第二章
高校一年の五月。初めての中間テスト、最後の答案用紙が回収された私はふぅっと息を吐いた。
つい二ヶ月前まで受験生として勉強に打ち込んで無事に志望校に合格できた。いつものメンバー(いつめん)もそれぞれ志望校に合格できて、離れ離れにはなっちゃったけど、今でも仲良くしてる。ついこの間のゴールデンウィークでも集まったところだ。
みんなも明智くんも、テスト終わったかな?またみんなで集まりたいなー。解放感に浸っていると、前の席の林くんが振り向いた。ここ一ヶ月でそれなりに話すようになった数少ないクラスメートだ。
「テストどうだった?」
「うーん初めてだし、わりと簡単な方だったかな」
「だよなー。結構いい勝負になりそう」
「あ、そっか」
テストで勝負するなんて初めてで忘れてた。勝負事じゃないと勉強に気合い入らないからって頼まれたとき、野球部の人ってイメージ通り熱血漢なんだなとか思ったんだった。
「たしか、合計点が高い方が勝ちだっけ」
「そ、負けたら何か奢る。忘れんなよ?」
念を押しながら荷物を背負った林くんを「はーい、部活頑張ってね」と見送って自分も教室を出た。久しぶりの部活だ。噂通りみんな仲が良い演劇部はすごく居心地が良くて、テスト期間中も早く部活がしたくて仕方なかった。同じクラス(おなくら)でも仲が良い子はいるけど、部活のみんなとはまだ遠慮してるところがあった。もっと仲良くなりたい。今日はみんなで帰れるかな?うきうきしながら部活へ向かった。
翌日から早速テストが返却された。林くんの予想通りいい勝負だった。抜きつ抜かれつを繰り返しながら一週間が過ぎて、次の英語の授業で決着がつくことに。林、日向と順番に呼ばれて、二人して受け取った用紙を見ないように席まで戻る。
「「せーのっ」」
バッと机の上にテスト用紙を広げた。林くんは八十九点。私は九十一点だ。
「うわ!負けた!」と肩を落とす林くん。
「えーと…最終的に七点差かな。接戦だったね」
「だなー、テスト返ってくる度に燃えたわ。でも次は負けねーから」
「負けず嫌いだなぁ」
「筋金入りのな。んで、俺は何を奢ればいい?」
「うーん…」
そうだなーとコンビニのお菓子やジュースを思い浮かべてみる。うーん、これ!ってものがない。かと言ってお店のものって高いし…うーん。どういうのがいいんだろ?
なかなか答えが出ない私を見兼ねたのか、林くんが頭を掻きながら助け船を出してくれた。
「あー…今思いつかないならさ、その、フードコートにでも行かね?」
「フードコート?」
「そ。あそこならだいたい何でもあるし。土日の部活帰りとか、腹減ってるだろうし」
「なるほど!頭いいー」
「テストは負けたけどな」
「あ、ごめん、そういうつもりじゃ…」
「わかってるわかってる」と林くんは笑いながら私の言葉に被せて言った。ちょうど次の土曜日は二人とも午前中で部活が終わるということで、その日に行くことになった。校門で待ち合わせすることまで決めて、その話は終わった。
土曜日。演劇部の片付けを終わらせると制服に着替えて待ち合わせ場所へと急いだ。靴を履き替えて外に出ると、校門から少し離れた日陰で談笑する二人の男子生徒が見えた。二人とも坊主頭で足元に野球部のエナメルバッグがある。そこに向かって歩き始めてすぐ、彼らも私に気付いたらしい。一人が鞄を手に取り「じゃあな」といった風に片手を上げて校門へと足を向けた。もう一人も鞄を肩に掛ける。そこへ小走りで近寄ると「お疲れ」と声をかけてくれた。
「お疲れ!ごめんね待たせちゃって」
「いや、全然。じゃあ行こうか」
暑いのか少し顔が赤く見える林くんと並んで歩き出す。いつも教室でしか会わないからなんか新鮮。
「さっき一緒にいた人、野球部の人?」
「ああ、うん。隣のクラスの」
「そうなんだ。野球部ってやっぱり多い?」
「まあ、一年だけで二十人ぐらい」
「え!そんなにいるの?すごいね」
「演劇部は?」
「一年は五人だけ。うーん野球部は四倍かーさすがだなぁ」
そんな他愛ない話をしながら駅に向かう。電車ですぐのところに目的地はあった。
「私ここ来るの初めて」
「へぇ、俺は何回か野球部で来た」
「そうなんだ。私も演劇部で来てみようかな」
お昼時とおやつ時の間でお腹ぺこぺこの私たちは真っ直ぐフードコートに向かった。お店がコの字になっていて所狭しと並ぶテーブルの奥にお店がずらりと並んで見える。どこからか美味しそうな匂いが届いて、ますますお腹が空いてきた。先に席を確保して一緒に端からお店を見に行く。
「どれにしようかな」
「何でも、好きなの選んでいいよ」
「あっクレープ美味しそう」
「…いきなりデザート?」
「いや、食べないけど、美味しそうだなって」
「食べればいいじゃん。俺も後で買うから」
「ほんと?じゃあ食後のデザートだね!」
「おう。とりあえず飯にしよう」
ぐるりと一周して結局最後に見たたこ焼きを買ってもらった。林くんはラーメンと炒飯のセットを買った。料理が揃ったテーブルに着いて、たこ焼きと林くんに手を合わせる。
「いただきます」
「どーぞ。俺もいただきます、腹減った!」
「がっつりだね」
「日向が少ねんだよ」
「だってクレープも食べるし」
「俺も食うけど?」
「…夜ご飯、食べれなくなるし」
「ふっ」
「なんで笑うの!?」
「いや、悪い、つい」
どこが面白かったのかわからないまま話が変わった。部活はどんな感じか。何で今の学校を選んだか。兄弟はいるか。好きな食べものは何か。
林くんと話すの楽しいな。いつものメンバー(いつめん)といる時も楽しいけど、なんかちょっと違う気がする。今まで男の子とこんな風に話したことなかったけど、こんな感じなのかな。
「そろそろクレープ食うか。何がいい?」
「えっいいよ、自分で出す」
「たこ焼き安かったからいいよ」
「んっと、じゃあ、お言葉に甘えて」
「ん。何がいい?」
「えっと、何があるんだろ」
「じゃあ一緒に行って、そのまま食べ歩きするか」
「そだね」
林くんが席を立ち、鞄を肩にかけながら「んじゃ店の前に集合で」と言った。私も立って鞄を手にとりながら「うん」と答えた。ラーメン屋は一番外側にあるクレープの三つ隣で、たこ焼き屋はクレープと反対の一番外側にあるから、それぞれ自分のトレイを買ったお店へ返却しに行く。返却口はフードコートの中の方にあった。トレイを置いて出口の方へ目を向けたとき、カウンター席に一人で座ってる男の子が視界に入った。思わず二度見して立ち止まってしまう。
ドキッと一回高鳴って、ゆっくり加速していく。ここからだと後ろ気味の横顔しか見えない。だからこそ確信を持てる。ほんの数ヶ月前まで、いつも見てた横顔がそこにあった。今みたいに本を読んでるところも何回か見たことある。見たことないのは、着ている制服ぐらい。あれって、もしかして頭いいって有名な私立校かな?ブレザーかっこいい…じゃなくて、すごい学校に合格できたんだね。さすが、って言うと怒られるかもしれないけど、さすがだよ。やっぱりすごい。いっぱい頑張ったんだろうな。
トクントクンと鳴る音に合わせてゆっくり歩き始める。気付いてくれるかな?なんて淡い期待、本に夢中の彼が気付くはずなかった。彼の後ろを通るとき。
おめでと。
心の中でそっと囁いた。そのまま通り過ぎる。フードコートを出てすぐ曲がったところで、こっちに歩いてくる林くんと目が合った。あれ?と思いながら歩み寄る。お互い近づいたところで話しかけた。
「どうしたの?」
「こっちの台詞だよ、遅ぇじゃん」
「ごめん、返却口がわからなくて」
とっさに嘘が飛び出たことにびっくりした。けど林くんは気付いてなさそうだった。
「天然かよ」
「違うし。ってかお店に集合じゃないの?」
「あんな女子だらけのところに男一人はキツイって」
「えーそんなことなくない?」
「いやいやいや」
「いやいやいや」
二人して「いやいや」言いながら歩き出す。なんだかおかしくて笑えてきた。今度は二人してくすくすと笑う。「どれにしようかなー」と言いながら列に並んだ。
翌日。いつものメンバー(いつめん)と開店直後のファミレスに来ていた。実は男の子とご飯に行くことは既にみんなに話してて、昨日帰ってからスマートホン(スマホ)を見ると、どうだったのか聞きたいという話になってた。朝なら全員いけるということで早速集まることに。午後は部活だという智花は早めのお昼を、あとはデザートを頼む。私がテストで勝負して一緒にご飯に行った話をすると、智花が一言。
「絶対好きじゃん」
亜樹と百合絵も、うんうんと頷く。私だけついていけてないみたいだ。
「えっと、誰が、誰を?」
「クラスメートくんが、葵のことを」
「えーそんなんじゃないと思うけど」
「いやいや、絶対そうだよ。ね?」と百合絵を見る。
「うん。まずテストで勝負しようっていうのがおかしい」
「えっそこでもう!?」
「だって野球部なんでしょ?部活仲間でやるのが自然じゃない?」
亜樹も頷いて「だよね」と相槌を打つ。
「葵と話したくてとか、デートしたくてって感じだよね」
「デート!?」
「男女二人で部活帰りにフードコートなんて、デートじゃなかったら何?」
「た、たしかに」
言われてみるとたしかにデートっぽい。
「で、でも、まだ五月だし、一ヶ月ぐらいしか経ってないよ?そんなすぐ人を好きになれる?」
智花がなんてことないといった感じで「なれるなれる」と言った。亜樹も同意する。
「私のクラス、ゴールデンウィーク中に付き合ったっていう人いたよ」
「そ、そうなんだ」
「まあ私はそこまでじゃないけど、気になる人はできたし」
「え!待って亜樹気になる人いるの!?」とすかさず智花が食いつく。
「実は合唱部にかっこいい先輩いてさ」
「言ってよー」
「ごめんごめん、まだどんな人か全然知らないし、好きになるかわからないから」
「写真ないの?」
「ないない」
「えーなんで?」
「いやいや、なんでってなんで!?普通だよね!?」
亜樹と智花の会話に笑いながら、内心ほっとしてる自分がいた。昨日みんなも知ってる人を見たことを話すべきか悩んでるからだった。このままタイミングを逃して、言えなかったことにすればいい。だいたい、見ただけで何かあったわけでもないし。
私も亜樹みたいに、次に進まないとなー。いつまでも過去を引きずるわけにいかない。新しい出会いを見つけないと。
時間切れの智花が「またねー」とお店を出る。その後、三人で亜樹の新しい恋話をした。お昼時になると家にご飯があるからと解散することになった。