音楽室の山田さん
「律くん、声きれいだよね」
え、って。思わず彼女の方を見る。そんな事、初めて言われたから。
音楽室の夕方。山田さんは特に照れている訳でもなく、ただ評価するように俺の声を褒めてくれた。
ここに来たのは、ちょっと内申点に有利かなと思って、片付けを引き受けた。それだけだった。
そしたら、クラスメイトの山田さんもいた。
「……俺、声キモいって言われたことしかない」
「そんなことないよ。なんか素直っていうか、うん。私は好きだよ」
「……アメかジュースか、おごって欲しいって事?」
「いやいや、ひねくれすぎ」
山田さんはそう言って、何事も無かったかのように後片付けを再開する。
彼女にとっては、何気ない世間話の一つ。でも、俺にとっては違う。
ささくれた自分を包み込んでくれるような、気まぐれなそよ風。
ふわりと揺れるスカートの裾は、花びらみたいで。
綺麗な姿勢で作業をする彼女を、しばらく眺めていた。
「そういえばさ。来週から、合唱コンクールの練習だね。律くんはソプラノパート?」
「いや、俺。男子だし……アルト……」
「あっ、そうなんだ! ごめんごめん。いい感じに高い声出てたからさあ」
「……そっか。山田さんは、そう思ってるんだ」
悪びれることもなく、笑っている山田さん。俺の心臓、さっきから変だ。
えっ。なんだこれ。苦しいんだけど。でも、そんなに悪くない。
「そういえば律くん、聞いた? この前の練習でさ、男子のパートで一番よかったって。先生そう言ってたよ」
「……それ、マジ?」
「うん。やるじゃん」
あまり意識してなかったけど、なんとなく最近は良い姿勢で声を出せている気がする。よく考えてみると、姿勢の悪さが原因だったかもしれない。
「すごいね。ちょっとだけ、びっくりした」
「すごいって、何が?」
「だって律くん、音楽の時間はずっと下向いてるでしょ? 楽しくなさそうっていうか」
「……うん。だって、嫌いだから」
クラスメイトに変な目で見られるのは、まだマシだ。
たまに先生が、俺が歌ってると変な顔をするのが怖かった。
褒めたいけど、どんな言葉をかけるべきかとか。個性的な声してるねとか。
慎重に値踏みされるような、そんな視線。
「じゃ、今は好きなんだ」
山田さんの言葉に、首を傾げてしまった。意味がわからない。
「だって、前向いて歌えてるし」
「……ちょっと、マシになったのかも」
「ふふっ。律くんがちゃんと声出してくれると、こっちも合わせやすいから助かるよ。私、ソプラノだから」
照れくさくなって、視線を逸らした。
まただ。どきどきした後の、心地よさ。たゆたう心が彼女の言葉で、静かになっていく。
山田さんとこうして話すようになって、俺の中の何かが変わってる。
「……あのさ、山田さん」
「なに?」
「なんで、俺の声褒めてくれたの?」
「うーん……そう思ったから?」
「……確かに、そうとしか言えないよね。その人の、感覚的な話だから」
「でしょ? でもね、ほんとにそう思った。響きとか、綺麗だなあって。男の子は成長期だから、色々大変かもだけど。大丈夫だよ? 律くんの声、ちゃんと私に届いてる」
大人しくなった俺の心臓が、また騒いだ。
また少し経った後の、音楽室。
放課後で、外は小降りの雨。俺は窓際から外を眺めて、山田さんはピアノを優しく撫でていた。
「あの、さ。律くん、私ね。来月引っ越すんだ」
「……そう、なんだ?」
「うん、親の仕事の事情で。だから多分、みんなとはコンクールが最後になるかな」
「……うん」
目の前が暗くなるような感覚。何も考えられない。でも、何か言わないと。苦しい、苦しい。
「だからさ……コンクール、頑張りたい。最後だから、いい思い出にしたいんだ」
山田さんの言葉で、少しずつ視界が晴れた。じゃあ、それをプレゼントしたい。
「……だったら、頑張ろうぜ。俺、男子に言うよ。腹から声出せってさ」
「……それ、律くんちゃんと言えるの?」
「うるさい。そっちはちゃんと練習しといて」
「ふふっ。はいはい、お互い頑張ろうね」
彼女が笑ってくれた。やっぱり、山田さんはその顔がいい。
ついに合唱コンクール当日、場所は体育館の舞台裏。
クラス全員、どこかぎこちない顔で並んでいる。
「なあ男子、声出そうぜ。口だけ開けてないで、こういう時くらいさ」
「は? なんだ律、お前そんなキャラだった?」
「……別にいいだろ、たまには」
「あっ! お前まさか、誰かに告白するとか?」
茶化すクラスメイトを無視して、山田さんの方を見た。
山田さんはこっちに気づいて、ガッツポーズをしてくれた。
「ま、いいじゃん。律の言う通り、頑張ってみようぜ」
「そうそう! 律くん、ナイスだよー!」
みんな、やる気出してくれるかも。……勇気、出してよかった。
ステージ上は照明の熱で、ただ熱い。俺達の体温も、まるでそれを手助けするよう。
そして静まり返った空気の中、指揮の合図が上がった。ゆっくりとピアノの伴奏が始まる。
──よし、声出てるかも。
俺の声、ちゃんと届いてると思う。彼女にも、他の誰かにも。
終わった後、誰かが「やったな」って言ってた。ぱらぱらと聞こえる、まばらな拍手。
結果は──三位。
クラスのみんなも「まあ、頑張ったよな」って、そんな雰囲気で終わった。
「ねえ、律くん」
「……ん?」
名残惜しくて、教室に残ってた。みんな帰った後も、自分の机で。
とても、とても静かな時間。山田さんも残ってた。
「ありがと。最後に、すごくいい思い出になった」
「……別に。良かったな」
「男子たち、すごい声だしてくれてた。律くんのおかげで」
「……そっか」
なんだよ、俺。こんな時くらい、ちゃんとしろよ。
「じゃあね、律くん。またどこかで」
「…………」
言葉の代わりに、ぼろぼろと大粒の涙が出た。
「……もう。最後くらい、かっこよくお別れしようって、思ってたのに」
俺と山田さんは暫くの間、静かに泣いた。そして泣き止んだ後、校門まで二人で帰った。
二年後、俺は高校に入学した。春真っ盛りで、なんだかみんな浮かれている。
「え、律って吹奏楽部入ったの? なんか、意外かも」
「まあ、ちょっとな」
「なんで?」
「……昔さ、俺の声を褒めてくれた人がいたんだよ。それでなんか、音楽に興味湧いたみたいな」
「ほほーう。これは浮気の香りが……」
「ばか。そんなんじゃねーよ」
隣に座る彼女にそう言って、空を見上げた。
──ありがとう、山田さん。君のおかげで、俺は自分の事が好きになりました。
もしまた会えたら、どんな事を話そうかな。
ここまで読んでいただき、有り難うございます。
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