episode 2
「それじゃあ、まずは委員会を決めていくぞ。まだ学級委員長も決めていないから、とりあえず出席番号最初と最後の相田と六尾が司会だ。じゃあ二人、よろしく。」
この教師は簡潔に言えば、サバサバしている。必要以上に生徒に干渉せず、最低限の情報と指示で終わらせていくタイプに見える。どことなく俺の社会人時代の上司に似ている。
上司はガタイの良い男だったが、俺たちの先生は女性で、世間一般から見ていわゆる美人に分類される、と思う。名前は桐谷といった。
俺は無言でチョークを手に取り、言葉に出さずとも「俺が書記をやりますよ」という意思を相田に示した。スポーツマンなんだから、お前の声の方が教室の後ろまで届くだろう。だいたいスポーツマンは声がデカくて、身振り手振りがデカい。あと足音が大きい。これは45年生きてきた中で育て上げた偏見である。
「では、委員会決めを進めます。相田です。改めてよろしく。まずは先ほど先生が配ってくれたプリントを見てください。委員会の一覧表と、主な業務が書いてあります。委員会は全部で10個、加えて評議会というものがあり、これが最高機関、ああいや、まあ一番偉い人たち、みたいな感じかな。」
相田はうまいこと司会進行を進め始めた。相田の手元を見ると、全員に配られたプリントと同じものを持っているが、やたらと赤いペンでメモ書きが入っている。こいつ、ちゃんと下準備してきたんだな。だから昨日の自己紹介も流暢に喋っていたのか。スポーツマンで好青年、これは人気者になりそうなものだが、今までのやり直しではあまり目立っていなかったのは何故だ。
「すぐにどの委員会に入るか聞いてもいいんだけど、まずは疑問点とかがあれば、今のうちに先生に聞いておこう。その後で立候補の時間を取るから、何か聞きたいことがある人は手をあげてね。」
素晴らしいぞ、相田。だいたいこういう面倒な会議というのは、司会進行が資料を用意してこないだとか、どの順番で何を決めていくかを決めずに、会議とも言えない時間がただ過ぎていくことが多いのだ。社会人が集まっても、だ。俺もよくその被害にあっていて、毎週いくつもの定例会議を設定される割には中身のない、おじさんたちの雑談に付き合わされて酷く辟易していた。
俺は相田のファシリテーターとしてのポテンシャルに感心しながら、委員会の一覧を黒板に書き連ねていった。
・生徒評議会
・学級委員(委員長、副委員長、書記)
・総務委員会
・風紀委員会
・会誌委員会
・美化委員会
・文化委員会
・体育委員会
・放送委員会
・図書委員会
・第一行事委員会
・第二行事委員会
合計10個の委員会と、学級委員と、生徒評議会。生徒評議会に関してはそれ単体に入るのではなく、各委員会の委員長が出席する形だが、一応記載しておく。
学級委員は委員長、副委員長、書記をそれぞれ1名ずつ、ほか委員会は各2名の立候補が各クラスで必須となる。40名のうち23名がどれかの委員会には入ることになり、誰もが残りの17人になりたがるのだが、委員会によっては人気の委員会もある。
例えば放送委員会なんかは昼休みに全校放送を15分間、まあラジオのようなものを運営したり、体育祭の実況やアナウンスを行う。目立ちたがりか機械好きには人気の委員会だ。
もう何年も経験しているので俺は慣れてきたのだが、この行事委員会というのは珍しい委員会だろう。おそらくこの高校独自のシステムだと思う。(すでに存在していたら、すまない、頑張れ、全国の行事委員たちよ。)この学校は標準的な行事である文化祭や体育祭、遠足の他にも、二週間後に控えている新入生交流合宿やら、部活紹介、修学旅行、紅葉狩りに職業体験合宿と、やたらと行事が多い。多くの行事を第一、第二の行事委員会が運営に携わり、中でも修学旅行は第一、第二の行事委員会総出で運営することになっている。どの行事をどちらが運営するかはその年によって変わるが、これはかなり人気の委員会である。
ちなみに俺は過去5回のやり直し生活で、初回に図書委員を1年だけやって、それ以降はどこにも立候補しなかった。端的に言ってしまえば、怠けたかった。社会人生活をある程度やってきたので俺ならばどんな委員会もお茶の子さいさいだろうと高を括っていたのだが、これが意外と面倒であった。
図書委員会に入ってしばらくして知ったが、この学校は委員会活動をかなり対外的に行う学校で、俺は本の貸し借りを管理するだけでいいと思っていたのだが、地域の書店に出向いて店主と交流したり、本の売れ行きを分析して校内向けにお勧め図書リストを作成したり、予算を作成し各本屋さんから在庫過多の本を買い取り学校図書に回すなど、意外と社会人のようなことをやらねばいけなかったのだ。
俺にはこれがどうにも億劫で、委員会活動に携わるのを早々に諦めてしまった。一度諦めるとそこから再度やってみようなんて気はなかなか起きず、今に至っている。楽しそうだな、とは思った。何度も。ただ実年齢30歳を超えてくると、何よりも働きたくないという気持ちが上回ってしまうのだ。代わりに、どんな学校行事も感謝の気持ちは忘れなかった。一人感謝委員会である。
全ての委員会を書き終え、昨日初めて着たばかりの制服の袖がすでにチョークの粉で汚れてきた。振り返って相田を見るとなんとも気まずそうな顔をしている。
ーーああ、質問が一つも来ないのね。
相田、お前の司会進行は何も問題ないぞ。これは出席者の問題だ。今席に座っている生徒38名は全員、自分以外の誰かが発言するだろう、誰かが質問してくれるだろうと思っているのだ。俺の経験からして、このままでは誰も発言をしない。そして後になって言うのだ。
「そんなこと教えてもらってないです。」と。
また昔話になってしまうが、社会人時代、俺の後輩もそうだった。
「先輩、この資料なんですが先方に送ったら今電話が来まして、これじゃ資料として認められないと・・・。」
後輩が初めて一人で作業し、一人で進めていた先方とのやり取りでの出来事だった。だいたいの仕事は教え終わり、「わからないことがあったらなんでも聞いて」と任せた仕事だったのだが、報告を受けて確認してみると、そもそも提出した資料のフォーマットが先方に対して使用すべきではないものだったのだ。
「これは他の会社とウチでやり取りするときのフォーマットで、この会社とやり取りするときはこっちの、違うフォーマットを使わなきゃなんだ。」
「そんなの、聞いてないです。」
確かにこの会社にはこのフォーマット、この会社にはこれで、という細部までは教えなかったかもしれないが、100を超える取引先のフォーマットをすべて教えていられないだろう。俺は「各会社に専用の
フォーマットがあるからね」とまとめて伝えたつもりだったのだが・・・。というかこの会社とのフォーマットはどれですか、と聞いてくれればよかったじゃないか。なぜ質問をしないんだ。ちゃんとわからないことがあったら聞くように指示もしたのに。
後日後輩は数日間仕事を休んで、けろっとした顔で職場に戻ってきた。すいませんの一言もなしに。何なら俺が謝るべきだとでも言わんばかりに、「先輩は教えてくれないですからね」なんて冗談を飛ばしてきた。
嫌な奴ではないのだが、心の中で「お前が謝るべきだろう」と思っていた。
だが今となっては分かる。何でも聞いてといわれて質問できる人間は、その才能を持っているのだ。
ある程度のプライドが邪魔をして、自分が他人よりも理解力が低いと思われたくない、馬鹿のレッテルを
貼られたくないと、無意識に質問するということに対してネガティブになってしまうのだ。
なあ、この世で司会進行を頑張る社会人のみんな。会議の終盤、何か最後に質問はありますかと発言した後のあの数秒間の沈黙、どうやって耐えているんだ?
「あの、すみません先生」
昔のことを考えていたら、自然と声が出ていた。
「こんなことを聞くのはあれですが、委員会に入ると何かメリットというか、良いことというか、あるんですかね・・・」
こんな質問をしてくる生徒は嫌だろう、桐谷先生。俺だってこんな質問、したくない。ただ一番馬鹿らしい質問を誰かがしないと、必要な質問は挙がってこないんだ。許してくれ。
桐谷先生は俺の顔を一瞬睨むように見つめた後、にやにやしながらこう答えた。
「わかりやすいメリットは特にないな。評価がどうとか、そんなものは学校生活全体での評価になるわけで、例えば生徒会長になったとしても、毎回テストで赤点を取るだとか、問題行動を起こすとか、なんなら万引きをしたら評価なんて最悪のもんだろ。
ただ私は、委員会に入って、何か一つでも自分が楽しいと思えることが見つけられたら、それでいいと思ってるよ。だから、委員会に入って良いことは、人生の可能性がほんの少しだけ広がる、ってことだな。」
妙に納得できそうな答えをにやつきながら答え、また先生は教室の端に戻った。
俺には分かる、この答えはよくよく考えて聞いてみると、特に何も答えていないのと同じだ。ただこの発言で、うずいていた衝動を行動に起こす生徒が出てくる。
上手く背中を押したな、桐谷先生。俺もよくやりたくない仕事を「お前の視野が広がるかもしれないぞ」といって押し付けられていた。
そこからはいくつか質問が上がるようになった。相田の顔も少し明るくなり、そこまで毎日のように委員会に時間を割かなくても良いこと、休みたければ休めること、部活と両立している先輩もいること、などの小さな疑問が解決されていった。
そこからは立候補の時間が始まったのだが、これがまた地獄だった。
先ほど疑問点が解消されたことにより、人気の委員会とそうでない委員会が明らかになっていき、手の挙がる委員会とそうでない委員会の差が激しくなってしまった。
すぐに決まったのは放送委員会と体育委員会、そして第一行事委員会。放送委員会に関しては4名が
挙手し、じゃんけんで買った二人がその座を勝ち取った。負けた二名はそのまま体育委員会へ流れた。
もしや運動会の実況がしたかったのか?
第一行事委員会は同じ中学出身の男子二人が結託して手を挙げた。かなり食い気味に、大きめの声で「はい!」と手をあげ、他の挙手を許さないような立候補であった。ちなみにこの二人が、俺が目を付けている厄介者である。
2周目に入ると他の委員会はちらほらと手が挙がり、じゃんけん大会も必要なく決まっていったが、学級委員長、副委員長、そして第二行事委員会に空きが出た。
行事委員会は人気のはずが、第一委員会に立候補した二人のせいで誰も手を挙げなくなってしまった。
「あと4人で、委員会は決まります。まだ手を挙げていないみんな、やってみようと思う委員はない?」
相田が追い打ちをかける。
クラスメイトの顔を見れば分かる。お前が学級委員長をやればいいじゃないか、という顔をしている。相田はその視線に気づいてか、もしくは気づかずか、だいぶ制服がチョークの粉まみれになった俺に言った。
「六尾、俺らで第二行事委員会、立候補しようか。」
ーーは?
おい相田。それはいくらなんでも、禁じ手じゃないか?お前が一人で立候補すれば、声のデカいスポーツマンが寄ってくるんじゃないか?
というかそもそもお前、兄弟の面倒を見るから委員会には入らないんじゃなかったのか?
そして教壇に立って数十分、クラスメイトに立候補を促してきた俺がそれを断ったら、このクラスからの俺の評判はどうなる?もしここで断ったら俺に貼られるレッテルは’’押し付け君’’に決まってる。
仕事を人に押し付けて生きているおじさんは社会でも死ぬほど陰口を叩かれていた。それが思春期真っ只中の高校生となったら、どれだけの誹謗中傷が飛び交うかわからない。
相田よ、お前はそこまで分かって言っているのか、この教壇で俺にその提案をすることの恐ろしさに。お前が今、俺を崖っぷちに追い詰めていることに。
桐谷先生はにやつきながらこちらを見ている。
クラスメイト全員も、俺の返答を窺っている。
そして張本人の相田は、やけに冷静な顔でじっと俺を見つめている。
八方塞がりの俺が、乾ききった喉から小さく声を出そうとしたその瞬間だった。
「二人が第二行事委員会をやるなら、わたし学級委員長、やります。」
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20XX年 4月2日 曇りのち雨
委員会決めは順調には行かなかった。
相田の謀反があったからだ。
俺が第二行事委員会に?なんでこうなったんだ。
ちょうど相田が俺に提案してきた時、雨が降ってきたのが見えた。
学級委員長には声の小さい女の子が立候補した。
正直誰なのかわからなかったけど、調べたら滝川というらしい。
とりあえず無事委員会立候補者は全員決まって良かった。
ただ相田、お前は何を思ってあんな提案をしたんだ?
兄弟の面倒と、サッカーを優先するんじゃなかったのか。
やはり、今回は何かがおかしい。
惰性で生きている場合ではなさそうだ。
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