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「はあ……」
椿油の入っている湯を掬ったリアは、溜息をついた。
村長が、村へ帰ろうと言ってから一週間ほど経っているのだが、リアはまだ城内にいる。
癒されるはずの湯浴みに、先日の会話を思い出して、また溜息を一つついた。
リアが何故、いまだに城内に居るのか。
それは一週間前――村長が村へ帰ろうと言って、リアが疲れから寝入り、 ディーの夢を見た後、リアが目を覚ました時からの話をしなければならない。
「リア様が、お妃様に選ばれました」
「え?」
若き宰相から告げられた話に、リアは目を白黒させた。
そんなリアに、宰相の一歩後ろに困り顔で控えていた村長が言う。
「陛下がお妃様候補と一度も会っていないという噂は、聞いていたからね。 それなのに何故リアがお妃様に選ばれたのか、陛下にお聞きしたんだ」
村長は一旦、言葉を切って首を横に振る。
「何も教えていただけなかった」
そこまで食い入るように聞いていたリアは、肩を落とし俯いた。
(なんで? 何で、私がお妃様に選ばれたんだろう……)
不安と言い知れない複雑な思いに、リアは胸を押さえる。
治ったはずの胃が、少しツキリと痛んだ気がした。
「何で私が……」
小さく呟いて、思い出すのは何故かディーの顔。
リアはハッとして、両手で湯を掬い、豪快に顔に数回かけた。
顔を振って水を飛ばしたリアは、また溜息をつく。
浴槽の縁に両腕を置き、顎を乗せる。
「ディー。何で、貴方がこんなにも頭から離れないんだろう?」
他のものから言わせれば、それは恋なのだが――リアは、それに気がつかずに、 ディーとは友情という名の言葉で結ばれているものだと信じて疑わなかった。
けれども、時折、切なくツキリと痛むこれは何なのかと、生まれてこの方、 恋愛とは無関係だったリアは悩むのだ。
――友情とは、こんなにも痛くて切ないものだったのか……と。
王との婚姻まで、あと一週間。
リアは自身の本音に気付かずに、今日もまた、刻一刻と時間を鬱々として過ごして行くのだった。
◆ ◆ ◆
リアは、見知らぬベッドの上に転がされている自分の状況に、ついて行けずにいた。
「ああ、やっとお目覚め?」
戸惑っているリアに笑うのは、いつも自分を世話をしている侍女。
「グランディス?」
「名前で呼ぶのはやめてよ。虫唾が走る」
かすれた声でリアは侍女の名前を呼べば、 今は侍女姿ではない男勝りの格好のグランディスが顔を歪めて返事の代わりに吐き捨てるように言った。
いつも微笑んでいたグランディスの豹変ぶりに、リアは目を見開く。
グランディスは、そんなリアを鼻で笑ったが、見据える目はどこまでも冷めていて、 リアを震わせるには十分だった。
「あらあら、脅かすのは良くないわ。グランディス」
クスクスと笑いながら、狭いこの部屋へ入ってきた人物に、リアは声を出すのも忘れてただただ驚いた。
「ですが……」
躊躇ったように何か反論しかけたが、グランディスは口を噤んだ。
そんなグランディスには眼中に無いらしい人物が、ヒールの音を響かせてリアに近づいて行く。
リアは、その人物の顔を近くで見れるようになり、見間違えなのかもしれないと思っていた考えを改める。
「あなたは、首都の隣にある町の……」
地理に疎いリアがそう言うと、その人物――お妃様候補である豪商のお嬢様だった。
リアは、そのお嬢様が嫌に突っかかってきた事を思い出した。
『あら、何時も同じ服で可哀想。私のお下がりでも差し上げましょうか』と言ってきたのも、このお嬢様で、 その後、ディーに会いに東屋に行き首を絞められたんだっけ。とぼんやりと思った。
だから、自分の顔に痛みが走るまで、お嬢様の手が迫っているのに気がつかなかった。
「いっ!?」
「平凡な顔」
お嬢様に掴まれてギリッと軋む顎に、顔を歪めたリア。
その様子をリアの顔を左右に動かす事で、観察したお嬢様が発した言葉がリアに降りかかった。
「何で、平凡なお前がお妃様に選ばれたんだ」
そして最後に発せられた声は低く、男のようだとリアは頭の端で思う。
「王子なのに女装させられた僕は、何なんだって感じだよ」
独り言を呟きながら、リアの顎から放した手で、お嬢様は首に巻いているスカーフを外した。
露わになったそこには、喉仏があった。