六、 新宿BLAZE前広場
テクオ氏が亡くなった、と初めての知らせを受けたのはTwitterのRT情報であった。
オレたちオタクにとって、良いお知らせも悪いお知らせも大切なお知らせも、全てはTwitterからもたらされるのだ。
テクオ氏は都内で一人暮らしをしていた。
急に出勤してこなくなった為に勤め先から家族に連絡が行き、家族が自宅を訪ねたところ室内で倒れていたのが見つかった。
発見された時は既に亡くなっていたそうだ。
テクオ氏はアイドルオタクの活動について家族には完全に伏せていた為、親族や仕事関係者、また古くからの友人のみにその訃報が知らされ、オレたちオタ友にその知らせが回ってきたのは通夜も葬式も終わった後であった。
テクオ氏と仕事の関係で薄く繋がっていたオタクが居て、その人がオタク関係者に知らせてくれたのだ。
ご家族はテクオ氏のSNSの事も一切知らなかったので、亡くなった後で趣味の仲間がこれほどたくさん居たことに大変驚かれたそうだ。
それはそうだろう、テクオ氏は一見すると口の悪い偏屈なおじさんだが、付き合ってみると知的かつチャーミングなキャラクターで、オタク的な人望はあったのだ。
まあそんな訳で、テクオ氏は死んでしまったのである。
ここ最近SNSの更新がなかったのは、仕事が忙しかったか何かだとばかり思っていた。
テクオ氏はSNSで発信する時期としない時期がはっきり分かれるタイプのオタクであり、息をするようにツイートし、一日更新がないだけでフォロワーに安否を心配されるようなツイ廃タイプではなかった。
なので今でもまだ、近況についてひょっこりツイートしそうな気がして、実感もイマイチわかないのであった。
それから数日後、オタク仲間で『テクオ氏を偲ぶ会』が開催された。
テクオ氏はオタク歴が長いだけあり、どれだけの人が集まるか見当もつかない為、お店などではなく新宿歌舞伎町の旧コマ劇場前の広場が指定された。
旧コマ劇場前の広場、現在で言うところのトー横キッズやトー横界隈と呼ばれる若者たちがたむろする例の広場である。
しかし、この場が"トー横"(新宿東宝ビルの横)と呼ばれる前から、我々オタクは"BLAZE前広場"として、新宿BLAZE(キャパ800)で開催されるアイドルのライブ前や後に集まっては酒(主に緑茶割り)を酌み交わし語らう場として定着していたのだ。
【緑茶割り】
なぜか昔(2011年頃?)から、地下アイドルの飲むアルコールの定番は緑茶割りとされた。
詳細は不明だが、コンビニ等で手に入りやすい上に飲みやすく、また悪酔いもしないのが
理由であると思われる。
2024年にはサントリーのジャスミン焼酎『茉莉花』が界隈で話題となり、
その地位を脅かしつつあるようだ。
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そんなドルオタに馴染みの場所で、日と時間だけを決めてSNSで周知し、テクオ氏に思いをはせる為にみんなで集まろう、という趣旨だ。
この会はテクオ氏の最期の主現場『さいくぷろすっ!!』のオタクが中心となって進められたが、とても良い発案ではないだろろうか。
日時は 水曜日の平日17:00 から各自の終電までと長めに設定されており、その日に仕事やアイドル現場があったとしても十分に回せる時間設定となっているのも心憎い。
かく言うオレもキューティクルズちゃんのライブが原宿RUIDO(キャパ300)であったので、特典会を終えたその足でやってきた。普通ならお別れ会よりアイドルライブを優先するとは何事かと思われるだろう、しかしこれはドルオタのお別れ会だ。普通ではないのである。
BLAZE前広場には、多くの人々と共に、アイドルオタクの集まりがあった。
もう夜の9時を回っているが、老若男女100人はいると思われる。
知り合いのオタクから知らないオタク、どこかで見かけたことがあるようなオタクなど、そして中にはアイドル本人もいるようだ。
あの女性グループは『さいくぷろすっ!!』のメンバーではなかろうか。いつものモンスターの着ぐるみ衣装を着ていないと、オレにはイマイチ判断がつかないのであるが……。
しかしこれがテクオ氏の人徳であろう。
お別れの会ではあるが全体的に暗くならず、時に笑い声が聞こえるような朗らかな雰囲気に少し助けられた気がした。
オレは昔馴染みのオタクたちのグループを見つけて話しかけると、軽い挨拶の後に、まずテクオ氏の祭壇に行くように促された。
『祭壇?こんな場所で?』
と思って通された先には、地面に座布団が直置きされ、その前に作られたちんまりとした台が置かれていた。
その上に、線香に見立てた2本のオレンジのケミカルペンライトに挟まれて、遺影の変わりにテクオ氏の笑顔のピンチェキが飾られていたのだ。
アイドルオタクにお馴染みのチェキとペンライトを用いたミニチュア祭壇の様子に、オレは思わず噴き出してしまった。
「うけるだろ?」
「確かに」
これだ。これである。
本来の真面目な葬儀はもう終わっているのだ。
故人への想いをはせながらも、決してただの"普通"にはならず、冗談と不謹慎のギリギリの線を狙うセンス。
凡になることを極力避け、しかしハメは外し過ぎずに常にユーモアと明るさを大切にギリギリで生きている。これこそがアイドルオタクなのだ。
オレはよく分からない感動をしつつも座布団に正座すると、テクオ氏のピンチェキに向かって手を合わせた。
オレは振舞われた緑茶割りの缶を片手に、かつて同じ現場に通っていた昔なじみのグループと話していた。
当時は毎週のようにライブハウスで会っていた仲間たちであるが、今は対バンイベントでたまたま推しグループが被った時に出会う程度の関係性となっている。
"全ては推しの思し召しのまま" なのだ。
「テクオ氏は実際幾つだったの?」
「さあ?」
「前に初めて好きになったアイドルの話をした時に、みんなモーニング娘。とかももクロとか言ってるのに、一人だけ原田知世って答えたからね」
「世代がw」
そんな風にテクオ氏との思い出話に花を咲かせていると、やがてオレの元に、見知らぬ若者のオタクがやってきた。
「失礼ですが、シューゴさんですか?」
「そうだけど」
「僕は『さいくぷろすっ!!』のオタクをやってるやっしーという者です」
「どうも。ああ、会の開催ありがとうございます。お疲れ様です」
「いえ、少しお話がありまして」
オレはみんなとは少し離れたところに、やっしー君と移動した。
他の人の前では話せないことなのであろうかと、少し訝しんだ。
「これを渡したくて」
そう言うと、やっしー君は手にしているトートバックから、A4サイズの茶封筒を取りだした。
そこにはマジック書きされたオレの名前と日付がある。あの夜、テクオ氏が書いたものだ。
「親族の方から、持ち主の人に返したいと頼まれまして。これシューゴさんのですよね」
オレは恐る恐るその茶封筒を受け取ると、中を覗いた。
中にはチューブ、本体、電池、電池カバーとに分解にされたあのキンブレが入っていた。
それは一瞬バラバラ死体を思い出させ、オレはビクリとした。
「テクオさん、几帳面な方だったから借りたものは全部日付と名前を書いた袋に入れていて。ペンライトだからオタク関係の友達だろうって預かりました」
「あ、ありがとう、オレのだよ」
戦慄した。あの"悪魔のキンブレ"が、またオレの元へ戻ってきたのだ。
「あの、その日付、テクオさんが亡くなった前日だそうです。次の日の夜にはもう亡くなってただろうと」
「え!そ、そうですか」
「で、あの、テクオさんの弟さんが言うには、テクオさんが倒れてる時、机にそのペンライトを広げてたそうです。そのペンライトをいじってる最中に、心不全を起こして椅子から倒れ落ちたのだとか」
「え?そ、そう……」オレは言葉を失った。急激に緑茶割りの酔いが冷めるのを感じた。
「多分、テクオさんと最期に会って話たのがシューゴさんだと思っていて。その日、『さいくぷろすっ!!』のライブが大塚であって僕たちもいたのですが、テクオさんは『M.J.M』時代のオタクに久しぶりに会うんだと楽しそうに言って、特典会を終えるとすぐライブハウスを出て行ったんです。それがシューゴさんですよね」
「そうですね……大塚駅前でテクオさんと待ち合わせしていました。でもキンブレの修理というか、確認をお願いしただけで、すぐに別れましたけどね」
「いつもと変わりはなかったですか」
「いつもと言っても、会ったのは数年ぶりだったけど。でも変わりなかったよ、いつも通りのテクオさんでした」
「そうですか」
「ええ……」
オレは手にした茶封筒から、キンブレの本体部分を取り出した。
例のゴマ粒のようなネジ頭を見ると、ネジ穴は潰れ、付近のプラスチック部分がめちゃめちゃに傷ついていた。
恐らく、精密ドライバーでネジが廻らずに強引に開けようとした跡だ。やはり最終的には壊そうとしたらしい。そしてそのタイミングで……。
オレは『壊す』という言葉に反応するように急にLEDが赤く光ったことを思い出し、背筋が凍る思いがした。冷静に考えてみると、周囲のキンブレの色を際限なく切り替えるほどの怪電波を放出する力があれば、近くの人間の血管を切ったり詰まらせたりすることも容易なのではないのか、と。
これは考えすぎであろうか……。
オレは急に具合が悪くなったとやっしー君とその他のオタ仲間に伝え、そそくさとBLAZE前広場を後にした。
テクオ氏を偲ぶ会はその後も人が途絶えず、結局朝方まで続いたそうである。
その様子はハッシュタグ『#テクオ氏を偲ぶ会』、もしくは『#テクオ氏をしのぶ会』で今も確認することができる。
~つづく~