『静音芸術館』
【1. 招待状】
その封筒は、どこから届いたのかわからなかった。
差出人も記載されていない、真っ白な封筒。
中には、ただ一枚の案内状。
『静音芸術館 招待状』
あなた様の鑑賞を心よりお待ちしております。
※館内ではお静かに願います。
「静音芸術館」なんて聞いたこともない。
でも、奇妙なことに――
地図も載っていないのに、その場所が“どこか分かる”気がした。
【2. 入館】
その日は霧が濃く、空気が少しだけ重たかった。
何気なく曲がった路地裏の先、
いつの間にか「多田 真治」は、
見上げるような真っ白な建物の前に立っていた。
重厚なガラスの扉が、ひとりでに開く。
中は異様なほどに静かだった。
外の世界から、すべての音が切り取られたような感覚。
靴音も響かない。空調の音もない。耳鳴りすらない。
「……ここは、何なんだ……」
受付には誰もおらず、
館内にはただ淡く、均一な白い光が広がっていた。
【3. 無名の作品たち】
展示室は複数あり、
どの部屋にも、妙に印象的な作品が並んでいる。
けれど、どれにもタイトルがない。
キャプションも作者名も、すべて“無記名”。
・顔を伏せて立ち尽くす女性の石像
・引き出しの中に眼球のようなものが収まった机
・正面を向いたポートレート、しかし目が妙に生々しい
・人形のように硬直した姿勢で並ぶ“マネキンの家族”
どれもがリアルで、あまりに生々しい“視線”を感じる。
「……これ、本当に“作り物”か……?」
近づこうとすると、ほんのわずかに“音”が戻った。
――コツ……コツ……
(……足音? でも自分のじゃない……)
振り返ったが、誰もいなかった。
【4. “自分を見ている目”】
ひとつの展示室に入ったとき、
ガラスケースの向こうに**“自分自身の姿”**があった。
立ったまま、まるで標本のように。
それは鏡ではなく、明らかに別の存在。
服装も同じ、表情も似ている。
でも、何かが違う。
目だ。
“それ”の目は、ガラス越しにじっと、こちらを見ていた。
まばたきもせず、息もしない。
なのに、明確な意志を持って“こちらを観察している”。
そして、ガラスケースのプレートにだけ、
唯一の文字が刻まれていた。
【No. 43-B】
Tada Shinji(複製)
心臓がドクンと鳴った。
(――“展示されているのは、俺?”)
【5. 監視者】
それ以降、どの展示室にも“人間の形をした何か”がいた。
まるで生きているようで、でもまったく動かない。
だが明らかに、見ている。
そして、とある展示室の天井に貼られた言葉が目に入った。
「ここに展示される者は、いずれ“見る者”から“見られる者”へと変わります」
(それってつまり……)
この館に長く滞在しすぎると――
自分も“作品”になってしまう?
それに気づいた瞬間、出口を探そうとした。
けれど、通ってきたはずの廊下が、
別の展示室に“すり替わっていた”。
【6. 視線の追跡】
出口を探して歩き回るうちに、
妙なことに気づいた。
展示室に戻るたび、
展示物の配置が少しずつ変わっている。
先ほど見たはずのマネキンが、
別の角度を向いていた。
ガラスケースの中の人物が、
ほんの少し、手を伸ばしていた。
まるで、“こちらを追っている”ように――
そして、すべての展示物の視線が、
わずかにこちらに寄ってきているように感じた。
そのとき、館内放送のような音声が、
どこからともなく流れた。
「No. 44-C 展示準備完了」
「新しい観察対象:Tada Shinji」
【7. 鏡の展示室】
最後に辿り着いたのは、
四方すべてが鏡張りの展示室だった。
そして中央には、小さなガラスケースがひとつ。
中には“自分の名前が刻まれた小さな名札”と、
空っぽの台座が置かれていた。
そのとき、鏡の中の“自分”が、こう囁いた。
「君はずっと、“鑑賞者”でいられると思っていたのかい?」
そして、背後から何かがゆっくりと歩いてくる音が響いた。
――コツ、コツ、コツ……
振り返っても、誰もいない。
でも鏡の中には、自分にそっくりな“誰か”が、ガラスケースの中に収まっている姿が映っていた。
【8. 外に出た先】
次に目を覚ましたとき、
真治は自分の部屋のベッドの上にいた。
窓の外は明るく、時計の針は、
あの日の朝に戻っていた。
あれは夢だったのか?
そう思いたかった。
けれど、机の上には、名もなき美術館のチケットの半券が置かれていた。
【静音芸術館】
招待番号:44-C
ご来館、ありがとうございました。
そして、ふと鏡を見たとき、
その中の自分は――まばたきをしなかった。
見ているつもりで、見られている。
それが「展示空間」という異質な場所。
誰かに評価されること、観察されること、
知らないうちに分類されていること。
静かで、音のない場所だからこそ、
そういう恐ろしさが、じわじわと浮き上がってくるのかもしれない。
あなたはまだ、ガラスの外側にいますか?
それとも、もう少しだけ、内側に足を踏み入れてしまってる?




