にうかんだ。帰ってきてぼくのメモを見たとき、どう思っただろう。カンカンにおこっているだろうか。それとも……それとも、かあさんもゆみちゃんの力にとらわれてたおれているんだろうか。
ぶじだといいんだけど。
こうすけの走りには気合いが入っている。いつの間にかぼくはきょりをはなされていた。もうすぐ道路が線路とまじわる場所にさしかかる。そこは線路が小高い土手の上を通り、その下の小さなトンネルを道路がくぐっている。
こうすけの自転車がトンネルへ消えた。ゆるいカーブがかかっているのでトンネルの先はよく見えない。おくれないよう、ぼくはいっそうスピードを上げてトンネルへ入った。
コンクリートのせまいトンネル。反対がわの出口が暗やみを切り取ったようにぽっかり映っている。ひと足はやく通りぬけたこうすけの背中が見えた。アーチ型の天井ではけい光灯がパカパカまたたいている。トンネルの中は少ししめりけがあって、ひんやりしていた。
この陰気な場所を早く通りすぎようとペダルをふみこんだとき。
肩と背中にドスンッと衝撃を感じた。からだが急に重くなる。全身にさむけが走った。
……おにいちゃん……。
耳もとで声がした。
首をひねってうしろをのぞきこむと……。
うつろなガラス玉のような目がぼくの目と合った。ほんの数センチの近さで。かれ草のような感触の髪がぼくの首すじをなでる。とてもつめたい。
声を上げるひまさえなく、つい急ブレーキをかけてしまった。バランスをうしなった瞬間、ぼくのからだは地面に投げ出されていた。しばらくうずくまったまま、動くことができずにいた。
痛い、とかいうよりもいまのできごとのショックでからだじゅうがマヒしてしまった感じ。いまのはゆみちゃんの目だったのか?
こわいよ。
そろそろと顔を上げてあたりを見まわす。
だれのすがたもない。
あれはまぼろしだった? でも、たしかに背中に重みを感じたぞ。
そばにぼくの自転車が横だおしになっている。ああ、自転車こわれてなければいいんだけど。早くこうすけに追いつかなきゃ。あいつ、走るのにむちゅうでぼくのことには気づいていないんだろう。
しばらくして、手足に感覚がよみがえってきた。それと同時にひざやひじがずきずき痛み出す。ころんだとき、地面に強く打ってしまったみたい。たしかめると、あちこちから血が出ていて、ひざにはむらさき色のあざができていた。
いて、痛てててっ。いてえよっ。
「おにいちゃん、けがしたの? かわいそう」
ハッとして見まわすと……。
コンクリのかべぎわに黒っぽい影が見えた。それはじわじわ空気中にうかび出て、ゆみちゃんのすがたになった。のたうつような髪の下から青白い顔がのぞく。ぼくをただじっと見つめている。
ゆみちゃんがいま何をたくらんでいるのか、想像することさえこわい。
ぼくは痛む両ひじを必死に動かし、からだを起こすと立ち上がった。
早く、早く自転車に乗ってにげなきゃ。
だけど、ゆみちゃんの動きはすばやかった。空気の中を泳ぐようなはやさでいつの間にかぼくの目の前にいた。
なぜだかとっても寒い。夏も近い生あたたかい夜だったはずなのに。
ゆみちゃんの全身は氷でできているかのようにつめたいオーラをはなっている。
「おにいちゃんはママとパパのことすき?」
ゆみちゃんからの質問。
答えちゃだめだってわかってる。答えたらきっと、ぼくもスガオみたいに魔力にとらわれて、言いなりになっちゃうだろう。負けんなよ、ゆみちゃんに。ぼくは自分にそう言いきかせた。でも、足がかたかたふるえてくるのをおさえることができない。
もういちど同じことをきかれた。
「おにいちゃんはママとパパのことだいすきなんでしょ。いいなあ」
なんだか、そうきかれるとビミョ―な気分。たしかに、小さなころはかあさんのこともとうさんのことも大すきって単純にそう思ってた。だけど……近ごろじゃあ、かあさんにたいしてムカつくことも多い気がする。それにお酒を飲んでポーッとしたり、ぎゃくにイライラしたりするかあさんを見るのはきらいだ。でも、きらいだ、なんて答えたら、ゆみちゃんにつけこまれそうな気がした。
「す、すきだよ。あたりまえだろ」
「おにいちゃんってうそつき。ママとパパのせいで悲しい思いしたことないの?」
悲しい思い? そ、そりゃ何度かあるけど。ぼくが三年生だった二学期あたりかな、かあさんととうさんのなかが悪くなり出したのは。理由なんかぼくにはわからない。
ばんごはんのときもふたりはよくけんかをしていた。そんなとき、ぼくはけんかをやめてほしくて、学校で起きたおもしろい話をしたり、ときにはわざとお茶わんをひっくり返したりもした。ぼくひとりがしかられれば、けんかがおわるかもって考えたんだ。かあさんととうさんのけんかをじっと見ているくらいなら、ぼくがしかられていたほうがましだった。
そんな夜はのみこむようにごはんをすませ、テレビも見ずにベッドにもぐりこんでちぢこまっていた。そういえば、みんなで外へごはんを食べに行こうとして、出かけるまぎわにかあさんととうさんの言いあらそいがはじまったこともあった。かあさんはおこってひとりでいなくなってしまい、ぼくはとうさんとふたりだけでファミレスでごはんを食べた。ちっともおいしくなかった。
あんな思いをしたのは……。
やっぱ、かあさんととうさんのせい?
いつか三人で東京ディズニーシーへ行こうってやくそくもしていたのにそれもなしになっちゃったし。べつにディズニーシ―はいいけど、家族のやくそくが消えてしまったことはくやしい。
それもやっぱ……かあさんととうさんのせい?
「こらしめてあげようよ」
ゆみちゃんの声。なぜだろう。ぼくの心によくとどく気がしてきた。とても寒いのにゆみちゃんの声だけがあたたかく感じられる。その理由がわかった。ゆみちゃんの声はぼくの外から聞こえているんじゃあない。
ぼくの中で聞こえるんだ。
ゆみちゃんのたましいはいまぼくの中にいる?
「おにいちゃんだって、パパとママのせいで悲しい思いしたんだよ。だから、こらしめてあげようよ。わたし、おにいちゃんをおうえんしてあげる」
かあさんやとうさんをこらしめるって? そんなことできるわけないよ。
そうさけぶより先に、ゆみちゃんの声がした。
「ママを先にこらしめようよ。おにいちゃんは悲しい思いしたんだからやってもいいんだよ」
どうしたんだろ。ぼくの心がべつな何かに満たされていく気がする。ひじやひざの痛みも消えていた。からだがゴム風船になってしまったように軽い。なんだか気もちがうきうきしてきた。ぼくは自転車を起こした。
大きなガがひらひら舞っている。それはけい光灯そばのかべに羽を開いたままはりついた。黄色い羽には黒っぽいもようがついている。よく見るともようはドクロの形ににていた。
死の世界から飛んできたガ?
ぼくは自転車にまたがった。
さあ、かあさんをこらしめに帰らなくちゃ。
「がんばって。おにいちゃん」
ゆみちゃんがぼくのほんものの妹に思えてきた。ゆみちゃんをがっかりさせないためにもやらなくちゃ。
こうすけは何も気づかず先へ行ってしまったんだろうな。
いいさ、こうすけのことは。あいつはぼくとはちがうんだ。
ぼくは・ひとりで・うちへ・もどって・かあさんを・こらしめるんだ。
自転車で、もと来た道を引き返した。
かあさん、待っててね。
ぼくがこれまでどれくらい悲しい思いをしたか、おしえてあげるから。
13 死体の正体
かあさんはリビングのゆかへうずくまるようにたおれていた。テーブルの上には飲みかけのワイングラスがある。また、お酒を飲んでいたのか。ぼくらのためにとか言って学校へ出かけたのに、帰ってくればお酒を飲んでいるのか。
お酒を飲んだときのかあさんはきらいだ。どんよりにごった目をして、急におこりだしたりするから。そういえば、いつだったか、ぼくがかあさんの言葉に返事をしないで部屋に入ったら、追いかけてきて、ドアをどんどんたたいたことがった。
そんなかあさんは大きらいだ。
やっつけて、こらしめてやらなきゃ。
「おにいちゃん、しっかり」
ゆみちゃんがぼくのそばにいてくれる。あの子はぼくのみかたなんだ。なんでいままでゆみちゃんをこわがったりしていたんだろう。とってもやさしくていい子じゃないか。
ゆみちゃん、ぼくを見ていて。
あたりを見まわし、たなの上にある白鳥の首にもにた形の花びんに目をとめた。このアパートにひっこしてきたころ、かあさんはよく花をかざっていたよな。いまではそんなこともしなくなっちゃったけど。
ぼくは花びんをさかさにして手にすると、動かないかあさんに近づいていった。
ちょっと待て。ぼくはいま何をしようとしているんだ?
何って、ゆみちゃんに言われたとおりのことさ。
「おにいちゃん、早くママをやっつけて」
ぼくは一歩ふみだすと、花びんをふり上げた。
だめだよ、そんなことしちゃ。
ぼくの中でべつな声がさけんでいる。これってほんとうにぼくの声なんだろうか。なら、いまのぼくはだれ?
わたしよ、ゆみよ。
そんなことしていいわけないだろ。
でも、ぼくだって悲しい思い、さびしい思いをしてきたんだ。
ぜんぶ、かあさんととうさんのせいだ。だから、こらしめてやるんだ。
ぼくの中でいくつもの声がかさなり合っている。
ぼくは花びんをにぎりなおした。ゆかの上のかあさんはピクリとも動かない。髪がひたいに垂れ、目を閉じたその顔はなんだかくるしそうに見えた。いま、悪い夢でも見てるのかな。どんな夢だろ。もしかして夢の中にはぼくが出てくる?
急に自分がやろうとしていることがこわくなってきて、思わずあとずさっていた。背中にふわふわしたものがふれる。ふり向くと窓べでカーテンがゆれている。ガラスの上に赤い文字があった。
がんばっておかあさんをやっつけちゃって
おにいちゃんのこと だいすき
ゆみちゃんはぼくがかあさんをやっつけることをのぞんでいるんだ。
やっぱ、ゆみちゃんの願いをかなえてあげたい。
ぼくは一歩、二歩と進み出た。
これでゆみちゃんとほんとうになかよしになれる。
そのとき玄関でチャイムが鳴った。その音が耳に入るや、ぼくの中から何かがすっとぬけ出ていくのがわかった。ゆみちゃんがぼくからはなれていった……。それと同時にこわいという感情がよみがえった。
だれだろう、こんなときに。まさか凶暴な子どもたちがおしかけてきたとか。チャイムは何度か鳴りひびくと、こんどはドアをたたく音にかわった。あわただしいたたきかただ。
のぞきあなのレンズを通してたしかめたら……。
松本刑事だ!
ドアを開けようとしてためらった。松本さんがいま入ってきたら、ぼくがしようとしていたことを知られちゃうかも。そうなればぼくはかあさんを傷つけようとした罪で罰せられるかもしれない。
こんどは声がした。
『だれかいませんか。二階堂さん! 太一くん、いるのか!』
その声に決心して、ドアのロックをはずした。
開くなり、松本さんは息をみだして、ぼくの両肩へ手をかけた。
「だいじょうぶか。おかあさんもぶじか」
ぼくは返事もできず、ただうしろをふり返った。
「失礼!」
松本さんはけとばすようないきおいでくつをぬぐと、室内へ飛びこんできた。かあさんを見つけると、かけより、手首を取って声をかけている。
何度かよびかけられるうちに、かあさんは軽いうめき声を上げて、寝返りを打った。
ぼくはぼんやりその光景をながめているしかない。ぼくがさっき手にした花びんがゆかにころがっている。ああ、早くあれをかたづけないと、ぼくのやろうとしたことがバレちゃうかもしれない。
松本さんはかあさんをかかえ起こしながら、ぼくを見て言った。
「水とタオルを持ってきてくれ。水はやかんか何かでできるだけたくさん」
言われたとおりにした。ゆみちゃんの存在はもう感じられなくなっている。ぼくはゆみちゃんのたましいから自由になったのかな……。
松本さんはタオルを水にひたし、かあさんのひたいや首すじにしずくを垂らした。かあさんはそのつめたさにおどろいたのか、ブルッと肩をふるわせ、やがてうっすらまぶたを開いた。
ぼくはよかったって思った。でも……かあさんはもしかしてぼくがやろうとしたことを見ていたんじゃないか、そんなことを考えこわくなってきた。
「だいじょうぶですか」
かあさんはおでこに手をあて、しばらくうつむいていた。顔を上げたとき、ぼくと目が合った。
「太一……あんた、ずっとスガオくんのところにいたの? 帰りがおそいからずいぶんしんぱいしたんだよ」
ぼく、何も答えられない。かあさんは立ち上がりかけて、よろめいた。松本さんがすかさず、かあさんの背中を受けとめる。かあさんはゆかに
ぺったりすわりこんで、ぼくをにらんだ。だけど、その目には力がなかった。
「どうして言うこときいて、るすばんしてなかったの? 返事しなさいよ」
ぼくは小さな声で答えた。
「子どもたちがゆみちゃんに取りつかれちゃったんだ。おれ、みんなを助けようとして、走りまわってた」
「うそつき!」
松本さんがわりこんできた。
「いちがいに太一くんの言うことがうそだと思えないんです。とほうもなくおかしな事件がいま起きているのはたしかですから」
こうすけのことを思い出した。あいつはぶじとなりの町に着いただろうか。もし、とちゅうで凶暴な子どもたちにおそわれていたらどうしよう。
松本さんに告げた。
「友だちが自転車でとなり町へ向かっているはずなんだ。木島こうすけってやつなんだけど、松本さん、おれ、こうすけのこと、しんぱいなんだ」
松本刑事はすかさず携帯電話を取り出した。
「こうすけくんってめがねをかけた子だったよね? きょうはどんな服装をしていた?」
あれ、こうすけってきょうどんな服を着ていたっけ?
ぼくはいっしょうけんめい思い出しながら刑事の質問に答えていった。松本さんはケータイに向かい、こうすけのことをだれかに伝えていた。
かあさんは痛みにたえるような顔つきでだまりこんでいる。なんだか、
それがぼくのせいである気がして、ぼくも何も言えずにいた。こうすけとふたりでがんばるつもりでいたのに、ゆみちゃんの言葉に負けてしまったぼく。もし、松本さんが来てくれなかったらどうなっていただろう。それにしても、松本さんはなぜ急にここに現れたのかな。
電話をおえた刑事はぼくに言った。
「となり町の警察署からおうえんのパトカーがこの町へ向かっている。こうすけくんらしい男の子を見つけたらすぐ保護するよう要請しておいたから」
ちょっぴり安心。だけど、松本さんはどうしてゆみちゃんの魔力からのがれることができたんだろう。
「パトカーの中でおまわりさんがたおれてるの見たんだけど、松本さんはへいきだったの?」
「わたしは夜までこの町をはなれていたんだ。例の死体の身もと調べでね。それがてまどってこの町へ帰ってきたのはつい先ほどのことだった。通りに人や車がまったく見えなくてすぐに変だなと感じた」
松本さんの顔は青ざめているように見えた。
「言の葉署へ着いたら、当直の警官がたおれていてね。本部からの指令だけがメモでのこされていた。それが太一くんからの110番通報だったわけだ」
「じゃあ、松本さんはあのコンビニへ行ってみたの?」
「うん。ところが太一くんのすがたはないし、けがをしたおとなが何人もたおれている。それで県警本部へ救急車とおうえんのパトカーを要請してからここへかけつけたってわけだ」
そうか、それで来てくれたのか。短い時間に松本さんはそれだけのことをしてくれたんだ。やっぱ、この人ならたよりになる、そう思った。
ぼくは気にかかることをきいてみた。
「あの死体がだれだかわかったの?」
「うん。意外な人物だった」
ぼくは松本さんの口もとを見まもった。
「死んだ女の子、ゆみちゃんの父親だったんだ」
ゆみちゃんのおとうさん? たしか、ゆみちゃんがなくなるずっと前にゆくえふめいになっていたんじゃなかったっけ?
「父親はゆみちゃんが死ぬ一年くらい前に事業に失敗してゆくえをくらませてしまったんだ。もうすぐ夏なのにあの死体は冬もののコ―トを着ていただろ? どうやら住む家も着がえもなくホームレスぐらしをつづけていたらしいんだ」
「なんで、いまごろになって帰ってきたのかしら」
かあさんの声に松本さんもぼくも同時にふりむいた。かあさんは頭がはっきりしたのか、松本さんの話をちゃんと聞いていたようだ。
「本人が死んでしまったので理由はよくわかりません。家族とくらした家がなつかしくなったんじゃないでしょうか」
ちがうよ。ぼくにはわかる。ゆみちゃんがよびよせたんだ、きっと。あのおとうさんはゆみちゃんの亡霊に追いかけられて死んじゃったんだ。
「ゆみちゃんのおかあさんはどうなったの?」
ぼくがきくと、松本さんの顔が暗くなったように見えた。
「母親はゆみちゃんを死なせた罪で刑務所に入った。そこを出たあと社会復帰はしたらしいんだけど……」
松本刑事は手帳にはさまった一枚の写真を取り出した。
「太一くんはこの女の人に見おぼえはないかな」
女の人の顔写真。この前見せてもらった似顔絵ともちょっとにている。
そして、この顔って……ゆみちゃんの家の窓でぼくが見た顔にそっくりな気がする。
「見たことあるんだね?」
「この人って、だれなの?」
「ゆみちゃんの母親だ」
そうだったのか、じゃあ、ゆみちゃんのおかあさんもこの町にもどっていたんだ。だけど、つぎの松本さんの言葉は意外だった。
「じつはゆくえふめいになった四年生の男の子といっしょにいた女性もこの写真の女にそっくりだという目撃証言もあるんだ。ゆみちゃんの母親が事件にかかわっているのかと思って調べてみたんだけど……」
松本さんのおでこにしわがより、しんこくな顔になった。
「……ところが、母親はすでになくなっているんだ。去年の秋に交通事故で」
えっ、去年の秋? なら、この町で目撃された女の人ってだれなの?
「母親は車にひかれた。エンジンのかかっていない無人の車がとつぜん動き出して、たまたま近くを歩いていた母親をはねてしまったそうなんだ。母親は病院で息をひきとったらしい」
かあさんがつぶやいた。
「サイドブレーキがはずれたんだわ、きっと」
松本さんもうなずいた。
「不運なぐうぜんだったんでしょうね」
ぐうぜんなんかじゃないよ。すべて、ゆみちゃんのしわざなんだ。ゆみちゃんは自分のおかあさんとおとうさんに呪いをかけ、死の世界へ引っぱったんだ、きっと。それなら、この町で目撃されたゆみちゃんのおかあさんというのは……幽霊だったのか。
これでわかった。あの家の二階から足あとものこさず、ぼくらに見つかることもなく女の人が消えてしまったわけが。すでに死者になったゆみちゃんの家族がこの町へ集まってきているんだ。幽霊になったおかあさんはゆみちゃんの言いなりで子どもをつれさる手伝いをしていたのかもしれない。
「でも、おかあさんはなんでゆみちゃんをあんなにいじめたりしたんだろ」
ぼくはつぶやくと、、松本さんは声をひそめて答えた。
「当時の調べによると、おとうさんが失そうしてから、おかあさんは心が不安定になっていたらしいんだけど、そこいらへんに原因があったのかもしれないな」
ふと、かあさんがくるしそうな声で言った。
「子どもとふたりだけ取りのこされて、心が追いつめられちゃったのかもしれないわ」
ぼくはかあさんの顔を見た。いまの言葉って、かあさん、もしかして自分のこと言ってない? かあさんもそんなにくるしい思いしていたの?
ぼくのことがじゃまなの? ぼくとふたりの暮らしがいやだったの? なんだかぼくの気もちまで重くなってくる。
ちがうことを考えたくなった。松本さんに聞いておきたいもうひとつのこと。うさぎ、そう、あのうさぎのぬいぐるみはなんだったんだろう。
「ぬいぐるみのこと、なんかわかったの?」
松本さんは首をかしげて答えた。
「あのぬいぐるみにもなぞが多いな。お店で売ってる商品じゃなく、手作りみたいなんだけど、中に何か、かくされてる気がしたんで、背中のぬいめを開いてみたんだ。そしたら……」
松本さんは肩をすくめてみせた。
「中から紙につつまれたたくさんのチョコレートが出てきたんだ。とろとろにとけてはいたけどね。いった、だれがなんの目的で作ったぬいぐるみなのか、なぞだね」
ぼくは考えた。あのぬいぐるみはゆみちゃんのおかさんがゆみちゃんへの「ごめんなさい」の気もちをこめて作ったものだったんじゃないかって。
チョコがつめてあったのも、ゆみちゃんにかわってあのうさぎがたくさんのチョコをおなかいっぱい食べてっていうメッセージだったんじゃないのかな。でも、そんなこといまさらたしかめようもないけど。
松本刑事が腰を上げた。
「いずれにせよ、何とかしてこの事態を収拾しなくちゃならない。今夜は大仕事になるな」
「この事件ってぜんぶゆみちゃんのしわざだったのかな」
松本さんはちょっと顔をしかめた。
「幽霊だの呪いだのがほんとにあるのかどうか、わたしにはわからない。ただ、警察としては事件を幽霊のせいにしてすませるわけにはいかないからね」
松本さんはかあさんを見て言った。
「戸じまりをしっかりして朝まで外へは出ないようにしてください。何かあったら110番か、わたしのケータイに電話をください」
刑事は手帳をやぶり携帯電話の番号をメモするとかあさんに手わたした。
ぼくはとっさにこう言っていた。
「ぼくも行くよ。どこで何が起きたのか、案内できるのぼくだけだもん」
松本さんはこわい顔で首を横にふった。
「町はとてもきけんな状態だ。きみをつれて歩くわけにはいかない」
じゃあ、気をつけて、と刑事は片手を上げて出て行った。
松本さんがいなくなると、かあさんはしずかな口調で言った。
「わたしたち、ちょっと話し合ったほうがいいみたいね」
かあさんはカーペットの上にころがる花びんを拾い上げた。それを見たら、ぼくの胸はズキンッと痛んだ。かあさんは花びんをもとあったたなにもどすと、ぐったりしたそぶりでソファにすわりこんだ。
「太一。あんた、ほんとうは何を考えているの? 何か不満があるの?」
ぼくはしかたなしにこう答えた。
「かあさんは近ごろ、お酒ばっか飲んでる。おれ、かあさんがよっぱらってるとこ見るの、いやなんだ」
かあさんはため息まじりに言い返してきた。
「あたしはおとなだよ。お酒のことであんたにとやかく言われたくないわ」
「かあさんがよっぱらってると、おれ、かあさんがおれを捨ててちがう世界へ行っちゃったような気分になってくる」
かあさんがハッと目を見開いたように見えた。そしてすぐ小さな子が泣き出す直前のような顔になった。
「あんたがそんなこと思ってたなんて……気づかなかった。ごめんね。だけど、あんたにだって、あたしのことわかってほしいんだ。だれかをたよりたい、けど、たよれる人がいない、あたしがそれをとってもつらく感じることもあるんだってことを」
かあさん……。そんなにくるしかったの? ぼくとふたりだけでくらすってそんなにたいへんなことだったんだ……。ぼく、これまで、かあさんのくるしさなんて考えたこともなかった。
かあさんはこめかみを指でおさえて、泣くような声でつぶやいた。
「ああ、ごめん。変なことばっかしゃべっちゃって。あんたは何にも悪くないよ。あたし、いまちょっと頭が痛いの」
「だいじょうぶ? 休んだほうがいいよ」
かあさんはのろのろ立ち上がると、自分の部屋へ行こうとしてよろけた。ぼくが手をかして、部屋までつれていってあげた。
「あんた、ばんごはん、まだだったでしょ? チキンライス冷蔵庫に入れ
てあるからあたためて食べて。食べおわったらまたあたしのそばへ来て」
かあさんはベッドから手をのばし、ぼくの指にふれてきた。なんだかて
れくさいようなウザったいようなビミョ―な気分。かあさんは目をとじていた。もしかしてゆみちゃんの魔力がまだ完全にはとけていないのかもしれない。
ぼくはふと、とうさんに電話してみようかと思い立った。ふだん、かあさんはぼくが勝手にとうさんと電話で話をするといやな顔をするんだ。でも、今夜ならチャンス。ぼくのペンケースの中にはとうさんのケータイ番号をメモったシールをこっそりはってある。足をしのばせてそれを取りに行こうとしたとき。
電話が鳴った。
14 こうすけの背中
受話器の向こうから聞こえたのはこうすけの声だった。
「こうすけ、だいじょうぶだったのかよ」
かあさんを起こさないよう声を低くしてきくと、こうすけは少し元気のない声で答えた。
『ぼくはへいき。それより、太一がとちゅうで消えちゃったんですごくしんぱいしたよ』
ごめん、ってあやまってから、トンネルでゆみちゃんに追いかけられ、うちまでにげ帰ってきたって伝えた。うそつきのぼく! だけど、ゆみちゃんの言いなりになってかあさんをやっつけようとした、なんてほんとのことはどうしても言えなかった。
「こうすけはいまどこにいるの?」
『となり町へ向かってたんだけど、太一がしんぱいであきらめて引き返したんだ。いま、みどり児童公園の電話ボックスにいる』
ぼくはおかしなことに気づいた。こうすけの声にかぶさって、キャッキャッキャッと小さな子どものはしゃぐ声が聞こえるんだ。こんな夜に公園であそぶ子がいるとは思えないんだけど。
ぼくは耳に神経を集中させた。聞こえる。こんどはケタケタ笑う声。ぼくはコンビニでかみついてきた女の子のぶきみな笑いを思い出していた。
「こうすけ、近くにだれかいるの?」
『ううん、だれもいないよ』
耳をすませた。子どもの声は聞こえなくなっていた。
『ぼく、この事件であたらしい発見をしたんだ』
「発見ってなに?」
『電話じゃうまく伝えられないよ。こっちへ出てこられる?』
ぼくはかあさんの部屋のほうを見た。物音ひとつしない。かあさんのこともしんぱいだけど、こうすけがひとりでがんばりつづけてくれたことを思えば、ほうってはおけない。それにあたらしい発見ってのも気にかかるし。
「わかった。すぐ行くからそこにいて」
みどり児童公園なら自転車で行けば十五分くらいで着くはずだ。電話が切れたあと、ぼくはしばらく考えた。こうすけの声がふだんとちがった気がしてる。なんだか書いた文章を読み上げているような話しかただった。
それに小さな子どもが笑う声。あれはなんだったんだろう。こうすけに何か起きたんだろうか。だとしたら、なおさらこのままにしておけない。
かあさんの部屋をのぞいてみた。眠っているみたい。もし、目をさましてぼくがまたいなくなってることに気づいたら、こんどこそかあさんはキレちゃうかもしれない。
でも、かまうもんか。いまのぼくにはこうすけがだいじだ。それにスガオたちがどうなったかもめちゃ気にかかる。うちを出る前にリビングの窓ガラスに書かれた文字をたしかめた。それはどろどろにとけてもう読めなくなっていた。
ぼくはそっとドアをしめ、しっかりロックしてから自転車に飛び乗った。
いちどふり返ると、アパートの部屋にはいくつもの明りが見える、いつもと同じ夜の光景。だけど、今夜はちがう。ほかの部屋でもおとなの人たちがゆみちゃんの魔力にかかってたおれているかもしれない。
ぼくの自転車は走り出した。夜の空。星がきれいだ。とちゅうで救急車のサイレンが聞こえた。やった。助けが来たんだ。松本さんも町を救うためどこかで活動しているんだろう。
電話ボックスが見えてみた。そのとなりが小さな児童公園。ボックスからもれる明りの中にこうすけのひょろっとしたすがたが見えた。そばにあいつの自転車が止めてある。
「こうすけ。だいじょうぶか!」
ぼくは自転車から降りるなり、かけよって声をかけた。
こうすけのようすはどこか変だった。メガネの中の目はうつろで顔色はまっしろに近く血のけがない。くちびるだけがやけに赤く見えた。まるで、こうすけそっくりに作られた人形のようだった。
「ぼくは思ったんだ。おとなたちにしかえししようなんて、ほんとうにゆみちゃんひとりで考えたことなのかなって」
「どういう意味?」
あわい光の中のこうすけはまるで深い海の底にいるようにも見えた。
「ゆみちゃんは人を傷つけてよろこぶような、そんな心を持った女の子じゃなかったはずだ。ぼくはそう信じてる」
「いったい、なに言ってんだ?」
「ぼくが言いたいのは、ゆみちゃんのたましいをあやつっているやつがほかにいるってこと」
そのとき、ぼくは地面に落ちるこうすけの影に目が行った。うっすら映るこうすけの影。その背中にもうひとつの影がおおいかぶさっている。かなえのときと同じだ。
「町を救うためには、ゆみちゃんをあやつる相手と対決しなきゃいけない」
対決だって? 相手の正体がこうすけにはわかっているのか。
「だれとどうやって対決するつもり?」
きき返しながら、こうすけの影をもういちど見た。背中の影がもやもやうごめくと、こうすけからスーッとはなれていくのがわかった。そのとたん、公園にあるシーソーがキ―キ―動き出した。
な、なんなんだ?
だれも乗っていないシーソーがリズミカルに動いている。女の子のはしゃぐような声がする。シーソーのゆれがおさまると、こんどはブランコがゆれはじめる。
あそんでいる……目に見えないだれかが公園であそんでいるんだ。
こうすけは児童公園の異変には目もくれず言った。
「森へもういちど行こう。すべてはあそこからはじまったんだ」
どうしよう。こうすけについて行ってもだいじょうぶだろうか。いまのこうすけこそ、ゆみちゃんにあやつられているんじゃないのか。だけど、スガオやほかの凶暴な子どもたちにくらべると、こうすけはとても落ちついて見える。こいつならゆみちゃんにとりつかれても負けないだけの力があるかもしれない、そんな気がしてきた。
ぼくは決心した。
「わかった。森へ行こう」
こうすけとぼくは自転車にまたがり森を目ざした。またサイレンの音が聞こえてくる。こんどはパトカーみたいだ。いま、救いの手が町へ来ている。そう思うと勇気がわいてきた。
森で待ちかまえているのは何なんだろう。ぼくらの力で立ちむかえる相手なんだろうか。
夜の町をふたたび突っ走る。
黒い森が近づいてくる。
星がちらばる夜空の下で森はうずくまる巨大な怪物のようにも見えてきた。森への入り口にはパカパカ光る赤いライトがいくつもある。パトカーだ。こうすけはなぜかパトカーからはなれた場所へ自転車を止めた。
ぼくらは暗がりにひそんでしばらくあたりのようすをうかがう。小さな子どもたちがぞろぞろとおまわりさんにつれられ、森から出てくるのが見えた。
そっとこうすけにたずねた。
「森と言ったって広いよ。どこへ行くつもり?」
「さかさ池。あそこに何かがかくされてる気がするんだ」
ぼくらはおまわりさんたちに見つからないよう、草のしげみをかきわけ、暗い森へ足をふみ入れた。
夜の森を歩くなんてマジこれで最後にしてほしいよ!
遊歩道のところどころに立つ目じるしの白いポールにそってぼくらは進んだ。何時間か前に子どもたちに追いかけられ、このコースをぎゃく方向からにげてきたのかって思えば、なんだかふしぎな気分になってくる。
さかさ池のあたりはしずまりかえり、ときおり正体ふめいの鳥みたいな鳴き声が聞こえてくる。藻におおわれた池のおもては夜空の下でまっくろに見えてぶきみだ。
とつぜん、こうすけの声がひびきわたった。
「ぜんぶ、おまえのしわだってわかってるぞ、おばば!」
おばば? あの変なばあさん? あのおばあさんが妖怪だなんて、ぼくは信じていなかった。森に住みつくただの変なばあさんだって思ってた。
やっぱ、あのばあさんは人間じゃなかったってことなのか。でも、どうして、こうすけにそれがわかったんだろう。
こうすけの声に答えるものはない。しずまりかえった森。いいや、ほんとうの意味ではしずかでない。森の木たち、葉っぱたちがわさわさ鳴っている。笑っているんだ。これってぼくの想像じゃあない。いま、森が、葉っぱたちがほんとに笑っているんだ。
「すがたを見せろよ、おばば!」
こんどはこうすけの声に答えて、葉っぱたちがゆれ、とつぜん森が爆発した。そう、それはほんとうに爆発のようないきおいだった。木々の中から何かがいっせいに飛び出してきた。耳をふさぎたくなるほどのけたたましい声。けだものの鳴き声。
声に声がかさなってぼくらの耳をおそってくる。
「来るぞ!」
こうすけがさけび、ぼくの頭ん中はほとんどパニックになっていた。暗やみの中、目に見えない集団がぼくらの頭の上を飛びまわっている。よく見えないけど、正体がわかった。
カラスだ。森にひそんでいたカラスたちがぼくらの頭に体当たりをくらわせてきた。つばさがバタバタとぼくの頭をたたき、くちばしでつつかれた。
「こんちくしょう、はなれろ!」
ぼくは両腕をふりまわしてふせごうとしたけど、つぎからつぎへとおそってくるやつらには歯が立たない。一羽がはなれて飛び去っても、またつぎのがおそいかかってくる。こうすけのことをしんぱいしているよゆうなんかない。
ぼくはうずくまると、両手で頭をかばい、身をまもろうとした。こんどは腕にくちばしやつめがガンガンぶつかってくる。痛みを感じるひまさえない。やばいよっ。このままじゃ、カラスたちにやられちまう。しげみにかくれよう。
ぼくは頭をかばい、しゃがんだままアヒル歩きで草むらへ移動しようとした。カラスはしつこくアタックをしかけてくる。こいつらってもしかしておばばの命令で動いているんだろうか?
「太一、石を持て! 池へ飛びこめ!」
こうすけの声だ。そうか、水にもぐればカラスのこうげきをふせげるかも。だけど……プールならともかく、まっくらな池にもぐるのなんてこわいよ。
「太一、だいじょうぶだ。いまのさかさ池なら石はしずまない。石を持ってもぐるんだ!」
カラスたちの凶暴な声にまじり、水のはねる音がした。こうすけが池に飛びこんだのか? あいつが言うとおり、いまのさかさ池ならおぼれるしんぱいはないのかも。
ぼくは石をひとつ拾うと、草むらをはうように進み、池のほとりへたどり着いた。ぬるぬるした草にスニーカーの底がすべる。
カラスたちはぼくの頭をかすめて飛びまわり、髪をつめでひっかきまわすやつもいる。
ぼくをやっつけるとかいうよりも、からかってあそんでいるみたいだ。
だんだんムカついてきた。こんなやつらになめられたくない!
勇気をふるって池に足をふみ入れた。足首からひざへと水につかっていく。水はそんなにつめたくはない。
「太一、早く! ぼくはだいじょうぶだよ」
水しぶきの音とともに、こうすけの声がした。そういえば、あいつは泳ぎはにがてだったはずだ。そのこうすけがへいきだって言うんだから、ぼくでもだいじょうぶだ!
そのまま土の底をけって、水の中を進んだ。カラスがしつこく頭にぶつかってくる。ぼくはバタ足で泳ぎ出した。右の手に石ころをしっかりつかんだまま。あぶないときはこの石がうきわがわりになってくれますように。
頭や背中にカラスの体当たりを感じる。ぼくは頭を上げるといちど息を大きく吸い、ジャンプしてから水へもぐった。ゴ―ッと耳のおくが鳴る。
暗い水にからだがおしつぶされそうな気がしておそろしい。
ぼくのからだは水の重さを受けてぐんぐんしずんでいく。
やばっ。息がつづかなくなったらどうしよう。このまま池の底までしずんでおぼれちゃうかも。ぼくは石をにぎる右手を高く上げた。
だめだ! うかび上がれない!
カラスのこうげきからはのがれたけど、あらたな恐怖におそわれた。
そのとき、右手が急に熱くなった気がした。それと同時に強い力がぼくの手の中でふくれあがって、上へ上へと、引っぱり上げられていく。
ぼくの頭が、肩が、全身が、右手の中にあるパワーにぐんぐん引き上げられていく。石が力を持ちはじめたのがわかった。
ぼくは水の中をのぼっていく。とつぜん息がらくになった。水面から顔がつき出たんだ。こうすけのことも気にかかるけど、いまは息をするのにいそがしくて声を出すひまもない。
また、カラスがおそいかかってきた。耳もとですさまじい声がひびき、髪をかきむしられる。ぼくは大きく息を吸いこみふたたび水の中へ。
まっくらな水中はこわいけど、ぼくの手に石があればだいじょうぶたって思う。さかさ池の奇跡がつづくかぎり、ぼくがおぼれることはないんだ。
二度めにもぐったとき、池の底がなぜか明るくなっていることに気がついた。明りの正体をたしかめようとひとみをこらした。もやもやしてよくわからないけど、ボーッと青白い光が見える。
だめだ、また息がくるしくなってきた。石ころの力をかりて、もういちど水面をめざす。きっとカラスがまたおそってくるだろう。そしたらふたたび水へもぐり、またうかび上がって……そのくりかえし。
そのうちぼくの体力がなくなってしまうかもしれない。水面から顔をつき出すと、べつなところで水しぶきの音がした。
こうすけだろうか。
カラスのアタックにそなえて息を吸った。ひと呼吸。ふた呼吸……。
あれ、なんだかまわりがさっきよりしずかになった気がする。カラスもやってこない。ぼくは水面から頭だけ出して、しばらく耳をすませていた。
15 光のたまご
カラスたちはおそってこない。どうしたんだろう。
ぼくはぬれて顔にはりつく髪をかき上げ、あたりを見まわした。いくつもの光が木々のあいだを動きまわっているのが見える。懐中電灯だ。
だれかいるのか。凶暴な子どもたちのことが頭にうかんだ。あいつらだったらどうしよう。ぼくは右手にうきわがわりの石をにぎりしめたまま、水の音を立てないようじっとしていた。
とつぜん、まぶしい光に顔をてらされ、思わず目をつぶってしまった。
「だれか池にいるぞ!」
子どもじゃあない。おとなの、男の人の声だ。
ぼくはいちど大きく息を吸ってからさけんだ。
「助けて!」
池のまわりがさわがしくなるのがわかった。懐中電燈の光がせわしなく動きまわり、人の声が飛びかう。
「枝だ、枝をへしおって持ってこい!」
「あっちにもひとりいるぞ!」
「早く、早く!」
ぼくのまわりに光の輪が集中して明るくなった。差し出される長い枝が見える。
「これにつかまれ!」
ぼくは木の枝を左手でつかみ腕をからませた。ずんずん岸へ向かいからだが引きよせられていく。スニーカーの底が浅くなった池の底をずるずる引きずられる。
ようやく足が立つ場所までたどり着くことができた。立ち上がろうとしたけど、水を吸ったシャツやズボンが重く感じられ、足もとがふらつく。
まわりのおとなたちが手をかしてくれ、岸に立つことができた。おとなたちはみんなおまわりさんだった。
こうすけは、こうすけはどうしただろう。
ぼくはおまわりさんたちにさけんだ。
「友だちも池にいるんだ!」
「だいじょうぶだよ。その子ももう助けたから」
あれ、いまの声って、聞きおぼえがある。ぼくは声がしたほうへ顔を向けた。懐中電燈の光が飛びかう中に知った顔があった。その人もぼくに気づいたみたい。
「あっ、太一くんか」
松本さん、ありがとう、って言いかけて、なんだかなみだが出そうになっちゃった。そのとき、いなずまのような声が落ちてきた。
「外へ出るなって言っただろ! なんで言うとおりにしなかったんだ!」
わっ、松本さん、マジでおこってる。
でも、ぼくだってこの事件を解決するために協力したかったんだ。それよりなによりこうすけのぶじをいまはたしかめたかった。
「こうすけ、こうすけはどこ?」
こうすけの声が答えた。
「太一! だいじょうぶだった?」
ぼくらはおたがいの声をたよりにかけよった。こうすけは長い髪が顔にはりつき、めがねもなくなっていた。まるで幽霊みたいなすがたになっている。それでもこいつのぶじなすがたが見られてよかった。
「カラスはどうしたんだろ」
「わからない。いつの間にかいなくなったみたい」
おまわりさんたちのさわぐ声がした。
「なんだ、あれは」
池のほうを見ると、青白い光が水面近くまでうかび上がっている。池の底に見えたのと同じ光だ。ぼくはさっきまで自分が水の中でもがいていたことなどわすれて、光を見まもっていた。
光はやがてひとつのかたまりとなって水からぬけ出ると、暗やみにぽっかりうかび上がった。それは光りかがやくうすいまくでできたたまごのような球体だ。しだいにふくれ上がると、ゆらゆらゆれ出す。
神社で見たゆみちゃんに変身した青い玉を思い出した。だけど、あのときよりも色がやさしい気がする。光の玉はまばゆくかがやきながら半とうめいのボールになった。
「中にだれかいるぞ」
光の中に人のすがたがぼんやり見える。それは生まれたままのようなすがたで手足をおりまげた女の子だった。
「ゆみちゃん……」
こうすけがつぶやいた。たしかに、青白い光のベールにつつまれているのはゆみちゃんだ。見まもるおまわりさんたちも声ひとつ出さない。
とつぜん、しわがれた、とげとげしい声があたりにひびきわたった。
「ゆみぃぃぃ」
声は木々の中から聞こえてくるみたいだ。おまわりさんたちが声のぬしをさがそうとして、懐中電燈の光が森のあちこちへ向けられる。
けど、声の相手は見つからない。
「ゆみぃぃぃ。おまえの復讐はまだおわってないぞ。ほら、ここにもおとながたくさんいる。しかも、おまわりさんたちだ。だれもおまえを助けようともせず、見すてたおとなたちだぞ。あたしが手伝ってやるからこらしめてやればいい」
あのおばばの声だ。いったいどこでしゃべっているんだ?
森がぼくらをあざ笑うように枝や葉をゆすった。
そのとき、こうすけのさけぶ声がした。
「やめろ! ゆみちゃんはほんとうは復讐なんかしたくなかったんだ。だれのこともにくんでなんかいなかったんだ。ただ、ひたすら悲しかっただけなんだ!」
怒ったような声が森から返ってくる。
「おまえになにがわかる? ゆみは弱い子だ。だから、あたしが力をかしてやったまでだ。この子だってうらみをすべてはらすまでは天へは帰りたくないはずだ」
こうすけはのどがやぶれてしまうのでは、と思わせるほどの声でさけび返した。
「おばばにこそなにがわかる? ひとかけらのチョコをかじって必死に生きのびようとしたゆみちゃんの気もちがおまえみたいな妖怪にわかるもんか! おまえはゆみちゃんの悲しみを利用してるだけじゃないか!」
森に沈黙がおとずれた。
ぼくは気づいた。
こうすけはいま泣いているんだ。
いつもクールなこいつがいま泣いている。ゆみちゃんのために。
ぼくもいつしかなみだぐんでいた。
がんばれ、こうすけ。
松本さんたちだって、おばば相手じゃどうすることもできないだろう。
ここでおばばと対決できるのは、こうすけ、おまえしかいないんだ。
ふたたび、おばばの声がした。
「あたしにだって人間の悲しみくらいわかるわさ。ゆみぃぃぃ。どうする? おとなへの復讐をつづけるか、それともこれでおしまいにして天へ帰るか。自分できめるがいい」
ぼくはひとみをこらして光のたまごを見つめた。
ゆみちゃんは目を閉じ、まるで眠りつづけているように見える。たまごの中をみたしているのはかがやく霧みたいなものだった。霧は風に流されるようにゆっくりたまごの中を動いている。
霧が流れるたびにゆみちゃんのすがたがぼやけて見えなくなったり、現れたりをくり返す。
いま、はっきりわかった。ゆみちゃんの閉じたまぶたからはキラキラかがやくダイヤモンドのようななみだがあふれ出ている。亡霊のゆみちゃんが流した赤いなみだとはまったくちがう。光のなみだだ。
ゆみちゃんをやわらかにつつみこむ霧の動きがはげしさをました。光のうずがたまごの中をまわりつづける。ゆみちゃんのすがたは見えてはかくれ、見えてはかくれをくり返すうちに霧にとけていくようにも感じられる。
ぼくはこのふしぎな光景を息をのんで見つめていた。ぬれたシャツがぼく自身の体温であたためられてなまあたたかくなり、気色わるい。それでも目の前のできごとに心をうばわれていた。
たまごの中で霧がある(、、)もの(、、)の形を取りはじめた。白くかがやく部分と黒っぽいかげの部分。それがなんの形なのかわかったとたん、ぞっとした。
光とかげが作り出したのは巨大なドクロだったんだ。ふたつの暗いかげはほら穴のような目。その下の小さなかげは鼻の穴で、歯のかけた口も見える。でも、ドクロがすがたを現したのはわずかな時間で、すぐにまたゆみちゃんが見えてきた。
おまわりさんたちも、松本さんも、おばばでさえだまりこんでいる。
森はいまほんとうの静けさにつつまれていた。
光と霧のたまごは見えない手ににぎりつぶされるようにいびつな形にふくれ上がった。
こんどはいったいなにがおきるんだろう。
たまごのてっぺんがはじけた。
われて、めくれあがった光のまくは開いた花びらにもにている。
かがやく霧はゆみちゃんの全身をつつみこんだまま、てっぺんに開いたさけめから宙へ立ちのぼっていく。霧はひとすじの光のおびとなって暗やみをのぼっていく。
それは地上と天とをつなぐ白い道のように見えた。
霧が黒い夜空へとぐんぐんのぼっていくと、からになったたまごがグシャリとつぶれた。あとはかがやく光のつぶとなって池へちっていく。
暗やみだけがのこされた。
「ゆみは天へ帰ったようだな」
おばばの声がひびきわたり、ぼくらは暗い森を見まわした。
ゆみちゃんは天国へ帰った?
じゃあ、これで事件はおわったってこと?
16 おばばの正体
「あそこにだれかいるぞ!」
松本刑事が懐中電灯の光を森の一点へ向けた。ほかのおまわりさんたちもいっせいに同じ方向へ光を向ける。いくつもの光がかさなり、スポットライトのようなまぶしい光となった。
その中におばばのすがたがうかび上がる。おばばは高い木の枝に腰かけ、子どもみたいに足をぶらぶらさせていた。もじゃもじゃのもつれあった髪とぼろぼろの着物はこの前見たときと変わりない。
おばばは大きな口を開け、カラカラと笑っていた。
松本さんの声がした。
「だれだ、あんたは?」
おばばは笑いながら答える。
「そこの子どもたちにきいてみな。子どものほうがよほどこの町のことを勉強してるわさ」
おばばの目的はいったいなんだったんだろう。そもそも、おばばはいいやつなのか、わるいやつなのか、ぼくにはわからなくなってきた。
松本さんがおばばのいる木のほうへ進んでいく。
人をばかにしたような声がひびいた。
「あんまり、あたしに近づかないほうがいいよ」
「こんどのさわぎはすべておまえのしわざなのか」
「もし、そうだったらどうするね?」
松本刑事の声がするどいものに変わった。
「未成年者略取のうたがいがある。そこを下りて署まで来てもらおう」
おばばのひときわ高い笑いが聞こえた。
「つかまえてみな」
おばばは足をはげしくゆさぶった。松本さんをからかっているようにしか見えない。
「あいつの身柄を確保しろ!」
おまわりさんたちがおばばのいる木を取りかこんだ。
こうすけがつぶやく。
「むりだよ。おばばは人間じゃあないんだ。つかまえられっこない」
ぼくはずっと気にかかっていたことをきいてみた。
「こうすけ。おまえ、さっきまでゆみちゃんに取りつかれていたのか?」
こうすけは前髪をかきあげながら答えた。
「ちがうよ。ゆみちゃんが語りかけてきたことをじっくり聞いてあげただけなんだ。それでゆみちゃんのほんとうの気もちがわかったんだよ」
ゆみちゃんの願いはおとなたちにしかえしすることじゃなかったのか?
こうすけは何を知ったのか、興味はあるけど、それよりもこいつの態度にぼくはちょっと感動した。ゆみちゃんは人にうったえたいことがあって、この世にすがたを現したんだろう。だけど、ぼくがさわぎたてて、ゆみちゃんをおこらせてしまった、っていうか、がっかりさせてしまったと言ったほうがいいのかな。
ぼくにくらべれば、こうすけってやっぱ、おとなだ。こうすけに負けた気がしてちょっぴりくやしかった。
おばばがいるほうに目をやると、松本さんが木のみきにしがみついたところだった。いくつもの懐中電灯が松本さんの登る先を明るくてらしている。光の中におばばが見えた。
松本さんは運動能力ばつぐんで、早いペースで枝から枝へと登っていく。おばばはあわてるそぶりもなく、ゆうゆうと近づきつつある松本さんを
見おろしている。あと少しのところまで松本さんがせまった。
とつぜん、おばばが枝の上で立ち上がった。
あっ、落ちるって思ったけど、おばばはバランスを取り、へいきな顔で
枝の上に立っている。
松本さんの手がおばばのいる枝にかかった。おばばの顔がゆがんだ。笑
っているんだ。おばばはひざをまげのばしして、枝をはげしくゆさぶりは
じめた。体重を枝にあずけた松本さんのからだもゆれる。それでも松本さ
んは枝をつかむ手をはなさない。
いきなり、おばばはよじ登ってくる松本さんの肩にポンッと飛び乗った。さすがの松本さんもこの不意打ちにはたえきれなかったらしく、バランスをくずして地面へ落ちていった。
電灯の光があわただしく動き、おまわりさんたちが松本さんの落ちたあたりへかけよっていく。おばばは地上へ落ちたけはいもなくそのすがたはいつしか闇の中に消えていた。
ぼくもこうすけも松本さんがいるところへ走っていた。
「松本巡査部長! だいじょうぶですか」
松本さんは地面にうずくまっている。おまわりさんが肩につけた無線機
のマイクに向かい、「救急車!」とさけんだ。ほかの人たちは懐中電灯を上
に向け、おばばのゆくえをさがしているようだ。
いた!
おばばはさらに高い枝にいた。木々のすきまからのぞく夜空がうっすら
青くそまりはじめた。夜明けが近づいている! 気づかないうちにもうそんなに時間がたっていたんだ。
「ゆみもいなくなったことだし、あたしも退散することにしよう」
このままおばばをにがしたら、その正体や目的もわからなくなってしまう。ぼくは声をからしてさけんでいた。
「おばば! おまえってほんとはなにものなんだ? なんのためにこんなさわぎを起こしたんだよ!」
しわがれた、それでいてよくひびく声が答える。
「あたしの正体なんか知ってどうする? それより、ゆみをこの世へよびよせたわけをおしえてやろう。現世にうらみをのこして死んだ者のたましいをよびもどす、そして思いをとげさせる。それがあたしの役目なんだよ。これでおしまいなんてものたりないけど、人間どもの大さわぎは見ていてなかなかおもしろかったよ」
ぼくの中に怒りがわいてきた。
「ふざけんなよな! おおぜいの人たちがこわい思いやくるしい思いをしたんだぞ。おまえの楽しみのためにそんな目に会わされてたまるかよっ」
おばばが大口を開けて笑う顔が見えた。その口は一瞬耳までさけたように映った。
「元気のいいぼうず。その意気、その意気。ひとつおしえてやろう。たとえ、この世界が死んだ者をわすれても、死者はけっしてこの世界をわすれないってことをね」
なんだって? どういうこと?
「じゃあ、あたしはいなくなるよ」
「待て!」
おまわりさんたちが口々にさけんだけど、高いところにいるおばばをどうすることもできない。おばばはサルのようにすばしこくさらに上の枝に取りつき、ぶあつくおいしげる葉っぱの中へ見えなくなってしまった。
葉という葉がいっせいにふるえ出した。かぞえきれないほどたくさんのチョウチョの羽ばたきを見ている気がした。葉っぱについで枝が、つづいて木々そのものがゆれ出した。
これって地震? ちがう。地面がゆれてるわけじゃない。森だ。森がふるえているんだ。ちぎれた葉っぱやおれた枝がぼくらの上にパラパラとふりそそぐ。
「あぶない! 下がれ、下がれ!」
あたりの木々はますますはげしくこずえをゆさぶり、まるで台風のまっただなかにいるようだ。いきおいよく飛んできた葉っぱや枝に顔をかすめられ、ぼくは片腕で顔面をカバーしていた。目を開けているのもつらい。
「太一、ふせて!」
こうすけに言われ、ぼくはしゃがみこんだ。
強い風がうなっている。おまわりさんたちのさけぶ声がする。ぼくはしゃがみこんだまま頭をかかえ、腕と顔のすきまから森を見上げた。黒い大きな影が木々の合間から飛び立つところだった。
ぼくにはいま見ているものが信じられない。それは巨大なカラスだったんだ。つばさを広げたそれは黒くぬりつぶしたグライダーかって思うほど大きかった。つばさをゆするたびに木の葉が飛びちり、風がおそいかかってくる。赤茶色の石のような目玉がぼくらをにらむのがわかった。
あ、あれがおばばの正体だったのか?
大カラスは森をはなれ、しばらく宙に円をえがいて飛びまわっていたけど、いきなりぼくら目がけて低空飛行をしかけてきた。
「来るぞ、にげろ!」
だれかがさけび、ぼくは地べたをはいつくばって木のかげへにげこんだ。
おまわりさんたちは警棒をふりかざして立ち向かおうとしたけど、つばさで一撃され、たちまちたおされてしまう。
大カラスは地上すれすれをはねまわるように飛び、人々をけちらしていく。しりもちをついたおまわりさんのひとりが腰のホルスターからけん銃をぬくのが見えた。
「やめろ、撃つな」
引きとめたのは松本さんだった。松本さんはうずくまりながらも腕をのばしておまわりさんがけん銃を持つ手をおさえている。
大カラスはふたたび飛び立った。ガガァッとひときわ大きな声を上げると、空高く舞い上がる。そのすがたが西の空へ向かい遠ざかるにつれ、東の空が明るくなっていく。まるで大カラスが夜の闇をいっしょに持ち去っていくかのようだった。
ぼくは紫色にそまる東の空に見とれていた。空はしだいに青みがましていく。ハッと気づいて西の空をふり返ったとき、大カラスのすがたはもうなくなっていた。
ぼくはなんだか全身の力がぬけてしまい、地面にすわりこんでいた。気づいたら、池の中でぼくをまもってくれた石をまだ右手ににぎりしめたままでいた。
17 松本刑事への花たば
スガオのやつ、かなえと手をつないで現れた。いつの間にこんなにラブラブになったんだよ。ぼくは少しあきれて見ていた。かなえは片腕にカーネーションの花たばをかかえ、スガオはめっちゃしあわせそうな顔。
おそろしかった体験を思い出すと、ぼくはちょっぴりムカついてくる。
こうすけとぼくがどんなにたいへんな思いをしたかわかってんだろうな、スガオ!
ここは言の葉町総合病院の一階ロビー。きょう、ぼくらは足を骨折して入院中の松本さんをお見舞いに来たんだ。
あの事件から一週間がすぎた。いまでも、ぼくが見たもの、体験したことはすべて悪い夢だったんじゃないかって気がしている。ほんとうにあの夜、子どもたちはおとなにおそいかかったんだろうか。スガオやかなえ、すみれちゃん、そしてぼくまでも……。
子どもたちはみんな、あの夜のできごとはおぼえていないって言ってるらしい。ぼくもできればぜんぶわすれてしまいたい。だけど、わすれることなんかできない。
あの白鳥型の花びん。たおれているかあさんのすがたを。
けが人は何人か出たけど、いのちまでなくした人がいなかったのはちょっとだけラッキーだったのかな。
あのできごとはぜんぶ、ゆみちゃんのたましいとそれをあやつるおばばが起こしたことだったんだろうか。ほんとはみんなの心にちょっとずつある何か悪いものが起こした事件だったんじゃないかって、ぼくは思うことがある。
ぼくとこうすけは大カラスが去ったあと、この病院へつれてこられ、カラスにやられた傷を手当してもらった。カラスが悪いバイキンを持っているかもしれないってことで薬をいっぱい飲まされ、痛い注射まで打たれた。
「あれ、こうすけのやつ、まだ来てねえの?」
スガオがあたりを見まわしつぶやいた。
ロビーのかべにある時計を見たら、いま二時十分。二時に待ち合わせのやくそくをしているんだけど、こうすけはまだ来ない。あいつはすごくまじめで、いつもならやくそくの時間より早めに来ているんだけどな。やっぱ、いっしょに来ればよかったのかな。
聞きおぼえのある声がした。
「やあ、よく来てくれたね」
松本さんは車いすに乗り、エレベーターのほうからやって来た。右足はひざの下までギプスで固定され、腰にもコルセットをつけている。
「足、どうですか」
「うん。痛みは少なくなったけど、この季節だとあせをかいてかゆくなってね。これが手ばなせないんだ」
うすいブルーのパジャマを着た松本さんは、おしりの下から竹をわった細い棒を取り出してみせた。先がちょっとまげてあって、背中をかくときに使う?孫の手?だ。松本さんは孫の手をギプスと足のすきまにさしこんでかくまねをしてみせた。
かなえが花たばをさし出した。
「いろいろありがとうございました。わたし、何があったかよくおぼえていないんです。わたし、ほんとに人をおそおうとしたんですか。自分でも何がなんだかよくわからないの」
かなえの目になみだがたまるのが見えた。
松本さんは花を受け取ると、しずかな口調で言った。
「自分をせめなくともいいよ。すべてはまぼろし、悪い夢だったって考えることだね」
だけど、ぼくは知っている。ゆみちゃんの亡霊も大カラスもまぼろしじゃなかったってことを。
ぼくはきいてみた。
「赤い文字とあのぬいぐるみについてほかに何かわかったの?」
「うん。警察本部の科研、科学捜査研究所っていうんだけど、そこからの報告だとあの赤い文字はほんものの人間の血だとわかった。血液型はAB型。ちなみにゆみちゃんの血液もABだったという記録がある」
あのメッセージはやっぱゆみちゃんがのこしたものだったんだ。
ぼくはねがっている。ゆみちゃんがいま天国にいることを。
松本さんがつづけておしえてくれた。
「うさぎのぬいぐるみなんだけど、あれはゆみちゃんの母親が刑をおえたあとで作ったものらしいね。母親が手芸教室にかよってぬいぐるみの作り方を習っていたと言う証言もあるんだ。おそらく反省の気もちをこめて作ったものなんじゃないかな。ゆみちゃんはうさぎとチョコレートがだいすきだったそうだから」
なんでだよ? ゆみちゃんのいのちをうばっておいて、あとからそんなもの作ったって意味ないじゃん。なっとくできないな。ぼくはこぶしでそこいらのものをたたいてやりたい気分になった。でも、そんなぼくだってゆみちゃんに言われるまま、かあさんを傷つけようとしたんだ……。
スガオがかなえの肩に手を置いてなぐさめている。
このすきにぼくは松本さんにだけそっと打ち明けた。
「おれ、あのとき、かあさんをやっつけようとしてたんだ」
ああ、とうとう言っちゃった。
松本さんはしばらく考えこんでいたけど、ぼくを見てこうきき返してきた。
「きみはゆみちゃんの亡霊を見たんだろ?」
「うん」
「じゃあ、すべては亡霊のしわざだったってことでいいんじゃないのかな」
ぼくはなんて返事していいのかわからない。ゆみちゃんのせいにしていいのなら、そうしたい。ずるいかもわかんないけど。
ぼくはこのときこっそりポケットの中のものをにぎりしめた。だれにもおしえてないけど、あの事件いらい、おまもりのかわりにいつも持ち歩いているものがある。それにさわっていると心が落ち着くんだ。
ふいにスガオが言った。
「おい、太一。おまえのかあちゃんが来たぜ」
うそ、なんでだ? スガオが言うとおり、花のバスケットを手にしてこっちへ歩いてくるかあさんが見えた。かあさんはぼくらの前で足を止めると意外そうに言った。
「あんたたちも来てるとは知らなかったわ」
かあさんは松本さんにバスケットを差し出した。
「おケガのほう、だいじょうぶですか。うちの子どものことではほんとにおせわになりました」
かあさんはちょっとあたりを見まわすと、ためらうようにきいた。
「あの、奥さまとかは看護にいらしているんですか」
「いいえ。わたしは独身なもので」
かあさんはなぜかほおを赤くしていた。
「ごめんなさい。じゃあ、わたしにできることならお手伝いさせてください。何かありますか」
松本さんはかなえの花たばとかあさんのバスケットを両腕にかかえてほほ笑んだ。
「それじゃあ、ひとつおねがいがあります。この車いすを部屋までおして行ってくれませんか。両手がふさがっちゃったもので」
「はい。よろこんで」
かあさんは松本さんの車いすに手をかけた。松本さんはぼくらに笑顔をのこし、かあさんがおす車いすでエレベーターのほうへ去っていった。松本さんがかあさんに何か話しかけるのがわかった。かあさんはそれに笑って答えている。かあさんの笑顔を見るなんてひさしぶりの気がする。
あの事件のあと、かあさんと再会したときのことを思い出した。病院で手当てを受けたあとつれていかれた警察署でかあさんと顔を会わせた。パトカーから下りてきたかあさんはぼくを見て目をまるくしていた。おまわりさんは夜の町をひとりでさまようかあさんを見つけて保護したと説明してくれた。
部屋で目ざめたかあさんはぼくがいないのを知ると、ぼくをさがして危険な町をあちこち歩きまわっていたらしい。それを聞いて、ぼくは小さなころにもどってしまったように泣きながらかあさんにしがみついていったんだ。これで、かあさんとぼくはこれまでよりもなかよしになれるだろうか……?
「あのふたりって、なんかいいムード」
かなえがつぶやいた。
はあ、どういう意味だ?
ぼくがきょとんとしていると、こんどはスガオが言った。
「おまえのかあちゃん、松本さんと結婚すればいいのに」
ふざけんなっちゅうの! 松本さんがぼくのとうさんになるっ? そんなこと想像もつかねえよっ。それにぼくにはちゃんとほんとうのとうさんがいるんだよっ。
事件後、とうさんは何度もぼくのところへ電話をくれた。しかも海外からだ。貿易会社で働くとうさんはずっとヨーロッパ出張中で、インターネットのニュースで言の葉町の事件を知ったってしゃべってた。すぐにぼくらのとこへかけつけられないのがざんねんだって言ってた。たとえ電話だけでもぼくらのことを気にかけてくれたのがうれしかった。
ところで、こうすけのやつ、ほんとにおそいなあ。松本さんのお見舞いおわっちまったじゃんかよ。もう三時に近い。こうすけの家からこの病院までは自転車なら二十分くらいで着くはず。なんだかマジでしんぱいになってきた。
「こうすけ、どうしちゃったんだろ」
ぼくがつぶやくと、かなえが肩に下げたポーチからケータイを取り出した。
「わたし、電話してみる」
かなえが電話でしゃべっているあいだ、スガオはその顔をうっとりしたような目でながめていた。まるで、「ぼくのかなえさまぁ」って感じだ。
デレデレするなっちゅうの!
電話をおえたかなえは首をかしげた。
「いま、こうすけくんのおかあさんと話したんだけど、こうすけくん、病院へお見舞いに行くって、一時すぎに自転車で家を出たんだって」
一時すぎに家を出た? まだ着かないなんておかしいな。なにか事故でもあったのか? なんかいやな気分になってきた。
「こうすけのケータイにかけられる?」
ぼくがきくと、かなえは首をふった。
「ごめん。ケータイの番号まではわかんないの」
ケータイを持ってないぼくにも番号はわからない。
こうすけはどうしちまったんだろう。道にまようなんてありえないし。
このときふと、おばばが言った言葉を思い出してしまった。
……死者はけっしてこの世界をわすれない……。
……ゆみちゃんはけっしてこうすけをわすれない……。
ゆみちゃんの声に耳をかたむけ、みかたしてくれたこうすけのことをゆみちゃんはけっしてわすれていない……いまでも。
まさか?
ぼくはスガオとかなえの顔を見て言った。
「こうすけをさがしに行こう。もしかしてあいつにやばいこと起きてるかもしれない」
スガオがまゆをつりあげた。
「さがすたってどこをだよ?」
ぼくの心の中に答はあった。
「たぶん、ゆみちゃんの家だ」
ぼくはもうエントランスに向かって歩き出していた。
スガオとかなえもついてくる。
病院の前にはお見舞いの人やタクシーを乗り降りする人たちでにぎわっている。この町にすっかり平和がもどったという印象。
だけど、いま、また何かが起きている……そんな気がしてくる。
ぼくらはそれぞれの自転車にまたがり、病院を出発した。
めざすのは三年坂の白い家。
もう夏がそこまで来ている。
くもり空だけど日はまだ高い。
ぼくらは全身があせばむのを感じながらペダルをふみつづけた。
18 死者との時間
三年坂はひっそりしている。白い家はこの前ぼくらが探検に来たときと同じく、時間にわすれさられてしまったようにたたずんでいる。ひとつだけちがうのはこの家のへいがいまは落書きだらけだってことだ。
おばけ屋敷。
ゆみは地獄へ行け。
この世にもどってくんじゃねえ!
ゴーストバスターズ参上。
のろってうやるぞぉぉぉ。
おばけむすめ、墓場へひっこんでろ!
サインペンやペンキであちこちに書きなぐられている。変なイラストや署名入りの相合がさまであった。見ているとなんだかいやな気分になってくる。ゆみちゃんの気もちを知るぼくにとって、これを書いたやつらはゆるせないって感じ。
そして落書きから目をそらすと……自転車が一台止めてあるのが目についた。黒いスポーツタイプの自転車。シルバーのチェーンロックがかかっている。こうすけのものにちがいない。
あいつはやっぱここへ来ていたんだ。でも、いったい何のために?
ぼくは門のとびらごしに白い家を見上げた。よく見ればようすが変わっている。窓ガラスがみがきあげられたようにきれいなんだ。かべもペンキをぬりなおしたみたいに白さをましていた。
だれかがいまここに住んでるってことなのか?
ちょうど坂道を犬をつれてやってくるおばさんがいた。
ぼくは思いきってその人にたずねてみた。
「すいません。この家ってだれかひっこしてきたんですか」
おばさんはめんどうくさそうにつぶやいただけだった。
「まさか。こんなきみわるい家に住む人いるわけないでしょ」
おばさんはきたないものでも見るような目を白い家へチラッと向けた。
そのときリードにつながれた茶色い犬がはげしくほえ出した。おばさんはリードを引っぱり、なだめようとしている。
「こらっ、キヨマロちゃん、どうしたの? おさんぽのつづきをするわよ。ほら、いい子になさいっ」
キヨマロちゃんという名に思わずふきだしそうになっちゃったけど、たしかにキヨマロくんのようすは異様だった。前足をつっぱらせ、門の向こうに天敵でもいるようなけんまくでほえまくっている。おばさんが顔をまっかにしてリードを引いても、動こうとせず、ほえるのをやめない。
白い家には何かがいる……?
人間には見えないものでも犬にはわかるのかもしれない。
ようやくキヨマロくんがおとなしくなると、おばさんはいまのできごとがぼくらのせいであるかのように、けわしい顔をして坂道を下っていった。
ぼくはスガオやかなえと顔を見合わせた。
「入ってみるしかない」
スガオはかなえに向かい、
「ここで待ってろよ」と言った。
かなえは首を横にふる。
「いやだ。わたしも行く」
ぼくらは気もちをたしかめあうようにうなずき合った。
門にかぎはかかっていない。さびついた鉄のとびらはギリギリ歯ぎしりのような音を立てて開いた。庭にしげる雑草はいちだんとのびた気がする。
ムッとする野生の草花のにおいとうるさい虫たちが出むかえてくれる。
白い家はやっぱようすがへんだった。ぜんぜん古びた感じがしないんだ。庭はあれているのに建物だけが新しく住む人をむかえたようにいきいきして見える。
かなえがささやいた。
「えんとつを見て」
屋根のはしにあるレンガのえんとつから青白いけむりが立ちのぼっている。この季節に暖炉で火をたいているのか?
黒いものが空を舞い、屋根に降り立った。
カラス……。
一羽だけじゃあない。二羽、三羽、四羽とつぎつぎ大空のどこからか飛んできては屋根でつばさを休めている。鳴き声ひとつ上げず、しずかなのがかえってぶきみだ。森でカラスにおそわれたときのことを思い出し、ぞっとした。屋根のはしからはしまでカラスがずらりつばさをそろえた。
ぼくがいちばん前を歩き、かべにそって横へまわりこんだ。そこにはこの前ぼくらがしのびこんだ窓がある。窓ガラスが一枚われてるはず……だけど、いま見るとガラスには傷ひとつついていない。
ぼくはスガオたちに向かい、人さし指をくちびるにあててみせた。ふたりはうなずき、ぼくは窓から中をのぞきこんだ。
うそ……。信じられない光景がそこにあった。
ぼくらがこの前ここへ来たとき、その部屋はまったくのあき部屋だった。それがいまは、白いクロスのかかったテーブルがまんなかにすえられている。クロスの上にはいくつか料理がならんでいた。大きなおさらにあるのはローストチキンだ。バスケットにぶどうやいちご、洋ナシなどのフルーツ。そして白いクリームがかかったシンプルなケーキ。まるでクリスマスのディナーみたいだ。
「マジかよっ」
いつの間にかスガオがぼくのとなりに来て窓に顔をおしつけている。ぼくはシーッと指を立てた。
暖炉では青い炎がもえている。テーブルには四人の人間がいた。ふたりはおとなで、男の人と女の人。あとのふたりは……こうすけとゆみちゃんだ。
耳もとでスガオの声がした。
「あのおとなってだれなんだろ」
ゆみちゃんは前と同じ赤いワンピースに血のけのない人形のような顔。だけど、こうすけとならんですわるいまのゆみちゃんはなんだかしあわせそうだ。こうすけは、と言えば、ウトウトはんぶんねむったような目つきで気のぬけた表情だ。
ふたりのおとなはぼくらのほうへ背を向けているので顔はよく見えないけど、男の人は髪がぼさぼさでコートのようなものを着ているのがわかる。女の人は長い髪をうしろでたばねていた。
あのふたりはもしかして……ゆみちゃんのおとうさんとおかあさんじゃないのか? こうすけのほかは死者ばかりなのか。
やばい、やばいよ、これって。
ゆみちゃんはこうすけを自分のなかまにしようとしているにちがいない。
きっと死者の世界へつれて行こうとしているんだ。
こうすけがあぶない。
ぼくはもうあとのことにはかまわず、窓に飛びついて手をかけた。両開きのガラス窓はおしても引いてもびくともしない。
「太一、どうすんだよ」
「こうすけがあぶない。なんとかしなきゃ」
「よしっ」
スガオは足もとをきょろきょろ見まわしていたけど、いきなり何かを拾い上げた。ふちのかけた植木ばちだ。
「太一、さがってろ!」
植木ばちはスガオの力強いピッチングで宙を飛び、窓ガラスにぶちあたった。ガラスのくだける音。と、つぎの瞬間、窓がバンッと開いて、室内から突風のようなしょうげきがぼくらにおそいかかってきた。
それはただの風とはちがう、まるで悪意を持った空気そのものがぼくらをおしもどそうとしているかのようだった。スガオもぼくも思わずよろけてしまう。
負けねえぞ!
こうすけをつれて行かせるもんか!
ぼくは歯をくいしばり、窓わくをのりこえて中へふみこんだ。そのときフッと感じたのは、部屋の中がとてもさむいってこと。外は暑いほどなのに、この部屋にだけべつな空気が立ちこめているかのようにはだざむい。
もちろんエアコンがきいているわけじゃあない。暖炉の火までが熱を持たないつめたい光のかたまりに見えてくる。
窓の閉じる気配がした。あわててふり返ると、窓ガラスはもとにもどり、なにごともなかったかのようにピシャリ閉ざされている。
スガオもかなえもぼくといっしょに部屋の中にいた。
いまはともかく、こうすけを助け出さないと!
「こうすけ、だいじょうぶか!」
ぼくはかけより、こうすけの肩に手をかけゆさぶった。こうすけは目は開いているものの、からだはぐにゃぐにゃと、たよりない。
早くここからつれ出さなくちゃいけない。
でも、すぐにこいつのからだはいすにくずれ落ちてしまう。
「手伝うぜ!」
スガオが手をかしてくれた。ふたりがかりでこうすけをいすから引きはなしたとき。
「おにいちゃんをつれていっちゃだめ!」
ゆみちゃんが小さなからだで立ちはだかっている。おとうさんとおかあさんはただのぬけがらのようにうつろな目をしていすから動こうとはしない。
ぼくはゆみちゃんに言った。
「だめだよ。こうすけはここにいられないんだ」
ゆみちゃんはいやいやをするように首をふった。氷のようにつめたい妖気がただよってくる。
ゆみちゃんはくちびるを動かすことさえなく、からだの中から声を上げた。
「おにいちゃん、行かないで。わたしのそばにずっといて。おにいちゃんがいなくなったら、ゆみ、またさびしくなっちゃう」
こうすけがうっすら目を開けた。片手をゆみちゃんのほうへさしのべる。
ぼくとスガオはこうすけのからだを引きずるように窓ぎわまで遠ざけた。
ゆみちゃんがススッと動いてついてくる。
ぼくは必死の思いで告げた。
「こうすけをここへおいていくことはできないんだ。わかってよ、ゆみちゃん。ゆみちゃんはこうすけのことすきになったんでしょ。だから、天国からもどって来たんだよね? こうすけをつれていくために。だけど、だめなんだ」
そのあとの言葉をほんとうは言いたくない。あまりにざんこくすぎると思うから。だけど、言わなくちゃいけない。
「ゆみちゃんはもうこの世の人じゃないんだ。こうすけとはいっしょにいられないんだ。おれたち、こうすけをここへおいてはいけないんだ」
ゆみちゃんは悲しそうに首をふった。
ぼくはこのとき、暖炉の青い炎が大きくふくれ上がるのを見た。なのに、炎からはあたたかさがまったく感じられない。あれって死の世界の炎?
おそろしい想像がわいた。あの火がぼくらを死の世界に運んでいくんじゃないのか。いまのうちにここを出ないと間に合わなくなっちゃうかも。
「ゆみちゃんのねがいはわかるよ。おとうさん、おかあさんにやさしくしてもらいたかったんでしょ? みんなでたのしくごはんを食べたかったんだよね? でも、だめなんだ。ゆみちゃんのねがいをかなえたら、こうすけはこの世の人じゃなくなっちゃうんだよ」
ゆみちゃんの肩がふるえている。
ぼくの言うことをわかってくれたのかな。
だけど、つぎに顔を上げたとき、ゆみちゃんの顔つきはまったく変わっていた。目はつりあがり、くちびるは呪いの言葉でもはくようにゆがめられている。おとなたちをふり返るとさけんだ。
「あのおにいちゃんをやっつけて。わたしのともだちをつれていこうとしてるの。パパ、ママ、早く、あのおにいちゃんをやっつけて」
ゆみちゃんのパパとママがぼくらのほうを見た。どんよりした死者の目が見開かれると、それは死んださかなの目にそっくりだった。イスをひっくり返しながらふたりは立ち上がった。
そろそろした足どりでテーブルをまわり、ぼくらのほうへ近づいてくる。
部屋のすみでは青い炎が暖炉から燃え出て、ゆかからかべへとはい上がっていく。炎は巨大な舌がなめまわすようにかべをなでていく。
スガオが声を上げた。
「かなえ、早く窓を開けろ!」
かなえがかけより、窓に手をかけた。
「だめ! 開かないわ」
ゆみちゃんのパパが目の前にせまっている。その顔はぼくらが見つけたときの死体そのまんまだった。青黒い顔、ねじまがったくちびるのすきまからよごれた歯がのぞく。死体のときとちがうのはその目がぼくらをじっと見ているということだ。
「おまえたち。われわれの世界へ来い」
ぼくとスガオはこうすけを引っぱって、窓ぎわへたどり着いた。かなえが必死に窓を開けようとしている。ぼくらはいま、ひとかたまりになって死者に追いつめられていた。
ゆみちゃんは自分が閉じこめられたのと同じように、ぼくらをこの家に閉じこめようとしているのか。
ゆみちゃんのママから声がもれた。
「おまえたち、悪い子だね。なぜ、あたしのたいせつなむすめをいじめるんだ」
ぼくは言い返してやった。
「ゆみちゃんをさんざんいじめたのはおまえのほうだろ!」
そのママはいま、ゆみちゃんの言いなりになっている。ママを自由にあやつる、このことがママへのほんとうの復讐だったのかもしれない……。
ママが腕をのばしてきた。亡霊にふれられた瞬間、つめたい空気のかたまりにさわったような感覚におそわれた。すがたは見えるのに、形あるものにふれた気がしない。
青い炎はいま天井までひろがりつつある。
「わかるかい? あの炎はおまえたちみんなをあたしたちの世界まで運んでいくんだよ」
いやだ! こんなところで死んでたまるもんか!
ぼくはこうすけをスガオの腕にあずけ、とっさに食卓のいすに手をかけた。両手で持ち上げると、ママ目がけて投げつけてやった。いすはママのからだをとおりぬけてゆかへころがった。
ママの高笑いがひびく。
「あたしたちにそんな手は通用しないよ。さあ、いっしょに行こう」
ぼくは、武器になりそうなものは、とあせって自分のからだをまさぐった。指先にふれたものがある。それをポケットからつかみ出した。さかさ池でぼくのいのちをまもってくれた石。それをつかむと、ゆみちゃんに向かってかざした。
「ゆみちゃん、これ、なんだかわかる? さかさ池でぼくを助けてくれた石なんだ。ゆみちゃんもあの池の底から出てきたよね。光といっしょに天国へのぼって行ったよね。おぼえてる?」
ゆみちゃんは身動きせず、ぼくの手を見つめている。ここでゆみちゃんを説得できなかったらおしまいだ。
「ゆみちゃん、おねがいだ。もういちど天国へ帰ってくれ。ゆみちゃんはこれいじょうこの世界にいちゃいけないんだ」
ぼくはこの家のへいに書かれた落書きを思い出していた。
……この世にもどってくんじゃねえ!
あの落書きと同じことをぼくは言っている……。
ゆみちゃんの全身から泣きさけぶような声がほとばしった。
「いやだぁぁぁ。わたし、おともだちがほしい。もっとこの世にいたい。もっとあそびたい。天へなんか帰りたくないぃぃぃっ」
ぼくはなみだぐんでいた。ゆみちゃんのねがい、それはぼくにだってわかる。パパとママは糸のきれたあやつり人形のようにいまはポカンと立ちつくしたままでいる。
ゆみちゃん、ごめん。
ぼくは石をゆみちゃんに向かって投げつけた。石は吸いこまれるようにスッと宙に消えてしまう。ゆみちゃんは動かない。
いまが最後のチャンス。
ぼくはゆかにころがるいすをつかむと、うしろをふり向きざま、窓ガラス目がけてたたきつけた。ガラスがくだけちり、見えない手におされたように窓が開いた。外の暑い空気がいっせいに流れこんでくる。
「スガオ、かなえ、早く!」
ぼくはこうすけの腕をつかむと、スガオといっしょに窓ぎわまで引きずっていった。スガオがかなえの背中をおした。
「いそげ!」
かなえにつづいて、ぼくとスガオはこうすけを窓の向こうへおし出した。
ふり向いて見れば、部屋の中では青い炎があばれくるっている。
食卓に目をやり、ぼくの背中にさむけが走った。
ローストチキンはまっくろなカラスの死がいに、ケーキはあごのかけたドクロに、そしてフルーツいっぱいだったバスケットにはヘビやきみわるい虫たちがうごめいていた。
地獄の食卓!
ゆみちゃんのパパとママが炎にのみこまれていく。ゆみちゃんはどうなったんだろう。
気にかかるけど、たしかめているよゆうなんかない。ぼくもスガオもそしてかなえもうしろをふり返ることなく、こうすけをつれて、庭へ走り出た。
ゆみちゃんの声だけがぼくらを追いかけてきた。
……行かないで、おにいちゃん……。
雑草のむれをかきわけ、門の外を目ざす。
……ずっと、いっしょにいて……。
あとちょっとで外へ出られる!
……帰りたくない……。
ゆみちゃんの声が聞こえなくなった。
坂道までぬけ出せたときはたおれそうなほどへとへとだった。
ぼくはここでやっと家のほうをふり返ることができた。屋根のえんとつから青いけむりが高く高く立ちのぼっていき、それもやがてはほそくひとすじの線となって消えていった。
ぼくらを見はるように屋根でくちばしをそろえていたカラスたちがグァーッ、グァーッと声を上げ、いっせいに飛び立った。カラスは黒いしみのような点となって空のかなたへ去っていく。
白い家のまわりにはしずけさだけがのこされた。
「ゆみちゃん……」
こうすけが目を開け、なみだぐんでいる。ぼくはそんなこうすけの肩に手をおいた。スガオがこうすけの顔をのぞきこむようにきいた。
「いったい何があったんだよ」
こうすけは夢からさめたばかりといった表情で答えた。
「松本さんのお見舞いに行くつもりで家を出たんだ。とちゅうで道ばたに立つ女の人と目が合った。その人は手まねきしてきて……。それからあとのことはよくおぼえてない。気がついたらこの家に来てた」
ゆみちゃんのママだ、と思った。ゆみちゃんのさしずでこうすけをこの家までつれてきたんだ、きっと。
こうすけはぼくらの顔を順々(じゅんじゅん)に見てからつぶやいた。
「けっきょく、ぼくらはゆみちゃんのたましいを救ってあげられなかったのかな」
こうすけの言葉にどう答えればいいのだろう、ってまよったそのとき。
ぼくの足もとに何かがころがってきた。
ん?
見たら石ころだった。
天から落ちてきた?
まさか。
この石って、ぼくがゆみちゃんへ投げつけたのと同じ石に見える。
ぼくはそれを拾い上げた。まちがいない。あの石だ。
ゆみちゃんが空からぼくへ投げ返してくれたのかもしれない。
ぼくは大空のかなたを見上げた。
ゆみちゃんはこんどこそ悲しみもくるしみもないべつな世界へ帰っていったんだ。その世界を天国とよんでいいのかどうか、ぼくにはわからない。
だけど、そこではゆみちゃんは二度と悲しみやさびしさを感じることはないだろう。
ぼくはそう信じている。
エピローグ ミステリーロード
ぼくらは門の前でしばらく目を閉じ、ゆみちゃんのためにお祈りした。これで、ここにいる四人のだれもゆみちゃんをわすれることはないだろう。
わすれないこと。それがゆみちゃんのためにぼくらができるただひとつのことだ。ぼくはそう思う。
おばばの言葉を思い出しながら、ぼくは心の中でつぶやいた。
この世界だって死んだ人たちのことをけっしてわすれやしないよ。
かなえがつぶやいた。
「わたし、こんどここへお花を持ってきてあげようかな」
スガオがみんなの顔を見まわした。
「それよりさ、こんどおれたちでこの落書き消しに来ないか」
賛成! みんな、うなずいた。
それぞれの自転車にまたがったとき、ぼくは心の中に熱い力のようなものを感じた。なんだろう。それはぼくをからだの奥から動かそうとしている。
思わず口に出していた。
「これから行ってみないか」
みんながいっせいにきき返してくる。
「えっ、どこへ?」
ぼくは自転車にまたがったまま坂道の下の町なみを見下ろした。
家やビルが立ちならぶそのずっと先に青々と広がるのはあの森だ。
ぼくはだまって森を指さした。
スガオがふしぎそうな顔をした。
「森へ? 何しに行くんだよ」
ぼくは答えていた。
「新しいミステリーをさがすんだよ」
ぼくはひとり先頭をきってペダルをふんだ。なんだか、じっとしていられない気分だ。
森は夕ぐれまぢかの日ざしをあびてキラキラかがやいている。まるで緑の湖みたいだ。この町のミステリーはすべてあの森からはじまったんだ。
とてもこわかったけど、同時にわくわくするようなエキサイティングな体験だった。
あの事件をとおして、ぼくは前より強くなれた気がする。ほんのちょっぴりだけどね。
もし、またミステリアスな事件に出くわしたらどうしよう?
ぼくは自転車を走らせながらうしろをふり返った。
すぐうしろにこうすけ、そのあとをかなえ、そしてスガオの自転車がついてくる。
そうだ。ぼくらはみんな、いっしょなんだ。
何かが起きても助け合うことができる。
ぼくは何となくうれしくなってほほえんでしまった。
いつの間にかうしろにつづくみんなも声を上げていた。
ぼくらがいま走る道は新しいなぞと冒険へつうじているのかもしれない。
この道は先に何が待ち受けているのかわからないミステリアスな道=ミステリーロードなんだ。
ぼくらはその道を走りつづけた。
おわり
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