海の神様と古川祥一郎
R18版 海の神様と少年
日課となった海岸の砂浜の散歩の途中だった。
その少年は裸足で波打ち際に一人でいた。
夕陽に色を受け、茶色の髪と目が透けて金色に光っていた。
夏の終りなのに少年の肌色は白く浮いていた。
時々口を動かして、足元へ頭を傾げ、何か熱心に話しているように見えるのだが、こちらまでは聞こえない。
波音がザンザンと少年の音を消す。
体も細く、頼りなげな様子に、ふとした拍子に波に攫われやしないかと不安になった。
いつもは素通りするのだが、足で熱心に砂を掘っては波に流されるのを見て、また掘る、を繰り返している少年に、思わず声をかけた。
「それ、楽しい?」
少年は掘るのを止め、僕を見上げた。
「何となく」
少年らしい嫋やかな声で返ってきた。
「波に遊ばれてるみたいで」
言ってる途中で波が来て、2人の足首まで来た。
「わっ、ズボンの裾が濡れた」
「満ち潮だから」
少年はクスリと笑うと波と砂を蹴った。
膝までのショートパンツの少年は波を追いかけるように進む。
「危ない」
僕は思わず後を追って少年の腕を掴んだ。
「そんな深い所までは行かないよ?」
波がやって来て2人の足を再び濡らす。
「以前溺れたから、用心してる」
「じゃあ、尚更気をつけなきゃな」
僕を見上げた少年は笑みを深めた。そこに恐怖の色は無かった。
友人の事を思い出す。僕への恋心を告げ、僕に拒絶されて、1人海へと沈んで逝った友人を。
僕は少年から離れて、テトラポッドの積まれた端まで行った。目星をつけた一つに登って座る。そこからは海岸と地平線が見渡せる。
元の位置にいた少年は、砂浜の向こうの道路からやって来た、スーツ姿の男性の呼ぶ声に振り返った。
「しょういちろう!何してるんだ!危ないだろう⁈」
「大丈夫だよ、父さん。今日は早いね」
「出張先から直帰した。一緒に帰ろう」
「はーい」
少年は裸足のまま父親の方へ歩いて行った。よく見ると青いサンダルがその先に置いてあった。
「願いが叶うといいね、お兄さん」
しょういちろう、と呼ばれた少年は、そう言い残して父親と合流した。
少年は頭を髪がくしゃくしゃになるまで撫でられて、その手をとって繋いでから歩き出した。
願い?僕はそんなこと言ったろうか?
僕はテトラポッドの隙間に吸い込まれるように視線を移し、友人が出てきそうな気がして、ぞっとして空を見る。
会いたいような、会いたく無いような、複雑な心境だ。
中学に入ってすぐだから、もう10年の付き合いだった。親友とも呼べるその位置に、友人は留まれなかった。
過干渉な母親が苦手で、それを妬む姉の態度が嫌で、そのせいで女が苦手だった。
それを告げたせいで、友人は要らぬ期待を持ったらしい。
「君が好きだ。友達じゃ無く、恋人になって欲しい」
僕は、女が苦手だが、嫌いでは無い。恋人にするなら普通女だろう?男同士なんて、考えたこともない。
彼が僕に決死の思いで告げた恋心を、僕はそう言ってつれなくあしらった。
告白される前に言うべきだった。
友人は、みるみる涙を溢れさせ、「ごめん、気持ち悪いこと言った。忘れてくれ」
と立ち去った。
「でも、俺たちは親友だよな?」
慌てて声をかけたが返事も無く走って行ってしまった。
追いかける事もできず、今度からどんな顔して会おうかなと、ぼんやり考えていた。
僕が呑気に考えてる間に、思い詰めた友人は、1人夜の海に入って行った。
僕がぐっすり眠っている間、一人夜の暗い海の底へ沈んで逝った。
それから毎日友人が死んだ海岸の砂浜を歩き続けた。
「今日で49日目だ。君はあの世に行けたのか?」
「最後の日だからね。ぎりぎり願掛けは効いたみたい」
少年はいつの間にか波打ち際を進んで僕のそばにやって来ていた。
気配が無かったので驚いた。
「願掛け?」
「海にも神様は居てね。御百度参りってあるでしょ?毎日来てたよね?相手の都合もあるから今日で成就させてくれるよ」
少年は微笑んで少し沖の方を指差した。
少年の指さす方には波があるだけだ。
「何の事?」
「僕は溺れた時、海の神様に居て欲しいって言われたけど、冷たいし苦しいし、嫌だって言ったら帰してくれた。海の底は寂しいんだって。あまり人が来ないから。船に乗ってるから、来てもすぐに帰ってしまう。底に来る時は死んでるし」
「何を言ってる?」
少年はいつもと変わらず微笑みを浮かべて僕を見つめた。
「なるべくここへ会いに来るからって約束した。僕のこと好きなら、他の人を引き込まないでってお願いした」
茶色の目が金色に光って見え、思わず後退りした。
「だから会いに来るよ。君を大切に思っていた人が」
目を凝らすと、何かが見えた。
白い泡だ。
大きな泡が立ち、がほっと音がして、唐突に頭が出た。
それは段々と姿を現し、一直線にこちらへ近付いてくる。
僕は恐ろしくて震え出したが、足が動かなかった。近付いてくるそれを黙って見つめていた。
波が膝のところまで来ると、一旦立ち止まり、鬱陶しそうに濡れた前髪をかき上げた。
僕を見て微笑んだ。
「やあ、久しぶり」
肌は青白く、唇も紫色で、全身じっとりと濡れていたが、間違いなく、友人だった。
「どうやら、死ねなかったようだ。未練がましいな」
砂浜に上がって来た友人は僕の正面に立ち、手を伸ばした。
「何か言ってくれないか、親友よ」
濡れた手が頬に触れ、その冷たさに小さく悲鳴を上げて後ろに足が動いたが姿勢を保てず尻餅をついた。
「そんなに怖がらなくてもいいじゃないか」
「お前は死んだんだ。僕は葬式に出た」
必死に声を絞り出す。
「そうなんだ、わざわざありがとう」
「どうして」
「海の神様に呼ばれたんだ。僕に会いたいって毎日海岸に願いにやって来る者がいるからって」
「海の神様?」
僕は少年を探して辺りを見回した。
少年は少し離れた波打ち際に行って、足で砂を掘っては波に埋め戻される、例の遊びをやっていた。
「もう!埋めるんじゃなくて掘ってくれよ」
少年は海に向かって楽しそうにしている。
その先を見ると、青い着物を着た長い髪の男性が海の上に立っていた。
そう、立っていた。少しも水に濡れていないし、何なら風に髪がなびいている。
「海藻はいらないって」
少年はクスクス笑いながら海藻を足に引っ掛けて海の中へ飛ばした。男も表情はよくわからないが嬉しそうだった。
「しょういちろう、君が呼んだのか⁈」
僕は精一杯声を張り上げたが、掠れ声にしかならなかった。
2人共僕の方を見てくれない。まるで居ないかのようだ。
友人はゆっくり膝を付いた。
「違うよ、僕は君の願いでやって来たんだ」
冷たい手は僕の首を掴み引き寄せた。
「君も、僕を好きだったんだ?」
そうして僕は唇を重ねられた。冷たくて身震いしたのに舌を入れられた。
何もかも冷たかった。
口内を貪られながら、砂浜の上に押し倒された。
片手は首に掛けられたまま、親指で喉仏を強めに押してくる。
「止めろ、子供が、いる!」
羞恥と恐怖で叫んだ。
「そこ、気にするの?」
少年の方へかろうじて手を伸ばしたが、彼はいつの間にか、海の上にいた青年に、肩を抱かれて砂浜を更に向こうへ歩いて行く。
「助けて…」
「神様に気を使われたね」
うっとりと見下ろす友人の顔色はさっきの青白さが消えている。唇の色も薄いピンク色だ。
「止めて、くれ、悪夢だ」
「うん?夢かも?でも繋がれた。嬉しい。大好きだよ、潤」
それから永遠に近い感覚で続けられた。友人の身体はだんだん熱を帯び、自分の身体は快楽を拾ってされるがままになった。
「好きだよ、潤。死ぬまで、死んでも好きだった。ずっと一緒だ。親友って言ってくれて、本当はそれでも良かったんだ。でも、君も受け入れてくれた。嬉しい。大好きだよ、潤。もう二度と離れない」
そのまま気が遠くなり抱きしめられたのは覚えている。
「お兄さん、起きて!暗くなってきたよ」
僕は揺さぶられて目を覚ました。
砂浜で寝ていた僕は、ハッとして自分の格好を見たが、服は普通に着ていた。
「大丈夫?」
「しょーいちろう?」
「うん、吉祥の祥に、一郎はおおざとね。お兄さんは?」
「潤。潤うの潤だ。君は友人を見たのか?」
「知らない。神様は見たけど」
「それ、人に言わない方が良い」
「言わないよ!今まで僕に会いに来た人のことは言わないようにしている。普通の人は怖がるから」
「会いに来たのに言えない人は神様だけじゃないんだ」
「仕方無いんだ、見えちゃうから」
祥一郎は寂しそうに笑った。
「帰ろう?」
「そうだな」
手を引かれて立ち上がった。
「砂まみれだよ、お兄さん」
少年は僕の背中を叩いた。僕も払ったが、全部落とせてないだろう。
「君は酷い目には遭わないのか?」
「そんなの無いよ。話しかけてくるけど、返事しなかったらどっか行くし。たまにしつこいのもいるけど、海に行ったら神様が追い払ってくれる」
沖の方を優しげに見て、バイバイと手を振った。ふふん、と得意そうに鼻息を出す。
「何もしなくても良いのは、本当に楽だ」しみじみとした口調に、年齢にそぐわないと違和感を覚えるも、尋ねる前に道に出てしまった。
「じゃあね」
いくらか親しくなった少年は足を止めた。
2人の行く方向は真逆だ。
「気をつけて帰れよ」
祥一郎は口角を少し上げた。
「お兄さん達も、気をつけてね」
「え?」
祥一郎はくるりと後ろを向いて駆けて行ってしまった。
残された僕は呆然として肩に乗せられた手を見、反対側を見た。
肩に手を回していた友人は僕を見てにっこり微笑んだ。
「連れてって?」
僕はため息をついた。
「仕方無いなあ」
2人は歩き出した。
「言っとくけど、僕ん家狭いからな」
「気にしないよ」
散歩の日課は今日でお終いだ。
祥一郎と言う不思議な少年や、海の神様にも会うことはないだろう。
僕は友人をいつまで温め続けるんだろう。
笑顔を見るにつけ、深く考えるのは止めた。
終
《海の神様と古川祥一郎後日談》
後日、波打ち際での二人。腰を下ろした男の膝の上に横抱きにされた祥一郎は、今回の事で言いたいことがあった。
「ねえ、海の神様!本当に願いを叶えて良かったの?潤さんは望んでなかったんじゃ無い?怖がってたよ?」
「さあ?俺は好きな方の味方さ。もう片一方はどうでも良い。嫌になったらまた来るだろう」
「無責任な神様だなあ」
「お前が二人を会わせろって言ったんだろうが!俺はお前の言う通りするだけだ」
「なんか、思ってたのと違うんだよなあ」
祥一郎は不満そうに口を尖らせた。それを見た男は不安気な様子になった。
「もう、来ないのか?」
「ううん、約束したでしょ?神様と僕は親友なんだ。もう離れないよ」
祥一郎は男の首に両手を回した。
「それなら良いんだ。お前の望みも、できるだけ叶えてやるからな」
「ありがとう。これからもよろしくね」
祥一郎は男の頬に軽くキスした。
帰り道、男が見えなくなる位置まで来ると、急に怖気がやってきた。
「何が海の神様だ!よく言うよ」
祥一郎は苦々しい顔で吐き捨てた。
「くそーっ、こんなガキじゃ無ければ一瞬で消せるのに!7歳は辛すぎる」
しかも溺れていて、海の神様に引き込まれた時に転移してきた。この古川祥一郎の身体にいたのが、死にかけたので別世界に転移され、代わりにやってきたのが自分だった。
自分もまた転移するかと思ったら、言うことを聞いたら助けてくれたので、何とかこの世界に留まれたのだ。
「そしたら、今の年齢、7歳とか!また転移すりゃ良かった!」
あたりが暗くなると、さらに暗い怪異が寄って来たが、近付くとサッと散っていく。
自分の力では無い。海の神様の結界が祥一郎の周りに張り巡されているからだ。
「便利なんだけど、縛られるのがなあ」
今からでも鍛えて、取り敢えず自称『海の神様』を消すのを当面の目標にしている。
現状の力では全く太刀打ちできない。
もう、潤達の事は眼中に無い。
後はご自由にどうぞ。
終
蛇足ですが一応解説。
『夕凪の帰り道 怪異と古川祥一郎』(小説家になろう掲載)に出てくる退魔師、古川祥一郎の転移後の世界の出来事です。
23歳から、7歳の肉体に転移したので、力もまだ弱いです。記憶は引き継がれますが、力はそうでは無いのです。
案の定別の悪霊を引き寄せ、取り憑かれていますが、祥一郎に好意を持っているので、辛うじて言う事をきかせているし、守らせている。宣言通り神様を消せるのはいつになる事やら…




