第一章 都市伝説№33「砂瞳子さん」 p.2
2nd days
涙が頬をつたい顎から一粒一粒落ちていく。彼女が成仏するすべはまだ残されている。だが彼女はそれを望まない。
今俺は昨日の路地に来ている。
昨日砂瞳子さんが立っていた場所でマーカーを作動させる呪文を唱えると地面に緑色に鈍く発光する一筋の線が現れた。その線は路地の奥へと続いている。線を辿り路地の奥へと足を進めると、かつて商店街の一部だった通りに出た。その通りも今は寂れて空き家も多い、さらに線を辿っていくと通りの一角にたたずむ2階建に辿りついた。
その建物の一階には『橋本仏具』の看板があったが店のシャッターは固く閉ざされ人の気配など微塵も感じさせない。一方二階は居住スペースの様で窓の向こうを変色した白いレースのカーテンが覆っていた。こちらもやはり人の気配を感じさせないが、俺は人間以外の気配を感じ取った。
マーカーの線はその建物の外階段の上に伸び、二階の扉の中へ続いている。俺は扉のドアノブを回したが鍵がかかっているようで開ける事は出来なかった。仕方ないのでいつも携帯している工具と日常生活では必要のない知識を駆使して扉の鍵を開けた。正直俺は職質されたらやばい物を結構所持している。
鍵の開いた扉を開けて中に入ると部屋の中には10畳の畳間とシンクがあった。何故だろうか部屋の内装が古臭すぎて、間取りを現すだけの「ワンルーム」と言う言葉すら言うのを躊躇ってしまう。
とにかく部屋の内装よりも俺が部屋に最初に入って目に映ったのは、畳間に敷かれた布団の上で体を捩じらせ顔を歪めて苦しんでいる砂瞳子さんの姿だ。彼女の眼窩はどす黒い血で満たされ、その血は眼窩から溢れ出し布団をどす黒く染めていた。
俺は彼女に近寄りそっと彼女の頬を撫でたが、彼女は俺に触れられた事にも気付かず苦しみ続けている。
長年こういう仕事をしていると未熟ではあるが様々な術や技を覚える事が出来る。そして俺は未熟ではあるが霊の苦しみを和らげるすべを知っているのでそれを彼女に施した。
応急処置ではあったが彼女の苦しみも多少和らいだようで、苦痛で歪んでいた彼女の表情が少し柔らかくなった。そしてその時初めて彼女は俺が居る事に気付いた。彼女は驚き上体を急激に起こした。すると眼窩に溜まっていた血液が一気にこぼれ落ち辺りに飛び散った。そして急激に動いたせいで頭に差すような痛みが走り彼女は頭を押さえて顔を歪めた。
まだ辛そうだ。それにしても昨日とは全然違う彼女の様子に俺は戸惑った。生前の思いや出来事で苦しみ悶える霊は少なくないが、砂瞳子さんのように街を平然と歩いたり、そうかと思えば苦しみだしたり、魂の状態が大きく変化する霊はあまり見た事がない。霊を怒らせたり、霊のトラウマを持ち出して怯えさせる程度の変化の差の話ではない、それにいくら苦しんでいても人が目の前にいるのに気付かない霊なんてものはまず居ないし砂瞳子さん以外に見た事がない。それほど彼女の苦しみが酷いものなのだろう。
俺は上体を起こしているのもやっとな彼女を支えていたが。話ができる状態ではなさそうなので再び彼女を布団に寝かせた。
その時ある事に気が付いた。部屋が線香臭い事だ、しかし線香の匂いには部屋に入った時に気が付いていたし、匂いでこの線香が霊を癒すものだという事にも気づいていたので苦しみを和らげるために砂瞳子さんが焚いたのだろうと思ったのだが、よく考えたら霊が自ら線香を焚く事はまずない線香は生者が死者に祈りを込めて焚くものだ。だから霊が自ら焚いたとしても効果は薄い。
そしてもう一つ気付いた事がある。それは部屋中に施されたまじないやお守りだ。しかもそれはどれも守護霊以外の霊には有害、つまり浮遊霊である砂瞳子さんには有害なお守りばかりだ。なのになぜそのようなものばかりがある部屋でわざわざ寝込んでいるのか。
「自分でやったのか…?」。容体が辛そうなので質問するのは躊躇ったが、彼女が答えてくれる事に期待して俺は独り言のように呟いた。
彼女は俺の顔を見て頷いた。そして事情を自ら話してくれた。
「私は沢山の悪人を殺した。その中の何人かは死後悪霊になって私に復讐しようと付き纏ってくる。普段の私ならそんな奴らなんて敵じゃないけど、私が今みたいに苦しんでいて無抵抗な時に奴らが来たら流石に私でもどうしようもない、だから私には無害なだけど奴らには有害な低級のまじないでやり過ごしているの。線香は気休め、少しでも楽になればと思って下の仏具屋から持ってきたのを焚いただけ」
彼女が自ら話してくれたおかげで事情はわかった。俺は考えた、大抵の霊は自分が伝えたい事や問題を生きてる人に伝えてその問題を解決してもらう事を望んでいる。そしてそれがその霊の成仏へとつながる。酷く苦しむ彼女を見てしまった俺はどうしても彼女を苦しみから解放してあげたくなった。そこで彼女が許す限りの事を教えてもらう事にした。彼女が楽に話せるように自分が知っているすべての癒しのまじないを施した。すると彼女は上体を起こし少しうつむいたまま話し始めた。
――2008 9月
県立高校の女子トイレで私はずぶ濡れで座り込んでいた。私は陰湿なイジメの対象だった。親や先生に言う事は出来なかった。心配をかけたくないからと自分に言い聞かせていたが、本当は親に告げ口した後の復讐に怯えていた。
そんな私をいつも支えてくれたのは幼稚園からの親友の来夏だ。来夏はいつも私がいじめられた時慰めてくれたり、イジメの仲裁をしてくれたりした。
来夏は明るくてまじめで人柄もいいので学年の皆は来夏の事を慕っていた。でも私がいじめられている事に関しては皆見て見ぬふりで誰も私の事を口にしなかった。皆は来夏の事を慕っていたが、所詮私は来夏と幼馴染なだけで私なんかと縁を切ればいいのにと口にする人もいた。でも来夏はいつも私と一緒にいた他の誰よりも私と一緒に居てくれた。
来夏は私に先生や親に相談した方がいいと言ったが私はそれが出来なかった。来夏も私が嫌がるので先生には告げ口しなかった。そしていつも通り私がいじめられそうになったら仲裁をしてくれた。
時は流れ10月9日私は18歳になった。来夏は私の家まで来てお祝いしてくれた。プレゼントもくれた、ハートと目玉がデザインされたネックレスだった。ハートと目玉って言葉だけ聞いたら微妙に思うかもしれないけど、私はそのネックレスをとても気に入った。相変わらずいじめの状況は変わらないけど来夏が居てくれるから私は孤独じゃない。
また時は流れて11月6日今度は来夏が18歳になった。今度は私が来夏をお祝いした。プレゼントはボヘミアン系のファッションが好きな来夏に合うように選んだ太陽を模したネックレス、来夏はとても喜んでくれた。この時正直イジメの状況は悪化していた。イジメはエスカレートし暴力も激しくなり来夏でさえ止められなくなった。そんな中これ以上状況が悪くならないように来夏がイジメの事を教師に相談した。教師達の対応は思ったより迅速だった。正直期待はしていなかったがイジメはすぐになくなり、私をイジメていた奴らには厳しい罰則が与えられた。たまにまたそいつらが私にちょっかいを出してきても、来夏が教師に報告すればそいつらに新たな罰則が科せられるので奴らはちょっかいも出さなくなった。
しかしそれから10日後私は検査で見つかった脳の異常で入院した。来夏は毎日見舞いに来てくれた。そして入院してから5日後私にとって身を裂くより辛い悲報が届いた。
「来夏が死んだ」
それを聞いて私は気を失ってしまった。
昨日も来夏はお見舞いに来てくれた。その日はバイトがあるため来夏はいつもより早めに病院を出た。そのあとバイトへ向かう来夏を私をイジメた奴らがとり囲んだ。来夏がイジメの事を教師に告げ口をした事を知って怒って待ち伏せしていたのだ。
来夏とそいつらは口論になり、そいつらは来夏を突き飛ばした。この一撃でこのたった一撃で来夏の命は奪われた。来夏は突き飛ばされ、電柱につながれていた持ち主のない半壊状態の自転車に激突した。その際自転車のハンドルのブレーキ部分が来夏の眼球を突き抜け脳に達し来夏は命を失った。
こんな死に方があるのだろうか。来夏は何も悪くないのに何で死ななくちゃいけないの?
来夏はいつも私を守ってくれたし、他の皆にも優しかったのに何で?
何で私じゃないの何で私じゃなくて来夏が死ぬの!
私が居なかったら来夏は死ななくて済んだのに…
殺す!殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!
絶対に許さない。来夏の命を奪った腐れどもをぶっ殺してやる。
来夏が死んで3日後の12月8日私は来夏が居ない孤独と悲しみ、家族との別れと寂しさ、死への恐怖、蜘蛛膜下による激痛の中で死んだ。奴らへの恨みを持ったまま…
それから1年後私をイジメ来夏を殺した奴らが死んだ。私が殺した。私がイジメられた期間と同じ時間奴らを苦しめた。そして最後は来夏が死んだ時と同じように奴らの奴らの目玉に自転車のブレーキをぶっ射して殺してやった。
そのあと私は成仏できずに彷徨った。奴らを殺した後も恨みは消えず腐った奴らを殺しまくった。
話を終え彼女は俺の胸の中で泣いていた。俺の服には血が染み込み、握りしめた手は握っていた服を引き裂いていた。
「今も死ぬ時のあの感覚が私を襲ってくるの。とても苦しいの!」。彼女は俺に訴えかけた。
しばらくして彼女が落ち着くのを待ち俺は彼女を成仏に導く方法を話した。しかし彼女はそれをかたくなに拒んだ。
「成仏はしないこのまま成仏したって来夏にあわせる顔がない、自分で踏ん切りをつけるまで絶対に成仏はしない」。眼球がない彼女だが、そのかたくなな眼差しには圧倒された。
「君に罪はない死後に悪人を殺したからと言って地獄に落ちる事はない、来夏も君が来る事を望んでいる。その事は君がよく知っているだろう?」。だが彼女は首を横に振った。
「私と同じ思いをする人が出てほしくない。私はこのまま悪人を殺し続ける!」怒鳴り声に近い声で彼女は叫んだ。俺には彼女の考えを否定する権利などない。確かに全ての悲しみの根源だ彼女に罪はないし、正直俺は悪人は死んで当然だと思っているので彼女の考えが間違っているとも思わない。
その後落ち着きを取り戻した彼女は俺の服を離して俯いた。
「何でこんな事が起るんだろうね、神様は何をしてるんだろうね?」
「神など居ない!」今度は俺が怒鳴った。彼女は驚き顔を上げた。
「神など居ない居るのは天使だ。確かに彼らも完全な存在ではないだけど彼らは悪と戦い善人を守る。腐った行為や腐った悪を無くすために日々戦っている。そして悪はやがて滅び罪なき犠牲も無くなる」。無宗教な俺だが昔からこれだけはハッキリ断言できるし、多少の根拠もある。そしてこれが俺が画家になった理由でもある。
俺は彼女をそっと抱き寄せた。彼女は顔をうずめ少し泣いていた。
彼女の今後がとても心配だった。もし彼女が悪霊化したら、もし彼女に復讐しようとしている奴らが彼女を襲ったら…負の連鎖が始まっている何処かで断ち切らないと。
「苦しくなったらまた癒してやるよ。そのために療養の術も勉強するしお前を狙う奴らが居たら俺が守る。だから一人で頑張るなよ、いつでも味方になるから」
ちょっと間をおいて俺は立ち上がり部屋を後しようと玄関に立った。すると彼女が俺を呼び止めた。彼女は俺のもとへ歩み寄り言った。
「あのさ、お前と一緒にいていいか?正直一人は苦手なんだ」
この時から俺と彼女は行動を共にする事になった。そして俺は彼女の絵を完成させた。