『祭囃子の聞こえない日』
【1. 夏の途中】
「葉月 湊」は、
久しぶりに祖母の家を訪れていた。
都会での生活に疲れて、数年ぶりに帰ったその山間の町は、
変わっていないようで、どこか微妙に様子が違って見えた。
家の近くにある、小さな神社――
名前も思い出せないくらい古びた、あの神社。
子供のころ、何度か祖母に連れていかれたような、曖昧な記憶。
その日、夕方の涼しさに誘われるように、
湊はふらりと、その神社へ足を向けた。
【2. 神社の気配】
鳥居の朱は褪せ、
参道には草が生い茂っていた。
けれど、なぜか空気は澄んでいて、
人がいないのに、どこか整っている感じがする。
「誰か……手入れしてるのかな」
そうつぶやいたとき、
耳の奥でふっと鈴の音が鳴った。
風もないのに。
誰もいないのに。
そして境内の片隅に、見覚えのない建物があることに気づいた。
古びた、木造の小屋のような、物置のような社のような何か。
【3. 「まだやってないよ」】
社殿の前に立つと、足元に何かが落ちている。
それは、白い千代紙で折られた狐のお面だった。
拾い上げると、裏に鉛筆でこう書かれていた。
「これを拾った人は、もうひとつの祭に招かれます。」
「……なにこれ、冗談?」
湊は苦笑いしながらも、そのお面を袖にしまった。
そのとき、背後から小さな子供の声がした。
「――まだやってないよ?」
振り返る。
誰もいない。
でも、お面がほんの少し、熱を持っていた。
【4. 祭の痕跡】
境内の奥にある石段を上ると、
草の中に、朽ちかけた屋台の骨組みのようなものが転がっていた。
紐が張られた跡、紙垂が風に揺れている。
まるで、つい最近まで誰かが“そこに居た”かのような気配。
それなのに、町の人は誰も口にしない。
祖母に聞いても、
「あの神社? もう何年も手入れされてないわよ」
「昔は祭もやってたけど、みんな忘れたのよ」
そう言って、急に話を切り上げる。
けれど湊のポケットには、まだ狐のお面が入っていて、
ふとした時に、わずかに“何かの音”が聞こえるようになっていた。
【5. 鳴らない鈴】
それから数日後の夜――
月のない晩。
湊の枕元で、**カラ……カラ……**と、乾いた鈴の音が響いた。
夢うつつで目を開けると、
窓の外に、ぼんやりと明かりが連なっているのが見える。
まるで、誰かが提灯を持って歩いているみたいに。
湊は無意識のうちに立ち上がり、
狐のお面を手に取っていた。
そして、吸い寄せられるように、あの神社へと向かった。
【6. 異なる祭】
境内に足を踏み入れた瞬間、
景色が“少しだけ違っていた”。
雑草は刈られ、
屋台がいくつも立ち並び、
人影がちらほらと動いている。
でも、それらはどれも妙に静かで、音がない。
屋台には人がいて、笑顔で招いているのに、
誰も声を発していない。
湊が狐のお面をつけると、
音のない空間に、一斉に「カラン……」という鈴の音が響いた。
その瞬間、誰かが囁いた。
「ようこそ...“まだ終わらない祭”へ」
【7. 過去の境内】
時間が曖昧になっていく。
「これは夢だ」と思った。
けれど、五感のすべてが“現実”を示していた。
屋台で見た飴細工は、
幼いころに食べた記憶そのままの形をしていた。
金魚すくいの水面に映る顔が、自分じゃないように見えた。
そして、社殿の奥。
誰もいないはずの拝殿で、湊は自分の名前が彫られた絵馬を見つけた。
「はづきみなと、五歳」
「おまつり、またきたいです」
覚えていなかった。
でも、確かに自分が書いた字だった。
【8. 終わらない帰り道】
ふと、空が朝焼けの色に変わっていた。
「帰らなきゃ」と思ったその瞬間、
境内から一斉に人影がこちらを向いた。
無言のまま、狐のお面をつけたまま。
みんな、自分が来たことを知っていたように、微笑んでいる。
そのとき、耳の奥にまた声がした。
「“帰れるうちに帰るんだよ”、はるか」
(……はるか?)
名前を間違えられた、と思った。
でも、その声は、幼いころに仲良くしていた誰かの声のような気がした。
それが誰だったのかは、やっぱり思い出せなかった。
【9. 白昼夢の後】
気づけば朝。
神社はまた、いつも通りの荒れた姿に戻っていた。
狐のお面は消えていた。
けれど、スマホの写真フォルダに、
誰も撮ったはずのない“夜の屋台”の写真が一枚だけ残っていた。
祖母はそれを見て、少しだけ驚いた顔をしたあと、
静かにこう言った。
「あんた、見ちゃったのね……」
「あの神社、昔ね、“誰が祀られてたか”誰も覚えてないのよ」
古びた神社は、
人の記憶の“裏側”に潜む空間。
忘れられた願い、置き去りにされた祈り、
誰にも届けられなかった絵馬。
そういうものが、静かに積もっていく場所。
だからきっと――
懐かしいと感じたときこそ、気をつけて。
それは、自分の記憶じゃなくて、
「思い出されるのを待っていた“誰かの記憶”」かもしれないから。




