3 情夫と子ども
(なんだ、こいつ?)
ゼルは、目を細めながら箱に座り込んでいる子どもを見つめる。
凡庸な顔立ちの十歳くらいの少年、燃えるような赤い髪を持つ以外、これといった特徴はない。赤毛といってもガーネットのように日に焼けたものでなく、天然の赤だ。
「おーい、にいちゃん、それで終わりかい?」
隊長が声をかけてくる。
ゼルは、急いで蓋を閉めると、
「ああ。すぐ終わる。けっこう重いんだ」
と、木箱を持ち上げる。
足取りをふらつかせてわざと壁際によった。休んでいるふりをして、周りが見ていないことを確かめると、
「そこで、隠れてろ」
と、蓋を開けて路地裏にひっぱりだした。
「見つかるとただじゃすまねえぞ」
少年は首を傾げながら、
「ありがと……」
と、去って行った。
「おっ、おい!」
待っていろ、と言ったのにすぐに見えなくなった。ゼルは鼻息を荒くして地面を蹴る。
(そりゃ、待つわけねえか)
見ず知らずの男にそんなこと言われて素直に従うようでは、将来が心配になる。
(……悪いことだと、わかってんだけど)
子どもがなぜ木箱の中に入っていたのか、理由はよくわからなかった。
ただ、薄汚れた格好と箱の中にこもる匂いから、おそらく隊商に隠れていたのだろう。
どんな理由があるにせよ、それは不法行為であり、見つかれば子どもでも鞭打ちにされる。
それが見たくないという個人的な理由で逃がしたのだ。
無責任な行為だとわかっている。だから、どうして隠れていたのか理由を聞いてやれることはやってあげたいと思っている。
逃げてしまった以上、なにもできなくなったが。
ゼルは軽くなった木箱を、隊長のもとに持っていくと、中陶貨を二枚貰った。はした金でも、稼がないよりはましである。
「にいちゃん、案外、力ないのか?」
木箱を軽々持ち上げる隊長に、ゼルはなにか言いたげな顔をしたが、黙ってうつむいた。
宿屋にかさばる荷物を預け、ゼルたちは街を散策していた。
宗教都市と言われるだけあって、街中は巡礼者たちであふれていた。揃いのケープを付けた集団が横を通り過ぎていく。
(よくやることだな)
巡礼を行うには、それだけの経済力が必要である。通り過ぎる巡礼者たちは、皆、上等の麻を羽織っている。透けるような白さは、丁寧に漂白した白であり、苦行とは縁遠いものに見える。
宗派によって、戒律は大きく違う。この街の宗派は、大らかなようで、露天の羊肉やヤシ酒を買うものたちであふれている。
「はい」
ガーネットは、肉を挟んだ薄焼きパンを差し出す。
「あんがと」
ゼルは大口をあけて頬張る。中には、申し訳程度に生野菜が入っていた。
そういえば、近くに湖がある。遠い昔に大地を傷つけた星の穴に水がたまったものだ。その水を使って栽培しているのだろう。
(元気だよな)
露天を楽しそうにめぐる相方は、ここ数日、砂漠で野営をしていたようには思えない。街にたどり着いた商人たちの多くは、疲れ果て商売は明日からと決めているというのに。
その疲れ知らずに、当たり前のようについていくゼルもまた、尋常でない体力の持ち主だ。砂漠を生きる人間なら、必要不可欠な能力だが、これが生活能力につながらないのが不思議なかぎりだ。
また、自分のふがいなさに打ちひしがれていると、額をこつんと小突かれた。
「眉間にしわ。老けちゃうわよ」
笑いかけるガーネットの手には、いつのまにか大量の酒瓶がぶら下がっていた。
「なあ、休肝日作ろうや」
「ふふふ、ヤシ酒はジュースみたいなものなの」
「……そうかよ」
と、呆れて肩を下げたところ、目の端になにかが映った。
「どうしたの?」
「あっ、いや」
真っ赤な、燃えるような髪が見えた。
(別に何かする義理がないんだが)
「先に、宿屋に戻ってくれ」
「なんで?」
「なんとなく」
ガーネットはぎゅっとゼルの腕を掴む。がっしり固定された腕は、ゼルが外そうとしても外れなかった。
(非力じゃねえのに)
むしろ、ゼルは体力も筋力も人並以上のものを持っている。
ただ、酒と同様に馬鹿力も規格外な女なのだ。
ゼルは、左腕にガーネットを張りつかせたまま、赤毛を追いかけることにした。
「子どもねえ」
くすくすとからかうように笑うガーネットに、ゼルは不機嫌な顔を見せる。
「気になんねえのかよ」
「そんなの気にしてたら、心がすり減っちゃうわよ」
世の中、子どもなどたくさんいる。いちいち気にかけては生きていけない。
「それに、下手に首を突っ込むと何かに巻き込まれるかもしれないわよ」
ゼルが言い返さないのは、ガーネットの言葉に理があるとわかっているからだろう。青い奴だと思われても仕方ない。
大通りをまっすぐ進むと、目の前には巨大な神殿がそびえたっている。線対称に造られた建築物は、近づいてみるとさらに圧巻だった。
(たしか、こっちだったよな)
赤毛の少年らしきものは、向かって右側の路地に入っていった。
「あんまり、こっち行きたくないんだけど」
ガーネットはちらりと横目で、神殿脇に立つ人間を見る。刺繍入りの白い衣装を着て、槍を携えている。神兵である。
神殿の周りをうろうろしていたら、不審者として扱われるかもしれない。ゼルたちの恰好は巡礼者に見えず、巡礼者でなければ神殿に入ることはできない。
「ちょっと見るだけだ」
ゼルはそういうと、路地に入っていく。神兵にじろりと見られたが、中に入るわけでないので問題ないはずだ。
一歩、大通りから外れると誰もいなくなる。
神殿の壁は高く頑丈なので、神兵の見張りも必要ないのだろう。
「もうそろそろ戻らない」
「あと少しだけ」
やけにそわそわしているガーネットを、ゼルは珍しいと思う。普段なら、どんと構えた印象が強いのに。
「なーんか嫌な予感するのよね」
「ふーん」
ゼルはひたすら続く神殿の壁を眺めながら歩いていく。途中、壁の色がくすんで見える箇所が増えてきた。周りには、積まれた煉瓦や建材が並べられている。
どうやら、壁の補修工事中らしい。
(そういえば、今日は安息日だったな)
隊商の商人たちが素直に休むわけだ。露天商たちは、稼ぎどきだと店を開いているが、その他のものはゆっくり身体を休める日だ。
「ねえ、ゼル」
「なんだ?」
「ふん、ふ~ん」
調子の外れた鼻歌が聞こえてくる。
ガーネットが指さす先を見ると、少年が一人、背を曲げながら後ろ向きで近づいてくる。頭はターバンで隠してあるが、隙間から赤い髪が見えた。
「……なにやってんだ?」
ゼルの質問に、少年はゆっくりと振り返る。人懐っこいリスのような顔が首を傾げる。少年の手には、布袋のようなものがあり、その中身は先ほどから足元にまかれていた。黒い粉が少年の通ってきた道を示している。
「また、会ったのだね。男前のおにいさん。きれいなおねいさんもこんにちは」
鼻がつまったような声で少年は、屈託ない笑みを見せる。
「で、なにやってんだ?」
「ああ。それはですね」
少年は布袋を大きな鞄に入れると、代わりに箱を取り出す。その箱の中には、細い棒状のものが入っており、先に丸くなにかが付着していた。
「こうするのだよ」
少年は、棒を地面にこすり付けると、その先から炎がでる。それを、さきほどばらまいた黒い粉の上にのせる。粉は、生き物のごとく炎をのせて走っていく。
少年は身軽な動きで黒い粉から離れると、建物と建物の隙間に入り込んでいった。
「あー、ものすごく嫌な予感したのよね」
言いかたは呑気だが、ガーネットもゼルを引っ張り、少年のあとに続く。子どもがするりと入った隙間だが、大人となると狭く身体を詰め込むように押し込んだ。
「耳、塞いだほうがいいよ」
少年が、楽しそうに笑いながら耳を塞いでいた。なぜか、顔には奇妙なお面のようなものを被っている。
(!?)
鼓膜が破れるような破壊音が響いた。
落雷がすぐそばに落ちたような、全身に響く音である。
地面まで震えている。
ゼルとガーネットは耳を塞いでいたが、手のひらを通過して音は頭を殴りつけるようである。
爆炎とともに、鼻につく匂いが煙とともに周りに広がる。
「おい、賊だ。賊が現れたぞ!」
幾何もしないうちに、神兵たちが現れた。
立ち込める異臭と煙に、神兵たちはなかなか前に踏み出せないでいる。
ゼルとガーネットは、狭い建物と建物の隙間に身を隠し、息を殺す。目が痛い、煙が喉を焼くようだが我慢する。
(なんなんだよ、一体)
今、この状態で見つかっては、どう見たって怪しまれる。
身体を押し込めて奥へ奥へと進み逃げる中、最悪の言葉が聞こえてきた。
「さっき、こっちに若い男女が行ったぞ。そいつらじゃないのか?」
先ほど、目が合った神兵もいたらしい。まじめに仕事しなくていいのに。
「あたしの勘ってすごくない?」
ガーネットが、耳元で囁くと、ゼルは口をおさえながら違いないと首を縦に振る。
どんどん狭くなる隙間をなんとか、身体をねじりながら通って行く。
(最悪だ)
下手に首を突っ込むとろくなことがない、それが身に染みてわかったのだった。