理解と後悔
会いに行く前に、手土産の1つでも買っておこう。そう考えた私は、1階の売店に足を運んだ。
「チョコでいいかな」
迷うことなく、見慣れたパッケージを手に取る。甘党な奏のことだから、この差し入れは嬉しいだろう。
レジのおばちゃんに100円玉を渡し、チョコレートが入ったレジ袋を受け取る。それを手に下げ、私は早々にこの場を後にした。
エレベーターに向かって歩を進めながら、奏のことを思い返す。まだ3日しか経っていないのに、しばらく会っていないような感覚に陥る。友達の顔を数日間見ないだけで落ち着かなくなるなんて、私は思った以上に心配性らしい。
「……」
あの夜、どうして目を覚ませなかったのだろう。薬の副作用のせいだと言われれば納得せざるを得ないけれど、それでも悔やまずにはいられなかった。
確か奏が私の頬に触って、楽しそうに笑って、それから……。
「……あれっ」
そして、思い出した。私が眠りに落ちる直前、耳打ちされた言葉を。
「……大好き?」
口に出した瞬間、カーッと顔が熱くなる。ドキドキと鼓動が早まる。3日越しで理解したこの言葉は、私の脈拍をかき混ぜるように荒らしていく。
その動悸はエレベーターに乗ってからも治まらず、私は必死に息を整えた。これから奏に会いに行くというのに、こんな姿を見せるわけにはいかない。
そもそも、奏が言った「大好き」が、どういう意味なのかはわからない。友達としての好意を伝えたまでかもしれない。頭ではそう理解しているのに、心臓の高鳴りが止まない時点で、私の返事はほぼ確定しているようなものだ。
人の話を疑わない純粋な心、子供っぽくて明るい性格、実は寂しがり屋で不安症なところ。彼女の魅力は上げたらきりがない。
やっと自覚することができた。今抱いているこの感情、奏を強く求める欲求……これは、恋心だったのだ。
「私も、奏のことが……」
そう呟いた瞬間にエレベーターが指定の階に着き、私は口をつぐんだ。
これから奏の居場所をつきとめる。そのためには、不審に思われないように気をつけなければ。看護師さんに見つかったら、きっと自分の病室に送り返されてしまう。
開いたドアの間を通り抜け、静かな廊下を歩く。初めは慎重だった足取りが、1歩ずつ軽くなっていく。大切な人との再会の予感に、心が弾んでいるのがわかる。
「……え……」
しかし、そんな希望は一瞬にして砕け散ることになった。
私が周囲の異変に気づいたのは、廊下の角を曲がってからだった。
――病室の扉が、全て閉められている。
たったそれだけのことなのに、全身に鳥肌が立つのを感じた。ここにいてはいけない、そんな漠然とした恐怖心に襲われる。私は急いで引き返そうとした。
しかし、その時にはもう遅かった。
金属が軋むような音が聞こえる。暗い顔をした看護師さんが、ストレッチャーを押している。その上に、白い布に全身を包まれた「何か」が横たわっていた。
その後ろを、奏のお父さんとお母さんが歩いている。沈痛な面持ちのお父さんが、今にも泣き崩れそうなお母さんを支えている。
「奏……!?」
追いかけようとした私を、看護師さんが一瞥する。彼女が首を横に振ったのが見えて、私はその場に膝をついた。
「待って……」
そんなわけない。だって、あんなに元気だったのだ。私のベッドに潜り込んで、こっそり告白できるくらい。
こんなの何かの間違いだ。そうだ、きっと夢だ。それなら早く目を覚まして、本物の奏に会いに行かないと。これ以上寂しい思いをさせたら、嫌われてしまうかもしれない。
私はお土産が入った袋を落とし、涙で濡れた頬をつねった。
「……痛い」
頬の痛覚が無情にも、これこそが現実だと告げている。
変わり果ててしまった奏は、私の声を聞いてくれない。私の気持ちに応えてくれない。もう二度と笑ってくれない。
「置いて行かないで……」
どんなに懇願しても、泣き崩れた私を奏が慰めに来ることはなかった。
奏が食べるはずだったチョコレートは、彼女が安置された霊安室に供えられたのだった。