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五、 オタク有り、遠方より来たる

「やあやあ、すまないね!」

そう言ってテクオ氏は重そうな体と荷物を揺らし、こちらに駆けてきた。

ここは多くの人が行きかう、JR大塚駅の北口広場である。

腕時計を見ると、ちょうど19:59から20:00に切り替わった瞬間であった。

時間ぴったり、実にテクオ氏らしいなとオレは思った。


「テクオ氏、お久しぶりです」

「シューゴ君、変わらないねえ」


それはこちらのセリフである。

テクオ氏は、最後に会った4年前からメガネはもちろん、上着、ジーンズ、ニューバランスのスニーカー、そしてパンパンで何入ってるんだというスポルディングの黒いリュックまで、何も変わりはなかった。


「テクオ氏、ちょっとは服とか買って下さいよ。まったく変わってないじゃないですか」

「わはは、予算のないアイドルグループみたいだろ?」

"予算がないアイドルグループ"とは、たまにいる何年も同じステージ衣装で活動するアイドルを揶揄しているのである。


「いやしかし、『オタク有り遠方より来たる、た楽しからずや』だね」

相変わらず知的なのかアホなのかよく分からない人であるが、まずは元気なようで良かった。

今も大塚 Heartsハーツ(キャパ200)であったアイドルの対バンイベントを終えて、ここに来てくれたらしい。

テクオ氏と実際に会って話すのは久しぶりだがTwitterでお互いの近況は把握しているので、今通っているアイドルグループや、アイドル界隈を騒がせている時事ネタなどを軽く話してから、オレは早速本題に入った。


「それで、お話なんですけどね」

「そうそう、いったい何なのさ」

オレはその場で、昨日、雨の新宿でキンブレを拾ったことから、本日起きた奇妙な出来事まで、これまでのあらましをザッと話した。

一通り聞き終えると、テクオ氏は神妙な顔をした。

このオタクはいったい何を語るかとこちらも少し緊張したところ、


「わはは、そりゃ偶然だよ!そんなことあるわけない!」

と、突然大きな声で笑い出した。


「拾ったキンブレは古いものだし、もう一本も壊れたキンブレと同時期に買ったものだろう?偶然に調子が悪い二本が揃っただけだよ、早く新品を買いたまえ」

そう言って、オレの肩を力強くバンと叩いた。


「久しぶりだし飯でも食いに行こうか!腹減ってるんだ」

そう言って踵を返すテクオ氏にオレは叫んだ。


「ちょっと待ってください、今ここに実物があるんです」

自分のトートバックに手を突っ込み、件のキンブレを取り出した。

オレの言葉にテクオ氏が足を止めた。


「え、今持ってるの?」

「もちろんですよ」

「へー、それが噂の和紙キンブレね。面白い!じゃあ確認してみようか、向こうの広場へ行こう」


テクオ氏はそう言って満面の笑みを見せた。

オレたちはJR大塚駅の構内を突っ切って、逆側、南口の大塚駅前広場「TRAMパル大塚」まで移動した。

ここは公園のような広さも電灯もあり、キンブレの動作を確認するにはもってこいである。


「しかしシューゴ君さあ、ちょっと会わないうちにスピッた?もう少しクレバーなオタクだと思ってたけどさあ。陰謀論とかはまってない?」

などと失礼なことを言われたが、まあ見てくださいよとオレは返した。

オレもまだにわかに信じられないのだし、その為にライブもないのにこんな大塚くんだりまで来ているのだ。


駅前広場では、まばらに居る人たちが思い思いに過ごしている。

オレは空いている隅のベンチに荷物を下ろすと、さっそくキンブレの実演に入った。


「見せてもらおうか、拾ったキンブレの性能とやらを!」

ドヤるテクオ氏にそんな太ったシャアがいるかと思いつつ、オレは二本のキンブレを点灯した。

そして渋谷で行った動作確認を繰り返した。

Aのキンブレが自動的に赤に切り替わり、それを追うようにBのキンブレも赤に切り替わる。

すると、二本とも全くの操作不能となる。仕方なく電池を抜く。

もう一度、二本のキンブレを点灯する。

Aのキンブレが自動的に赤に切り替わり、それを追うようにまたBのキンブレも赤に切り替わる。

そして二本とも全くの操作不能となる。仕方なく電池を抜く。

……やはり何度繰り返しても、全く同じ結果になるのであった。


「おお?おーおーおー?」

明らかに興味を示したテクオ氏は、オレの手からBのキンブレを奪うと、何度もボタン操作をしたり乾電池を抜いたりを繰り返した。

しかし結果は同じで、強制的に赤色に変化する。


「ほう!ほうほうほう!」

と、目を見開くテクオ氏。

あの冷静沈着なテクオ氏が、こんなのめり込む姿勢を見たのは初めてかもしれない。


「どうです、言った通りでしょう」

「これ、よもや人権無視ペンラではないよね?」

「人権無視ペンラ?」

「知らない?前にジャニオタの間でちょっと話題になってたやつだよ」

「いや」と、オレはかぶりを振った。

「いわゆる制御ペンライトってやつだね。Bluetoothブルートゥースが搭載されててさ、コンサート中に運営が色をコントトロールできるんだ。オタクは高い金を出して自分でペンラを買っても、好きな色を出せない。だから人権無視ってわけ。ジャニオタにしてはうまい事言うよな」

「はあ」

「シューゴ君も地下アイドルばっかり行ってないで、そういう広い知見を持った方がいいよ」


相変わらず減らず口の多い人だ。

しかしこれがテクオ氏の持ち味でもあるので、よくつるんでいた頃を思い出してオレは懐かしい気持ちになった。あの頃は楽しかったのだ。


「他のキンブレでは試したの?」

テクオ氏はオレの方を向いて、ペンライトを持って振るようなしぐさをした。


「え?いや、オレ二本しかもってないので。テクオ氏は持ってます?あ、『さいくぷろすっ!!』はペンラ現場ではなかったでしたっけ」


『さいくぷろすっ!!』は、現在テクオ氏が通っている4人組のアイドルグループである。

サイクプロス(一つ目の巨人)と名にあるように、"あなたが育成するアイドル♡モンスター"をコンセプトにしていて、運営(魔王)が用意した様々なノルマをクリアすると、モンスターに扮した各メンバーがじょじょに成長する(衣装や装飾品がリニューアルして立派になる)という、なかなか面白いシステムなのである。

しかし、確かここのオタクはライブ中におもちゃの剣や杖を持って応援するはずで、ペンライトは持たないはずだ。

だがそこは流石テクオ氏である、パンパンのスポルディングのリュックを開けてごそごそしたと思ったら、やおら中からキンブレが三本も出てきたのである。


「最近は現場でペンラ使ってるんですか?」

「いや、使ってないよ。念の為に持ってるだけ」


このオタクは、普段使ってないのに"念の為"だけで常に使うオレよりも多い本数のキンブレを持ち歩いているのか。

そういえば以前、アイドルの特典会の最中にチェキ機が壊れて運営が困っていた時、テクオ氏がパンパンのスポルディングのリュックからチェキ本体とチェキフィルムの束を出してきたのを思い出した。

いつも何をそんなに持ち歩いているのかと思ったら、こんなものを持ち歩いているのである。


「全部つけちゃお」

テクオ氏は手持ちのペンライトを3本とも点灯し、それぞれ赤色以外に設定した。

そしてキンブレAを点灯すると、やがて全てのキンブレ、つまりオレのBとテクオ氏の3本、計4本が赤色にぺカッと切り替わったのだ。


「ひええー!!」

テクオ氏は驚きの雄叫びを上げた。

広場内の人たちが何事かと一斉にこちらを向いたが、お構いなしの様子だ。


「どういうこと?え?これどういうこと?」

テクオ氏の大げさな驚き方に慌てているオレだが、確かにこんな影響があるとは思わなかった。

一体何本までいけるのだ?もしかして近くにあるキンブレは全て赤に変えるのか?


「ちょっと離れてみるか。シューゴ君、親玉を持っててくれ」

テクオ氏はキンブレAを親玉と呼び、それをオレに手渡した。

そして残りの4本を持つて一歩づつオレから遠ざかっていく。

やがて、テクオ氏の持つ4本が同時に、微かに光が途切れてまた戻ったように見えた。

「お?反応したぞ」

テクオ氏は手元のキンブレの切り替えボタンを押した、するとそれぞれ赤から色が切り替わった。


「直ったね」

そうしてもう一度、オレの持つ親玉キンブレの方へ一歩進んだ。

すると、4本が同時にすべて赤に切り替わったのだ。


「ひょーっ!!」

確かに凄いが、この驚きようはどうなのだ。

一瞬、テクオ氏が何かに憑かれているのではないかとさえ思った程だ。大丈夫かこの人。


「シューゴ君は動かないでね!親玉は点けっぱなしね」

そう言うと今度はパンパンリュックからコンベックス(メジャー)を取り出して、キンブレの色が切り替わった位置からオレの立ち位置までの距離を測った。


「1.5m、ちょうどだな」

そしてしばらくオレの周りをぐるぐる回っては、手持ちの4本の光の加減を確かめている。

そして点々と地面にキンブレを置いて行き、オレを中心に赤いキンブレ3本の三角形ができあがった。

何かの妖しい儀式のようである。UFOを呼ぶのではないのだから……。


やがてテクオ氏は、結論付けるように口を開いた。

「つまり、こいつは半径1.5m以内にある光るキンブレを、確認した限り4本までは赤色に強制的に切り替えるんだ。これは不思議だな」

「射程距離1.5m。近距離パワー型のスタンドですね」


オレの渾身の小ボケを無視して、残り1本のキンブレを手にぶらぶらさせながらテクオ氏はまた考え込んでしまった。

そこでテクオ氏は、ふと何かに気付いたようだった。

今テクオ氏の立っている位置が親玉を持っているオレより1.5m以上あるのだ、なのに手元のキンブレはボタンを押しても赤から変わらない。


「お?……は?」

何かぶつぶつ言いながら、テクオ氏は地面に置いたキンブレ三本を拾い、今度はこれを一列に置きだした。

オレ→1.5m先にキンブレ→そのまた1.5m先にキンブレ→そのまた1.5m先にキンブレ、という具合である。

地面に赤く光るペンライトを並べるおじさんに、広場に居た塾帰りと思われる小学生男子たちが集まってきたが、テクオ氏は全く意に介さないで何やら地面にキンブレを置いては手に取って操作し、を繰り返した。

そしてやがて、こちらへ興奮気味にやってきた。


「シューゴ君、これはすごいぞ!びっくりして心臓止まるかと思った!」

「大丈夫ですか、気を付けてくださいよ」

「それよりこれね、親玉を中心に、半径1.5m以内にある光るキンブレを、強制的に赤色に切り替えるんだ」

「はい、さっき聞きました」

「次はね、この赤に切り替わった1.5m先のキンブレを中心に、また半径1.5m以内にある光るキンブレを強制的に赤色に切り替えるんだよ」

「え?」

「それからね、さらに次の1.5m先、つまり親玉からは3m先にあるキンブレを中心に、また半径1.5m以内にあるキンブレを強制的に赤色に切り替えるんだ」

「……つまり、光ってるキンブレが近くにあるだけ、限りなく赤色に切り替わるわけですか」

「そう!これはもう病原体の感染と同じ原理だよ!感染者を中心に、周囲に際限なく感染が広がっていくんだ!伝播でんぱというやつだな」

「でも、そんなバカな……」

「だったら君も確かめてみるといい、そうなるはずだから。私はちょっと水を飲むよ」


そう言うと、テクオ氏はパンパンのリュックから今度はサーモスの1Lのステンレスボトルを取り出して水を飲み始めた。そんなものも入っているのか。


オレは親玉を光らせたまま地面に置き、言われた通りのキンブレの動作を確認した。

テクオ氏の言う通り、親玉を中心に赤に強制切り替えされたキンブレを仲介し、さらにその1.5m先まで影響範囲を広げている。確かにこれは病原体の感染と同じだ。

オレはまた、世界的な拡大をみせたコロナ騒ぎを思い浮かべた。

しかしコロナと違うのは、親玉の電池を抜いて灯りを落とすと、全てのキンブレは元通り制御可能になるところだ。

全ての中心は、昨日、雨の新宿で拾ったこの"親玉"なのである。

言うなれば、鬼の始祖を殺すことで全ての鬼が消滅してしまう、『鬼滅の刃』の鬼舞辻きぶつじ無惨むざんそのものであると言える。


「ふう」

水を飲んで落ち着いたのか、テクオ氏の表情が元に戻った。

先ほどのパキッたような目つきはもう消えていた。


「ちょっと親玉を見せてもらうよ」

そういうとテクオ氏はオレの手から消灯した無惨むざん様を受け取り、チューブを回し外して本体のLED部分を見た。


「ごく普通のキンブレだね。ネジ、外していいかな」

テクオ氏がオレにそのLED部分を向けてきたので、オレは目を細めて除き見た。

LEDの脇にごく小さなネジが二本あり、これがキンブレの本体部分を固定しているのだ。

ゴマ粒みたいに小さなネジの頭だ。


「いいですけどこれ、精密ドライバーがないと無理ですよね」

「あるよ」

テクオ氏はパンパンのリュックから、今度は精密ドライバーセットを出してきた。

オレはもう何が出てきても驚かなかった。まるで歩くホームセンターである。


「もっと明るいところに行こう」

さすがに夜の広場は暗すぎるので、オレたち二人は荷物を持ちJR大塚駅の構内へ向かって歩き出した。


「しかし、周りの色を全て強制的に切り替えるとはね。恐ろしいキンブレだ。言うなればこれは悪魔のキンブレだな。しかもそれが赤とは、なかなか因果なものだね」

テクオ氏はそう言ってオレに笑いかけた。


「やめて下さいよ、その話しは」

「そうか、ごめんごめん」

テクオ氏が珍しく謝罪した。

オレにとって赤は、特に思い入れのある色だったのだ。


構内を行きかう人たちの流れの邪魔にならぬよう、シャッターの閉まったルミネの入り口前で止まった。

テクオ氏はクリームパンみたいな手に細い精密ドライバーを持ち、キンブレ本体の極小のねじを回そうとした。

がしかし、なかなか上手くいっていないようだ。


「ん、固いな、回らない。固着してるかもしれない」

ふうと息をつき、テクオ氏は一度精密ドライバーをひっこめた。


「あまり強くやるとネジ穴を潰しそうだ。そうなったら終わりだからね」

「もともと道に落ちていたものだから、そんなスムーズには回らないかと」

「これ、壊していい?」

「は?ダメですよそんなの」

オレがそう返答した刹那、分解しようと電源を落としていたLEDが、一瞬赤くカアッと光り、そして消えた。

オレとテクオ氏は思わず顔を見合わせた。

まるで"壊す"という言葉にキンブレが怒って反応したように見えたからだ。


『まさに悪魔のキンブレか』そんなことをぼんやりと思ったが、お互いにそのことには言及しなかった。

今考えると、二人とも何か不吉なものを感じたのかもしれない。


「えと……この親玉、ちょっと借りていいかな。家でゆっくり調べてみたい」

テクオ氏の申し入れにオレは快くOKした。もとよりそのつもりなのだ。


「はい、お願いします。返すのはいつでもいいので、これが何なのか分かれば」

「じゃ、借りるから。壊さないからね」

そう言ってテクオ氏はまたパンパンのリュックをまさぐり、今度はA4サイズの茶封筒と黒の油性マジックを取り出した。

そして地面に茶封筒を置くと、マジックで『2023/5/20(土) シューゴ君』と書き、その中に悪魔のキンブレを入れたのだ。


「なんすかそれ」

「オタクをしてるとね、いろいろ物を借りたり貸したりすることがあるじゃない。レアな音源とかチェキやグッズの代行とかさ。それを無くしたり忘れたりしないように、こうして日付と名前を書いた袋に入れるのさ」

そう言ってテクオ氏は笑った。

あのパンパンリュックには、彼のこれまでの人生の中で培ったオタクノウハウが詰まっていたのだ。やはり見上げたオタクである。


「テクオ氏」

「うん?」

「オレ、実はテクオ氏をずっと『風の谷のナウシカ』の漫画に出てくる蟲使いみたいだなと思ってたの、お詫びします」

「蟲使いって、あのいつも全財産を背負ってる臭い奴?ひどいなあ」


その全財産のようなパンパンリュックを背負って、テクオ氏は笑った。

テクオ氏は、その昔ながらのオタク然とした風貌や立振る舞いから、年下からも"さん"ではなく"氏"で呼ばれていた。これは敬意の表れなのだ。


「じゃ、行くね。何か分かったらまた連絡するから」

「あ、飯いかないんですか?オレも腹減ってて……」

「いや、早くこの悪魔のキンブレを調べてみたい。もしかしたらよもやの大発見になるかもしれないしね。シューゴ君は何か食べて行きたまえ、大塚なら『幸龍軒』のモツニラあんかけラーメンがお勧めだぞ」


そう言うとテクオ氏は足早に改札に向かって歩いていってしまった。

さっきは腹が減ってると言っていたのに、まるであの悪魔のキンブレに魅せられているようだなと、人波の中で遠ざかる彼の丸い背中を見て思った。




テクオ氏が亡くなった、との知らせを受けたのは、それから二週間後のことであった。


~つづく~


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