第21話
木を思いっきり蹴ってミナトを落としたころには息切れをしていた。
「ありもしないこと、言わないでくれるかなぁ?」
「あることだろー」
落ちた時に打ったらしい腰をさすりながらミナトは立ち上がる。
「おふたりさんよ、もう満足だろう」
アキとミナトは同時に振り返る。腰に手を当てたリオが呆れた顔で立っていた。
「サクヤが逃げてしまったじゃないか」
「え…サクヤ?いたのか?」
“サクヤ”で固まるアキを見て黒月ウサギはばれないようにニヤリと笑う。銀華オオカミもまた、何かに気づいた様子で耳を動かす。
「リオ、どっちに行った?」
「さあ。むこうに走って行ったが…場所までは知らないな」
――本当は知っているがな。姉に会いに行くと言ったならば、あそこしかない。
でもサクヤに黙ってあの場所を教えるわけにはいかない。それがヒトなら余計に。
「俺、行ってくる」
駆けていくアキを見送ってから、ミナトは再び落とされた木に登った。
「リオ」
「ん?」
「お前知ってただろ、サクヤがどこにいったか」
「………さあな」
アキの姿は見えなくなっていた。
遠くの赤く色づき始めた空に目を細め、リオは小さく呟いた。
私にはあの子を救えなかった。
「アキなら見つけられるだろう…?」
―――――――
空は少しずつ赤みを帯びてきていた。
慣れない森の中、足を止めることなく進める。
「いない…」
言われた通りの方向へ来たが、サクヤは見当たらなかった。
方向音痴ではないと思うし、森の中と言えど鬱蒼と繁っているわけでもないので、道を間違えたとは思えなかった。
それなのに、見つからない。
一本の木に寄りかかって、ぼんやりと遠くを見つめる。
ミナトについてきてもらえば良かっただろうか。
「俺が亜人だったらな…」
ミナトのようなウサギだったら、こんな森など苦にせず歩ける。リオのようなオオカミならサクヤの場所くらいすぐに見つかるだろう。
そんなことを思って、言った。
何気なく、本当に何気なくそう言った。
「……………っ」
―――それを木の上から聞かれているなど、思いもしなかったから。
だからいきなり目の前に飛び降りてきた人。
サクヤが現れたことに、頭がついていかなかった。
「……………」
「サクヤ…?今、え…?」
あのおどおどしたような表情は、今、サクヤの顔には存在しなかった。
キッと唇を引き結んで、アキを見据える。
あきらかに怒っているようだが、どうしてかわからない。もしかして小屋でのことをまだ怒っているのだろうか。
『亜人だったらなんて言わないで』
どう声をかけようかと迷っていたところへ、サクヤがあの手帳を開いて見せた。
『同情が欲しいわけじゃない』
「そんなこと…っ」
前髪の間から、ひどく冷たい目が一瞬のぞいた。
はっと息を飲む。
「そんなことは…」
本当か?
俺が今こうしているのは本当に同情などではないと言い切れるのか?
………わからない。
そうしている間にサクヤはアキに背を向けて歩き出した。
向こうはリオの家の方角ではない。
「サクヤ」
名前を呼ぶ。
桜色の耳がぴくりと動いた。
サクヤは一度足を止め振り返りかけたが、また前を向くと今度は走っていってしまった。
木々のあいだを縫うように進み、やがて背中が見えなくなる―――――
「サクヤ!」
と、同時にアキも走り出していた。
このままじゃいけない。そう思った時には体が勝手に動いていた。
俺がここにいるのは同情なんかじゃない。そんなに難しいことなど考えていない。
ただ。ただ、ミナトやリオ、そしてサクヤにも自由に生きてほしいだけだ。
ヒトに怯えて生きてほしくないだけだ。
サクヤの姿はすでに見えなくなっていた。
それでも走る。
何度か木の根や石に足を取られながら、見えないサクヤを追いかけ無我夢中に足を動かしていると。
突然。
「あ………………」
気づくと森を抜けていた。
そこにあったのは夕焼け色の空と、紅く染まった木も花も何もない土地。
森の外にこんな空間があったとは。
「…いた、サクヤ」
そしてその端、どうやら崖になっているらしい、そのぎりぎりのところにこちらに背を向けたサクヤが立っていた。
耳のいいサクヤのことだ、アキが来たことにはもう気づいているだろう。
……今度こそ。
ゆっくり踏みしめるように足を進めた。
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