第20話
「サクヤ」
気を抜いていたところに声をかけられ、サクヤの肩が跳ねた。
おずおずと振り返ると、そこにいたのは腰に手をあて立っているリオの姿があった。
サクヤは目を伏せ、森を流れる小川の岸に座るとそっと靴を脱いだ足を浸した。走って火照った体に冷たい水が心地よい。
「あの紙、アキに渡してきたぞ」
動きが止まる。
「アキは読まないだろうがな」
持ってきていた手帳に返事を書いてリオに見せる。リオは自分もサクヤの隣に来ると同じように腰かけた。
『なんで言い切れるの』
「アキならそうするだろうと思っただけだ」
不満げに頬を膨らませてうつむいてしまったサクヤ。
リオは小さく笑って続ける。
「別に見られてもいい内容だったろ」
サクヤはしばらく考え込んでペンを動かす。
『お姉ちゃんのこと書いてるから。ヒトにはあの場所に来てほしくない』
いくらアキさんが他のやつらと違っても。
亜人を差別しなくても。
『お姉ちゃんがかわいそう』
ヒトであることに違いはない。
亜人を殺すヒトであることに違いはないのだ。
『まだ私はアキさんが信じられない。ミナト君を見て、あいつらみたいなヒトじゃないのはわかったけど、まだ』
「…確かに私も最初は疑った。でもな、アキは本当に亜人とヒトの和解を望んでいる」
反論しようと思わず口を開いて、自分は声が出せないことに気づく。
『無理だよ』
悔しい。
話せなくなってしまった自分が煩わしかった。
サクヤは一度水を蹴る。
「……そうか。そうかもしれないな。もしアキの言う、亜人と人間が共に暮らす街が実現する日がきたとしても、きっとそれは…私達がいないエリルでだ」
人々の心に深く染み込んでしまった差別の歴史は、きっとすぐには変わらない。
ふたりは無言になって川の流れを見つめた。
「あっ、サクヤー!!」
泣きそうな悲鳴が聞こえてきたのは、その時だ。
人間では決して不可能なジャンプで木々の間を縫うように進んでくるのはミナトだった。
「リオー!!」
すぐに川岸にたどり着いたミナトは荒い息をしながら頭をかいた。
「アキ、怒らせちまった」
追いかけてくるから隠れさせて?と、手を合わせて頼むミナトに、リオは自分とサクヤの間を開けてそこに座らせてやった。
「私が銀華オオカミを呼べば逃げられるぞ」
「いいな、それ!」
恐ろしい会話を聞きながら、ぱしゃぱしゃと水を蹴った。
「いた!ミナト!」
遠くでアキの声がした。
そして走ってくる足音。
サクヤはそっと立ち上がり、靴を履くとリオに背を向けて歩き出した。
「サクヤ?」
ミナトに呼び止められたが、そのまま川岸を流れに逆らって歩く。
今はアキと顔を合わせたくなかった。
アキは何もなかったかのように普通に話しかけてくれるだろう。でもきっと私にはそれが出来ない。
「暗くなるまでには帰ってこい」
後ろからリオに言われた。
サクヤは振り返って頷き、駆け足になりながら足を進めた。
かなり行ってから、ふたりのもとへアキがやって来てミナトになにやら言っているのが獣の耳に届いた。ミナト君が何かやったのだろうと勝手に推測する。
「……………」
何をするわけでもなく、ただ現実から逃げている自分が、情けなかった。