『映り込む世界』
【1. 最初の違和感】
その日は、いつも通る学校の廊下だった。
高校生の「上杉 翔」は違和感を覚えた。
曲がり角の突き当たりにある、全身が映る古びた鏡。
誰が置いたのか分からないが、長くそこにあるせいか、もう誰も気に留めない。
だがその日、ふと鏡を覗いたとき――
鏡の奥、“景色のもっと向こう側”に、何かがいた気がした。
形は見えない。ただ“気配”だけがあった。
遠く、ぼんやりと、そこに“何か”が佇んでいた。
目を凝らしても、それは見えない。
けれど、確かに、映り込んでいた。
【2. 映るもの】
それ以来、あらゆる反射に違和感を覚えるようになった。
・電車の窓ガラスに映る自分の背後
・風呂場の曇った鏡の端
・スマホの画面を消したときの黒い光沢
どこを見ても、視界の端に、“それ”がいる気がする。
距離は分からない。ただ、だんだん近づいてきている気がした。
鏡を覗くと、奥に“二重の景色”があるように感じる。
現実とは違うパララックス(視差)――まるで、もう一つの世界が向こうにあるような感覚。
(俺は今、どっちを見てる? 鏡? それとも“あっち側”?)
【3. 誰も気づかない】
友人に話しても、笑って流されるか、
「疲れてるんじゃない?」と真顔で心配されるだけだった。
でも、ある日。
教室の窓に反射した“それ”を見た瞬間、
隣の席の女子が、何気なくこんなことを言った。
「……なんか、今、変なもの映らなかった?」
一瞬、目が合った。
彼女の瞳が、かすかに震えていた。
けれど次の瞬間には「気のせいか」と自分で打ち消していた。
その“気のせい”は、誰にも定義できない。
【4. 寄ってくる】
夜になると、“それ”はもっと鮮明になる。
風呂場の鏡には、水滴の隙間から“誰かの形”が滲む。
洗面台に立つと、鏡の中の自分の背後に、何かの影が揺れる。
ただ、それを直視しようとすると、消える。
だが、目を逸らすとまた“映っている”。
そしてある日、鏡の中の自分が――
ほんの一瞬、こちらとは違う動きをした気がした。
(……今、まばたきがズレた?)
心臓が冷たくなった。
【5. 映らない世界】
次第に、“それ”の方が明確になっていく。
・自分の写真を撮ると、ガラスの向こうに誰かのシルエットが映る
・水面に映った空に、もうひとつの太陽が浮かんでいる
・ショーウィンドウの中に、“自分と同じ服を着た誰か”が立っている
でも、振り返ると誰もいない。
だが、向こうからはこちらが見えているようだった。
まるで“観察されている”ような感覚。
目の奥がじわじわと熱を帯びる。
(……見られている。ずっと……前から)
【6. 替わる】
ある朝、鏡を覗くと、何かが明らかに“おかしかった”。
顔は同じ。姿も同じ。
でも、鏡の中の“自分”が、笑っていない。
まばたきもしない。微動だにせず、じっと見ている。
(……俺のフリをしてる……でも、俺じゃない)
そして、鏡の中の“それ”が――
こちらに向かって、わずかに手を伸ばした。
鏡はただの反射ではなく、“向こうとこちらを隔てる壁”だったのだ。
【7. 曇りなき境界】
その夜、部屋の鏡を布で覆って寝た。
けれど、真夜中。
何かが鏡の向こうから“ノック”する音がした。
――コン……コン……
目を開けた瞬間、鏡の布が落ちていた。
中には、**もう一人の“自分”**が、じっとこちらを見ていた。
けれど、自分は動けない。
身体が重い。手が動かない。
鏡の中の“自分”が、ゆっくりと笑った。
そして、小さく口が動いた。
「……交代しようか?」
【8. 目覚め】
朝、目を覚ますと、いつも通りの部屋。
ただ、鏡の前に自分が立っていた。
――**立っていたのは、自分の“背中”**だった。
振り向こうとしても、体は動かない。
鏡の中の“自分”が、こちらに背を向け、窓の方へ歩き出す。
(……違う、俺は、こっちじゃない……戻してくれ……!)
叫ぼうとしても、声は出ない。
目だけが、鏡の中の“背中”を見送り続けていた。
そして机の上には、こう書かれたメモが残されていた。
【映り込み完了】
対象:Uesugi Kakeru
本日より、外側での生活を開始します。
私たちは、鏡の中に“自分”が映っていると信じている。
だが、それは本当に“同じ存在”なのだろうか?
もしも、そこにいたのが、
ただ“似ているだけ”の何かだったとしたら?
反射とは、模倣。
模倣とは、侵食の第一歩。
そして、あなたが次に鏡を見るとき、
その“映り込み”は、もうあなたの動きと同じではないかもしれない。




