『白いカーペットの施設』
【1. 記憶の奥の風景】
大学を卒業したばかりの「直人」は、久しぶりに実家へ帰省していた。
母が昔のアルバムを出してきて、
「これ、小さいころあんたが迷子になった時の写真よ」
と言いながら、色褪せた1枚の写真を見せてきた。
そこには、白くて無機質な廊下が写っていた。
天井の蛍光灯が等間隔に並び、カーペットは真っ白。
壁も白で、まるで病院のような空間だ。
だが、何かが違う。人の気配が一切感じられないのだ。
直人はその空間を「どこかで見たことがある」と思った。しかし、思い出せない。
ただ、その空間を見た瞬間、胃の奥がひゅっと冷たくなった。
「これ、どこで撮った写真?」
「さあ……。保育園の帰りにいなくなって、
気づいたら近くの団地の一室で見つかったの。
でも、その団地の部屋、もう空き家で……誰も住んでなかったのよね。
不思議だったわ。」
妙に引っかかる。
何か、忘れている記憶がある気がする。
あの空間を、確かに自分は知っている。
その晩、直人は奇妙な夢を見た。白い廊下の中に立ちすくむ自分。誰もいない、音もない、
ただ白い空間の中を、どこまでも歩いている――。
【2. 招かれざる再訪】
数日後、直人は地元の友人・翔太と再会した。
久しぶりに飲んだ帰り道、酔いもあって例の写真の話をしてみた。
「なあ、こういう廊下、見たことないか?」
スマホで撮った写真を見せると、翔太の顔色が一瞬変わった。
「……これ、覚えてるかどうか知らんけど、昔、お前がいなくなった日、俺もあん時お前探しててな。変な建物に入った記憶がある。白くて、音が反響してて、気持ち悪いくらい静かな場所。けど、誰にも信じてもらえんかった。」
「それ、どこだったんだ?」
「分からん。気づいたら外に出てたし、親にも嘘つくなって怒られた。
けど、今見せられてゾッとした。あの時の場所や……」
直人と翔太は、その夜、無性に「その場所」に行きたくなった。
――というより、「呼ばれている」ような感覚だった。
アルバムにあった日付と、団地の場所を手がかりに、二人は深夜
――車で向かうことにした。
【3. 入ってはいけない空間】
団地は今もあるが、住人は少なく、夜になるとまるで廃墟のようだった。
昔と変わらぬ古い建物に、草の生えた駐車場。外灯の光も心もとない。
写真に写っていた部屋番号を頼りに階段を上がると、
その部屋の前で、異様なことが起きた。
ドアが、少しだけ開いていた。
古い空き家で、鍵が開いているはずがない。
それでも、直人は吸い寄せられるように、その隙間に手をかけた。
「……やめた方がええって、これ」
翔太の声も、どこか遠くに感じる。
ドアを開けた瞬間、二人の目に飛び込んできたのは――
あの白い廊下だった。
古びた団地の部屋のはずが、なぜか中は異様に長い廊下になっていた。
白いカーペット、白い壁、等間隔の蛍光灯。そして、妙な静けさ。
二人が中に足を踏み入れた瞬間、ドアが音もなく閉まった。
「……おい、今の何の音もせんかったぞ」
振り返っても、そこに扉はなく、ただ廊下が続いているだけだった。
まるで、ここが“元から世界の一部”であったかのように。
【4. 時間の抜け道】
何分、何時間歩いたのか分からない。時計は止まり、スマホも圏外。
直人は不意に、白い壁の中に、小さな窓のような穴を見つけた。
その中を覗くと――見えたのは、幼い自分自身だった。
一人でこの廊下を歩いている。
助けを求めるでもなく、泣くでもなく、ただ前を見て黙々と歩いている。
翔太もまた、別の場所で、自分の幼少期の姿を見ていた。
ふたりとも、その時理解した。
「これは“思い出”じゃない。今ここで、起きていることだ」
自分たちは、昔ここに来た。そして、まだここから出られていなかったのだ。
出られたと思っていたのは、“外の世界に戻った記憶”を与えられただけ。
本当の肉体や意識は、この「境界の空間」にずっと囚われたままだったのだ。
直人は急に息苦しくなり、しゃがみ込んだ。
天井の蛍光灯が、ひとつ、またひとつと消えていく。
それに呼応するように、白い空間が歪み、影が壁を這い始めた。
その時、翔太が叫んだ。
「走れ!!走れ直人!!このままじゃまた閉じ込められる!!」
【5. 終わらない帰路】
二人は無我夢中で走った。
どこに出口があるかも分からない。ただ、どこまでも、ただただ白い廊下を。
やがて――急に視界が暗転し、二人はアスファルトの上に倒れていた。
気づけば朝になっており、団地の外だった。
身体は泥だらけで、手には血が滲んでいた。
団地の部屋を確認しても、鍵はかかっており、内装も普通の畳の部屋だった。
「……夢じゃ、ないよな?」
直人は頷く。
「あそこに、まだ俺たちの子どもの頃の“何か”が残ってる。
あれが俺たちだったのか、今の俺たちなのかも分からん。
でも、もう……行っちゃダメだ」
【6. 今も続く“中間の場所”】
それから数ヶ月。直人は都会に戻り、日常へと戻っていった。
だが、ある晩――再びあの白い空間の夢を見た。
夢の中で、誰かの足音が背後に近づいてくる。
振り返ると、そこにはもう一人の“自分”がいた。
幼い頃の直人。ではない。
今の自分と瓜二つの何か。
そいつはこう言った。
「まだ、終わってない。まだ、お前は“途中”だ。」
そして、にやりと笑った。
リミナルスペースは、空間の境界であり、記憶の境界でもある。
そこで一度迷い込んだ者は、すべてが終わったと思っても、本当には帰ってこれていないのかもしれない。
今あなたが立っているその場所――
もし、どこか懐かしくて、少し寒気がしたら。
すでに境界の中にいるのかもしれない。




